大濱八幡大神社 - しまなみ海道・来島海峡サービスエリアから(1)
大濱八幡大神社(主神:オチノミコト)へ「しまなみ海道・来島海峡サービスエリア」から参拝できるのをご存じでしょうか?
参拝の道順をご紹介しますので、下記の航空写真(Google Map)をご覧下さい。(赤矢印)
「しまなみ海道・来島海峡サービスエリア」に車を止めて徒歩約5分で行くことができます。
神社に参拝の後、「越智氏族発祥之地」の石碑へも行ってみてください。
神社敷地内ですが、ゲートボール場前の丘陵地に石碑は建っています。
今から約1700年前、オチノミコトがこの地に館を構え、東予地方一帯を開拓されました。
ここから愛媛の歴史が始まったのです。
伊予の政治の中心として伊予国府が今治市国分におかれたのも、古代伊予の中心地は今治だったからです。
私は歴史と由緒ある今治を誇りに思っています。
※「来島海峡サービスエリア」へは今治北インターチェンジから入った車は立ち寄ることができませんのでご注意ください。
相の谷1号墳の主葬者=乎致命(オチノミコト)
これまでにこのブログでも紹介しました次の3点により、「相の谷1号墳」は乎致命(オチノミコト)の墳墓であると自分の信念と感性に基づき宣言致します。
①「オチノミコト」は大浜八幡神社の祭神であり社伝には「応神天皇の命により大浜の地に来られて館を構え東予地方開拓の祖である」と伝えられており、「応神天皇」は3世紀後半に在位された天皇である。
②大山祇神社に今も生き続ける樹齢約1700年の御神木である楠木(重要文化財)を植えたのは「オチノミコト」だと伝えられている。
③「相の谷1号墳」(愛媛県最大級)は調査の結果、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀初め頃)に造られたこの地域の首長級の墳墓だとされる。
今後、「相の谷1号墳」の保存活動はそのまま乎致命(オチノミコト)の墳墓の保存活動ということに致します。
今治、そして東予地域の皆さん、我々郷土の共通の祖先(氏神)の墳墓(お墓)をみんなで保存・整備し、後世に伝えていこうではありませんか。
「この活動を通して今治地域の発展を願うこと」、これが私の第1番目のライフワークです。
「相の谷1号墳」はすでに半壊状態です。
「相の谷古墳の保存・整備活動」へのご参加よろしくお願い致します。
「史に曰く 乎致命は 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の十代目に当たり
七歳の時に 応神天皇より伊予国 小市の国造に任ぜられ ここ大濱の地に館を構え 南海に武威を示し 東予地方を開拓し徳を施し 内外に皇威を輝かされた
命は 日本六十余州 越智氏族の祖であり その氏神として 此こ大濱の地に鎮座され 人々の崇敬を集めている 以来壱千七百余年の間に氏族は全国に広がり繁栄している・・」
「乎致ノ命 顕彰文 撰文 宮司 檜垣壮次」より一部抜粋
次は愛媛県歴史文化博物館 学芸員ブログ『研究室から』(資料・調査・おすすめ情報などを紹介。)より
今治市相の谷1号墳の出土遺物(2)禽獣画象鏡と保存処理
今治市相の谷1号墳の出土遺物(3)ダ龍鏡と国産の鏡
郷土は応援しています
私の中学の同級生が書いた本「瀬戸内の風に舞う」 。
今治の書店も、松山の書店も、あなたの郷土は応援しています。
写真は松山でも大きい「明屋書店MEGA平田店」 です。
今話題の「龍馬」や「坂の上の雲」と同じ「郷土」のコーナーです。
前にも書きましたが、主人公の片思いの同級生・照山昭子は私の中学一年の時の同じクラスの子で私も淡い恋心を抱いておりました。
実は私はある事件により突然この恋心に終止符を打たざるを得なかったのですが、ここで正直に告白すると、この後の人生で、この時以上の熱い恋心を抱くことはありませんでした。
この本は作者とともに、私にとっても大事な宝物のような少年期の恋愛小説です。
同じ時と空間を過ごした私には手に取るようにあの頃がよみがえってきます。
この本には照山昭子の思い出といっしょにあの頃の時間がすべて詰まっています。
これは作者と私にとって、限りなく現実に近い恋愛小説です。
よろしかったら買って読んでください。(Amazonでご購入はこちら )
「主人公の心情や行動や詩がとてもほほえましくてときめいて切なくて、最後の方は涙が出そうになりました。
主人公を取り巻く人たちもみんな魅力的でした。
出てくる風景は美しく、まるで見えているかのように伝わってきました。
今治弁も、とてもすーっと入って来て雰囲気を彩ってくれました。
読み終わって気持ちがさわやかになりました。
とてもステキな体験が出来る本です。」
(Amazonカスタマーレビューより)
この本に出てくる近見中学校サッカー部(昭和46年)










