妊娠を相談したら、病気が発覚、そして流産からの、、、 | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

妊娠し8wすぎて、そろそろ産院決めなきゃというときに、

切迫早産で入院するの可能性もあるから

家から近いとこにしよう

と母に相談ついでに妊娠を打ち明けた



その次の週、流産確定した直後


母が「けっこうやばそうな病気かもしれない」と告白してきた。


母の異変には年明けには気づいていたが、

病院に行けと言ったら

何度も嫌な顔をされたので黙っていた。


が、母自身、やっと意を決して行ったら、すぐに精密検査と言われたらしい。


憶測だが


私が妊娠したから病院に行ったのだと思う。

おそらくまだ生きたいとか、元気になりたいとかまだまだがんばらなきゃ

とかそんなことを思って、行きたくない病院に行く気になったのだろう。




それから約2ヶ月。


母の病気、発覚時は

「もしや余命宣告か?」くらいのヤバさを醸し出していた

私は母が死ぬかもしれないという不安と恐怖で毎日立っているだけで精いっぱいなほど追い詰められた。

もちろんそういう覚悟を持つ年代ではあったけれど。


職場も変わり、子供も進学し、家族は病気、

なんなら自分もズタボロ。

眠るのが怖くて、不安も収まらず、

冴えた頭がいつまでも思考を止められず、

せっかく会得したはずのマインドフルネスは役に立つこともなく、

睡眠も減った。

そうするとますます思考が止まらなくなる。

だれか止めてくれーー!と叫びたくなる。


流産した胎児は染色体異常だった。


「生まれてこれない命なのに

 9wまで粘ってがんばったんだぁ。

 もし8wを超えなかったら私は妊娠を母に言わなかった。

言わなければ母はきっと、病院にまだ行ってないはずだ」


全ては偶然だと思うけれど、

そんなことを思い込んで、

生まれなかった命に価値があったと思うことは

自分を慰めてくれた。

9週間しか生きられなかったけれど、

母の命を守ってくれた。



母は検査から2ヶ月足らずで手術

医者から

「案外大丈夫そう」

と言われ、当初の懸念、余命宣告なんてところからはだいぶ遠ざかった。


それでも体の一部を切り取るようなそこそこ大変な手術をして、

その回復期で母は今とても苦しい。

だが私が流産してだいぶ落ち込んでいると知っているので私には気を使っている。


それが、申し訳ない。

病人なのだから当たり散らしたり、文句を言ったり、わがまま言ったっていいのに。

私には、言えないのだ。


私は、流産あとの生理が一度も来ず、

移植は??

みたいな感じで3ヶ月近くたってしまった。


こんなに時間がかかって、

次も染色体異常で流産するならPGT- Aを選択肢に入れるべきだったなと改めて思っている。


疲れ切っているのに頭が回るので気持ち悪い。

休みたい。

でも気持ちが、休ませてくれない。

疲れているのに眠ろうとすると頭が冴える。


気持ち悪い。

気持ち悪い。


悩んでいても結論は出ないし、ますます可能性が広がるだけだ。


そう。

前もこういう感じの時に思っていた。


助けて欲しい。と。


先週から、会社に行くのが辛くなった。

眠りも浅く、夜になったら冴えてしまう。

このままじゃだめなのに夜中の暴飲暴食が止まらない。

そして、自分を、責める心が止まらない。


このままではヤバイ。

けれど、自分では止められない。

正常だったところから

転がり落ちるように

息ができないほど苦しい所まで来てしまった。



3ヶ月前

ふわふわとした幸福の中にいたなぁ

と思い返す


今の状態を嘆くことはないけれど、

どうしてこうなってるんだろうと なんだか遠い昔のことのように思える。