魂や神様 | 人生好転させ屋

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毒親育って、愛されて来ていない。手間暇、お金をかけてもらっていない。その経験から「どうせ愛されない・どうせ豊かになんかなれない」という疑いや信念を持ち、夢や希望を持てない、途中であきらめてしまう。そうした負の人生を好転させるブログ

私は、ずっと「神様」という単語と

その「概念」に不自然さを感じていました。

 

私の中では「神様」というのは「神様」ではなくて

無形で

意思も人間のような「善悪や優劣など」で限定されたものではなくて無形に近い

宇宙や宇宙のその先までも全てが

とにかくこの世の中にある全て 全て全部が「神様」

 

私の爪や髪の毛、私自身も「神様」

今使っているパソコンも「神様」

今日であった全ての人も「神様」

明日会う人、明日以降に会う人も全て「神様」

生えている草も、飛んでいる鳥も 

道路に転がっている石やゴミも

空気や雨も海水も

とにかくありとあらゆるものは全て「神様」←ここでは「神様」という単語で統一して書きます。

 

このように、人のような存在ではないので「神様」という単語に違和感を感じる

 

子供の時に大人たちまるで「神様」という一人か?複数か?は分からなかったけど

人間の様な「存在」がいるというスタンスで話をしていて

テレビのドラマの中でもそんな風に話していて

 

「神様」と呼ばれている「力?もの?」は

人のような存在じゃないっていう自分の中の感覚とミスマッチで・・・

 

私が「神様」を私の言葉で表すなら「大いなる力」?って感じかな?

私達の一つ一つの体験やその事から得られる叡智も「神様」

 

私達が「神様」に近づくようなことなど、まだまだ果てしくなく遠いことだと思う

そうは言っても、私達は明らかに「神様」の一部

なので、自分を卑下したり、低く評価する事は「神様」に文句やケチをつけているようなモノ

 

どんな体験も全てに意味があって価値がある

私達は常に「神様」と一心同体

決して分離などする事はない、分離など出来ない

全てが「神様」なのだから 分離なんて決してありえない

 

 

その都度の人生を、その時々の世界観で見ると

そこには「成功」や「失敗」などもあるかもしれない

豊かで楽な人生を「成功」と呼び

貧しくて辛い人生を「失敗」と呼ぶかもしれない

 

でも、魂のレベルから見ると、どちらも「成功」なのかもしれない

体験からしか学べないから

体験から学ぶという意味では

その体験自体を成功とも失敗とも言えない

 

ついつい、目の前の事だけ見て考えてしまうけど

魂という視点から見ると

どの人生も、どの体験も、貴重な価値のあるもの

 

とはいっても、辛い体験は辛いから

その辛さや苦しみからどうすれば脱することが出来るのか?

改善策を考えなければならない

が、しかし、これは、

個人の問題ではない気がする

集団の問題だと思う

 

個人の単位で考え改善しようとすれば

自ずと競争に勝つ事が解決に見える

けど

競争では常に勝者と敗者が生まれ

何時まで経っても

根本的な問題が解決できたとは言えない

 

個人の問題ではなく集団の問題

辛く苦しい生活者を生み出さずに済む方法を見つけることが大事

 

独占欲や自己顕示欲の強すぎる人には「そんな事で身を守ろうとしなくても大丈夫」だと

貧困にあえぐ人には「幸福になれる方法」を身に付けてもらえるように

全員が精神的に成長する事が大事

 

個人の問題だと思っているから

入れ替わり立ち代わり、何百年も続けなきゃならなくなっている

これは、個人の問題ではなくて、集団の問題

 

もっと、大勢の人がこんな風に思えるようになって来るといいですね。