ギャツビーには駆け抜けてほしかった | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

月組の「グレート・ギャツビー」を見に行きました。


私はビデオで(古)カリンチョさんのギャツビーを

生で瀬奈じゅんさんの公演を見ていまして。


正直、ギャツビーそんなに好きじゃないので、そこを念頭に先を読んでいただきたいと。


何度も再演されるということはファンが多いんだろなって思うんですよ。

白いスーツとか白いスーツとか白いスーツとか

素敵なんですよ。

それは分かる。


で、今回は外部でも公演されたので、最初の1時間40分の公演に新たに色々足して1幕ものになったのだろうなと思ったし、瀬奈さんのときもそうでしたが。


私には休憩ありの3時間のギャツビーはやはり長かったなぁと。

やっぱりコンパクトにまとまって、休憩なしで一気に破滅していく方が無常観とギャツビーの輝きが閃光のように見えて、好きかなーと思いました。


あとこの作品は

小池先生作品でありながら

お得意の説明の詰まった歌がなく、ほぼ心情吐露系の歌で何度もリフレインされるので、

「もうわかったよ。じゃあ、最初に駆け落ちしちゃえばよかっただろ!!!」みたいな気持ちになったことはヒミツです。


きっと友人から「お前にはアメリカ文学が分かるわけない」と言われそうな気がします。


いや、ナポレオンとか説明の歌詞多すぎて「え、今ジャコバン党とジロンド党でてきた??」とか

マインドトラベラーとか「専門用語早すぎてわからん!!」みたいな混乱がおきて困るんですが、それが小池先生!!って思うことあってニヤリ物足りない気がしたのもヒミツです。



話題のデイジーこれじゃない感、については、

海乃美月ちゃんのデイジーはなかなかに強い女性なんだけど、トムにモラハラで支配されていて苦しい、みたいなちょっと現代風の女性に見えて、そこから逃げるためにギャツビーを利用したようなしたたかさは感じました。

でも、男性がいないとたおれてしまいそうなか弱さは月組の女性陣に感じたことないので(笑)そこはなくて、、、

でも、トムがあんな感じなので、そうなるよなって感じで納得できたかな。


デイジーが絶世の美女でもそうでなくても

ギャツビーはデイジーを愛し抜きそうなとことは分かった。


なんていうか、カリンチョのときは

ギャツビーの幻想の中にいるデイジーを愛している感じがして、二人が過去を乗り越えられそうにはなかったし、

瀬奈さんの時には、デイジーへの愛が上流階級によって踏みにじられたことへの悔しさが強く、デイジーを取り戻すのは上流階級への復讐感が強く、それぞれに良かったのですが、

その役作りとはれいこさんのアプローチが全然違うので違う話として見れました。

れいこさんの愛は本当に一途でデイジーしか見ていない感じがよくわかりました。


そして、れいこさんの白いスーツは絶品でした。


でも、やっぱり私には長かったかな。えーん