『日本文学の歴史』第3巻/角川源義他/角川書店を読んで | 大人だってピアノの稽古

大人だってピアノの稽古

阿羅漢になって、時間だけは十分できました。ピアノの稽古を再々開します。そして、それに関連したこと、関心のあることなど、書き綴って参ります。

貴人らの 和歌の中には 民不在
 民のカマドは 如何に生まれし
 
主に、奈良・平安時代の文学について述べられています。
 
「桓武天皇の母高野新笠…の祖先は、百済の出であったが、光仁天皇は、その帰化人の血を引く新笠を妻とした。二人の間に生まれたのが…桓武天皇である」
※1日の日記に、上皇陛下が、天皇家には韓国の血が流れている事もあって両国間は仲良く云々と言いましたが、この事なのね。
 
「上流の姫君は、概して物事に敏速に反応し、人生について深く考える力は乏しい(紫式部日記)」
※M子様も該当かな。
 
「方今、天下の苦しむところは、軍事と造作なり。この両事を停むれば、百姓これに安んぜん(参議藤原緒継)」
※「民のカマド」の仁政は、どこへ行ったの? 嘘だったの? これまでのところ、仁徳天皇を彷彿とさせる皇室の民を思う片鱗すらも書かれていません;
 
「風吹けば沖つ白波立田山夜半にや君がひとり越ゆらん」
※不倫夫が、妻から毎夜快く送り出されるので不審に思って、出かけた振りをして植え込みに隠れていたら、やがて妻が縁先に出て、夫の身を案じてそう詠います。以来、夫は不倫を辞めました。和歌の効用例です。尚、1、2巻の和歌はみな分かち書きで、我が意を得たりでしたが、この巻ではこのように連続書きされています。歌会始の儀でも知られるように、和歌を詠う時は、「風吹けば~~~、、、沖つ白波~~~、、、」と節句ごとに長い長い間を採っていますよね。それを表記すれば長い間は空間になって、「風吹けば 沖つ白波…」とするのが理に適っていると思うんですけどね。また詠うは歌うと親戚だと思いますが、歌詞の場合は、分かち書き以上に空間を採られます。例えば≪君が代≫の場合、「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」ではなく 、
 
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで
 
等と大いに空間を採り、分かち書きどころか、一節句一行で、一節句ごとに改行して表記されるのが普通ですね。なので和歌も、和歌詠みや歌詞に準じて表記して欲しいと思っています。
 
「『みやび』とは『宮』ぶ、すなわち宮廷風に行動する語」
※今話題の誰かさんが、早とちりしてか、そう振る舞っていたりしますね。
 
「1965年の『世界偉人」顕彰に、この式部が最初の日本として選ばれた」
※なのに、その人を顕彰した2000円札は、今どこに?