手帳に文章を書き込むスピードは早い。タクシーの運転手は気だるげに窓から顔を出して一文にもならないのに、と、うんざりしている表情が見え隠れしているが、小城舞はそんな些末なことを気にしていなかった。
「それではお話しをまとめますと、鶴差市に高等学校は、四校ということでいいですね位置は――」
と、先ほど書いてもらった地図を広げようとすると、タクシーは急に走り出した。
舞はためいきを漏らした。
鶴差駅は田舎とあってか人通りは少ない。帰宅時間にかかわらず混雑というほど、人も乗り合わせていない。構内に、機能しているのか疑わしい売店が一つあるだけだ。
改札と出口の距離は大人の足で十歩とないだろう。
舞は真紀を探しにきたわけだが、飛行機でくるところをあえて、電車を利用した。それは真紀が一度目の帰郷に電車を利用したからだったが、こんなことなら素直に飛行機にすればよかったと思った。
特急がこんなに短いスパンで止まってしまっては、意味がないではないか、舞は心の中で愚痴をこぼしていた。
ハイヒールの音を響かせながら、目的の学校探しを始めた。
駅前からバス通りを通ると、二十四時間営業と大きな看板が出ている、スーパーが見えてきた。地図によるとこの先の橋を左に曲がれば高校があるという話しだった。
しかし見えてきたのは、フェリー乗り場でしばらく歩くと海産物を売っている大型な店があった。
「あの運転手……すぐそこにあるなんて言っといて……」
舞はフェリー乗り場に止めてあったタクシーまで小走りに走ると乗り込んだ。
「この市内にある高等学校全て回ってください」
運転手は帽子からはみ出た真っ白い髪の毛をかいて、
「はぁ? そりゃあどういう意味ぃ」
「そのままの意味です」
「鶴差にある高校全て回ればいいんな?」
「はい、お願いします」
運転手は妙な顔をしたが、タクシーを走らせた。
舞は人心地ついて瞼をゆっくりと下げた。
まだあどけなさが残る顔を見て、作られていない端正な顔立ちだと感じた。しかし真紀の歌声を聞いて、本人の意志に反して音楽の才能には全く恵まれていない。普通すぎるのだ、プロとしてやっていくには無理があった。歌がうまいだけなら探さなくともいる。
しかし舞は真紀と話をして、その印象を変えた。
声から漏れる感情の機微と言葉がちぐはぐだった。
そして真紀が醸し出す雰囲気はこれで、本質からそうなっていると感じたとき、芸能人としての真紀がそこに確立されていると確信した。
女性受けするナチュラルな顔つきで、喋るときは子供のようで、哲学的、しかしそれを否定する。真紀は常人から逸脱しているほど思考の迷路にはまり込んでいるので、自らを肯定することも否定することもできていない。
そして真紀と舞の偶然の出会いは、拝むように頼み見込む事務所社長の、「少し見てやってほしい」という懇願めいた訴えから、舞が「あの子のスタイルで詩を書かせてみたい」というところに変わった。
今から三年前の思い出に心をはせていると、タクシーが止まったので目を開けた。
津田美咲は弁当の蓋を閉めると二人の友人の顔を見比べた。
「二人とも、応援してくれるのはいいけど、言うことが過激すぎるよ。奪い取れだとか……」
「美咲はほんとわかってないんだから、あの二人おかしいよ、仲良すぎるんだからさ」
「そうそう、もう二月だよ。うかうかしてたら学年が上がって、羽柴君と離ればなれになったらどうするの! 奪い取るくらいの気持ちでなきゃだめよ!」
午前の授業も終わり、美咲は友人と共に昼食を食べていたが、「ごちそうさま」と食べ終わるころに二人の友人が、良太のことをあれこれと言ってきたのだ。
「でも、ヨッチャンの言うとおりかも、二月だよね、同じクラスになれる保証ないよね……バンドが忙しいって言ってるし、橋本君と登下校してるし……はぁあ」
と、吐息を吐く美咲。
友人二人は何やら美咲に聞こえないように耳元でささやき合っている。
「ね、いい案でしょう」
「うん、それならいけるかも」
と、二人で納得しあうと、美咲に向かって声を揃えるようにして言った。
「題して、待つだけじゃ駄目よ作戦! いい美咲? 耳貸して」
それから二人は美咲の耳元でその作戦とやらを話した、ひな鳥のように鳴いてはやし立てる、美咲は顔が真っ赤になっていった。
津田美咲は、羽柴良太に唾をつけていたとでもいおうか、前髪が厚ぼったくオシャレというものを全く知らなかった時代から、美咲の目には良太が宝石の原石のように映っていたのだ。それが、磨かれ輝いてからというもの、クラスで一番早く反応をしめした。クラスの女子たちに少しずつ人気が出ていく中で美咲は、心の奥底に常にあなたたち、羽柴君が変わってから目をつけてたでしょ、わたしは前から知っていた。彼の良さは顔だけじゃないのよといった思いがあった。
鞄から鏡を取り出すと顔を見る、そこには少し長めのショートカットで溌剌とした十七歳の少女が映っていた。美咲は表情をころころと変え、最後には困った表情になった。髪の毛を手ぐしで整えると、時計を確認した。
良太は間違いなくバンドの練習に向かうようだ。それは先ほどメールで確認した。
昨日のメールでは今日も同じくらい遅くなりそうだということだったので、今からフルハウスに向かっても意味がない。
友人二人はフルハウスの場所を運良く知っていた。というのもこの学校から近いので、毎朝見かけるということだった。美咲はバス通学で知らなかったのだ。
美咲はこのままぎりぎりまで学校まで待って、それからスタジオの前に、移動しようと決めた。
「良太! ミスした所を何度も繰り返し練習しない! 癖が悪化するわよ」
椿は良太を指さして言った。
「すみません」
謝る良太の表情から焦りの色が見えた。
「リズム隊がしっかりしてないと、ダメでしょう。どうしてもわからないときは、恭介が叩いているところをよく目視して」
「はい!」
椿は軽く深呼吸をした。
「ねぇ椿ちゃん、昨日のこと二人にも話そう」
「そうねみんな集まって――」
と、椿は言って手を叩いた。
メンバーは演奏を中止して集まる。
「メインの曲の構成は大分はっきりしてきたわ、イントロやBメロといった部分はまだだけど、大まかな雰囲気は決まってきてるの、そこで」
椿は良太と恭介を見て、
「二曲目だけど、二人にもやってもらうわよ。曲の候補はあるけど、他がよければそっちを使うしね。主に作詞ね、雰囲気を考えるの、例を出すと、ここは上げていくだとか、そういったことね」
良太が不安そうに恭介を見ている。注意されると思っているのだ。それを椿は見て、
「出来る範囲でいいのよ、わかるところまで、ジャム・セッションしながらこんな乗りがいいとか思うところあるでしょ」
と、椿が言うと、
「ありますね」
良太は表情を変えて言った。
「えっ良太君ってそういうことわかるの? おれぜんぜんだめ」
「恭介君は感じるより行動だよね」
真紀が笑いながら言った。
「良太に負けたな、恭介」
「恭ちゃんに勝った!」
「はいはい、勝ち負けじゃないの、そうしてやっていくわよ。みんなには悪いけど、ここ以外の練習、家や学校のほうでもお願いね」
「椿ちゃん、それは授業中に頭の中では作曲をしなさい、そういうふうに言っているように聞こえちゃうけど……」
「いいのよそれで」
真紀が椿の両肩に優しく手を置いて、
「駄目よ学生のうちは勉強もしないと」
「わかってるわよ、そんなこと」
「わかってないから、言っているんでしょう。日本語を知らないと作詞できないでしょう。いい? 椿聞きなさい」
「日本語なら今、喋っているじゃない」
「そういう屁理屈じゃないの」
「おまえらなぁ! 時間がもったいないだろ、これが有料のスタジオだったら、俺追い出しているぞ! 大体な、スタジオに来てる時点で目的持って練習にきてんだろ、何でも当たり前に思うな、良太や恭介にしたって、今日は何をするってきっちり考えてきてる。さっきも、ジャム・セッションの前におまえらの会話で中断したじゃねぇか、仲がいいのはわかったから、後でやれ」
隆がそう言うと、二人はしゅんとなった。
「ごめんなさい」
「ごめんね隆君」
「要所要所で話しをするのは悪いことではない。そんなの息が詰まるだろ。でも、限度ってもんがある」
と、隆が言っているときドラムの音がスタジオに響いた。
恭介が一人ドラムを叩いているのだ。良太はそんな恭介を見て、ゆっくりと所定の位置まで歩いてベースを抱えた。
ポップス調のリズムが響く、椿も所定の位置について演奏を始めた。真紀がキーボードをひき、その後に隆の歌声が入った。
何度となく繰り返された今日のジャム・セッションの中で一番に良い出来だった。
津田美咲は温かいコーヒーを二つ手に持って、それが少し生ぬるくなっている頃二階のスタジオのドアが開いたので、そちらを凝視した。あたりはすっかり暗くなっている。
「じゃあな、凸凹コンビ今日はいい仕事したぞ」
「良太、恭介、少しきつくいいすぎたわ」
「そんなこといよね、恭ちゃん」
恭介は深くうなずく。
「わー真っ暗、わたし時間の概念がなくなっちゃてる」
「無理もねいな。おまえはひきこもりだからな」
「ひどい隆君」
真紀も出口から少し体を出している。外灯に照らされた顔は神秘的にみえなくもない。
美咲はその光景を見ていた、一人二人と出てくるメンバーたちは皆顔だけは知っているという存在だった。それもそのはずだ、同じ学校なのだから、しかし最後に出てきた人物を見て疑問を憶えた。
「良太君、恭介君、二人ともすごいかっこよかったよ。良太君のこと、好きになっちゃいそう」
「そんなぁ……真紀さんに言われた僕ぅ」
良太と恭介は赤面した。
「明日もあるからな、いつも言ってるが、気負うなよ、技術よりも自分らしさ、これからも長いんだから、モチベーションの維持が一番に大事になってくる」
「そんなもんですかね……」
「凸凹コンビは今が一番楽しいとき」
津田美咲は外灯に照らされた真紀をじっと見ていた。
確か、どこかで見たことがあるはずだ……。
それがSAYAだとわかると両手にコーヒーを持っているということも忘れ走り去った。
(わたしが勝てるわけない)悔しさがこみ上げてきた。
テレビ画面を食いつくように見つめる美咲。
部屋に戻ると録画していた音楽番組を再生させ、何度も何度も同じシーンを繰り返しみていた。
そこにはSAYAが映されていた。現実と幻想のはざまにでもいるような希薄な気持ちになった。確かに良太たちと共にいたのはSAYAだった。
携帯電話がメールを知らせていた。美咲はメールを開くと「どうだった美咲?」という内容で友人からだった。
一瞬打ち返そうとボタンを押しかけたが、携帯電話を無造作にベットに投げた。
美咲は考えていた。今はバンドに忙しい良太だが、必ず自分に振り向いてくれると、それだけ打ち解けてくれていると、冷静に考えても脈ありだと感じていたのだ。でもどう頑張ってもSAYA――芸能人になんてかってこない……。
携帯電話がメールを知らせていた。良太からで、「練習終わったぁ」という内容だった。
美咲はそれをみて涙を流し始めた。
どうしてこんな目に合うの? どうして私なの? 一年のころからずっと好きだったのに、ひどいよ……。
そうしてしばらくすると、母の呼ぶ声が聞こえたので涙を拭って部屋を出た。
ソファーに横になって少し離れた場所にある窓を無表情に眺めていた。
場末の旅館に気の利いたサービスなんてものはない。小城舞は歩き疲れ横になっていたのだが、やることが全くない。テレビをつけてみたが、東京の四分の一のチャンネルしか機能していない。かといって、日本最大の源泉数を誇るという温泉に行く気にもならない。同じ県といっても観光地はこの場所から車で二時間か三時間かかってしまうのた。たとえこの旅館が豪華ホテルでも、今の舞は温泉なんてつかる気にはなれないだろうが……。
「隆という十七歳の少年が、何人この町にいるのかしら」
舞はぼそりと言った。
バンドをしているということだったので、市内にある四つの高校を一つ一つ当たることにしていた。
今日はこれといって収穫はなかった。しいてあげるなら、高校教師に不審者扱いをされたくらいだった。
しかし自分が行っていることを客観的に見ても、不審者と言われてもおかしくないのだ。
下校している生徒に校門近くで声をかけているのだがら、身分と状況を説明すると納得をしてくれたが、こんな時勢だ。教師は舞を追い出した。学校側が舞に従う義理は何もないのだ。
「しかし真紀さんの地元はこんなにも田舎だったんですね」
今日一日市内を回ってみてそう思った。都会と違ってどの場所もスペースが空き放題で一番わかりやすかった例が駐車場である。
スーパーや病院といった施設の駐車場が予想以上に広いのだ。
「ここはやはりプロに」
と独り言を言ったが、最後に真紀からかかってきた電話のせいで人捜しのプロに頼ることは自重していた。
とても悪い予感がするのだ。秘密厳守とは謳い文句でそれを守る法律はないのだから。それに記者たちにかぎつけられる恐れもあった。
舞が思い描いている最悪のシナリオは、真紀が記者たちにスクープを撮られることで、自分がどうしても先に彼女を見つけなければならない。そう考えていた。
テレビは地元のニュースを扱っていた。
「今年の豊漁祭は全国的な規模になるそうですね」
地元民とおぼしき人物、禿頭にタオルで鉢巻きをしカッパをきて片手に魚を持っていたそれを、女性リポーターの方へ投げる。
リポーターはひゃあと奇声をあげた。
「まあ、おれら漁師は時化にならんことをいのるだけやけんな」
「そうですか……この港に船が沢山並ぶんですよね」
「大漁旗を掲げてな」
「楽しみですね。それでは射鶴町からお伝えしま――」
漁師は発砲スチロールに入った魚をまた、リポーターに投げつけた。
舞はテレビを消して手帳を取り出すと、書き物を始めた。
紙の一番上には、こう書かれていた。「鶴差市での一日目」と。
まるで高性能なカメラからレンズを覗いているようだった。
夜景はパノラマに広がっている。遠く見える海を少しでも高い位置から見ようと立ち上がると、室内は身体を動かすだけで微動し、目の前にいる隆は口を少し突き出し、眉を寄せて真紀を睨んだ。
真紀は揺れを気にとめず、隆の隣に席を移った。
「おまえ、あっちいけよ」
隆はうっとしそうにした。
「いいじゃない」
真紀はそう言って隆の腕を握るとにっこりと笑った。
「何がクリスマスをやり直そうだよ……大体なぁみつかったらどうすんだよ」
「大丈夫だよ。変装もしているし、それに、もうあまり気にする意味もないから」
真紀は黒目を少し下げて言った。
「どういう意味だ?」
「ねぇ次は映画見ようよ」
「大体、豊漁祭もすぐなのに――」
「ね。くるとき約束したでしょう。今日は真紀のために時間を使ってくれるって」
「はいはい」
真紀は隆の手をしっかりと握っていた。今日一日は放さない。そう、心に決めているのだ。観覧車はゆっくりと回り止まった。
乗り場からスロープを降りて外に出ると寒気がいっきに押し寄せてきた。
真紀は土曜日、椿にバイトの休みを与え、椿の恨みがましい言葉を無視し、タクシーでこの巨大デパートまで来ていた。駐車場四千台完備し、三階構造からなり、緑と水に囲まれた開放型ショッピングスペース。鶴差市からおよそ車で一時間半といった距離である。
隆は気が気ではなかった。今にも真紀の正体がばれてしまい、大騒ぎになってしまうのではないかと。しかしそんな隆の気持ちをよそに真紀の表情は明るく、隆の腕をぐいぐいと引っ張って歩いている。
タクシーに戻ると、運転手は、心配そうな表情で、
「お客さん、料金高くなるよ」と、言った。
「良いんです。デパートにもいくので外で待っててもらえますか?」
「最近のカップルはお金持ちなんだなぁ」
運転手はそう言ってからタクシーを走らせた。
「やっぱり見えますか、ちゃんとカップルだって」
「違うの?」
「違わないです」
隆はすかさず、真紀にどういうつもりだと、訝しんだ視線を送ったが、真紀は笑顔で答え腕を力強く握った。
土曜の夜とあってかデパート内は混み合っていた。
二人は早速三階にあるという映画館に向かった。
真紀は柱の下に寄りかかり、チケット売り場を見ていた。
「隆君何がみたい?」
場内へ続く扉の上に大きなポスターが貼ってあった。隆はそれを見て、唸った。
「最低な映画ばかりだな」
「そんな盛り下がること言わないで」
「左から行くぞ、アニメは見ない」
そして右のポスターに視線を移して、
「売れ線は嫌いだ」
拳銃を構えた勇ましい女性が映っていた。
「これが一番ありえん、ラブロマンス」
水中で女性と男性が向かい合うようにして両手を繋いでいた。
真紀は深いため息をついた。
「隆君って、映画を見ながらぶつぶつ言うタイプでしょう。女の子に嫌われちゃうよそれ」
隆は舌打ちをした。
「それも駄目、デートに来てるんだから今日は……真紀じゃいや? 楽しくない?」
真紀は伏し目がちで隆に聞いた。
「べ、べつに! じゃあおまえは、男とこういう所にきたことあんのかよ」
隆はそっぽを向いて言った。
「あると思う?」
「あるに決まってる」
真紀は唇を尖らせる。
「もう、帰る? わたしは小さいころ少しピアノをやってただけで、大衆音楽に対してはすごい後付けだよ。これの意味わかる? 遊ぶ暇なんてなかったよ。いつも見張られてたし、でも、オールディーズが大好きで――」
隆は真紀の瞳が潤んできたので、自ら放した手を握り、
「もういい、わかった。ここで待っとけ」
そう言ってチケット売り場までいって二人分のチケットを購入した。
そして戻ると真紀が顔をしかめて拳を強く握っていたので、笑いながら指を広げ手を握った。
上映時間は運良くすぐだったので二人は映画館に入った。
それから席に腰を下ろすと、隆は微笑した。
「よし楽しもうぜ」
「うん……」
映画の内容はというとラブロマンスだった。
すっかり機嫌を直した真紀は、デパートから出てタクシーに乗り込むと運転手にコーヒーを差し出して言った。
「あっちの海のほうにいってみてください」
運転手は缶コーヒーを頭の上まで上げて、
「あっち……そっち……まぁ海岸線にでようかねぇ」
しばらく車を走らせると海が見えてきた。
真紀は窓に張り付くようにしている。
「隆君、内容憶えてる? 寝てたでしょう。君、そんなかわいい顔していびきかくんだから、すぐわかる」
隆は顎から手を外して、
「げっ、まじで?」
「さっきは大丈夫だったけど、でもいびきは本当」
「アリエネェ! 嘘だと言え!」
隆は真紀を揺する。
「やめてぇ、わたしだけが知っている秘密。椿ちゃんも知らないとおもう」
「寝ているとき手をかいてるよね」
真紀はクスクスと笑っている。
「わかったから、もういい、やめろ……」
「でも嬉しいなぁ、他人には見せない部分だよね」
「じゃあ俺も一つ、おまえの寝相の悪さ異常な」
「うそ、わたしはいつも定位置ですよ」
「一周してんじゃね。おまえさ、いつもおれの布団に落ちてくるだろ」
真紀は顔を上げ口元に手を当て考える。
「そういえば、下で寝ているときもある。でも、そういうときは隆君が上にいる」
「あたりまえだろ、おれは蹴られたくねぇし」
「ちょっと待ってちょっと待て」
そのとき真紀は少し先に大きな公園を見つけた。
「運転手さん、そこの公園に止めてください」
「あいよ」
交差点を右折し駐車場にタクシーは止まった。
「ね、外に出てみよう」
芝生が敷かれ緩やかなカーブを描くようにして海が広がっている。
二人は外に出るとゆっっくりと歩いた。砂浜が広がっているその場所を。
「ねぇ見て、船がある」
と真紀が指を差して言ったので隆は目を向けると、大きな帆船が砂浜の上に堂々と立っていた。
「アリエネェ、本物じゃん」
「行ってみよう」
三本のマストが晴れ渡る夜空に向かって伸び、帆はたたまれている。右舷と左舷にはぽっかりと五つ穴が空いて、艦橋甲板から砂浜まで管が通され真紀は、中を覗いた。
「すごいよ、ここ滑り台になってる」
「よし、上までいくぞ」
と、隆はいって、帆船の前部から続いているスロープを登る。
「待ってよぉ」
真紀も追いかける。
隆は走るようにして管の中に突進した。管の先からすとんと地面に着地すると言った。
「超おもしろい、真紀、おまえもこいよ!」
真紀は怯えたように管の縁を両手で支えている。
隆が足早にスロープを登り真紀のすぐ後ろまで行くと、
「ちょっと待ってちょっと待って」
「待てねぇよ!」
と、言って真紀を管の中に押し込んだ。「きゃあ」真紀は悲鳴を上げながら砂浜に着地した。
隆は上からその光景を見て笑っている。真紀は砂を握り隆に投げつける。
隆は後ろに下がり、勢いをつけて滑り台にむけて今度は頭から入った。
「うわ、砂が――」
真紀は砂浜の上に寝転がっていた。
隆が着地した場所は、丁度真紀の隣で頭から落ちた隆と、足から落ちて、そのまま横になった真紀の顔はすぐ近くにあった。
一陣の風が吹いた。そして真紀は二度瞬きをした。どちらかはっきりはわからなかった。顔が合わさるように近づいて唇は触れあった。
「……真紀、隆君のことが好き」
隆が口を開きかけて、
「待って――」
真紀はやおら起き上がると砂を払った。
「最高のクリスマスになったね。隆君」
隆の心臓は鳴り止まなかった。しかし虚勢を張り真紀の前でうわずった声でこう言った。
「アリエネェ」
ルームミラーでタクシーの運転手が何度も二人を見た。真紀と隆は手を握っているが、終始無言である。
二人とも窓から外を眺めているが、風景など目に入っていない。
およそ一時間二人は黙ったままだった。しかし真紀は何だかおかしくなって急に笑いだした。
「な、何だよ」
「らしくないよね。わたしたち似てるのに」
「ちょっと待て、おまえ初めてじゃなかったのか」
真紀は握っている手をつねった。
「初めてにきまってるよ、同じこと言わせないで」
隆の表情にも少し余裕が生まれてきた。
「俺思うんだけど、クリスマスライブで指さしたときからだろお互い、でもなんか認めたくねぇ、負けた気がする」
「わかる、自分の気持ちが見えることって不快だよね。ああわたしはやっぱりこう考えてたとか思っちゃうとね、ちょっとってなる」
「アリエネェ、お互い似てるから殺し合いになりそうだな」
「大丈夫だよ、椿ちゃんがいるから」
「あいつは関係ないだろ」
「どうなのかな……真紀は真紀でも、隆は真紀、真紀は隆?」
「日本語喋れ、何となく言いたいことわかるけどな」
タクシーは鶴差市に入った。ふと隆はタクシー料金のデジタルな数字を見た。
「アリエネェ、何この金額」
「運転手さん、そこの細い道を上ってください」
道路からタクシーは右折し片側一方通行の道を上った。
「実家行ってどうするんだ?」
「通りたかっただけ、見ておきたったの……二人であそこで歌ったよね」
運転手は気をきかせて減速させる。
土手の小道には青い草が生えている。隆は胸に痛みを覚えたような気がした。
「今、チクッとした、気のせいかな?」
真紀はそう言って力強く隆の手を握り直す。
「大丈夫だ」
「運転手さん、やってください」
タクシーは土手を降りていった。
月とうさぎが書かれた紙袋を持って、歩いている。
椿は頭をゆっくりと上げ夜空を見上げた。星が輝いていたが、今はそれが疎ましかった夜というものが深く深く落ちてきて、孤独という気持ちが広がっていくのだ。
携帯電話を開いて、すぐに閉じる。
隆と真紀は今頃何しているんだろう……何度も何度も考えて何度も何度も考えるのをやめようと思ったが、自分でその考えを止めることはできなかった。
県営住宅の階段を上り二階の一番手前の部屋のドアを開ける。
靴を脱いで上がり込むと、異臭がただよった。
一瞬豆電球がついた室内の台所を見たが、食器やインスタントラーメンの容器であふれかえっていた。
椿は唇を噛んだ。
それから自室に入る。鍵をしっかりかけて壁に背をつけ膝を折る。紙袋をベットに投げると袋に入った和菓子や洋菓子がはみ出た。
椿は一瞬顔を歪めて冷蔵庫に直していった。
そして壁際にいくとうずくまった。
今日は早く寝てしまおう、布団をかぶって目を瞑る。しかし頭の中を空っぽにしたいのに、隆と真紀のことばかり考えてしまう。
セイウチのキーホルダーを握り閉め耐えるように目を瞑った。
するとそのとき携帯電話が着信を知らせていた。開いてみるとメールだった。
椿はそれまでの暗い気持ちがその一通のメールで吹き飛んだ。メールの内容は、こうだった。「椿ちゃん、遅くなったけど、おいで」真紀が隆の携帯電話を使ってメールしてきたのだ。(そうよ、今日は土曜日じゃない!)椿はそれからお泊まりセットを用意した。
家を出ると無意識のうちに制服に着替えていたが、私服に着替えるのも面倒なのでそのまま歩き出した。背にはギターを背負い大きな鞄を持って、椿の小さな身体を荷が圧迫している。
しかしそんなことを気にかけてはいなかった。なかえ川を渡り、遊歩道を通ってフルハウスにやってきた。
「きたよ」
真紀と隆はフルハウスの階段のすぐ横に隠れていた。
「俺しらねぇぞ、あいつが泣いても」
「しっ、聞こえるって」
椿は笑いをこらえた。そして気付かないふりをしてそのときを待った。
「わ!」
案の定真紀は腰を抜かすほど驚き、隆はあきれている。
「あなたたちの考えなんてお見通しよ、ばーか」
舌をちょろっとだして椿は言った。
「椿ぃ寂しかった? 寂しかったでしょ?」
「別に寂しくなんてないわよ」
真紀は椿に抱きつく。
「やめて、子供扱いしないで」
「いいじゃない、今日も一緒に寝ようね」
「おまえらなあ、近所迷惑だろうが! 真紀、おまえ自覚しろって言ってるだろ」
隆がそう言うと二人はじゃれ合うのをやめて階段を上っていった
夜景はパノラマに広がっている。遠く見える海を少しでも高い位置から見ようと立ち上がると、室内は身体を動かすだけで微動し、目の前にいる隆は口を少し突き出し、眉を寄せて真紀を睨んだ。
真紀は揺れを気にとめず、隆の隣に席を移った。
「おまえ、あっちいけよ」
隆はうっとしそうにした。
「いいじゃない」
真紀はそう言って隆の腕を握るとにっこりと笑った。
「何がクリスマスをやり直そうだよ……大体なぁみつかったらどうすんだよ」
「大丈夫だよ。変装もしているし、それに、もうあまり気にする意味もないから」
真紀は黒目を少し下げて言った。
「どういう意味だ?」
「ねぇ次は映画見ようよ」
「大体、豊漁祭もすぐなのに――」
「ね。くるとき約束したでしょう。今日は真紀のために時間を使ってくれるって」
「はいはい」
真紀は隆の手をしっかりと握っていた。今日一日は放さない。そう、心に決めているのだ。観覧車はゆっくりと回り止まった。
乗り場からスロープを降りて外に出ると寒気がいっきに押し寄せてきた。
真紀は土曜日、椿にバイトの休みを与え、椿の恨みがましい言葉を無視し、タクシーでこの巨大デパートまで来ていた。駐車場四千台完備し、三階構造からなり、緑と水に囲まれた開放型ショッピングスペース。鶴差市からおよそ車で一時間半といった距離である。
隆は気が気ではなかった。今にも真紀の正体がばれてしまい、大騒ぎになってしまうのではないかと。しかしそんな隆の気持ちをよそに真紀の表情は明るく、隆の腕をぐいぐいと引っ張って歩いている。
タクシーに戻ると、運転手は、心配そうな表情で、
「お客さん、料金高くなるよ」と、言った。
「良いんです。デパートにもいくので外で待っててもらえますか?」
「最近のカップルはお金持ちなんだなぁ」
運転手はそう言ってからタクシーを走らせた。
「やっぱり見えますか、ちゃんとカップルだって」
「違うの?」
「違わないです」
隆はすかさず、真紀にどういうつもりだと、訝しんだ視線を送ったが、真紀は笑顔で答え腕を力強く握った。
土曜の夜とあってかデパート内は混み合っていた。
二人は早速三階にあるという映画館に向かった。
真紀は柱の下に寄りかかり、チケット売り場を見ていた。
「隆君何がみたい?」
場内へ続く扉の上に大きなポスターが貼ってあった。隆はそれを見て、唸った。
「最低な映画ばかりだな」
「そんな盛り下がること言わないで」
「左から行くぞ、アニメは見ない」
そして右のポスターに視線を移して、
「売れ線は嫌いだ」
拳銃を構えた勇ましい女性が映っていた。
「これが一番ありえん、ラブロマンス」
水中で女性と男性が向かい合うようにして両手を繋いでいた。
真紀は深いため息をついた。
「隆君って、映画を見ながらぶつぶつ言うタイプでしょう。女の子に嫌われちゃうよそれ」
隆は舌打ちをした。
「それも駄目、デートに来てるんだから今日は……真紀じゃいや? 楽しくない?」
真紀は伏し目がちで隆に聞いた。
「べ、べつに! じゃあおまえは、男とこういう所にきたことあんのかよ」
隆はそっぽを向いて言った。
「あると思う?」
「あるに決まってる」
真紀は唇を尖らせる。
「もう、帰る? わたしは小さいころ少しピアノをやってただけで、大衆音楽に対してはすごい後付けだよ。これの意味わかる? 遊ぶ暇なんてなかったよ。いつも見張られてたし、でも、オールディーズが大好きで――」
隆は真紀の瞳が潤んできたので、自ら放した手を握り、
「もういい、わかった。ここで待っとけ」
そう言ってチケット売り場までいって二人分のチケットを購入した。
そして戻ると真紀が顔をしかめて拳を強く握っていたので、笑いながら指を広げ手を握った。
上映時間は運良くすぐだったので二人は映画館に入った。
それから席に腰を下ろすと、隆は微笑した。
「よし楽しもうぜ」
「うん……」
映画の内容はというとラブロマンスだった。
すっかり機嫌を直した真紀は、デパートから出てタクシーに乗り込むと運転手にコーヒーを差し出して言った。
「あっちの海のほうにいってみてください」
運転手は缶コーヒーを頭の上まで上げて、
「あっち……そっち……まぁ海岸線にでようかねぇ」
しばらく車を走らせると海が見えてきた。
真紀は窓に張り付くようにしている。
「隆君、内容憶えてる? 寝てたでしょう。君、そんなかわいい顔していびきかくんだから、すぐわかる」
隆は顎から手を外して、
「げっ、まじで?」
「さっきは大丈夫だったけど、でもいびきは本当」
「アリエネェ! 嘘だと言え!」
隆は真紀を揺する。
「やめてぇ、わたしだけが知っている秘密。椿ちゃんも知らないとおもう」
「寝ているとき手をかいてるよね」
真紀はクスクスと笑っている。
「わかったから、もういい、やめろ……」
「でも嬉しいなぁ、他人には見せない部分だよね」
「じゃあ俺も一つ、おまえの寝相の悪さ異常な」
「うそ、わたしはいつも定位置ですよ」
「一周してんじゃね。おまえさ、いつもおれの布団に落ちてくるだろ」
真紀は顔を上げ口元に手を当て考える。
「そういえば、下で寝ているときもある。でも、そういうときは隆君が上にいる」
「あたりまえだろ、おれは蹴られたくねぇし」
「ちょっと待ってちょっと待て」
そのとき真紀は少し先に大きな公園を見つけた。
「運転手さん、そこの公園に止めてください」
「あいよ」
交差点を右折し駐車場にタクシーは止まった。
「ね、外に出てみよう」
芝生が敷かれ緩やかなカーブを描くようにして海が広がっている。
二人は外に出るとゆっっくりと歩いた。砂浜が広がっているその場所を。
「ねぇ見て、船がある」
と真紀が指を差して言ったので隆は目を向けると、大きな帆船が砂浜の上に堂々と立っていた。
「アリエネェ、本物じゃん」
「行ってみよう」
三本のマストが晴れ渡る夜空に向かって伸び、帆はたたまれている。右舷と左舷にはぽっかりと五つ穴が空いて、艦橋甲板から砂浜まで管が通され真紀は、中を覗いた。
「すごいよ、ここ滑り台になってる」
「よし、上までいくぞ」
と、隆はいって、帆船の前部から続いているスロープを登る。
「待ってよぉ」
真紀も追いかける。
隆は走るようにして管の中に突進した。管の先からすとんと地面に着地すると言った。
「超おもしろい、真紀、おまえもこいよ!」
真紀は怯えたように管の縁を両手で支えている。
隆が足早にスロープを登り真紀のすぐ後ろまで行くと、
「ちょっと待ってちょっと待って」
「待てねぇよ!」
と、言って真紀を管の中に押し込んだ。「きゃあ」真紀は悲鳴を上げながら砂浜に着地した。
隆は上からその光景を見て笑っている。真紀は砂を握り隆に投げつける。
隆は後ろに下がり、勢いをつけて滑り台にむけて今度は頭から入った。
「うわ、砂が――」
真紀は砂浜の上に寝転がっていた。
隆が着地した場所は、丁度真紀の隣で頭から落ちた隆と、足から落ちて、そのまま横になった真紀の顔はすぐ近くにあった。
一陣の風が吹いた。そして真紀は二度瞬きをした。どちらかはっきりはわからなかった。顔が合わさるように近づいて唇は触れあった。
「……真紀、隆君のことが好き」
隆が口を開きかけて、
「待って――」
真紀はやおら起き上がると砂を払った。
「最高のクリスマスになったね。隆君」
隆の心臓は鳴り止まなかった。しかし虚勢を張り真紀の前でうわずった声でこう言った。
「アリエネェ」
ルームミラーでタクシーの運転手が何度も二人を見た。真紀と隆は手を握っているが、終始無言である。
二人とも窓から外を眺めているが、風景など目に入っていない。
およそ一時間二人は黙ったままだった。しかし真紀は何だかおかしくなって急に笑いだした。
「な、何だよ」
「らしくないよね。わたしたち似てるのに」
「ちょっと待て、おまえ初めてじゃなかったのか」
真紀は握っている手をつねった。
「初めてにきまってるよ、同じこと言わせないで」
隆の表情にも少し余裕が生まれてきた。
「俺思うんだけど、クリスマスライブで指さしたときからだろお互い、でもなんか認めたくねぇ、負けた気がする」
「わかる、自分の気持ちが見えることって不快だよね。ああわたしはやっぱりこう考えてたとか思っちゃうとね、ちょっとってなる」
「アリエネェ、お互い似てるから殺し合いになりそうだな」
「大丈夫だよ、椿ちゃんがいるから」
「あいつは関係ないだろ」
「どうなのかな……真紀は真紀でも、隆は真紀、真紀は隆?」
「日本語喋れ、何となく言いたいことわかるけどな」
タクシーは鶴差市に入った。ふと隆はタクシー料金のデジタルな数字を見た。
「アリエネェ、何この金額」
「運転手さん、そこの細い道を上ってください」
道路からタクシーは右折し片側一方通行の道を上った。
「実家行ってどうするんだ?」
「通りたかっただけ、見ておきたったの……二人であそこで歌ったよね」
運転手は気をきかせて減速させる。
土手の小道には青い草が生えている。隆は胸に痛みを覚えたような気がした。
「今、チクッとした、気のせいかな?」
真紀はそう言って力強く隆の手を握り直す。
「大丈夫だ」
「運転手さん、やってください」
タクシーは土手を降りていった。
月とうさぎが書かれた紙袋を持って、歩いている。
椿は頭をゆっくりと上げ夜空を見上げた。星が輝いていたが、今はそれが疎ましかった夜というものが深く深く落ちてきて、孤独という気持ちが広がっていくのだ。
携帯電話を開いて、すぐに閉じる。
隆と真紀は今頃何しているんだろう……何度も何度も考えて何度も何度も考えるのをやめようと思ったが、自分でその考えを止めることはできなかった。
県営住宅の階段を上り二階の一番手前の部屋のドアを開ける。
靴を脱いで上がり込むと、異臭がただよった。
一瞬豆電球がついた室内の台所を見たが、食器やインスタントラーメンの容器であふれかえっていた。
椿は唇を噛んだ。
それから自室に入る。鍵をしっかりかけて壁に背をつけ膝を折る。紙袋をベットに投げると袋に入った和菓子や洋菓子がはみ出た。
椿は一瞬顔を歪めて冷蔵庫に直していった。
そして壁際にいくとうずくまった。
今日は早く寝てしまおう、布団をかぶって目を瞑る。しかし頭の中を空っぽにしたいのに、隆と真紀のことばかり考えてしまう。
セイウチのキーホルダーを握り閉め耐えるように目を瞑った。
するとそのとき携帯電話が着信を知らせていた。開いてみるとメールだった。
椿はそれまでの暗い気持ちがその一通のメールで吹き飛んだ。メールの内容は、こうだった。「椿ちゃん、遅くなったけど、おいで」真紀が隆の携帯電話を使ってメールしてきたのだ。(そうよ、今日は土曜日じゃない!)椿はそれからお泊まりセットを用意した。
家を出ると無意識のうちに制服に着替えていたが、私服に着替えるのも面倒なのでそのまま歩き出した。背にはギターを背負い大きな鞄を持って、椿の小さな身体を荷が圧迫している。
しかしそんなことを気にかけてはいなかった。なかえ川を渡り、遊歩道を通ってフルハウスにやってきた。
「きたよ」
真紀と隆はフルハウスの階段のすぐ横に隠れていた。
「俺しらねぇぞ、あいつが泣いても」
「しっ、聞こえるって」
椿は笑いをこらえた。そして気付かないふりをしてそのときを待った。
「わ!」
案の定真紀は腰を抜かすほど驚き、隆はあきれている。
「あなたたちの考えなんてお見通しよ、ばーか」
舌をちょろっとだして椿は言った。
「椿ぃ寂しかった? 寂しかったでしょ?」
「別に寂しくなんてないわよ」
真紀は椿に抱きつく。
「やめて、子供扱いしないで」
「いいじゃない、今日も一緒に寝ようね」
「おまえらなあ、近所迷惑だろうが! 真紀、おまえ自覚しろって言ってるだろ」
隆がそう言うと二人はじゃれ合うのをやめて階段を上っていった
マイクを片手に持ち、ゆっくりと歩きながらホテルに手を挙げ指し示す。
男性リポーターはマイクに向かって何かを言っている。
美咲は横断歩道の前からその光景を見ていた。信号が赤から青に変わっても進もうとしないので、サラリーマンふうの男は訝しげに美咲を見て先にいった。
ハンカチを片手に握り足を踏み出そうとしたそのとき、信号は赤に変わっており、車のクラクションが響いた。
「堀口さん、今日は寿司でも食べにいきませんか?」
大きなカメラを抱えた帽子をかぶった男は白い歯をみせて言った。
「やぁ寿司かい、いいねぇ、この町の名物らしいじゃないか」
「さすが、情報が早いですね」
堀口は三つ揃いをびしっと着込んではいるが、どことなく下品な印象だった。
「しかし、SAYAはどうしたのかねぇ」
「この町にもう、いないんじゃないんですか?」
「それはないだろう、確かに空港まではいたんだ。そこからタクシーに乗っている」
スタッフたちと堀口はホテルのロビーに入ろうとしていた。
そこで、横断歩道からいっきに走ってきた美咲は、荒い息を吐きながら、言った。
「あの……待ってください!」
一番後ろにいた堀口は振り返る。
「SAYAの取材できている人たちですよね?」
堀口はスタッフに顔を合わせる。幸い同業者たちには気付かれたふうはない。
そしてスタッフに向かって目礼をすると、美咲に、
「ここじゃあれだから、少し歩こうか、君――」
美咲は訝しんだが堀口がさっさと歩いていったので後に続いた。
歩道にはホテル沿いに植え込みがあった。堀口は辺りを見渡すと、
「うん、ここならいい。そう、SAYAを追ってこんな寂れた町にきてるリポーター」
「やっぱりそうだったんですか……」
「あの、お話があるんです」
堀口は軽くうなずく。
「わたし、SAYAの居場所知ってます」
美咲は手に汗を握っていた。自分がしている行為がとても正しいとは思えない。しかしちょっとくらいなら、とそんな気持ちもあった。
美咲から話しを聞きながら堀口はノートに必要なことを書いていった。その文字を書くスピードは恐ろしく早かった。
「じゃあ、君の名前を教えてくれるかな?」
と、堀口が丁寧な顔を作って言うと、美咲は急に怖くなって、
「いいです。ごめんなさい」
と、言って走っていった。
堀口は吐息をついて生え際の上がった髪の毛をなでた。
ロビーに戻ると、帽子をかぶったカメラマンが立ち上がる。
堀口は首を傾げた。それがスタッフにも伝わり、どっと疲れた声をあげる者、ため息をつくもの、煙草を取り出すもの様々だった。
「やっぱりだめでしたか――」
「まぁガセかなぁ、わたしの好きな人がSAYAさんのこと好きなんです」
話しを聞いたカメラマンは、
「ということは高校生とバンドを組んでいると……ありえますかね?」
「ないだろうなぁ、しかし裏はとっておくよ」
と、堀口がカメラマンの肩に手を置いて言った。
「ご愁傷様です」
堀口は首をならしてロビーの椅子に腰掛けた。
真紀はボイストレーニングで使うピンポン玉を隆に向かって投げつけた。
「きたねぇな、それおまえが口に入れるやつだろ!」
「隆君がわからずやだから悪い」
「今さらメインの曲はやめたほうがいいなんて言われて、はいそうですかなんて答えられるか!」
「でも、マスターやわたしの力を当てにするのはおかしい」
「そうするしかねぇだろうが!」
「子供からお年寄りまでいるんでしょう。いいじゃないそんな斜め上をいかなくても」
真紀はペットボトルを投げつける。隆は本気で怒り、睨みつけ立ち上がった。
「おまえさ、涼子みたいなこといってんじゃねぇよ!」
「いいもん、涼子さんに言いつけてやるぅ!」
椿はチャーハンを作る手を止めて、転がっているペットボトルを手に持つと二人の下までいった。
「あなたちねぇ……いい加減にしなさい!」
と、言って二人の頭をぽこぽこと叩いた。
「だって、こいつが」
「隆もさ、ムキにならない。真紀は物を投げない」
「ねぇ椿ちゃん、わたしの言ってること間違ってる?」
真紀は首を傾げて言った。
「まぁ真紀の言ってることも理解はできるわ、ライブハウスならともかく、カラオケ大会っていうコーナーの最後に、あたしたちの出番があるわけだし」
「でしょ、隆君は充分才能があるし、みんなが聞きやすいような曲でも絶対にすごいってなるよ」
「確かに、おれが考えてるそれを実行してしまうと、受ける受けないじゃなくて、カラオケ大会の規模じゃないよな。機材のことも考えるとなぁ……ああおれが、三十人くらいいたらそいつらに運ばせたりするのによ」
隆がそういうと真紀は笑った。
「ほんと、あたしがいないとだめね、すぐ喧嘩するんだから」
「良太君や恭介君のことも信じよう、ね隆君」
「わかってら」
椿は二人が落ち着いたので昼食作りに戻った。
しばらくしてチャーハンは運ばれて昼食が始まった。
良太は紙とペンを持って難しい顔をしている。恭介が横から覗き込むと、両手に抱えるようにして胸に紙を抱いた。
「良太君……どう? 作詞……おれ……おれ」
恭介はそう言って頭を何度も机に打ち付ける。
「恭ちゃんやめて、バカになっちゃうよ……脳細胞死んじゃうよ」
恭介は恨めしそうに良太を見つめる。
「それ良太君、デマだよ、死ぬわけない」
良太はゆっくり立ち上がり恭介のノートをこっそりと奪いとる。
「あ――」
「何々……おれうれしい、おれはずかしい、何これ?」
良太はノートを持って激しく肩を揺らして笑う。
「良太君のも見せて」
そして恭介は良太の紙切れを取って読んでいく。
「おれ悔しい。良太君の詞、変じゃない」
「でも、よくもないんだよね、こう何かが足りないというか、ぐっとくるものがないよねぇ……」
「おれ、ドラム叩いてるほうがいい」
「うん、演奏してるほうが気楽だよね」
良太はベースを抱え持つと詞を見ながらひいていく、恭介もそれにならい、スティックを出すと、座布団や雑誌がセットされている壁際までいって叩く。
しばらく二人はそうやって文字を書いたり演奏をしたりしながらやっていた。
「こっちのほうがしっくりくるね」
「おれもそう思う」
恭介はスティックを叩く手を止めて、
「おれ浮かんだ! 曲の題名」
「聞かせて!」
そして恭介は良太に題名を告げた。
「いい、やっぱりそれがいい!」
二人はそれから興奮しながら作詞作業を行っていった。
メンバーは集まると一人一人椿に作詞した紙を渡していく、それに目を通していって椿はおもむろに言った。
「だめね、凸凹コンビ二人は、文字が多すぎる。あたしたちのほうは、前の曲を引きずってるわ……困ったわね」
「良太、恭介、急遽一曲になったからな、だから手は抜けない」
「二曲でも手は抜けないわよ」
「二曲目はメロディは完全にできてるのにね、わたし好きだな、これ」
「みんな知らないと思うけど、前に聴いたことあるわよ」
隆と椿以外は驚いた顔をした。
「椿ちゃん、どういうこと?」
「クリスマスライブで俺が歌った」
「あの曲だったんだ……じゃあ真紀の歌になるの?」
「おまえな……」
「僕おもうんですけど、そのときの詞をそのまま使えば、いいんじゃないのかな」
「それがね、大事な部分は聞き取れないし、なんとか隆にメロディだけは復元してもらったけど、詞は憶えてないんですって」
隆は頭を少し下げて、
「面目ない」
「飛んでるもんね隆君はそのとき」
「うん、悟りだからね」
「悟り……おれも悟りたい……」
良太はそのとき恭介の顔を見て、思い出したように、
「山中さん! 恭ちゃんが題名を考えてきました」
恭介は恥ずかしそうにその題名を言うと、椿は顔を上げて、
「でかしわたわ、恭介! あたしいいと思う」
「みんな聞いて」
椿は曲の題名を言って皆納得した。
「ま、それしかないよな」
「うんぴったりだと思う」
「よかったね、恭ちゃん」
「わたしもすごくいいと思う」
隆は自分の書いた詞に一度目を通して、ゴミ箱に捨てた。それから恭介の書いた詞を取って、
「恭介のおもしろい、アリエネェ!」
隆は壁際に歩きながら大笑いしている。
良太は隆が見ていないのを確認すると、こっそりとゴミ箱から隆の詞を持ち出してそれを素早くポケットにしまった。
それから源二やマスター、ユキエがやってきて個人練習に入った。
良太は携帯電話を開いていた。
美咲からのメールが止まってしまって気になっていたのだ。しかし良太は深く考えず、忙しいのだろうと判断していた。
練習が終わる頃にはすっかり辺りは暗くなっている。
空は雲が見え隠れしている。真紀はスタジオの出口から少し身体を出して、空を見上げた。
「いやな天気」
「雨になりそうだ」
隆も空を見上げて言った。
良太と恭介は階段にいて、出口にいる隆たちと向き合っている。
「それじゃ作詞のほう、引き続きよろしくね」
「はい」
良太がそう言うと恭介がコクリとうなずく。
「お、おつかれ」
恭介は逡巡してからそう言った。
そんな恭介の様子を見て椿は言った。
「ねぇ恭介、最近少し変わった? 前より細くなってない?」
「真紀も思った、恭介君痩せたよね、少し、それに明るくなった」
恭介は俯いて頬を染める。
「頑張って」
と、良太が言うと隆は良太の頭を叩く。
「おれ、毎日走ってるから」
椿が顔を上げる。
「えっ、それってあたしが言ったから?」
しばらく間を置いて恭介は、
「初めはそうだったけど、最近は走ることが好きに」
「いいことじゃないか、良太も一緒にやってんだよな」
「良太君はいつもおれが走ってるころ、寝てる」
そう言って恭介は笑った。
「恭ちゃん! そんなことばらさないで、こういうときはね、良太君も走ってるよって言ってくれればいいのに」
「バーカ」
隆はそう言った。
「二人とも頑張ってるね、真紀も頑張らないと」
「ま、気をつけて帰りなさい、城西までは距離あるしね」
「はい。それじゃ、みなさんおつかれさまでした」
「おつかれ!」
三人は手を振っている。真紀は隆に寄りかかるようにして、椿は階段の手すりから見下ろすようにしている。
「あれ、携帯落としてるぞ、これ良太のだろ」
「バカねあいつ」
そう言って椿が拾う。
「あたし、走って追いかけてみる」
椿はそう言って駆け下りていった。
丁度椿が見えなくなるころ、フルハウスの向かいの道路沿いの角からカメラを片手にこの光景をみている者がいた。
シャッターを押すと堀口は口元を歪めて笑いだした。
しばらくして、椿は荒い息を整えるように階段を上ってきた。
丁度そのとき雨が降ってきた。
「やべぇ、雨ふってきたぞ、椿急げ」
椿は階段を走り上がり急いで扉を閉めた。
一部始終を見ていた堀口は笑いが止まらなかった。
あのSAYAがこんな時間に高校生といたのだ。これは特ダネのスクープだ、明日から忙しくなりそうだ。
そんなことを考えながら歩く。
「寿司食わなくて正解だったな」
そう言いながら携帯電話を取りだした。
「俺、あのねぇ本物だった」
「ほんとですか!」
受話器から音が漏れるほど大きな声が返ってきた。
「ほんとのほんと、じゃあおれ今からそっちいくから寿司おごってねぇ」
堀口は甘えるような声をだし電話を切った。
ずぶ濡れになっていたが、しっかりとカメラはバッグの中に入れて抱くようにして歩いていた。
男性リポーターはマイクに向かって何かを言っている。
美咲は横断歩道の前からその光景を見ていた。信号が赤から青に変わっても進もうとしないので、サラリーマンふうの男は訝しげに美咲を見て先にいった。
ハンカチを片手に握り足を踏み出そうとしたそのとき、信号は赤に変わっており、車のクラクションが響いた。
「堀口さん、今日は寿司でも食べにいきませんか?」
大きなカメラを抱えた帽子をかぶった男は白い歯をみせて言った。
「やぁ寿司かい、いいねぇ、この町の名物らしいじゃないか」
「さすが、情報が早いですね」
堀口は三つ揃いをびしっと着込んではいるが、どことなく下品な印象だった。
「しかし、SAYAはどうしたのかねぇ」
「この町にもう、いないんじゃないんですか?」
「それはないだろう、確かに空港まではいたんだ。そこからタクシーに乗っている」
スタッフたちと堀口はホテルのロビーに入ろうとしていた。
そこで、横断歩道からいっきに走ってきた美咲は、荒い息を吐きながら、言った。
「あの……待ってください!」
一番後ろにいた堀口は振り返る。
「SAYAの取材できている人たちですよね?」
堀口はスタッフに顔を合わせる。幸い同業者たちには気付かれたふうはない。
そしてスタッフに向かって目礼をすると、美咲に、
「ここじゃあれだから、少し歩こうか、君――」
美咲は訝しんだが堀口がさっさと歩いていったので後に続いた。
歩道にはホテル沿いに植え込みがあった。堀口は辺りを見渡すと、
「うん、ここならいい。そう、SAYAを追ってこんな寂れた町にきてるリポーター」
「やっぱりそうだったんですか……」
「あの、お話があるんです」
堀口は軽くうなずく。
「わたし、SAYAの居場所知ってます」
美咲は手に汗を握っていた。自分がしている行為がとても正しいとは思えない。しかしちょっとくらいなら、とそんな気持ちもあった。
美咲から話しを聞きながら堀口はノートに必要なことを書いていった。その文字を書くスピードは恐ろしく早かった。
「じゃあ、君の名前を教えてくれるかな?」
と、堀口が丁寧な顔を作って言うと、美咲は急に怖くなって、
「いいです。ごめんなさい」
と、言って走っていった。
堀口は吐息をついて生え際の上がった髪の毛をなでた。
ロビーに戻ると、帽子をかぶったカメラマンが立ち上がる。
堀口は首を傾げた。それがスタッフにも伝わり、どっと疲れた声をあげる者、ため息をつくもの、煙草を取り出すもの様々だった。
「やっぱりだめでしたか――」
「まぁガセかなぁ、わたしの好きな人がSAYAさんのこと好きなんです」
話しを聞いたカメラマンは、
「ということは高校生とバンドを組んでいると……ありえますかね?」
「ないだろうなぁ、しかし裏はとっておくよ」
と、堀口がカメラマンの肩に手を置いて言った。
「ご愁傷様です」
堀口は首をならしてロビーの椅子に腰掛けた。
真紀はボイストレーニングで使うピンポン玉を隆に向かって投げつけた。
「きたねぇな、それおまえが口に入れるやつだろ!」
「隆君がわからずやだから悪い」
「今さらメインの曲はやめたほうがいいなんて言われて、はいそうですかなんて答えられるか!」
「でも、マスターやわたしの力を当てにするのはおかしい」
「そうするしかねぇだろうが!」
「子供からお年寄りまでいるんでしょう。いいじゃないそんな斜め上をいかなくても」
真紀はペットボトルを投げつける。隆は本気で怒り、睨みつけ立ち上がった。
「おまえさ、涼子みたいなこといってんじゃねぇよ!」
「いいもん、涼子さんに言いつけてやるぅ!」
椿はチャーハンを作る手を止めて、転がっているペットボトルを手に持つと二人の下までいった。
「あなたちねぇ……いい加減にしなさい!」
と、言って二人の頭をぽこぽこと叩いた。
「だって、こいつが」
「隆もさ、ムキにならない。真紀は物を投げない」
「ねぇ椿ちゃん、わたしの言ってること間違ってる?」
真紀は首を傾げて言った。
「まぁ真紀の言ってることも理解はできるわ、ライブハウスならともかく、カラオケ大会っていうコーナーの最後に、あたしたちの出番があるわけだし」
「でしょ、隆君は充分才能があるし、みんなが聞きやすいような曲でも絶対にすごいってなるよ」
「確かに、おれが考えてるそれを実行してしまうと、受ける受けないじゃなくて、カラオケ大会の規模じゃないよな。機材のことも考えるとなぁ……ああおれが、三十人くらいいたらそいつらに運ばせたりするのによ」
隆がそういうと真紀は笑った。
「ほんと、あたしがいないとだめね、すぐ喧嘩するんだから」
「良太君や恭介君のことも信じよう、ね隆君」
「わかってら」
椿は二人が落ち着いたので昼食作りに戻った。
しばらくしてチャーハンは運ばれて昼食が始まった。
良太は紙とペンを持って難しい顔をしている。恭介が横から覗き込むと、両手に抱えるようにして胸に紙を抱いた。
「良太君……どう? 作詞……おれ……おれ」
恭介はそう言って頭を何度も机に打ち付ける。
「恭ちゃんやめて、バカになっちゃうよ……脳細胞死んじゃうよ」
恭介は恨めしそうに良太を見つめる。
「それ良太君、デマだよ、死ぬわけない」
良太はゆっくり立ち上がり恭介のノートをこっそりと奪いとる。
「あ――」
「何々……おれうれしい、おれはずかしい、何これ?」
良太はノートを持って激しく肩を揺らして笑う。
「良太君のも見せて」
そして恭介は良太の紙切れを取って読んでいく。
「おれ悔しい。良太君の詞、変じゃない」
「でも、よくもないんだよね、こう何かが足りないというか、ぐっとくるものがないよねぇ……」
「おれ、ドラム叩いてるほうがいい」
「うん、演奏してるほうが気楽だよね」
良太はベースを抱え持つと詞を見ながらひいていく、恭介もそれにならい、スティックを出すと、座布団や雑誌がセットされている壁際までいって叩く。
しばらく二人はそうやって文字を書いたり演奏をしたりしながらやっていた。
「こっちのほうがしっくりくるね」
「おれもそう思う」
恭介はスティックを叩く手を止めて、
「おれ浮かんだ! 曲の題名」
「聞かせて!」
そして恭介は良太に題名を告げた。
「いい、やっぱりそれがいい!」
二人はそれから興奮しながら作詞作業を行っていった。
メンバーは集まると一人一人椿に作詞した紙を渡していく、それに目を通していって椿はおもむろに言った。
「だめね、凸凹コンビ二人は、文字が多すぎる。あたしたちのほうは、前の曲を引きずってるわ……困ったわね」
「良太、恭介、急遽一曲になったからな、だから手は抜けない」
「二曲でも手は抜けないわよ」
「二曲目はメロディは完全にできてるのにね、わたし好きだな、これ」
「みんな知らないと思うけど、前に聴いたことあるわよ」
隆と椿以外は驚いた顔をした。
「椿ちゃん、どういうこと?」
「クリスマスライブで俺が歌った」
「あの曲だったんだ……じゃあ真紀の歌になるの?」
「おまえな……」
「僕おもうんですけど、そのときの詞をそのまま使えば、いいんじゃないのかな」
「それがね、大事な部分は聞き取れないし、なんとか隆にメロディだけは復元してもらったけど、詞は憶えてないんですって」
隆は頭を少し下げて、
「面目ない」
「飛んでるもんね隆君はそのとき」
「うん、悟りだからね」
「悟り……おれも悟りたい……」
良太はそのとき恭介の顔を見て、思い出したように、
「山中さん! 恭ちゃんが題名を考えてきました」
恭介は恥ずかしそうにその題名を言うと、椿は顔を上げて、
「でかしわたわ、恭介! あたしいいと思う」
「みんな聞いて」
椿は曲の題名を言って皆納得した。
「ま、それしかないよな」
「うんぴったりだと思う」
「よかったね、恭ちゃん」
「わたしもすごくいいと思う」
隆は自分の書いた詞に一度目を通して、ゴミ箱に捨てた。それから恭介の書いた詞を取って、
「恭介のおもしろい、アリエネェ!」
隆は壁際に歩きながら大笑いしている。
良太は隆が見ていないのを確認すると、こっそりとゴミ箱から隆の詞を持ち出してそれを素早くポケットにしまった。
それから源二やマスター、ユキエがやってきて個人練習に入った。
良太は携帯電話を開いていた。
美咲からのメールが止まってしまって気になっていたのだ。しかし良太は深く考えず、忙しいのだろうと判断していた。
練習が終わる頃にはすっかり辺りは暗くなっている。
空は雲が見え隠れしている。真紀はスタジオの出口から少し身体を出して、空を見上げた。
「いやな天気」
「雨になりそうだ」
隆も空を見上げて言った。
良太と恭介は階段にいて、出口にいる隆たちと向き合っている。
「それじゃ作詞のほう、引き続きよろしくね」
「はい」
良太がそう言うと恭介がコクリとうなずく。
「お、おつかれ」
恭介は逡巡してからそう言った。
そんな恭介の様子を見て椿は言った。
「ねぇ恭介、最近少し変わった? 前より細くなってない?」
「真紀も思った、恭介君痩せたよね、少し、それに明るくなった」
恭介は俯いて頬を染める。
「頑張って」
と、良太が言うと隆は良太の頭を叩く。
「おれ、毎日走ってるから」
椿が顔を上げる。
「えっ、それってあたしが言ったから?」
しばらく間を置いて恭介は、
「初めはそうだったけど、最近は走ることが好きに」
「いいことじゃないか、良太も一緒にやってんだよな」
「良太君はいつもおれが走ってるころ、寝てる」
そう言って恭介は笑った。
「恭ちゃん! そんなことばらさないで、こういうときはね、良太君も走ってるよって言ってくれればいいのに」
「バーカ」
隆はそう言った。
「二人とも頑張ってるね、真紀も頑張らないと」
「ま、気をつけて帰りなさい、城西までは距離あるしね」
「はい。それじゃ、みなさんおつかれさまでした」
「おつかれ!」
三人は手を振っている。真紀は隆に寄りかかるようにして、椿は階段の手すりから見下ろすようにしている。
「あれ、携帯落としてるぞ、これ良太のだろ」
「バカねあいつ」
そう言って椿が拾う。
「あたし、走って追いかけてみる」
椿はそう言って駆け下りていった。
丁度椿が見えなくなるころ、フルハウスの向かいの道路沿いの角からカメラを片手にこの光景をみている者がいた。
シャッターを押すと堀口は口元を歪めて笑いだした。
しばらくして、椿は荒い息を整えるように階段を上ってきた。
丁度そのとき雨が降ってきた。
「やべぇ、雨ふってきたぞ、椿急げ」
椿は階段を走り上がり急いで扉を閉めた。
一部始終を見ていた堀口は笑いが止まらなかった。
あのSAYAがこんな時間に高校生といたのだ。これは特ダネのスクープだ、明日から忙しくなりそうだ。
そんなことを考えながら歩く。
「寿司食わなくて正解だったな」
そう言いながら携帯電話を取りだした。
「俺、あのねぇ本物だった」
「ほんとですか!」
受話器から音が漏れるほど大きな声が返ってきた。
「ほんとのほんと、じゃあおれ今からそっちいくから寿司おごってねぇ」
堀口は甘えるような声をだし電話を切った。
ずぶ濡れになっていたが、しっかりとカメラはバッグの中に入れて抱くようにして歩いていた。