A0~8才の父親
親の『子ども』に対する認識が間違っているため、子ども(父親)は左心足を傷つけられる辛い日々、なぜ痛い思いをしなければならないのか?親に尋ねる術がない(親に理解してもらえるように上手く説明できない)ので自問自答(親から愛してもらえないのは自分が悪い子だから?怒られてばかりなのは自分がダメだから?)
*ここでは心を左右の足と捉えて表現しています。
*ココで紹介している話は"どこか生き辛い"という感覚を持っている人の一般的な家庭のケースです。
*親を理解することで自分への理解が深まるはずです。
B9~12才の父親
「痛いから止めて欲しい」と言うも「親のやり方が間違っているというのか!生意気だ!」と聞き入れてもらえない。ついに左心足骨折
骨折の痛み、話を聞き入れてもらえない、人間として尊重してもらえない、悔しさから親に→「あなたのせいで左心足を骨折してしまったじゃないか!だから謝って欲しい!」 「この左心足の骨折は、コレまでの私の苦悩を汲み取ってもらえれば、その上で誠意ある謝罪をしてもらえれば完治するから『お前の話も聞かず一方的に"悪"と決め付けて叱ってしまってすまなかった』と謝罪して欲しい」と懇願するも「お前の為にしてやったんだ文句を言うな、私はそれ以上のことをされているけど骨折なんてしていない」と跳ね除けられる。。。
C13~20才の父親
痛いから松葉杖をついて歩こう(今の私がどこか元気が足らないのは、親から傷つけられたからなんだ、と自己弁護しよう)としたら、「親不孝者、人のせいにするな、甘えている、根性が足らない、そんなだからダメなんだ」と、松葉杖をもぎ取られ、骨折している左心足に親や社会からさらに蹴を入れられる。。。
ABの事を不満に思って親や周囲に詰め寄るも、はじき返され解決のめどは立たない。ABに彩られたまま人生を歩み続けるのは嫌だ、封印してしまおう。「ABなんてことはなかったんだ、親だって悪意からそうしていたわけじゃない、自分の為にしてくれていたんだ、子どもには必要な大切なことだったんだ」←こうしてABの出来事にこれ以上わずらわされたくないと自分の中で正当化し、自分にとって都合のいい内容に摩り替えてしまう、そうしないと生きていけないから。
D21~58才の父親
本当は左心足が痛いが…痛いと認めてしまうとABが辛い過去だったと認めることになるので、「痛くない」と自分に言い聞かせ、平気な振りをして『歩いたり、走ったり、時にはジャンプしたり』して生きている。骨折している左心足のパワー不足は根性で補っている。←根性も一瞬のことならいいが、ウン十年、これはかなり過酷、こんなことを続けていると右心足まで骨折したり(左右の心足骨折=欝や引きこもり等)、身体が壊れ(病気し)たりする。
*心の片隅で本当の自分はこんなはずじゃない、なんでこんなことになっているんだろう?と常に疑問に思いながら生きている。
多くの男性は根性だけでは左心足のパワー不足を補えないので、妻に助けを求めるも、妻は妻で左心足を骨折した状態で家庭を支えているのでその余力がない、家庭を支えるためにパワー不足を夫に補って欲しいと思っている。結果、男性は家族を支えるために"バー"という所にいるママの所に甘えに行ったりする。女性は一人家で泣いている。
E現在の父親(23才の娘がいる)
娘から「子ども(AB)時代、子ども扱いされて(=大人と同じ感覚があると認めてもらえず、人間扱いしてもらえず)辛かったと認めて欲しい」と懇願されるも拒絶。(親が自分の幼少期を辛かったと認める=娘の子ども時代も辛かったと認めることになるから、娘は認めてもらいたがっている)
親としてみれば「ABが辛かった」と認めてしまうと
CDを懸命に生きてきた事が無駄だった事になるようで、そのことが耐えられない。
AB以降ずっと自分に嘘をついて偽りの人生を生きてきたことが…報われない気持ち。
しかも、Dの時代には望まずして加害者になっている。親は罪の重さから罪を認められない=親は子どもから逃げる
気持ちは拒絶しては生きていけない。
認めることではじめて終わり、はじめて新たなスタートが切れる。
この結果、子どもは『解決のめどの立たない問題』を封印してしまうしかなくなり、親と同じ道CDをたどることになる。
コレが不幸の連鎖の仕組み
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一昔前までは→→心骨折にギブスをあてようとしたり(セラピーやカウンセリングでセルフケアをしようとしたり)、松葉杖を使おうとしよう(走ったり、飛んだり出来ないのは、過去に左心足を骨折しているからと状況説明しよう)ものなら、甘えていると蹴られてしまうから。。。。傷の手当てが求められず。。。
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今は時代がずいぶんと変わってきましたよね♪
①ギブスをあてようとする人には←問題から逃げずにエライ!という評価がされたり。
②松葉杖にはアダルトチルドレンやアスペルガーという定義?があったり
昔は(父母時代は)①②は『弱さ・逃げ等』と一括りにされて悪者扱いだったからね。
父母世代がいつまでも癒えないのも…人間性というより 時代の影響かな?
当時のギブスは今ほど進化してなかったしね。。。。
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昔の人の『子ども』対する認識
根悪
◆次から次に関心が移る、物を粗末にする、物を大事にしない
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まずこうしたことを悪として叱る。
恐れと共に「大切にしなければならない意味」を教える→こうすれば深く刻まれるから。←しかしコレで子どもの自尊心が傷つき自信のもてない大人へと育つ。
*野生生活を基準に
コレは親元を離れるまでに自己の環境を把握しておく必要性から、好奇心として、色んなものに興味をもち探求するようにDNAから仕向けられている欲求と行動。コレは環境を学ぶというとても大切な行為。子どもが自発的に関心を持って学んでくれないと親はとっても大変餌なんて捕りに行っている暇はない。決して物を大切にしないというようなものではない。
*様々な欲求はDNAからの指令と思っておいて間違いないと思う。欲求が悪い物という考えは古臭い、生命繁栄の基本です。いかに我慢するかではなく、いかに平和的に満たすか?が大事♪
*私達は目を閉じていても手に持たされたものが鉄かプラスチックか区別が付く、この違いを言葉だけで子どもに教えようと思ったら?子どもは関心を引いたものを手に持ち口に入れたり、何かにぶつけたりして、それがどうした材質でどうした性質を持っているのか学習している。←コレは悪い子じゃない。私達は鉄とプラスチックの違いを親から懇切丁寧に教えられていない、そうやって自習している。
◆甘える←現状を無視して無制限に欲しがる
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小さく弱い生き物だから情緒の安定を求めるのは自然なこと
◆社会適応能力はない
箸の持ち方や室内での立ち振る舞いなど『学習能力があり自力で身につける』というような事はない。だから、深く刻み込むために痛みと共に教える
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子どもは周りの環境を見て感じて学ぶ
親より立派になれと教え、親にそっくりになれとは教えてないはずなのに、気づけば親そっくり
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子どもにはとても高い学習能力があり、見たり聞いたり感じたり五感を使って学習している。
子どもになって欲しい姿があったら、親がその姿(お手本)になれば好いだけ
優しい子どもになって欲しかったら、子どもに優しく接すれば好いだけです
勝手にコピーしてくれるから♪
子どもの学習能力はとにかくすごい!!芽を摘み取らないように