不妊治療はやっぱりツラい。 | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

宝塚とは別の話。

このたび、二人目の不妊治療をはじめました。
一人生んだから少しはよくなっているかと思いきや、薬をのんでものんでも排卵しないという一人目と同じ状態に。

私の場合は原因は排卵しないことだとはっきり分かっているので
ってかそもそも排卵しないことには治療もなにもないので、
毎回スタートラインにすらたてない感じです。

もちろん治療のためには、子供を置いていかなきゃいけないのですが、病院にいくたびに、今いる子供をないがしろにしてまで二人目をのぞむべきなのか葛藤します。

一人目の不妊も割と毎回辛かったです。
子供ができないかもしれない、という不安とたたかい。
あまりにも排卵しないので。
宝塚をご卒業してしばらくたって結婚ご懐妊というニュース、特にトップスターさんとかのを聞くと、年齢的にも嬉しく勇気付けられることもある反面、ものすごく焦ったり、なんで、って思ったり。そういう自分が嫌になることも一杯ありました。

二人目は別の意味で、違う葛藤が多いので疲れます。
一番は、自分が強欲なのではないかと悩むことです。

そんな治療をはじめた矢先に、同期が二人目を妊娠したと報告。
二人目いらないっていってたのになぁ、と思いながらも。
ものすごく喜んで、家に帰ったら泣けてきました。
こういうのがある度に、自分は他人の幸せをきちんと喜べているのか。
いや、せめて。
喜ぶ擬態をできているのか。
そんなことを思います。
不妊様と言われている人たちが叫ぶ気持ち、わかります。
一番嫌なのは、自分自身。


不妊治療がツラい一番の理由は

結果がでるとは限らない

だとよく言われます。

私にはもうひとつ。

普通ならしなくてもいい努力をしなきゃいけないこと。そして、それがいかにも不公平な気がすること。


経験しなくてすむものなら経験しないで欲しい。こんなこと。
不妊治療だけは
今でもやってよかった、とはけして思わない。

しなくてすむならしないで欲しい。

悩まなくていいなら悩まないで欲しい。

私はいつもそう思います。

治療をしているときは、あえて、情報を見ないようにします。
それが自分を傷つけないために必要だからです。
目の前の問題と。
先生の言葉を信じる。

結果が出るまで続ける。
お金が必要なら稼ぐ。
そのために犠牲にしなければならないことを、正当化する。悩むときは、正当化して割りきる。
簡単にできれば楽になれるんだろうな。

自分の人生を誰かに代わってもらうことはできません。今苦しむこと、一生苦しむこと。必ず天秤にかけています。

合言葉は
今ある苦しみか、将来ある苦しみか。

切迫早産で長期入院していた時も心が折れそうになったら言い聞かせていました。

今ある苦しみか。
一生引きずる苦しみか。

結局は苦しみでしかない。
だから体験しないで、欲しい。

同期の妊娠のときも思いましたが、不妊治療をして変わったのは、その人が簡単に妊娠したのかわからないということ。切迫早産になってわかったのは、子供は簡単には生まれてこないということ。
それなのに。
喜ぶ気持ちはあるのに複雑な気持ちになる自分をどうしても許すことはできない気がする。