北奥のドライバー -18ページ目

北奥のドライバー

思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

今回のバス事故に関しては、これまで散々ニュースになっているので、今更私が事の次第を書く事も無いかと思いますが、それにしても悲惨な事件でありました。亡くなった方達のご遺族はさぞかし辛い思いをされている事でしょう。

事故の原因究明はまだ現時点では道半ばでしょうが、是非とも今後の運輸業界の安全に繋がるような結果になって欲しいものだと思います。

さて、タクシー業界同様にバス業界も規制緩和による過当競争で大変な事になっているそうです。先ず2000年に貸し切りバスが、そして2002年に路線バスが規制緩和されます。

特に貸し切りバスは、会社運営が路線バスよりも比較的容易な事。また、上手くすれば利益率の確保が路線バスよりも簡単そうに見える事から、大量の新規参入があり、まさに激戦といえる状態になってしまいました。

とはいえ、バスも他の運輸業同様、キツくて長時間拘束な仕事の割には給与が低い業種ですから、慢性的に人手不足に苦しんでいます。結局、人手欲しさに本来向いていない筈の人材を使ってしまう事からくる、トラブルのリスクも必然的に高まってしまいます。

さて、事故に関して言えば65歳のドライバーがブレーキを踏んでいるが、何故か減速できずに事故に至った事だけは分かっています。

ペーパーロックか、フェードか、ブレーキフルード(ブレーキオイル)漏れか、或いは大型車特有のエアブレーキ関係のトラブルか。例えばコンプレッサーの故障、エア導入の経路破損、ブレーキの踏み過ぎによるエア切れ等々、それ以外にもあるかもしれません。

とはいえ、今日のデフレ環境が齎した事故である可能性が高いのは、衆目の一致するところではないでしょうか。

これに関わる記事のリンクを貼っておきます。

繰り返されるバス事故 元運転手がギリギリの現場語る〈週刊朝日〉


短いながら、この事故に横たわる問題を端的に示した良い記事ではないかと思います。この中で「給料を安く抑えているのは運転手の労働意欲を高めるためです」という元運転手の証言は、幾つかある注目すべきポイントの一つといえます。

つまり、基本給が低い上に、更に『業務一回あたりで加算される賃金』も異様に低く抑えられているために、結果的になかば運転手が自主的に超過勤務に走りやすい構造が出来上がっている訳です。

しかも、「皆が困っているのだから、一人だけ我儘を言うものではない」などといわれれば、会社との間で波風を起こして結果的に失職する事を恐れ、渋々ながら従わざるをえない人間だって出てくる筈でしょう。

そして、バス会社も、その上の元受と言える観光会社もそういった『現場の人間が安い超過勤務に”自主的に”走る慣習』を当てにして価格競争を戦う構造が出来上がってしまっているという問題。ある意味、これはトラックにも共通する部分が多い問題です。

世の中には『需要はそこそこ有るのに担い手が存在しない』といった問題に直面している業種があります。

例えば、最近話題になっているのは介護職員や保育士不足の問題あたりでしょうか。いずれにせよ、「お金はなるべく払いたくないが、誰かにやってもらわねば困る」といった風にこのデフレ社会の皺寄せを受けている仕事が増えている事には間違いないように思います。

その弐に続きます



もう7~8年も前になるでしょうか。月に何度か当社のタクシーを利用して、二人そろって病院通いをしている老夫婦のお客様がおりました。

家からその病院までは大体、渋滞や信号に当たらなくても、片道二千円位はかかるのが普通です。とりたてて裕福そうにも見えず、普通の年金暮らしのお年寄りに見えます。これは結構な負担だったと思われます。

しかし、ただでさえ安くないであろう運賃にも関わらず、旦那さんはいつも「運転手さん、悪いけど少々遠回りして○○青果店に寄っていってくれないかい?」と毎回の様に言ってきます。

なんでも、その青果店は旦那さんのお気に入りなようです。理由を聞くと「あそこは台湾バナナを売っているんだ。最近は何処もフィリピン産しか置いてないけど、あれはどうも俺の口には合わなくてね」と言います。

そういえば、私が子供の頃もバナナと言えば台湾産でした。それ以外の産地がメジャーになったのは何時頃からだったでしょうか。

旦那さんが遠回りなコースを指示してくる度に隣に座っている奥さんは「何時も面倒な事言ってごめんなさいね」と苦笑しながら謝ってきます。

いや、寧ろ二千円ばかりのコースが三千円程になってしまう訳ですから、こちらとしては願ったり叶ったりです。

さて、旦那さんが台湾バナナに拘るのにはそれなりの理由があったそうです。なんでも、彼が少年期を過ごした戦後の混乱期は、物資不足で何度かひもじい思いをした経験もあったようです。しかも貧しかった為に、バナナなどは夢のまた夢という環境で育ったのだといいます。

その為に、近所でそれ程貧困でないような家庭の子供達が、親が買ってきてくれた台湾バナナを美味しそうに食べているのを見る度に悔しい思いをしたのだといいます。

さて、いつもの旦那さんのそういったバナナ談議(というか、ほぼ恨み節)に奥さんもいい加減呆れたのか、「幾ら貧乏だからって、年に一回もバナナが食べれない家庭なんて滅多に無かったわよ。アンタ、恨みが過ぎて思い出話を大袈裟に盛っているんじゃないの?」と言ってしまったから、さあ大変。

旦那さんの顔色が一瞬で変わり「お前がたまたま恵まれた家庭に生まれただけだ!この盛岡ではお前の様な人種こそ少数派だ!」と口泡飛ばして応じます。

すると奥さんも負けじと「そんな事ないよ。アンタこそ自分の経験が全てみたいに語るのは止めなさい。何で“色んな人が居た”って事を認められないの!」と反撃。車内のムードは一転、エラく重苦しいものになっていきました。

過去に「貧乏と貧困は似て非なるものだ」と聞いたことがあります。『貧乏は単にお金が無い状態であるのに対して、貧困とは日々の生活や将来への不安から、人の精神を蝕むものである』と。もしかすれば、旦那さんもそういうトラウマを持っていたのかもしれません。

旦那さん、奥さんどちらの言い分が正しいのか私には分かりません。ただ私に言える事はといえば、旦那さんのバナナに対する目利きは結構なモノであった、という事だけです。

病院に到着した際に旦那さんが「さっきはツマラナい喧嘩を見せてしまって申し訳ないね、これお詫びの印」というと、三本ほどまだ青みがかった台湾バナナを房からもぎり、私に手渡してきました。

「あと二、三日待てば良い香りがしてくる。そこが食べ頃だよ」

そう言うと、病院の建物の中に消えて行きました。それ以来、私はその夫婦を乗せていません。もしかすれば、どちらかが体を本格的に壊したか、或いは亡くなったのかもしれません。

さて、そしてバナナの方はといいますと、香りといい、味といいパーフェクトでありました。あんなに美味しいバナナを食べたのは久しぶりで、非常に関心させられたものです。

食べ物の恨みは恐ろしい、しかし、それが思わぬ所で肥やしになる事もある、か。



ここのところ、忙しくてブログを書いておりません。家に帰ってもグッタリした状態。

PCに向かってみても、なかなか書く気力が起こらずに結局放置したままになっております。

復活までもう少々時間がかかるかもしれません。
奇妙な女性との出会いから数日後、長い仕事を終えた私はある郊外の国道を早朝、自動車で走っていた。目と鼻の先にある山々は朝霧で霞んで見える。

山の表面に立ちこめたガスはすっと立ち上る様に動いたかと思えば、次の瞬間には頭を垂れるようにしてゆったりと降下して行き、周囲のガス達と組んず解れつに揺らめき、ほどなく大きな霧の海の中に消えてゆく。

それが其処此処で幾度と無く繰り返されるのである。それはまるで、自らの意志を持った生き物のようにも見える。

その様を見ていて、私は子供の頃に見た『やませ』を思い出していた。『やませ』とは、春から夏頃にかけて、オホーツク海周辺で発生した冷たく湿った空気が霧を伴った強い風を発生させる現象で、農作物に大きなダメージを与え、大昔から東北地方の農民達を苦しめてきた。

子供の頃、海に連れて行って貰った時の事である。真夏の暑い日差しの中、遠方の山の周辺にいきなり濃い霧が発生したかと思いきや、信じられないような冷気を伴った霧風が、物凄い速度で山の斜面を滑り降り、海面を這うようにして迫ってきたのである。

暑い日差しと冷たい霧風のコントラストが織り成す風景は神秘的で美しくもあるが、当時10歳にも満たない少年だった私は、寧ろ恐怖を覚えたものだ。

まるで遠くの山から発生した冷たい霧風に乗って、死者達がやって来るかのような錯覚を覚えたのだ。

この『死者との遭遇』に対する予感に関してだが、これは決して私だけのものではなかったようだ。大昔、山というものを「あの世とこの世」を繋ぐ恐ろしい境界線として、マタギでも修験者でもない一般人はなるべく近づかない様にさせよう、という習俗は日本全国にあったらしい。

昔の人達にとって山というものは恵みを与えてくれる大切な存在であったと同時に、『人ならぬ者達』が蠢く恐怖の場所でもあったのだ。

私も誰に教わる訳でもなく、しかし昔の人々と同様に山というものに対する原初的な恐怖を持っていたのだろう。過去の時代に生きた人々は、自分達が山やその周囲の気象現象に対して感じていた、言い知れぬ恐怖に対して「あの世とこの世の境目としての山」という物語を創作して輪郭ある共通認識とし、ある種の共同体の規範として昇華させていった訳であるが、当時の私にそんな事を知る由もない。

その『恐るべき領域』から流れ込んでくる冷たい霧風に、ただただ恐怖を覚えるばかりであった。

「この染み入るような冷たい風景を山の向こうにいるかもしれない、恐ろしげな存在も同様に見ていたのだろうか。いや、もしかして既にこの風に乗って自分の傍に来ているのではないか」などと気弱で空想好きな少年であった私は想像し、恐怖したものだ。

自動車を暫く走らせ、盛岡市内の我が家にたどり着いた私は日付が変わるまで延々と続いた仕事の疲れもあってか、そのまま朝食も取らずに眠りについてしまった。

……夢を見ていた。肉体的にも精神的にも度の過ぎた疲れが溜まり、神経の緊張状態が取れない状態だと、中々「夢を見ない程に深い熟睡」が出来ないものだ。ましてやこんな夢を見てしまうのはストレスのせいで眠りが浅かった何よりの証拠かもしれない。

夢の中、私は綺麗な砂地の上を歩いていた。向かって左側は赤茶けた断崖が延々と続き、右側には湖とも大河とも知れない大きな水面が広がっている。砂地には所々大きく窪んだ場所があり、そこからはこれ以上ないという位に透き通った綺麗な水が湧き出していた。

遠くの方は霞がかかっていて良く見えない。私はそんな場所を一人、延々と歩き続けているのだ。この『綺麗な砂地と透き通った水』の風景の中を歩き続ける夢は、私が子供の時から良く見てきた夢の一つであった。ただ、これが私の心の中のどういった部分を象徴しているのかは分からない。

しかし、この時は子供の頃から見てきた夢と内容が違っていた。砂地を延々と歩いていると、霞の向こう側に人影が見えたのだ。思わず駆け寄ってみたは良いが、私は戦慄し、その場に立ち尽くした。

……そこに立っていたのは私自身であったのだ。いや、厳密にはその夢を見た時点よりは、ゆうに10歳以上は若いであろう、まだあどけない雰囲気の残る私自身の姿だったのだ。

『彼』はゆっくりと歩み寄って来ると、私の真正面2メートル程の場所で立ち止まった。そして口元に不敵な笑みを浮かべていたのだ。

「お前、何時まで待たせる気だ?俺はこの場所でお前をずっと居て待っていたんだぞ」

「お前が生まれるよりも遥かに大昔から、お前の水先案内をする為に、ずっとだ。」

「どれだけ退屈で孤独だったかわかるか?それに比べれば、お前の感じている不安や不幸なんぞ屁でもない」

……大汗をかいた状態で目が覚めた、寝入ってから5~6時間経っていたであろうか。外はまだ昼間で、そこそこに穏やかな天気であった。

また寝ようとして布団を被ってみるが全然寝付けない。仕方なく服を着ると私は家を出て、そこから1キロほど離れた場所にある公園のあずまやに腰を下ろし、先ほど見た夢の事を考えていた。

風に草木がたなびき、カサカサとした音を立てる以外には、遠くの方で遊ぶ小さな子供の声が微かに聞こえてくるくらいのものだ。ボンヤリと物思いに耽るにはちょうど良い環境であった。

そんな時、視界の中に例の「奇妙な女性」が入って来た。彼女は小走りにやって来ると、先日道を教えてもらった事に対する礼を言ってきた。そして、ポケットの中から2~3個のキャラメルを取り出すと、

「はい、これあげます」

と私に手渡してきた。

「近所を歩き回っていたら疲れたー。ここ座っていいです?」

私には特に断る理由も無い。

「どうぞ、まだ土地勘が無いだろうから、余計に疲れるでしょう」

と応じると、傍のベンチへ座るよう促した。

「あの~」

「はい?」

「こんな平日の昼間に公園にいるなんて、どういった仕事をなさっているんですか?」

「タクシーの運転手です。今朝がた勤務が明けて帰ってきたはいいけど、今一つ寝付けなかったものですから……」

「へぇ、~タクシーか!」

「そうなんですよ。時間が不規則な仕事ですから」

彼女はこの前の様に大きな声で笑いだした。

「あの~何か変でしたか?」

そうすると彼女は例の如く「ニッ」と歯を見せて悪戯っぽい笑顔を見せながらこう答えた。

「だって、運転手さんってキャラに見えないもの。まるで図書館の司書でもやっていそう」

これを聞いて私も少しばかり笑いが漏れてしまった。というのも、こういった事を言われたのはこれが初めてではないのだ。

「私だって、もう少し勉強が出来る子供だったら、ああいった知的なイメージのする仕事に就きたかったですよ。ただ、こればかりは仕方がありませんね、覆水盆に返らず、ですよ」

お互い笑顔で別れた後、心の中に漂っていた霧が少し晴れたように思った。

(ちょっと変わっているという認識に変わりはないけれど、しかし面白い女性だ)

私はそのように感じ始めていた。


【その参につづきます】