私に向いていること、好きなこと | 先輩とキミの大学院生日記

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生物系大学院生の交換ブログ

学校の中にいると、自分の情熱が向けられることはなんだろうと考えさせられる事が多い。

小学生のときから大学院生の今に至るまで、学生は頭を悩ませる。

自分が好きだと思えることは何か。

 

傍から見れば、私は

「勉強が好きなひと」

「生物が好きな人」

「実験が好きな人」

であろう。

 

否。

 

私は勉強より

踊ったり

歌ったり

コントやって

はしゃいでいる方がずっと好きである。

 

生物は中学校の時からきらいである。

そもそも体の器官の名前を覚えられないし、テストの時もひらめきに頼れない(勉強きらい)。

細胞の生活パターンではなく、人間の生活パターンで生きたい。

 

一方、小さい時からよくできる子はいるものである。

ピアノがひけたり、サッカーがうまい。

英語を習っていたり、昆虫博士みたいな子もいる。

 

私はどれでもなかった。

ピアノの練習はすぐ飽きるし、英語は習わせてもらえなかった。

小さい魚を飼ったら餌をやり忘れて死なせてしまう。

 

でも、とりあえず進路を決める上で何か決めなければならない。

中学校の時は、宇多田ヒカルにあこがれて英語を頑張ったが、

英語で「伝える何か」がなければ話すことがなくなる。

歴史は苦手だし、外国人と文系で争う自信はなかった。

そうだ、理系だ。アメリカ人は数学が苦手らしいし、

理系でいこう。

生物より物理や化学だ。

(この時点で理系科目は普通レベルだし、一番好きな科目でもなかった。)

 

そうやって、高校時代はなんとなく理系に進んだが、

母親いわく「全然勉強しなかったね。」

そりゃそうである。

高校時代は数多の片思いと

カラオケと

中途半端な部活生活に大忙しで

机に座ったら勉強するフリしかしなかった。

 

高3のとき留学生の多いおしゃれなの大学オープンキャンパスで

友人の見学に付き添いで行った農学部のブースで

「世界中の研究者と共同でゲノム解析をした」と聞き、

「おしゃれx外人との研究。これだ。」

と思った程度で、大学の専攻を生物にしてしまったような人間である。

情熱なんて大してない。(ちなみに落ちた。勉強してないので当たり前である。)

 

さて、大学時代の物理の先生は言った。

「博士は問題を見出して、解決策をみつける思考能力がある。

必要な道具が売っていないなら自分で作り出す人たちだ。

ないものを創りだす発想力があり、他の人とは全然違うのだ。」

と聞いて、私もそうなりたいと思った(単純)。

 

しかし、やっぱり生き物に大して興味が持てなかった。

いろんな研究をしらべてみても、何が面白くて

どう興味を持ったらいいのかわからなかった。

 

海外の大学院に落ちて、悔しいながらもどうしていいかわからなかった時、

とりあえず行きつけのジュンク堂書店をウロウロしていたら見つけたのがこの本である。

 

大腸菌 進化の鍵をにぎるミクロな生命体

 

表紙がキレイだからというだけの理由でとりあえず購入したこの本、面白かったのである。

大腸菌の研究者のウラ話やら、大腸菌のSexの話やら

大腸菌って小さいくせに、菌のくせにこんなにすごいのか!

ということが一般ピープルにもわかりやすく書いてある。

大学院研究室のHPもこのくらいわかりやすければいいのにと思う。

もちろん、1人の研究者の話ではなく、大腸菌にまつわるいろんな話である。

 

いずれにせよ、今は大腸菌の研究はしていないのだが、

この本が初めて「こういう研究がしてみたい」と思わせてくれたのである。

つまり、小さな生物が、細胞が、目も鼻も耳もないのに

どうやって周囲の環境を認識し、栄養のある方へ動き、子孫を増やし、

あるいは仲間のために犠牲になりうるのか。

どうやってコミュニケーションとってるのか。

そういうことに興味をそそられたのだ。

 

社会は「あなたの情熱」を求め、何にも情熱を持てずに生きている若者を残念そうに見つめる。

しかし、「興味がない」ことに落胆することはない。

とりあえず、興味があるふりをして続けてみることである。

さらに、いろいろやってみることである。

続けていれば、愛着もわき、案外面白くなってくるものである。

 

私は決して突出した才能や情熱をもった子供でも学生でもなかったが、

楽しくちゃんと大人になっている。

少なくとも、高校生の頃の自分に「今もなかなかおもしろく生きてるよ」と言える。