いい親になりたい | 後輩が怖すぎて食堂に行けません

後輩が怖すぎて食堂に行けません

一人生んで職場復帰したら、仕事もろくにできない後輩から「パートじゃダメなんですかぁ?」と言われて傷ついてから食堂に行けなくなったメンタル豆腐の女。いわゆるワーママ。できるかも分からない二人目不妊治療中

自分のダメさはよくわかっているのに。

なぜか。

いい親になりたい。

という漠然とした欲求がふつふつとわいてくる。

これは、人からよく見られたい、と本能的に思うことと同じだと思う。

だからいつも不安になる。

いい親ってなに?


子供が欲しかった。
母になってみたかった。
それは自分のエゴ。
子供は遺伝子を残すために生むって、明確な目的があった。
こうかくとかなりの語弊があると思うんだけど。

子供がかわいいから欲しいとかそういう理由ではなかった。
エゴ。
本当にただのエゴ。


自分が親になると、一番に思うのは。

自分が親にしてもらっていたことと同じことを子供にはしなければならないってこと。

ポイントは「しなければならない」という義務感であって。


愛情とは、これまた少し違う気がする。


愛情の成分を考えるとき。
明確なものはないけど。
私はお金とかけた時間(手間)だと思っている。

お金と手間が両立できるくらい稼いでいればよかったけど、そうもいかないからお金を選んだわけで。

でも、手間を選ぶ人もいて。

私は、そうなれない自分に何故か罪悪感を抱いている。
そして、日中、仕事中一人でランチしてるときに見かける子連れさんを見て。
「あぁ、あれが愛情なのかもしれないなぁ」なんて思って卑屈な気持ちになるのだ。
その人だって働いてて、たまのお休みかもしれないのにね。

正直、保育園に入れて働いても稼ぎがものすごくいいわけでもない。
認可外保育園だと働くのが馬鹿馬鹿しくなるくらい。

でも、働く。

それが子供にしてやれる自分の最大限のことなのか、疑いながら。
子供がほしいと思う私のエゴを満たすためなら、子供はもうその責任を果たしたのだ。今度は私が親として責任を果たすべきだと、ちょっと小難しい理論で自分を納得させながら。

保育園にお迎えに行って、保育士の先生に子供の様子を教えてもらう。
家では見せない姿を、見られない姿を、うらやましいと思いながら。
最近私が見てるのは寝顔か食べてるとこばっかだなぁ、とか。

いい親になりたい。

でも、いい親かどうかを決めるのは子供だ。
その評価は20年、30年後のことになる。

一時通りすぎていくだけの誰かの評価を気にせずに突き進めたら楽なのに、そうもいかないのが、人間の心情で。

毎日毎日、自分は子供に愛情を与えられているのか、子供から向けられる期待に答えられているか疑い続ける。