北奥のドライバー -19ページ目

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

タクシー会社の値下げ競争に歯止めをかけるべく施行された法律を巡っての裁判がありました


原告は大阪市のタクシー会社『ワンコインドリーム』(保有90台)。このワンコインドリームは国が定めた初乗り運転幅(この地域は660~680円)を大きく下回る500円(現在は510円)で営業していた為、運賃変更命令等の行政処分が下されないように求める訴訟を大阪地裁に起こしていた。

大阪地裁は11月20日、同社の請求を認め、処分を差し止める判決を言い渡した。西田隆裕裁判長は「業者の経営実態を全く考慮せずに行程運賃幅を決めており、裁量権の乱用」と述べた。

同種の裁判は他に大阪、福岡、青森の各地裁で5件起こされているが、判決は初めて。今後のタクシー規制に影響を与える可能性もあるのと事。

国土交通省近畿運輸局が「中型車は660~680円」に運賃設定したが、ワンコインドリームは従わず、大幅に安い運賃で商売を続けていた為に、最悪、事業認可取り消しの可能性もあった事から同社が訴訟に踏み切った。

西田裁判長は「新制度(要するに去年施行された特措法)以前の時点において、経営状態や不当な競争の恐れが無いなどの確認を経て認可されていた」と指摘。ただちに労働条件の悪化やサービス低下などが生じるとは言えない、と述べた。

これは「以前、キチンと法律に従い審査も経た上で国の機関自身が許可を下したのに、今更 ”やっぱり国として都合が悪くなってきたから、アンタのやって来た商売はこれから認められない” なんてムシのいい話は通りませんよ」と、まあ、そういう事でしょうね。

この裁判それ自体は、国の法律を根拠に規制の網をかけようとする地域の役所と、それに逆らい、もっと自由な商売をしたがる民間企業との戦いです。

しかし、その本質には『昔から国の規制にブラ下がって命脈を保ってきたタクシー業界』VS『規制緩和の波に乗って参入してきた悪賢い新参者』との戦いといった側面も間接的にではありますが、存在すると私は考えています。

ただ、世間の一般的な考え方として、消費者が安くてサービスの良い会社を支持するのは当然です。裁判で不利なだけではなく、コイツはなかなか世間の支持も得られないように感じます。

とはいえ、私は個人的に昨今の規制緩和以降出現した、激安価格や高水準の接客を売りにしているような会社に関して、学ぶべき所が多々あるとも考えてはいます。が、トータルで言えば、諸手を挙げて支持する気分にもなれずにいる、というのが正直なところです。

こういった会社もまた、規制緩和以前から存在した古い会社同様、その多くは仕事を失って困っている中年層の足元を見て、酷い労働環境で働かせているケースが少なからずある事に変わりはないからです。

勿論、従来のタクシーと違って安売りをした上でも尚、キチンとある程度の安定した給与を払い、乗務員を酷い労働環境で働かせるような事もせず、その上で真っ当に利益を出しているというのなら、申し分ないのですが。ただ、そんな会社は滅多に無いのが現状でしょう。

そして、既存の国と二人三脚路線の会社達はどうかと言えば、これはこれで相も変わらず困ったものです。そもそも、末端の乗務員を昔から法的に怪しい酷い環境で働かせていながら、いざ自分たちの経営が厳しくなると国に守ってもらおうなどと考えているのですから、ムシが良いにも程がある。

確かに新規参入組で国の指導に従わず、好き勝手な商売をする会社も少なからずあるわけですが、果たして古参の会社や関係団体、又は国にそれを批判する権利はあるのでしょうか?

というのも、元はと言えば、規制緩和以前から存在した多くの会社は「我々は普通に労基法を守っていたら利益が上がらない特殊な業界だ」などと言い訳をしつつ、数十年かけて、業界の中に脱法的な労働文化を作り上げ、乗務員を過酷な環境で働かせ、国は国でズルズルとそれを今日まで(不本意だったのかもしれませんが)正す事も出来ず現在に至っているわけです。

考えようによっては『狡っからい新規組の会社』というのは、単に元々存在したタクシー業界特有の脱法文化に、ただ後から乗っかって来ただけの存在とも言えます。

長らく脱法に次ぐ脱法で、国の法律が機能不全になるまで食い荒らし、国家の根幹をなす『法治主義』の概念に後ろ足で砂をかけるようにして、高度成長期から数十年間、好き勝手に利益を上げてきたのに、いざその脱法文化を逆手にとって躍進してきた新参者にその存在を脅かされるようになるや掌を返すようにして「法律を守れ、業界の秩序を守れ」などと、一体どの口が言えるのか、そう考えたくなってしまう事があります。

そして、特に近年において、理由はどうあれ、このような脱法的な労働条件をズルズルと受け入れてきてしまった各労働組合にも一定の反省点は有るし、その他の各関係組織にも一定の責は有ると思います。

以前も書いた通り、この業界に横たわる過当競争と貧困の問題を道路運送法の規制のみで何とか正そうという考え方自体、土台無茶な考え方だったのです。

「失業するよりマシだろう」、「この方が働き甲斐があるだろう」などと詭弁を弄しつつ、数十年間に渡って労働基準法をグダグダに骨抜きにしてしまった時点で、この業界の衰退は運命づけられていたのかもしれません。

タクシー業界に限らず、介護業界にせよ、土建業界にせよ、トラック業界にせよ、これらに共通しているところかもしれませんが、「自分達は不景気になる度に、失業者の受け皿として社会に貢献してきた業種だ」という、ある種の驕りもあったのかもしれません。

「仕事が有るだけマシだと思え」といった精神文化に取り憑かれ、現在よりも遙かに景気の良かった時代から末端の労働者に対して過酷な労働を強いた挙げ句、現在は何れも人手不足に苦しんでいます。

タクシー業界が、ここまで荒れ果て、高齢化と人手不足に苦しむようになったのも、ある意味当然の帰結だったと言えます。 

さて、ここまで書き散らかしてきてナンですが、話を最初の裁判の話に戻したいと思います。

『国から規制の庇護を受けて商売したい会社』にしても、国の機関にしても、現在の戦術では決定的に戦況不利である事を受け入れるべきでしょう。これは私の勝手な想像ですが、青森、福岡の裁判も国側が非常に不利なように思います。

最悪の場合、連戦連敗を繰り返し、特措法に賛同しない会社に有利な世論作りに利用される恐れすらあります。世の中にはタクシーの過酷な労働や不安定な給与の問題など歯牙にもかけず、ひたすらに従来の国の規制とそれに従って営業する会社を『既得権益』などと呼んで批判する知識層も存在し、メディアに強い影響力を持つ者も多いのが現状です。

彼らの多くはハッキリ言って、自由競争で起こる価格破壊とサービスの向上といったテーマにしか殆ど興味がないように思います。乗務員の貧困問題もアリバイ作り程度にサラッと語るだけです。なんとなれば、彼らはこういったサービスを消費する側で、主に都市生活者の中流ホワイトカラー以上の人間が主な支持層の知識人だからです。

新規参入組のタクシー会社の中には、こういった『サービスを消費する側』の支持を巧みに取りつけて、巧妙な宣伝を伴い事業を推進してきた事業者も多い。メディアや規制緩和論者の知識層を味方につけた業者というのは実に強い。それがたとえブラックな企業だとしてもです。

彼らは国の規制に守られ、高めの運賃に安穏とし、質の悪い乗務員の再教育に関しても「金も時間も無い」と言い訳ばかりしてきた古参の会社に対する消費者の不信感を巧みに掬い上げ、メディアや知識層の支持を取り付ける事で市民権を得る事に成功しました。

そして、こういった会社は法律的な知識、戦略にも長けているケースが多い。もしかすれば、『そういう会社』同士の法的知識を融通し合う横の繋がりもあるかもしれません。

「オタクらの会社や組合が、国の指導下のもと、皆でチョットずつ損を分かち合ってでも生き残りましょうといったルールを作るのは勝手だが、それに賛同しない会社の営利活動にまで口出しするのは違法だろう」と言われれば腹立たしいかもしれませんが、それはそれで尤もな話です。これを正面から切り崩すのは至難の業でしょう。

国や旧来の会社は、これまでため込んできたツケが思いのほか大きかったという事です。業界の関係者達は大いに反省するべきでしょう。





※このお話がフィクションかどうかは読み手の判断にお任せいたします。


数年間のある日、春の晴天が心地良かったせいか、昼間にも関わらず私は近所にある小さな公園のベンチに座り、ウトウトとしていた。

盛岡の春は概ね日差しはそこそこに強いものの、まだ冬の残滓といえるキーンとした冷たい風が吹いてくる日も少なからずある。その為にそれなりの服装でなければ風邪をひいてしまう様な日も多い。

しかしその日は風が無く、また例年に比べると、例外的といってよい程に気温も高かった。少々体を動かせば、たちまち額に汗が滲んでくるような、そんな陽気だったのだ。私は木陰にあるベンチの背もたれに寄りかかり、夢とも現ともしれない時間を過ごしていた。

「ねえ、おにーさん」

聞き覚えの無い女性の声。一瞬ギョッとして私は目を覚ました。

目の前にはノースリーブで淡いピンク色のワンピース姿の女性が立っていた。スラリとした体型で身長は160センチ台の半ばといったところか。

肌は透けるように白く、逆にややショート気味の豊かな髪は実に綺麗でツヤやか、まさに「漆黒」といってよい程の黒髪。

身なりは地味であったが、漆黒の髪と白い肌のコントラストに淡いピンクの組み合わせは美しく、また私の目には実に艶めかしくも映った。

本来であれば、彼女の装いは初夏の頃にこそ相応しい様なものであったが、この日差しと汗ばむような気温である。さして違和感を感じさせなかった。

やや丸顔。パッチリとした猫のような目。しかし少々広めな二重瞼のせいで、時折眠たそうな表情に見える事もある。ただ、全体的には良く整った美しい顔立ちであった。年齢は三十歳前後だろうか。

「はい?何でしょうか?」何が何やら訳が分からず、思わず半分ひっくり返った声で私は応じた。

「アタシの部屋、覗いていたでしょう」

彼女は歯を見せ、「ニッ」とした表情で膝に両手を当て、腰を屈めると私の顔をのぞき込んだ。

「覗き?あの~、失礼ですが、何かの勘違いでは……」

「ふーん、まあいいや。アタシの部屋の置き物達、喜んでいたから。気に入られたみたいよ」

……全く彼女が言っている事が理解出来ない。まるでタチの悪い冗談につき合わされているかのような気分であった。

現在はこういった一寸おかしな事を語ったり、或いは奇妙な立ち振る舞いをする人物を“メンヘラ”など呼んだりするが、当時はまだそんな言葉が無かった時代である。

「はあ……?」

彼女は困惑した私の表情が余程面白かったのか、大きな声で笑い出した。

(奇妙な人に絡まれたな。美人さんだけど、こりゃあ深入りせず早々に退散したいところだな。)

私はなんとかこの場から退散する体の良い言い回しがないかと無い頭を絞って色々と思案していた。

すると、彼女はまるでこの状況に戸惑う私の意志など全く意に介さぬように

「一昨日、そこに引っ越してきたばかりて、道がわからなくて。近所のスーパーの場所、教えてくれます?」と聞いてくる。

話すと同時に彼女が指差した先には築10年程のアパートが一軒建っていた。

私がおおよそのスーパーの場所を教えると、彼女は笑顔で礼を言い、花のような心地良い香りだけを残し、その場から去っていった。

(なんだ……もしかして、いいようにからかわれたのか?)

ボンヤリと彼女の後姿を眺めながら、そんな事を考えていた。奇妙な女性との奇妙で短い出会いの始まり。この出会いを思い出す度に、霞がかった、そしてまるで夢の中の記憶を辿るような気分になる。

【次回に続きますが、何時になるか分かりません。】






さて、前回の続きです。

私の周囲のベテラン乗務員には何人かですが、「仕事がキツいな~。新規参入の会社が好き勝手な安売りで客を取っていくのも腹立たしいな」

「運輸支局あたりがもう少し指導をシッカリして、新参者どもを追い出してくれないかな。そうすれば、取られた客が戻ってきてまともな給与になるのに」

といった愚痴を語る人が複数います。

まあ、気持ちはわかります。とはいえ、お客様の身になれば少しでも安く、接客の良い会社に流れるのは当たり前の事です。

そういう意味では、従来のタクシー乗務員や会社にも大いに責任があります。新規組の会社を感情的に敵視するばかりでもいけないでしょう。

そして、『新規参入の会社が駆逐されて、お客さえ戻ってくれば、結果として貰える給与が底上げされる筈だから、もうそれで良い』という発想自体、非常に問題があるようにも思います。

そこには業界全体のプロ意識の低さをどのように正し、「このタクシーに乗って良かった」と言わしめる会社を創ってゆくか、といった発想がほぼ皆無ですし、この業界が抱えている最大の問題、つまり『違法性を伴いがちな労働環境』をどう正すかといった視点もありません。

せいぜいそこに有るのは、「以前のように規制に守られて、気楽なその日暮らしの現金商売をしていた頃に戻りたい」といった発想だけです。

私は数年前、「このタクシー業界の給与形態が孕む違法性と長時間労働の問題を何とかしないかぎり、業界の若返りは有り得ない」とあるベテラン乗務員達の前で語った事があります。

その際帰ってきた答えは「冗談じゃねぇ、K社のようになりたいのか?現実味の無い正論ばかり語って、会社が潰れて失業したら、なんにもならないじゃねぇか」というものでした。

この『K社』というのは、昨今の不景気にも関わらず、キッチリと固定給を払っていた会社で、その人件費が元で数年前に倒産してしまった会社です。

どこの街にもこういった『正直者が馬鹿を見る』ようにして倒産してしまった会社の事例(タクシー会社に限らない話でしょうが)が大なり小なりあるものです。で、会社が潰れて仕事を一時的にでも失ったり、或いは他社に吸収されて就業環境が激変する事態を皆が嫌い恐れています。

まあ、そういった心情は痛いほどわかります。だから、彼らを道徳的に非難するつもりもありませんし、ある意味当然の反応かな、とも思います。

それ故に、ここまで長時間拘束され、しかも、法的に怪しい出来高制の給与の中で働かされているのにも関わらず、末端で働く乗務員の中には「長時間拘束と保証の無い出来高制、有給休暇が存在しない等の問題は今更変えようのない普遍の大原則で、この環境を受け入れる前提で労働条件の改善を論ずるべきだ」と考える者が、末端の乗務員にも少なからず存在する状況が発生します。(これもこの業界に限った話ではないでしょうが)

さて、ここで私の推測混じりの話になってしまいますが、幾つかに纏めてみます。

①多くのタクシー乗務員は50~60代で、もう少し耐え忍べば年金生活に滑り込める、或いは既に受給している層で、これが業界の『最大世論』を形成している。当然、会社の労働組合も、この最大世論をベースとした要求を会社に求める事となる。

②彼らはもう間近にせまっている自身の余生をどうするかが最大の関心事になっている事が多く、業界に蔓延する労働基準法違反やモラル低下の問題を根本的に解決する意欲が無い。

③その為に、自分が引退するまでの、もう暫しの依代となるだけの会社とわざわざ敵対し、波風が起こる可能性が高い(しかし本来あるべきの)労基法違反という切り口でタクシー問題を語る事を原則嫌う。

④少なくとも、規制緩和以前から存在した会社とそこに所属している乗務員は『規制緩和によって参入した新参者のおかげで過当競争が進み苦しくなった』という点においては立場が一致している。

⑤そこで会社の怒りを買わず、また会社を潰さずに「人生のゴール」に到達する為の次善の策として、「道路運送法絡みの指導をもっと強化して、新参者を排除して需要と供給のバランスを取ってほしい。そうすればライバル不在に近い環境になるお陰でチョッピリ給与も上がるだろう」という発想に傾いてゆく。

⑥それと引き換えに、「業界の異様な労働慣行に関わる問題に関しては、この際、これを不問に付しておこう」といった結論となってしまう事が多い。

⑦この業界は家族を抱えてリストラにあったり、会社を倒産させたりして路頭に迷った経験の末、業界に流れ着いた者も多く「あの時見た地獄に比べれば、この程度の労基法違反なんぞ屁でもない」と、違法な就労環境を苦も無く受け入れてしまう人種も少なからずいる。

※以前書いたかもしれませんが、近年のタクシー規制の法律そのものが、そもそも数年前に組合組織の「会社も乗務員も痛み分け状態で仲良く生き残りましょう」といった提唱から紆余曲折を経て出来た側面が大きいものなのです。しかし、そういった動きに反発して従わない会社もそれなりにありました。

そして、ここから規制緩和以前から存在したタクシー業界関係者や末端乗務員達(組合員)の「労基署(厚労省)に労基法違反を訴えるなんて剣呑な事はしたくない。だから運輸局(国交省)が何とか”ウザい余所者”を、例えば不当廉売なんかの咎でどうにか告発・排除してしてくれねぇかな。そうすれば波風の起こらないソフトな環境変化が起こるのに」という発想が生まれるワケです。

勿論、運輸局だって昨今のタクシー乗務員の貧困問題は問題視している筈で、各社に待遇改善の勧告はしているとは思います。とはいえ、やはりそれは「道路運送法絡みで指導できる範囲に於いて」といった限定的な範疇にとどまるものでしょう。まあ、当然ですが。

しかし、ここで私は声を大にして言いたい。そもそも、このタクシー業界は現在よりも遥かに景気の良かった時代から労基法なんぞ屁とも思わず末端の乗務員を使い捨てにしてきました。そういった業界の精神構造が呼び水となって現在の惨憺たる状況を作り出す遠因の一つとなっていったのだと思います。何も規制緩和だけが原因ではない。

ですから、業界のブラック労働を訴えるのであれば、仮に理想通りに行かず次善の策を語るにしても、まず『労基法違反はいかなる理由であっても許されないものだ』という論理ベースは捨てるべきではなく、それを捨てた時点で『付け入る隙間だらけの不完全な議論』に堕落するリスクが高いものである、という自覚は必要でしょう。
2015年10月20日のあるニュースにこんな記事が載っていました。

その内容はというと……

『青森市のタクシー乗務員が低収入を強いられているのは、タクシーの供給過剰対策を定めた改正タクシー特措法に不備があったからだとして、同市内のタクシー乗務員8名が19日、国に計400万円の損害賠償を求める訴えを青森地裁に起こした。同法に関する訴訟は全国でも初めて。訴状によると、同法には供給過剰を正すために条件を満たした地域に於いて、新規参入や増車を禁止する”特定地域”に指定する基準があるものの、これは30万人を超えた地域でなくてはならず、29万4000人しかいない同地区はこの対象から外されている。実際、同地域では、運輸局が算出した適正台数を23%も上回っており、東北では最大の乖離率である。実際、14年度の乗務員の平均年収は177万円(前年度比約24万円減)であり、一時間当たりの推定収入は815円と、いずれも東北最低である。青森地連の江良実書記長は「青森営業区域では”人口30万人”という以外の部分では指定基準は満たしている。地域の人口が30万人を超えているか否かではなく、適正車両数との乖離率を基準とするべきだ」と語った。』

とまあ、大体こんな内容の記事です。

さて、実際、青森の乗務員達はさぞかし大変で苦しい生活を送っているものと思われます。とはいえ、果たしてこの訴えは何らかの成果を上げてて実を結び、最終的にタクシー乗務員の貧困問題に一定の楔を打ち込む事が出来るのでしょうか。

勿論、やるからには上手くいって欲しいと思っていますし、仮にこの訴えが最終的に退けられるような結果になったとしても、世間に一定の波紋をつくりだし、タクシーの労働問題に光が当たる事になれば言う事はないと思います。とはいえ、正直なところ「先月書いた残業代の未払いに絡んだ裁判のそれに比べれば、かなり苦しい攻め口だな」とも個人的には思うのです。

といいますのも、こういう訴えを起こした乗務員の方々は、『特定地域』に指定された地域の現状をご存じないのではないでしょうか。もしかすれば、この訴えに賛同する方からお叱りを受けるかもしれませんが、あえて書いてみたいと思います。

まず、私の住む盛岡市は『準特定地域』に指定されいます。本格的な特定地域への指定ではありませんが、増車や新規参入が規制されています。その為に新しい会社はここ数年参入していません。しかし、減車は遅々として進みません。中には運輸局の指導にも積極的に従わず、減車その他の指導も無視するに等しい態度をとる会社もあったりします。

何故なら、去年、京都を本拠とするある有名タクシー企業と、それに協賛する十数社が「国が基準を作って運賃、台数、労働時間に口出しをするのは自由な商業活動を認めた憲法に違反する」と国を相手取って訴えを起こし、五月に訴えが認められてしまった為、同年一月に施行されたばかりであった『改正タクシー特措法』は実質的にたった施行後数ヶ月のところ形骸化してしまっているという背景があるからです。

人手不足が深刻化して、乗り手を失った車両がどの会社にも沢山あるのにも関わらず、何故そのような事をするのかというと、国の指導に従って減車すると、実質的に増車がほぼ不可能だし、タクシーという業態は乗務員の数が多く、乗務員同士の競争が激化している状態の方が原則、会社本体としては儲けが増えるので、万が一、将来乗務員が増えるような僥倖に再び恵まれた時の為の伸びしろを確保しておきたいというのが理由です。

また、これは大層剣呑な話ではありますが、万が一会社の経営が行き詰り、他社に経営権を売却する際、指導に従わずキープしていた大量の車両の使用権もセットで売れば、それなりの『売り上げ』になる筈です。新規で車両を増やそうとしても、昨今は役所が新規登録を拒否する可能性が高いのですが、例えばあるタクシー会社が傾いたり廃業したとしても、その会社が当局から以前に認可してもらった車両台数の権利は継続することができます。こうして既存の会社が所有していた”権利”を買い取れば、現状比較的楽に増車できてしまいます。

こういった場合、以前から乗務員にこういった情報が周知されるのは稀で、多くは突然「他社に買収され、社長は経営から退いたので、この会社はもうなくなります。来月からここは○○タクシーの支店になりますので」と『寝耳に水』な宣告をされる事も多いようです。末端の乗務員にしてみれば、実に迷惑で千万な話です。

実は、特措法の枠組みの中に入る事が出来た地域の中でさえ、こういった「雲の上に立っている人間だけに都合がよく、末端の乗務員はワーキングプア状態で振り回される現状」には何も変化が無い訳です。

それから、このタクシー特措法を司っているのは国土交通省ですが、正直彼らはそう簡単に自らの過ちを認めないでしょうし、しかも、前述の通り「規制は憲法違反である!」という民間からの訴えに敗れるという苦い過去があり、しかも法律が形骸化して指導に従わない会社も散見される昨今、「果たして国交省を訴え、尻を叩いて指導させた処で乗務員のブラックな労働環境の改善には殆ど寄与しないのではないのか?」と私なんぞは考えるのです。

これは下手をすると、労多くして、しかし得るものは少ない、といった裁判になりはしないか、そのように考えるのです。それに原則的に考えてみれば、こういったタクシーのブラック労働に関わる問題は、運輸局(国交省)ではなくて、むしろ、労基署(厚労省)の仕事ではないのか。

さて、ここで、何故、乗務員が労基署を見ずに運輸局ばかりをみて『物言い』をしがちなのか、この心理を考えてみたいと思います。

【その弐に続きます】







さて、数年前の事、私はタクシーの仕事に関して、言い知れぬ不安感と焦燥感に駆られていた時期がございました。

タクシー業界は、以前にも書いた通り、酷く高齢化しています。その為に30歳代どころか、40歳代クラスの人間でも『若者』と見做される事が多々あります。その為に、いい年をした中年でありながら、一瞬自分がオッサンである事を忘れそうになってしまう事があります。

しかし、気が付けば、多くの似たような年をした同僚たちは次々と結婚し、所帯を持つと「このままでは妻子を養えない」と業界から一人、また一人と去ってゆき、気が付けば仲の良かった若手は一人残らず消え去り、私ばかりが周囲からとり残された状態になっていたのです。

当時私は30代でしたが、正直何もかもが孤独で虚しく、毎日毎日、夜遅くまで車を運転してはお客様を乗せては降ろし、歩合の給与の為に日々の売り上げに一喜一憂しながら暮らす、そういった生活が妙に馬鹿馬鹿しくて無意味に感じられるようになっていました。

孤独と焦りから冷静な判断力が失われ、「兎に角、何でも良いからこの業界から離れたい!もう息が詰まりそうだ!」という短絡的ともいえる衝動に取りつかれ始めていたのです。

そんな中、ハローワークである求人を見つけます。詳しくは書けませんが、県の外郭団体での運転手の仕事です。半年更新の非正規で安い給与でしたが、聞いた事もないような民間企業での外注の類ではなく、その組織で直接雇用してくれる内容でありました。

「安いなりに毎月決まった給与がキチンと貰えるし、何より一日の拘束がせいぜい8~10時間程度。不安と隣り合わせに毎日長時間働くよりずっと良い。」
「何よりタクシー業界は人手不足で困っているから、仮に半年間の契約が打ち切られて仕事を失いそうになっても、またすぐに、大した苦も無く舞い戻れるだろうし」

……とまあ、邪で浅はかな事を考えた訳です。ダメ元で履歴書を送ってみると、面接を受けてくれるというではありませんか。私は喜び勇んでその外郭団体の入っているビルに赴きました。

私の他には20代前半と見られる矢鱈と恰幅の良い青年が非常に緊張した面持ちで控室のベンチに座っています。どうも、面接を受けるのは、彼と私二人だけのようでありました。

さて、暫くすると私の名前が呼び出されます。そうすると、50代くらいの女性職員が大きな封筒を手渡してきました。

「これ、郵送頂いた履歴書です。一応、お返ししておきます。あともう数分ほどで面接ですので、もう少々お持ちください」

(あれれれ……普通、履歴書を返す場合って、不採用決定の時じゃないですか?これ、まさか不採用だけれど、一応形だけは面接のフリをしてみますって事?)

とはいえ、来たからには全力を尽くすのみです。まあ、普段使わないような顔面の筋肉をもフル稼働させて笑顔を作り、飛んできた質問にも自分のオツムが及ぶ限り真摯に答えたつもりでした。で、結果は当然ながら不採用。(笑)

正直、私は面接中に心の中では「おいおい、ほぼ不採用確定なのに、こんな演技をせにゃあならんのかい。私の合否は兎も角、面接官やるのも大変だねぇ」(嫌味ではありません、念のため)などと考えてもいた訳ですが、まあ、こればかりは仕方がない。(笑)

結局、あの恰幅の良いオニーさんが職員を運ぶ運転手の仕事をゲットしたのでしょうが、まあ、使う方にしてみれば、そりゃあ若くて素直そうな人の方が良いでしょうね。当然というものです。(苦笑)

さて、一般的に履歴書の返還というものは不採用が決定してから行われるのが一般的なのは、上に書いた通りなのですが、彼らは何故面接当日、しかも面接の数分前に渡してきたのでしょうか。私はこういった事例はそれまで経験した事がありませんでしたし、周囲の人間に話しても皆一様に「聞いた事が無い」と言っておりました。

大体はこういった場合、面接の数日後に不採用通知とともに郵送で返還するか、あるいは会社でそのまま処分するのが一般的であろうと思います。

「身の程知らずな面接に臨んだ中年男に対して、暗に嫌味を飛ばす意図があったのか」などと穿った見方を一瞬してしまったのですが、よくよく考えてみれば、やはりその可能性は低いように思います。

恐らくですが、やや世間の常識から隔絶した環境に暮らしてきた人達であった為に、単にこういった「面接前に履歴書を返すのは失礼にあたる」といった一般的な『作法』に疎かったのだと思います。そういう意味では、まあ、随分と幸せな人生の中を生きている方々だとは言えるでしょう。(笑)

で、「こちらから数日後にわざわざ不採用通知を送る手間が省けるし、あなたもそれを受け取る手間が省けて、またすぐに就職活動に専念できるだろうし、お互いWIN WIN で合理的じゃない」と単純に考えていた、というのが真相ではないのか、と今現在は考えています。

……まあ、世の中には色んな人がいるものです。いい社会勉強になりましたよ。ホント(苦笑)