捻り過ぎた感も、『パーティで女の子に話しかけるには』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『パーティで女の子に話しかけるには

【評価】☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ジョン・キャメロン・ミッチェル

【主演】アレックス・シャープ、エル・ファニング

【製作年】2017年

 

 

【あらすじ】

 1977年イギリス、パンク少年のエンは大きな屋敷で開かれていたパーティに友人たちと潜り込む。不思議な格好をした参加者の中で、エンは美しい少女ザンに一目惚れしてしまう。

 

 

【感想】

 1970年代後半のパンク文化を再現した映画。音楽やファッションなどはリアルに再現され、ライブシーンの迫力はかなりのものだった。パンクは簡単に古びないのかもしれない。そしてこの映画のタイトルは、パンクと結び付かないヤワな響きがある。そのまま受け取れば、内気な少年の初恋物語といった感じ。実際、主人公のキャラクターは、パンクとマンガの好きな内気な少年だった。

 

 

 ごくごく普通の青春モノとして期待していたが、主人公の相手役の少女が異星人という設定を持ち出している。「かぐや姫」のノリで話しが進めば受け入れやすかったが、登場してくる異星人たちが色物めいた衣装やキャラクターを示す。当時の未来観を表している、と言えなくもなかったが、このシュールな演出や設定は効果を発揮していなかった。イギリス人の反応がどういうものだったのか分からないが、観ていて少し辛かった。

 

 

 それでもミュージック・ビデオとして眺めたり、ライブシーンを堪能したりはできる。パンク・ロックの好きな人には響くはず。ただやはり、異星人云々は全てカットして、至って普通な1970年代の青春映画として観てみたかった。ニコール・キッドマンが出演していたが、立ち枯れ状態でちょっと気の毒だった。感性や思い付きだけで映画を撮ると、こういう危険を孕んでしまうのかも。