ラストシーンにニヤリ、『湯を沸かすほどの熱い愛』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『湯を沸かすほどの熱い愛

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】中野量太

【主演】宮沢りえ

【製作年】2016年

 

 

【あらすじ】

 銭湯を営んでいた幸野家だったが、1年前に夫が失踪したため休業が続いていた。妻の双葉は、高校生になる一人娘を懸命に育てていたが、体調不良で受診した病院で末期ガンを宣告される。茫然自失する双葉。そして彼女は、家族のために残された命を使おうと決心する。

 

 

【感想】

 現代版の「生きる」といったところ。余命宣告された主人公が、残された時間をどう生きるか迫られる。よくあるタイプの感動を押し売るホームドラマのように思えるが、映画は明るさが漂い、ありきたりのお涙頂戴劇とは一線を画していた。凛とした宮沢りえがいて、ダメ男全開のオダギリジョーが緩さをまとい、子役たちが上手さをいかんなく発揮していた。いい湯加減で涙できる映画。

 

 

 余命宣告は、生き方の根本を変えるインパクトがある。映画や小説、ドラマや漫画にはもってこい。限られた時間が、本当に大切なものをあぶり出してくれる。この設定に多くの作家や監督が惹かれるのも分かる気がする。常に死を意識して生きることが出来れば、人生の充実度は大きく変わるのかもしれない。ただ、死を意識して生きるのはかなり難しい。気が付けば、死を忘れ時間を無駄にして生きている。

 

 

 なので、こういうタイプの映画をたまに観ると、自分も死ぬことを思い出させてくれる。死がそれほど身近ではなくなった現代では、貴重な疑似体験のような気もする。最期の瞬間に掴んでいたいと思えるものは何なのか、ついつい考えてしまう。とはいえ、映画を観てから数日たつと、いつも通りの日常を送っていたりする。人間の頭は、死を考えないように出来ているのかも。