春は訃報が多い。
「お察しください」系の。
私は若いときからV系と言われる音楽が好きで。
派手で宝塚とは真逆の派手なのに刺々しいビジュアルをしているので
友人からは好きなものが極端だねと言われていた。
ワタシ的には棲み分けがきっちりしていて
宝塚→キレイで美しいもの
V系→キレイゴトをあざ笑うもの
これでバランスをとってきた。
思春期に、宝塚は私には「こんなの綺麗事」って思って見ると苦しくなることあった。
今ではそれが尊いとわかるけれど。
私が好きなのは音楽番組に出るような方々ではなく、
小さなライブハウスくらいでやるような方々で、知名度は少なめだったが
そのうち結構売れる人も出てきたりで
ライブ動員増えていくのは、ジェンヌの成長のようで楽しかった。
ただ、動員が増えると音楽性が少し変わってしまうという傾向もあって
2000人超えてくると新曲に「あ、なんか違う」と思うことも増え
そのバンドから卒業することが多かった。
もちろん、本人たちが「音楽性の違い」という「お察しください」の理由で
割とあっさり解散していったこともあり、
3年くらいで業界はどんどん新しくなっていったので新規開拓も楽しかった。
そして、この業界。
いろんな意味で危うい人も多かった。
初めて、好きなバンドのメンバーのこの手の「訃報」にふれたとき、
あまりにもショックだった。
でも、医療系の友人が「お察し案件」と呼ぶ現象は、時々起こり。
そのたびにショックにも慣れていった。
逆に、事故や病気で亡くなるほうがショックがなんとなく大きいように感じるときもあった。
楽曲も「これは、、、」という明らかに病んじゃってる歌詞(病んでるフリという設定も多いけど、設定と本気はなんとなくわかるようになる)もあり
芸術系の人はやっぱり精神を消耗して何かを作り出しているんだなと感じることが多くなった。
子供を生んでまたライブにも行きたいと思っていたが、
喘息疑いと言われたときからライブハウスとV系をきっぱり諦めた。
コロナになりもっと遠ざかった。
でも、遠ざかっても、訃報は届く
そのたびに若き日に愛した音楽を聞き直す。そのたびに泣き出したくなるけど、それを、おさえて大声で歌う。
私は、どうしても。
この、「お察しください」の人を
心のどこかで許したくない。
選択の背景の事情は理解できても、
「おそらくその結果を選択したんだろうな」ってとこに同情したくないんだと思う。
というか、その結果を選んだことにどうしようもない「怒り」を感じてしまう。
「なんでだよ」と。
その選択を認めたり、美化したり、正当化したり
その人の死に意味をもたせたければ近親者がやればいい。
どうせ部外者の私が、
少しくらい怒ってても許して欲しい。
なんでだよ。
生きて、どこかで元気にやってるんだなって思うだけで救われる人間だっているんだよ。
なんでだよ。
れいた、なんでだよ。
※お察しください
すべて私が憶測で書いていることです。