老夫婦と台湾バナナ | 北奥のドライバー

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思いついた事をつらつらと書いて行こうと思います。

もう7~8年も前になるでしょうか。月に何度か当社のタクシーを利用して、二人そろって病院通いをしている老夫婦のお客様がおりました。

家からその病院までは大体、渋滞や信号に当たらなくても、片道二千円位はかかるのが普通です。とりたてて裕福そうにも見えず、普通の年金暮らしのお年寄りに見えます。これは結構な負担だったと思われます。

しかし、ただでさえ安くないであろう運賃にも関わらず、旦那さんはいつも「運転手さん、悪いけど少々遠回りして○○青果店に寄っていってくれないかい?」と毎回の様に言ってきます。

なんでも、その青果店は旦那さんのお気に入りなようです。理由を聞くと「あそこは台湾バナナを売っているんだ。最近は何処もフィリピン産しか置いてないけど、あれはどうも俺の口には合わなくてね」と言います。

そういえば、私が子供の頃もバナナと言えば台湾産でした。それ以外の産地がメジャーになったのは何時頃からだったでしょうか。

旦那さんが遠回りなコースを指示してくる度に隣に座っている奥さんは「何時も面倒な事言ってごめんなさいね」と苦笑しながら謝ってきます。

いや、寧ろ二千円ばかりのコースが三千円程になってしまう訳ですから、こちらとしては願ったり叶ったりです。

さて、旦那さんが台湾バナナに拘るのにはそれなりの理由があったそうです。なんでも、彼が少年期を過ごした戦後の混乱期は、物資不足で何度かひもじい思いをした経験もあったようです。しかも貧しかった為に、バナナなどは夢のまた夢という環境で育ったのだといいます。

その為に、近所でそれ程貧困でないような家庭の子供達が、親が買ってきてくれた台湾バナナを美味しそうに食べているのを見る度に悔しい思いをしたのだといいます。

さて、いつもの旦那さんのそういったバナナ談議(というか、ほぼ恨み節)に奥さんもいい加減呆れたのか、「幾ら貧乏だからって、年に一回もバナナが食べれない家庭なんて滅多に無かったわよ。アンタ、恨みが過ぎて思い出話を大袈裟に盛っているんじゃないの?」と言ってしまったから、さあ大変。

旦那さんの顔色が一瞬で変わり「お前がたまたま恵まれた家庭に生まれただけだ!この盛岡ではお前の様な人種こそ少数派だ!」と口泡飛ばして応じます。

すると奥さんも負けじと「そんな事ないよ。アンタこそ自分の経験が全てみたいに語るのは止めなさい。何で“色んな人が居た”って事を認められないの!」と反撃。車内のムードは一転、エラく重苦しいものになっていきました。

過去に「貧乏と貧困は似て非なるものだ」と聞いたことがあります。『貧乏は単にお金が無い状態であるのに対して、貧困とは日々の生活や将来への不安から、人の精神を蝕むものである』と。もしかすれば、旦那さんもそういうトラウマを持っていたのかもしれません。

旦那さん、奥さんどちらの言い分が正しいのか私には分かりません。ただ私に言える事はといえば、旦那さんのバナナに対する目利きは結構なモノであった、という事だけです。

病院に到着した際に旦那さんが「さっきはツマラナい喧嘩を見せてしまって申し訳ないね、これお詫びの印」というと、三本ほどまだ青みがかった台湾バナナを房からもぎり、私に手渡してきました。

「あと二、三日待てば良い香りがしてくる。そこが食べ頃だよ」

そう言うと、病院の建物の中に消えて行きました。それ以来、私はその夫婦を乗せていません。もしかすれば、どちらかが体を本格的に壊したか、或いは亡くなったのかもしれません。

さて、そしてバナナの方はといいますと、香りといい、味といいパーフェクトでありました。あんなに美味しいバナナを食べたのは久しぶりで、非常に関心させられたものです。

食べ物の恨みは恐ろしい、しかし、それが思わぬ所で肥やしになる事もある、か。