明けましておめでとうございます。
・・・とは、言え、そんな気持ちではありませんでした。
31日の夕方からなんか、寒くて体調の変化がありました。
多分「風邪」なんでしょうね。
だんだんに、熱が上がり、ずっとベットの中に居ました。
汗をかき、そして食欲もなく、ただただ寝ていました。
病院も休みなので、とても辛い思いをしました。
何とかしないと思い、スーパーで「パブロン」を買って飲みました。
今は熱も下がり、やっと元気になりました。
やはり、一人では、大変でした。
汗をかいて、下着もびっしょりで、その都度、着替えましたが、
代わりがないために、ジャンバーを着て寝ました。
何とか、食べないといけないと思い、31日に買った、刺身、寿司などを
食べて、またベットに入り、熱を下げるようにしました。
ベットの中で、いろいろ考えました。
このまま、この部屋で死ぬのか、とか、このまま、また1年を過ごすのか?
いろんな事が頭の中で想像してしまいました。
そして、今日、朝風呂に入りました。
新年の「朝風呂は」1月2日ですが、一日遅れで入り、半年ぶりです。
ただ思うことは、子供たちの事です。
特に娘のことが気になっています。
父親として、娘には特別の感情があります。
以前、正月の日、毎年、義父、義母の喧嘩がありました。
毎年、必ず喧嘩をしている義父、義母の凄さはすごいもので、
娘は「もう、嫌!」と言って、私と二人で家に帰りました。
義父は「虎年」義母は「竜年」一歩も譲らず、毎年喧嘩でした。
そんな、事は通年ですよね。子供、孫の前で喧嘩をするのは、残念です。
私はそんな義父、義母が嫌になり、必ず、娘と一緒に家に帰っていました。
生前、実母が居た時の正月に義父が酔って、
「お宅には、財産がないでしょう、だから長男を養子にくれと」言いました。
その事を聞いて、実母は、ショックで寝込み、私に言いました。
ここから出て行きたい・・・と。
実父が、この世を去って、1年半。
実父の偉大さに、輪をかけたように義父が言いました。
その事は、一生忘れません。
義父は、実父の葬式にも、また実母の葬式もでませんでした。
実父は、心臓癌、実母は膵臓癌で亡くなりました。
実父は、平成12年2月18日、享年76歳
実母は実父を追うように、翌年、平成13年5月13日、享年75歳。
苦しいかった人生を、そしてこの世を去りました。
それからと言うものの、義父は、長男を養子にしたいと私に何度も言いました。
私は、拒み、私の家系を続けて欲しいと思いましたが・・・
義父の言葉は「あんたには財産がない」・・・と。
その言葉で私は、義父に対して、怒りを感じつつ、今の自分に対して
長男の将来の事も考えて、、義父が言うようにしました。
しかし、今に思うことは、最初から義父は考えたと思います。
いくら財産があろうが、私の心の中には、、家族ってそう言うものではないと・・・。
妻と別れて、もう4年になります。
子供達は元気にしているのだろうか?
また正月で、娘は、義父の「やまいも」に翻弄していないかと思います。
※「やまいも」とは、愚痴を語ることを意味します。
今、自分の手帳には、小学校の時に、高千穂牧場で撮った、兄妹の二人の写真、
そして、娘の小学校4年生の写真があります。
あれから、もう数年の時間が経っています。
会いたいな・・・
心から、そう思います。
でも、家族を捨てた私には、会う事はできません。
そんな事を、感じながら、風邪と闘っています。
今、こんな状況の中で、会うことはできません。
父は尊敬されて、それで初めて会うことができると思います。
今年こそ、何とか生保から脱却して、年収を上げることだと感じています。
正月に、風邪をひいたのでは、今年は良くないかと思いますが、
何とか、成功の道にたどり着けるまで、頑張りたいと思います。
それは、子供たちの為なんです。
もう、籍は抜いていますが、でも、血の繋がった子供です。
こんなオヤジでも、少しは「気」に止めて貰いたい。
愛するわが子へ・・・会いたい・・・でも出来ない・・・
お前達が頑張っている姿を想像しています。
父より。
・・・とは、言え、そんな気持ちではありませんでした。
31日の夕方からなんか、寒くて体調の変化がありました。
多分「風邪」なんでしょうね。
だんだんに、熱が上がり、ずっとベットの中に居ました。
汗をかき、そして食欲もなく、ただただ寝ていました。
病院も休みなので、とても辛い思いをしました。
何とかしないと思い、スーパーで「パブロン」を買って飲みました。
今は熱も下がり、やっと元気になりました。
やはり、一人では、大変でした。
汗をかいて、下着もびっしょりで、その都度、着替えましたが、
代わりがないために、ジャンバーを着て寝ました。
何とか、食べないといけないと思い、31日に買った、刺身、寿司などを
食べて、またベットに入り、熱を下げるようにしました。
ベットの中で、いろいろ考えました。
このまま、この部屋で死ぬのか、とか、このまま、また1年を過ごすのか?
いろんな事が頭の中で想像してしまいました。
そして、今日、朝風呂に入りました。
新年の「朝風呂は」1月2日ですが、一日遅れで入り、半年ぶりです。
ただ思うことは、子供たちの事です。
特に娘のことが気になっています。
父親として、娘には特別の感情があります。
以前、正月の日、毎年、義父、義母の喧嘩がありました。
毎年、必ず喧嘩をしている義父、義母の凄さはすごいもので、
娘は「もう、嫌!」と言って、私と二人で家に帰りました。
義父は「虎年」義母は「竜年」一歩も譲らず、毎年喧嘩でした。
そんな、事は通年ですよね。子供、孫の前で喧嘩をするのは、残念です。
私はそんな義父、義母が嫌になり、必ず、娘と一緒に家に帰っていました。
生前、実母が居た時の正月に義父が酔って、
「お宅には、財産がないでしょう、だから長男を養子にくれと」言いました。
その事を聞いて、実母は、ショックで寝込み、私に言いました。
ここから出て行きたい・・・と。
実父が、この世を去って、1年半。
実父の偉大さに、輪をかけたように義父が言いました。
その事は、一生忘れません。
義父は、実父の葬式にも、また実母の葬式もでませんでした。
実父は、心臓癌、実母は膵臓癌で亡くなりました。
実父は、平成12年2月18日、享年76歳
実母は実父を追うように、翌年、平成13年5月13日、享年75歳。
苦しいかった人生を、そしてこの世を去りました。
それからと言うものの、義父は、長男を養子にしたいと私に何度も言いました。
私は、拒み、私の家系を続けて欲しいと思いましたが・・・
義父の言葉は「あんたには財産がない」・・・と。
その言葉で私は、義父に対して、怒りを感じつつ、今の自分に対して
長男の将来の事も考えて、、義父が言うようにしました。
しかし、今に思うことは、最初から義父は考えたと思います。
いくら財産があろうが、私の心の中には、、家族ってそう言うものではないと・・・。
妻と別れて、もう4年になります。
子供達は元気にしているのだろうか?
また正月で、娘は、義父の「やまいも」に翻弄していないかと思います。
※「やまいも」とは、愚痴を語ることを意味します。
今、自分の手帳には、小学校の時に、高千穂牧場で撮った、兄妹の二人の写真、
そして、娘の小学校4年生の写真があります。
あれから、もう数年の時間が経っています。
会いたいな・・・
心から、そう思います。
でも、家族を捨てた私には、会う事はできません。
そんな事を、感じながら、風邪と闘っています。
今、こんな状況の中で、会うことはできません。
父は尊敬されて、それで初めて会うことができると思います。
今年こそ、何とか生保から脱却して、年収を上げることだと感じています。
正月に、風邪をひいたのでは、今年は良くないかと思いますが、
何とか、成功の道にたどり着けるまで、頑張りたいと思います。
それは、子供たちの為なんです。
もう、籍は抜いていますが、でも、血の繋がった子供です。
こんなオヤジでも、少しは「気」に止めて貰いたい。
愛するわが子へ・・・会いたい・・・でも出来ない・・・
お前達が頑張っている姿を想像しています。
父より。