手帳に文章を書き込むスピードは早い。タクシーの運転手は気だるげに窓から顔を出して一文にもならないのに、と、うんざりしている表情が見え隠れしているが、小城舞はそんな些末なことを気にしていなかった。
「それではお話しをまとめますと、鶴差市に高等学校は、四校ということでいいですね位置は――」
と、先ほど書いてもらった地図を広げようとすると、タクシーは急に走り出した。
舞はためいきを漏らした。
鶴差駅は田舎とあってか人通りは少ない。帰宅時間にかかわらず混雑というほど、人も乗り合わせていない。構内に、機能しているのか疑わしい売店が一つあるだけだ。
改札と出口の距離は大人の足で十歩とないだろう。
舞は真紀を探しにきたわけだが、飛行機でくるところをあえて、電車を利用した。それは真紀が一度目の帰郷に電車を利用したからだったが、こんなことなら素直に飛行機にすればよかったと思った。
特急がこんなに短いスパンで止まってしまっては、意味がないではないか、舞は心の中で愚痴をこぼしていた。
ハイヒールの音を響かせながら、目的の学校探しを始めた。
駅前からバス通りを通ると、二十四時間営業と大きな看板が出ている、スーパーが見えてきた。地図によるとこの先の橋を左に曲がれば高校があるという話しだった。
しかし見えてきたのは、フェリー乗り場でしばらく歩くと海産物を売っている大型な店があった。
「あの運転手……すぐそこにあるなんて言っといて……」
舞はフェリー乗り場に止めてあったタクシーまで小走りに走ると乗り込んだ。
「この市内にある高等学校全て回ってください」
運転手は帽子からはみ出た真っ白い髪の毛をかいて、
「はぁ? そりゃあどういう意味ぃ」
「そのままの意味です」
「鶴差にある高校全て回ればいいんな?」
「はい、お願いします」
運転手は妙な顔をしたが、タクシーを走らせた。
舞は人心地ついて瞼をゆっくりと下げた。
まだあどけなさが残る顔を見て、作られていない端正な顔立ちだと感じた。しかし真紀の歌声を聞いて、本人の意志に反して音楽の才能には全く恵まれていない。普通すぎるのだ、プロとしてやっていくには無理があった。歌がうまいだけなら探さなくともいる。
しかし舞は真紀と話をして、その印象を変えた。
声から漏れる感情の機微と言葉がちぐはぐだった。
そして真紀が醸し出す雰囲気はこれで、本質からそうなっていると感じたとき、芸能人としての真紀がそこに確立されていると確信した。
女性受けするナチュラルな顔つきで、喋るときは子供のようで、哲学的、しかしそれを否定する。真紀は常人から逸脱しているほど思考の迷路にはまり込んでいるので、自らを肯定することも否定することもできていない。
そして真紀と舞の偶然の出会いは、拝むように頼み込む事務所社長の、「少し見てやってほしい」という懇願めいた訴えから、舞が「あの子のスタイルで詩を書かせてみたい」というところに変わった。
今から三年前の思い出に心をはせていると、タクシーが止まったので目を開けた。
津田美咲は弁当の蓋を閉めると二人の友人の顔を見比べた。
「二人とも、応援してくれるのはいいけど、言うことが過激すぎるよ。奪い取れだとか……」
「美咲はほんとわかってないんだから、あの二人おかしいよ、仲良すぎるんだからさ」
「そうそう、もう二月だよ。うかうかしてたら学年が上がって、羽柴君と離ればなれになったらどうするの! 奪い取るくらいの気持ちでなきゃだめよ!」
午前の授業も終わり、美咲は友人と共に昼食を食べていたが、「ごちそうさま」と食べ終わるころに二人の友人が、良太のことをあれこれと言ってきたのだ。
「でも、ヨッチャンの言うとおりかも、二月だよね、同じクラスになれる保証ないよね……バンドが忙しいって言ってるし、橋本君と登下校してるし……はぁあ」
と、吐息を吐く美咲。
友人二人は何やら美咲に聞こえないように耳元でささやき合っている。
「ね、いい案でしょう」
「うん、それならいけるかも」
と、二人で納得しあうと、美咲に向かって声を揃えるようにして言った。
「題して、待つだけじゃ駄目よ作戦! いい美咲? 耳貸して」
それから二人は美咲の耳元でその作戦とやらを話した、ひな鳥のように鳴いてはやし立てる、美咲は顔が真っ赤になっていった。
津田美咲は、羽柴良太に唾をつけていたとでもいおうか、前髪が厚ぼったくオシャレというものを全く知らなかった時代から、美咲の目には良太が宝石の原石のように映っていたのだ。それが、磨かれ輝いてからというもの、クラスで一番早く反応をしめした。クラスの女子たちに少しずつ人気が出ていく中で美咲は、心の奥底に常にあなたたち、羽柴君が変わってから目をつけてたでしょ、わたしは前から知っていた。彼の良さは顔だけじゃないのよといった思いがあった。
鞄から鏡を取り出すと顔を見る、そこには少し長めのショートカットで溌剌とした十七歳の少女が映っていた。美咲は表情をころころと変え、最後には困った表情になった。髪の毛を手ぐしで整えると、時計を確認した。
良太は間違いなくバンドの練習に向かうようだ。それは先ほどメールで確認した。
昨日のメールでは今日も同じくらい遅くなりそうだということだったので、今からフルハウスに向かっても意味がない。
友人二人はフルハウスの場所を運良く知っていた。というのもこの学校から近いので、毎朝見かけるということだった。美咲はバス通学で知らなかったのだ。
美咲はこのままぎりぎりまで学校まで待って、それからスタジオの前に、移動しようと決めた。
「良太! ミスした所を何度も繰り返し練習しない! 癖が悪化するわよ」
椿は良太を指さして言った。
「すみません」
謝る良太の表情から焦りの色が見えた。
「リズム隊がしっかりしてないと、ダメでしょう。どうしてもわからないときは、恭介が叩いているところをよく目視して」
「はい!」
椿は軽く深呼吸をした。
「ねぇ椿ちゃん、昨日のこと二人にも話そう」
「そうねみんな集まって――」
と、椿は言って手を叩いた。
メンバーは演奏を中止して集まる。
「メインの曲の構成は大分はっきりしてきたわ、イントロやBメロといった部分はまだだけど、大まかな雰囲気は決まってきてるの、そこで」
椿は良太と恭介を見て、
「二曲目だけど、二人にもやってもらうわよ。曲の候補はあるけど、他がよければそっちを使うしね。主に作詞ね、雰囲気を考えるの、例を出すと、ここは上げていくだとか、そういったことね」
良太が不安そうに恭介を見ている。注意されると思っているのだ。それを椿は見て、
「出来る範囲でいいのよ、わかるところまで、ジャム・セッションしながらこんな乗りがいいとか思うところあるでしょ」
と、椿が言うと、
「ありますね」
良太は表情を変えて言った。
「えっ良太君ってそういうことわかるの? おれぜんぜんだめ」
「恭介君は感じるより行動だよね」
真紀が笑いながら言った。
「良太に負けたな、恭介」
「恭ちゃんに勝った!」
「はいはい、勝ち負けじゃないの、そうしてやっていくわよ。みんなには悪いけど、ここ以外の練習、家や学校のほうでもお願いね」
「椿ちゃん、それは授業中に頭の中では作曲をしなさい、そういうふうに言っているように聞こえちゃうけど……」
「いいのよそれで」
真紀が椿の両肩に優しく手を置いて、
「駄目よ学生のうちは勉強もしないと」
「わかってるわよ、そんなこと」
「わかってないから、言っているんでしょう。日本語を知らないと作詞できないでしょう。いい? 椿聞きなさい」
「日本語なら今、喋っているじゃない」
「そういう屁理屈じゃないの」
「おまえらなぁ! 時間がもったいないだろ、これが有料のスタジオだったら、俺追い出しているぞ! 大体な、スタジオに来てる時点で目的持って練習にきてんだろ、何でも当たり前に思うな、良太や恭介にしたって、今日は何をするってきっちり考えてきてる。さっきも、ジャム・セッションの前におまえらの会話で中断したじゃねぇか、仲がいいのはわかったから、後でやれ」
隆がそう言うと、二人はしゅんとなった。
「ごめんなさい」
「ごめんね隆君」
「要所要所で話しをするのは悪いことではない。そんなの息が詰まるだろ。でも、限度ってもんがある」
と、隆が言っているときドラムの音がスタジオに響いた。
恭介が一人ドラムを叩いているのだ。良太はそんな恭介を見て、ゆっくりと所定の位置まで歩いてベースを抱えた。
ポップス調のリズムが響く、椿も所定の位置について演奏を始めた。真紀がキーボードをひき、その後に隆の歌声が入った。
何度となく繰り返された今日のジャム・セッションの中で一番に良い出来だった。
津田美咲は温かいコーヒーを二つ手に持って、それが少し生ぬるくなっている頃二階のスタジオのドアが開いたので、そちらを凝視した。あたりはすっかり暗くなっている。
「じゃあな、凸凹コンビ今日はいい仕事したぞ」
「良太、恭介、少しきつくいいすぎたわ」
「そんなこといよね、恭ちゃん」
恭介は深くうなずく。
「わー真っ暗、わたし時間の概念がなくなっちゃてる」
「無理もねいな。おまえはひきこもりだからな」
「ひどい隆君」
真紀も出口から少し体を出している。外灯に照らされた顔は神秘的にみえなくもない。
美咲はその光景を見ていた、一人二人と出てくるメンバーたちは皆顔だけは知っているという存在だった。それもそのはずだ、同じ学校なのだから、しかし最後に出てきた人物を見て疑問を憶えた。
「良太君、恭介君、二人ともすごいかっこよかったよ。良太君のこと、好きになっちゃいそう」
「そんなぁ……真紀さんに言われた僕ぅ」
良太と恭介は赤面した。
「明日もあるからな、いつも言ってるが、気負うなよ、技術よりも自分らしさ、これからも長いんだから、モチベーションの維持が一番に大事になってくる」
「そんなもんですかね……」
「凸凹コンビは今が一番楽しいとき」
津田美咲は外灯に照らされた真紀をじっと見ていた。
確か、どこかで見たことがあるはずだ……。
それがSAYAだとわかると両手にコーヒーを持っているということも忘れ走り去った。
(わたしが勝てるわけない)悔しさがこみ上げてきた。
テレビ画面を食いつくように見つめる美咲。
部屋に戻ると録画していた音楽番組を再生させ、何度も何度も同じシーンを繰り返しみていた。
そこにはSAYAが映されていた。現実と幻想のはざまにでもいるような希薄な気持ちになった。確かに良太たちと共にいたのはSAYAだった。
携帯電話がメールを知らせていた。美咲はメールを開くと「どうだった美咲?」という内容で友人からだった。
一瞬打ち返そうとボタンを押しかけたが、携帯電話を無造作にベットに投げた。
美咲は考えていた。今はバンドに忙しい良太だが、必ず自分に振り向いてくれると、それだけ打ち解けてくれていると、冷静に考えても脈ありだと感じていたのだ。でもどう頑張ってもSAYA――芸能人になんてかってこない……。
携帯電話がメールを知らせていた。良太からで、「練習終わったぁ」という内容だった。
美咲はそれをみて涙を流し始めた。
どうしてこんな目に合うの? どうして私なの? 一年のころからずっと好きだったのに、ひどいよ……。
そうしてしばらくすると、母の呼ぶ声が聞こえたので涙を拭って部屋を出た。
ソファーに横になって少し離れた場所にある窓を無表情に眺めていた。
場末の旅館に気の利いたサービスなんてものはない。小城舞は歩き疲れ横になっていたのだが、やることが全くない。テレビをつけてみたが、東京の四分の一のチャンネルしか機能していない。かといって、日本最大の源泉数を誇るという温泉に行く気にもならない。同じ県といっても観光地はこの場所から車で二時間か三時間かかってしまうのた。たとえこの旅館が豪華ホテルでも、今の舞は温泉なんてつかる気にはなれないだろうが……。
「隆という十七歳の少年が、何人この町にいるのかしら」
舞はぼそりと言った。
バンドをしているということだったので、市内にある四つの高校を一つ一つ当たることにしていた。
今日はこれといって収穫はなかった。しいてあげるなら、高校教師に不審者扱いをされたくらいだった。
しかし自分が行っていることを客観的に見ても、不審者と言われてもおかしくないのだ。
下校している生徒に校門近くで声をかけているのだがら、身分と状況を説明すると納得をしてくれたが、こんな時勢だ。教師は舞を追い出した。学校側が舞に従う義理は何もないのだ。
「しかし真紀さんの地元はこんなにも田舎だったんですね」
今日一日市内を回ってみてそう思った。都会と違ってどの場所もスペースが空き放題で一番わかりやすかった例が駐車場である。
スーパーや病院といった施設の駐車場が予想以上に広いのだ。
「ここはやはりプロに」
と独り言を言ったが、最後に真紀からかかってきた電話のせいで人捜しのプロに頼ることは自重していた。
とても悪い予感がするのだ。秘密厳守とは謳い文句でそれを守る法律はないのだから。それに記者たちにかぎつけられる恐れもあった。
舞が思い描いている最悪のシナリオは、真紀が記者たちにスクープを撮られることで、自分がどうしても先に彼女を見つけなければならない。そう考えていた。
テレビは地元のニュースを扱っていた。
「今年の豊漁祭は全国的な規模になるそうですね」
地元民とおぼしき人物、禿頭にタオルで鉢巻きをしカッパをきて片手に魚を持っていたそれを、女性リポーターの方へ投げる。
リポーターはひゃあと奇声をあげた。
「まあ、おれら漁師は時化にならんことをいのるだけやけんな」
「そうですか……この港に船が沢山並ぶんですよね」
「大漁旗を掲げてな」
「楽しみですね。それでは射鶴町からお伝えしま――」
漁師は発砲スチロールに入った魚をまた、リポーターに投げつけた。
舞はテレビを消して手帳を取り出すと、書き物を始めた。
紙の一番上には、こう書かれていた。「鶴差市での一日目」と。
「それではお話しをまとめますと、鶴差市に高等学校は、四校ということでいいですね位置は――」
と、先ほど書いてもらった地図を広げようとすると、タクシーは急に走り出した。
舞はためいきを漏らした。
鶴差駅は田舎とあってか人通りは少ない。帰宅時間にかかわらず混雑というほど、人も乗り合わせていない。構内に、機能しているのか疑わしい売店が一つあるだけだ。
改札と出口の距離は大人の足で十歩とないだろう。
舞は真紀を探しにきたわけだが、飛行機でくるところをあえて、電車を利用した。それは真紀が一度目の帰郷に電車を利用したからだったが、こんなことなら素直に飛行機にすればよかったと思った。
特急がこんなに短いスパンで止まってしまっては、意味がないではないか、舞は心の中で愚痴をこぼしていた。
ハイヒールの音を響かせながら、目的の学校探しを始めた。
駅前からバス通りを通ると、二十四時間営業と大きな看板が出ている、スーパーが見えてきた。地図によるとこの先の橋を左に曲がれば高校があるという話しだった。
しかし見えてきたのは、フェリー乗り場でしばらく歩くと海産物を売っている大型な店があった。
「あの運転手……すぐそこにあるなんて言っといて……」
舞はフェリー乗り場に止めてあったタクシーまで小走りに走ると乗り込んだ。
「この市内にある高等学校全て回ってください」
運転手は帽子からはみ出た真っ白い髪の毛をかいて、
「はぁ? そりゃあどういう意味ぃ」
「そのままの意味です」
「鶴差にある高校全て回ればいいんな?」
「はい、お願いします」
運転手は妙な顔をしたが、タクシーを走らせた。
舞は人心地ついて瞼をゆっくりと下げた。
まだあどけなさが残る顔を見て、作られていない端正な顔立ちだと感じた。しかし真紀の歌声を聞いて、本人の意志に反して音楽の才能には全く恵まれていない。普通すぎるのだ、プロとしてやっていくには無理があった。歌がうまいだけなら探さなくともいる。
しかし舞は真紀と話をして、その印象を変えた。
声から漏れる感情の機微と言葉がちぐはぐだった。
そして真紀が醸し出す雰囲気はこれで、本質からそうなっていると感じたとき、芸能人としての真紀がそこに確立されていると確信した。
女性受けするナチュラルな顔つきで、喋るときは子供のようで、哲学的、しかしそれを否定する。真紀は常人から逸脱しているほど思考の迷路にはまり込んでいるので、自らを肯定することも否定することもできていない。
そして真紀と舞の偶然の出会いは、拝むように頼み込む事務所社長の、「少し見てやってほしい」という懇願めいた訴えから、舞が「あの子のスタイルで詩を書かせてみたい」というところに変わった。
今から三年前の思い出に心をはせていると、タクシーが止まったので目を開けた。
津田美咲は弁当の蓋を閉めると二人の友人の顔を見比べた。
「二人とも、応援してくれるのはいいけど、言うことが過激すぎるよ。奪い取れだとか……」
「美咲はほんとわかってないんだから、あの二人おかしいよ、仲良すぎるんだからさ」
「そうそう、もう二月だよ。うかうかしてたら学年が上がって、羽柴君と離ればなれになったらどうするの! 奪い取るくらいの気持ちでなきゃだめよ!」
午前の授業も終わり、美咲は友人と共に昼食を食べていたが、「ごちそうさま」と食べ終わるころに二人の友人が、良太のことをあれこれと言ってきたのだ。
「でも、ヨッチャンの言うとおりかも、二月だよね、同じクラスになれる保証ないよね……バンドが忙しいって言ってるし、橋本君と登下校してるし……はぁあ」
と、吐息を吐く美咲。
友人二人は何やら美咲に聞こえないように耳元でささやき合っている。
「ね、いい案でしょう」
「うん、それならいけるかも」
と、二人で納得しあうと、美咲に向かって声を揃えるようにして言った。
「題して、待つだけじゃ駄目よ作戦! いい美咲? 耳貸して」
それから二人は美咲の耳元でその作戦とやらを話した、ひな鳥のように鳴いてはやし立てる、美咲は顔が真っ赤になっていった。
津田美咲は、羽柴良太に唾をつけていたとでもいおうか、前髪が厚ぼったくオシャレというものを全く知らなかった時代から、美咲の目には良太が宝石の原石のように映っていたのだ。それが、磨かれ輝いてからというもの、クラスで一番早く反応をしめした。クラスの女子たちに少しずつ人気が出ていく中で美咲は、心の奥底に常にあなたたち、羽柴君が変わってから目をつけてたでしょ、わたしは前から知っていた。彼の良さは顔だけじゃないのよといった思いがあった。
鞄から鏡を取り出すと顔を見る、そこには少し長めのショートカットで溌剌とした十七歳の少女が映っていた。美咲は表情をころころと変え、最後には困った表情になった。髪の毛を手ぐしで整えると、時計を確認した。
良太は間違いなくバンドの練習に向かうようだ。それは先ほどメールで確認した。
昨日のメールでは今日も同じくらい遅くなりそうだということだったので、今からフルハウスに向かっても意味がない。
友人二人はフルハウスの場所を運良く知っていた。というのもこの学校から近いので、毎朝見かけるということだった。美咲はバス通学で知らなかったのだ。
美咲はこのままぎりぎりまで学校まで待って、それからスタジオの前に、移動しようと決めた。
「良太! ミスした所を何度も繰り返し練習しない! 癖が悪化するわよ」
椿は良太を指さして言った。
「すみません」
謝る良太の表情から焦りの色が見えた。
「リズム隊がしっかりしてないと、ダメでしょう。どうしてもわからないときは、恭介が叩いているところをよく目視して」
「はい!」
椿は軽く深呼吸をした。
「ねぇ椿ちゃん、昨日のこと二人にも話そう」
「そうねみんな集まって――」
と、椿は言って手を叩いた。
メンバーは演奏を中止して集まる。
「メインの曲の構成は大分はっきりしてきたわ、イントロやBメロといった部分はまだだけど、大まかな雰囲気は決まってきてるの、そこで」
椿は良太と恭介を見て、
「二曲目だけど、二人にもやってもらうわよ。曲の候補はあるけど、他がよければそっちを使うしね。主に作詞ね、雰囲気を考えるの、例を出すと、ここは上げていくだとか、そういったことね」
良太が不安そうに恭介を見ている。注意されると思っているのだ。それを椿は見て、
「出来る範囲でいいのよ、わかるところまで、ジャム・セッションしながらこんな乗りがいいとか思うところあるでしょ」
と、椿が言うと、
「ありますね」
良太は表情を変えて言った。
「えっ良太君ってそういうことわかるの? おれぜんぜんだめ」
「恭介君は感じるより行動だよね」
真紀が笑いながら言った。
「良太に負けたな、恭介」
「恭ちゃんに勝った!」
「はいはい、勝ち負けじゃないの、そうしてやっていくわよ。みんなには悪いけど、ここ以外の練習、家や学校のほうでもお願いね」
「椿ちゃん、それは授業中に頭の中では作曲をしなさい、そういうふうに言っているように聞こえちゃうけど……」
「いいのよそれで」
真紀が椿の両肩に優しく手を置いて、
「駄目よ学生のうちは勉強もしないと」
「わかってるわよ、そんなこと」
「わかってないから、言っているんでしょう。日本語を知らないと作詞できないでしょう。いい? 椿聞きなさい」
「日本語なら今、喋っているじゃない」
「そういう屁理屈じゃないの」
「おまえらなぁ! 時間がもったいないだろ、これが有料のスタジオだったら、俺追い出しているぞ! 大体な、スタジオに来てる時点で目的持って練習にきてんだろ、何でも当たり前に思うな、良太や恭介にしたって、今日は何をするってきっちり考えてきてる。さっきも、ジャム・セッションの前におまえらの会話で中断したじゃねぇか、仲がいいのはわかったから、後でやれ」
隆がそう言うと、二人はしゅんとなった。
「ごめんなさい」
「ごめんね隆君」
「要所要所で話しをするのは悪いことではない。そんなの息が詰まるだろ。でも、限度ってもんがある」
と、隆が言っているときドラムの音がスタジオに響いた。
恭介が一人ドラムを叩いているのだ。良太はそんな恭介を見て、ゆっくりと所定の位置まで歩いてベースを抱えた。
ポップス調のリズムが響く、椿も所定の位置について演奏を始めた。真紀がキーボードをひき、その後に隆の歌声が入った。
何度となく繰り返された今日のジャム・セッションの中で一番に良い出来だった。
津田美咲は温かいコーヒーを二つ手に持って、それが少し生ぬるくなっている頃二階のスタジオのドアが開いたので、そちらを凝視した。あたりはすっかり暗くなっている。
「じゃあな、凸凹コンビ今日はいい仕事したぞ」
「良太、恭介、少しきつくいいすぎたわ」
「そんなこといよね、恭ちゃん」
恭介は深くうなずく。
「わー真っ暗、わたし時間の概念がなくなっちゃてる」
「無理もねいな。おまえはひきこもりだからな」
「ひどい隆君」
真紀も出口から少し体を出している。外灯に照らされた顔は神秘的にみえなくもない。
美咲はその光景を見ていた、一人二人と出てくるメンバーたちは皆顔だけは知っているという存在だった。それもそのはずだ、同じ学校なのだから、しかし最後に出てきた人物を見て疑問を憶えた。
「良太君、恭介君、二人ともすごいかっこよかったよ。良太君のこと、好きになっちゃいそう」
「そんなぁ……真紀さんに言われた僕ぅ」
良太と恭介は赤面した。
「明日もあるからな、いつも言ってるが、気負うなよ、技術よりも自分らしさ、これからも長いんだから、モチベーションの維持が一番に大事になってくる」
「そんなもんですかね……」
「凸凹コンビは今が一番楽しいとき」
津田美咲は外灯に照らされた真紀をじっと見ていた。
確か、どこかで見たことがあるはずだ……。
それがSAYAだとわかると両手にコーヒーを持っているということも忘れ走り去った。
(わたしが勝てるわけない)悔しさがこみ上げてきた。
テレビ画面を食いつくように見つめる美咲。
部屋に戻ると録画していた音楽番組を再生させ、何度も何度も同じシーンを繰り返しみていた。
そこにはSAYAが映されていた。現実と幻想のはざまにでもいるような希薄な気持ちになった。確かに良太たちと共にいたのはSAYAだった。
携帯電話がメールを知らせていた。美咲はメールを開くと「どうだった美咲?」という内容で友人からだった。
一瞬打ち返そうとボタンを押しかけたが、携帯電話を無造作にベットに投げた。
美咲は考えていた。今はバンドに忙しい良太だが、必ず自分に振り向いてくれると、それだけ打ち解けてくれていると、冷静に考えても脈ありだと感じていたのだ。でもどう頑張ってもSAYA――芸能人になんてかってこない……。
携帯電話がメールを知らせていた。良太からで、「練習終わったぁ」という内容だった。
美咲はそれをみて涙を流し始めた。
どうしてこんな目に合うの? どうして私なの? 一年のころからずっと好きだったのに、ひどいよ……。
そうしてしばらくすると、母の呼ぶ声が聞こえたので涙を拭って部屋を出た。
ソファーに横になって少し離れた場所にある窓を無表情に眺めていた。
場末の旅館に気の利いたサービスなんてものはない。小城舞は歩き疲れ横になっていたのだが、やることが全くない。テレビをつけてみたが、東京の四分の一のチャンネルしか機能していない。かといって、日本最大の源泉数を誇るという温泉に行く気にもならない。同じ県といっても観光地はこの場所から車で二時間か三時間かかってしまうのた。たとえこの旅館が豪華ホテルでも、今の舞は温泉なんてつかる気にはなれないだろうが……。
「隆という十七歳の少年が、何人この町にいるのかしら」
舞はぼそりと言った。
バンドをしているということだったので、市内にある四つの高校を一つ一つ当たることにしていた。
今日はこれといって収穫はなかった。しいてあげるなら、高校教師に不審者扱いをされたくらいだった。
しかし自分が行っていることを客観的に見ても、不審者と言われてもおかしくないのだ。
下校している生徒に校門近くで声をかけているのだがら、身分と状況を説明すると納得をしてくれたが、こんな時勢だ。教師は舞を追い出した。学校側が舞に従う義理は何もないのだ。
「しかし真紀さんの地元はこんなにも田舎だったんですね」
今日一日市内を回ってみてそう思った。都会と違ってどの場所もスペースが空き放題で一番わかりやすかった例が駐車場である。
スーパーや病院といった施設の駐車場が予想以上に広いのだ。
「ここはやはりプロに」
と独り言を言ったが、最後に真紀からかかってきた電話のせいで人捜しのプロに頼ることは自重していた。
とても悪い予感がするのだ。秘密厳守とは謳い文句でそれを守る法律はないのだから。それに記者たちにかぎつけられる恐れもあった。
舞が思い描いている最悪のシナリオは、真紀が記者たちにスクープを撮られることで、自分がどうしても先に彼女を見つけなければならない。そう考えていた。
テレビは地元のニュースを扱っていた。
「今年の豊漁祭は全国的な規模になるそうですね」
地元民とおぼしき人物、禿頭にタオルで鉢巻きをしカッパをきて片手に魚を持っていたそれを、女性リポーターの方へ投げる。
リポーターはひゃあと奇声をあげた。
「まあ、おれら漁師は時化にならんことをいのるだけやけんな」
「そうですか……この港に船が沢山並ぶんですよね」
「大漁旗を掲げてな」
「楽しみですね。それでは射鶴町からお伝えしま――」
漁師は発砲スチロールに入った魚をまた、リポーターに投げつけた。
舞はテレビを消して手帳を取り出すと、書き物を始めた。
紙の一番上には、こう書かれていた。「鶴差市での一日目」と。
