みんな演技することに慣れている、『太陽の下で ―北朝鮮の真実―』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『太陽の下で ―北朝鮮の真実―』

【評価】☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ヴィタリー・マンスキー

【主演】リ・ジンミ

【製作年】2015年

 

 

【あらすじ】

 ロシア人のドキュメンタリー映画監督のヴィタリーは、北朝鮮から許可を得てピョンヤンで暮らす労働者一家の日常生活を撮ることになった。しかし実際の撮影現場では、北朝鮮当局者が全てを管理し、当局の思い描く理想的な家族の姿を撮らざるを得なかった。そこでヴィタリーは、北朝鮮スタッフの隙を突いて隠し撮りの撮影を始めた。

 

 

【感想】

 リアルな北朝鮮の姿が拝めるのかも、と期待させる作品だった。ドキュメンタリー監督が、北朝鮮当局の裏をかいて撮影を行い、不自由で不自然な社会の姿を映し出していく。そもそも北朝鮮で自由な撮影など期待してはいけないのだろう、と思ったりもしたが、もしかするとそこが監督の狙いだったのかも。この映画では、北朝鮮当局が必死に理想的な家族を作り出そうとする姿を収めている。

 

 

目立つのは、この道30年といった感じのベテラン演出家。大きな声で人々に演技指導を行っていた。その姿は滑稽でもあるし、必死さの表れでもあった。ある意味、型の決まった芸事といえなくもない。理想像のためには、現実を大きく曲げる。被写体となった一家は、ひたすら理想像に付き合わされる。父親と母親は職業を変えられ、用意されたセリフを何度も練習する。可愛らしい一人娘も我慢強く、求められた演出に応えようとする。一体誰のために撮っているのか、段々と不思議になってくる。

 

 

 ただ衝撃的な映像というものはほとんどなかった。大部分はリハーサル風景で、出演者の本音が聴けるわけでもない。もっと一般市民のリアルな声が聴いてみたかったが、そんなものが映像として公開されたらどうなるのか、監督も考えたに違いない。いかにもといったありきたりのシーンが長々と続くので、少しボンヤリした内容になっていた。これで隠し撮りの映像のない、当局によって作り込まれただけのドキュメンタリーだったら、誰が観ても退屈するに違いない。北朝鮮では、映画も役所仕事の一環なのかも。