親は私に何をしたのかⅡセッションからの学び | 人生好転させ屋

人生好転させ屋

毒親育って、愛されて来ていない。手間暇、お金をかけてもらっていない。その経験から「どうせ愛されない・どうせ豊かになんかなれない」という疑いや信念を持ち、夢や希望を持てない、途中であきらめてしまう。そうした負の人生を好転させるブログ

母の娘への関り方

1自分がどうしたいのか?何を感じているのか?を 

2どうするべきか?どう感じるべきか?と

母は無自覚なまま娘を心理操作していた

そんなつもりはなかったはずだけど

 

娘は「もやもや」や「鬱積とした苦しみ」を感じていたが

何が起こっているのか

それがどこから来ていのかは分かっていなかった

明確にしていくと

母から心理操作を受けていたことが見えて来た

 

 

人間関係において

・苦手意識がある分野

・問題となってしまう部分 自分をある行動に移させてしまう事柄

そうしたものがあるという自覚はあったが

それがどこから来ているのか

どうしてそんなことが起こってしまうのか?

問題の原因を突き止めて解決したい/しなきゃならない

 

 

問題の原因、分かっているような分かっていないような曖昧な感じ

・なので、なにをどう手を施せばいいのか?

・どんな条件が問題を起こさせているのか?

まずはそれを明確化していく

するとそこに母と子供の自分の姿が浮かんできた

 

母的には

・娘を傷つけたくないから「やんわり」「優しく」って気持ちだったのかな?

・決して暴言や暴力で無理やり嫌がることをさせていた訳じゃなかった

・ただ母の望みを達成しようとしていただけだった

 

娘的には

母「〇〇をお願いしたいんだけど」「報酬はこれこれで良い?」「何か他の望みはある?」

娘「~する代わりに、~をお願いしていい?」

母「いいよ」

というような本人の意志や尊厳を尊重した分かりやすい接し方を

今になればしていて欲しかったって分かる

 

母が娘に対していた行っていた態度(操作)は

本来ならバージョン↓

①自分の感覚や自分の考えをまず自分で感じ取るとこ 

➁感じたことを今度は「どうすべきか?」状況判断する 

 例 暇なら引き受ける 忙しければ断る 

③最終的な決断

 例 忙しいがこの人には以前助けてもらっているから、引き受ける!など 

となる所なんですが

 

母によって引き起こされていたバージョン↓

①に対する感覚は何の問題もない

➁でも、自分を信頼するべきか?母の意見を優先するべきか? 

皆が苦しんでもいいのか?と罪悪感という痛みを人質を取られてしまうので

①の感覚が鈍り判断に迷いが生まれていた

 

子供の場合は親の言うこと聞かないと

・生存が危ぶまれたり 

 実際にはそんなことはないはずだが「もううちの子ではない」と脅されるとか

 暴力を受ける場合もある

・不快適を招くことになる 

 睨まれたり

 不機嫌になられたり

 他の兄弟と比べられて嫌な気持ちを味あわさせられたり

 

なので自動的に?必然的に?親優先になってしまう。 

本人の選択権が親の無自覚な誘導によって奪われている

その連続で

③社会(幼児で言えば幼稚園など)に出るようになるころには、親以外の人にも

・「自分の気持ちは後回し」が常になっていたり

・自分への待遇とはそんなものだと思い込まされていたり

・自分という存在はそうした扱いを受けるようなものなのだと感じていたり

・私のことは誰だってみんな「そう(低待遇で丁度いい等)」思っていると決めつけていたりする

 

親とのやり取りの間で自分への価値や待遇を査定してしまっている

私とはこうしたものだという価値観?イメージ?が出来上がっていて

私とはこんな者

人とはこんな風に接するモノという無意識の法則が出来ているために

いつも同じような待遇を受けてしまう

仮に良い待遇を受けても疑ってかかったり信じ切れなくて

相手をがっかりさせてしまったり、傷つけてしまっていたりして嫌われたりする。

そして、結局、やっぱりって傷ついてしまう。疑いを確信に深めて行ったりする。

 

親からコントロールされてきたような人は

結果的にコントロールされたと感じたり傷つけられたと感じたいりすることが多い

思考言動がそのモードにどうしてもなりがちだから

「あなたもそうでしょ?」疑いが取れないから

 

 

今回のセッションでは子供時代の依頼者は

可愛そうなお母さんやみんなをあなたは見捨てるの?的な接せられ方をされて

罪悪感に苦しみたくなかったら身代金(労働)を払え的な状態にさらされていた

母親には、そこに悪意がないようなのだが

結果的に見ればそこに操作があるから

どこか虚しさや悲しみ、怒りが心に渦巻いていた

でも、かわいそうな状況というものが目の前にあったために

もやもやを明確にすることにためらいが発生していた

 

でも、ここを具体化して初めて自分を癒せて 

その結果、親の癒しにまで手を伸ばせるというものだから

きわめて重要な作業なんですよね。

 

この話とは直接、関わってはいないけど

普遍的なものとして

歴代の親達が 「子供だって人間。一人の人間として尊厳は尊重されるのが当然。 私は親という強い立場や権利を自覚して子供の尊厳を傷つけたりするようなことが起こらないように注意し、子供といえども自分の感覚を大切に生きていいんだって教えてあげられるようでありたい」って 

歴代の親自身がそんな風に接してきてもらってきていれば

子供は代々、自己の尊厳を尊重され他者の尊厳も尊重できる大人になれた

親の個人的な人格や性格ではないんですよね

自分が癒されて初めて心底そのことを理解できるようになれる

それは私達を幸せにしてくれる

 

親が子供に無自覚とはいえ「してしまった(子供が傷つくようなこと)」を暴くなんて 

本当に強くないと出来ない

(真実は痛みを癒してくれるものなんですよ)

 

私は親から何をされたか?を具体化させる

本当に大変な作業なんですよね。 この後自分を癒せなければただの恨み節になってしまう。

だけど、こうして初めて子孫も先祖もどちらも癒せる 

正しい道に軌道修正できる。 

なぜならここの「私」とは歴代と未来の子供たちみんなだから

 

人としての待遇

どんな風だったらあなたは満足ですか?嬉しいですか?

あさましい、醜い欲望、わがまま、いけない事左矢印では決してない!

当然の権利なんですよ。取り戻しましょう。

お気軽にお問い合わせ、お申込みください。

info❤blajp.main.jp ❤は@に変換してご利用ください。