チェコ語は英語に、『ハイドリヒを撃て!』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『ハイドリヒを撃て!

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ショーン・エリス

【主演】キリアン・マーフィ

【製作年】2016年

 

 

【あらすじ】

 1942年、イギリスに亡命中のチェコスロバキア政府は、ナチスのナンバー3であるハイドリヒの暗殺を計画し、7人の暗殺部隊をプラハに送り込む。ヨゼフとヤンは、ナチスに抵抗する市民の協力を得て、ハイドリヒの行動パターンを把握しようと偵察を開始する。

 

 

【感想】

 きっとチェコ人にとっては重大な事件なのだと思う。ただ、ハイドリヒという名前も、その暗殺計画も全く知らなった。ストーリーは、暗殺部隊がパラシュートで送り込まれ、壮絶な最期を遂げるまでを追っていく。ナチス高官の暗殺を題材にした映画は、何本か観たことがある。時間との戦いや逃走劇、そして拷問や悲惨な末路が描かれていた気がする。暗殺は些細な出来事の影響を受け、思わぬ方向に転がる性質がありそう。

 

 

 映画では、当然のことながら暗殺のシーンが出てきた。ただ意外なほど計画が大雑把で、行き当たりばったりな感じ。命を投げ出し、運を天に任せるやり方は、現代の暗殺方法とは大きく違っていた。盗聴もなければ、監視カメラもなく、もちろん無人爆撃機も存在しない。一か八かで身を投げ出し、銃を乱射して、手製の爆弾を投げ込む。映画は人間味に溢れ、人間の情感が激しく動いていた。戦闘シーンを含め、なかなか泥臭い。

 

 

 そして暗殺計画が、果たして良い結果をもたらしたのか、悪い結果に繋がったのかよく分からなくなる。ナチスの報復は熾烈を極め、油断や隙が無くなっていく。病原菌を抗生物質で叩こうとして、逆に病原菌の抵抗力を増幅させたようにも見える。渦中にあれば何が最善なのか分かるはずもなく、ボーッと突っ立っていることもできない。人間は翻弄されるだけなのかも、と思えてくる。