優しくなれる温度設定、『ALWAYS 三丁目の夕日‘64』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『ALWAYS 三丁目の夕日‘64

【評価】☆☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】山崎貴

【主演】吉岡秀隆

【製作年】2012年


【あらすじ】

 1964年、ついに東京オリンピックが開催された。夕日町三丁目の住人たちもオリンピックを心待ちにし、心から楽しんでいた。そんな中、小説家の茶川は連載打ち切りの瀬戸際に追い込まれる。また鈴木オートで働く六子は、治療をしてくれた若い医師に恋心を抱いていた。


【感想】

 何を期待されているのかをよく知り、そして期待に応えられるような温かいパーツをタップリと用意した映画だった。東京オリンピックが開催された1964年を温室の中で丁寧に育てると、こういう物語が出来上がるのだろう。見たいものだけを心行くまで見せてくれる。エンターテイメントの鑑といえそうな出来映えの映画だった。


 ストーリーには何本かの軸があり、そのどれもが温かく泣ける結びに向かっていく。大げさなドタバタはあるものの、物語の強弱の付け方は熟練の域に達しているようだった。さすが3作目になると、スタッフや俳優の間でピタリと呼吸が合うのだろう。安心してラストまで寄り掛かっていける。


 一種の偏食をしている映画ではあるが、世知辛い日常を2時間の間だけでも忘れさせてくれるのは嬉しい限り。そこに映画の役割があるような気もする。泣きのツボの押し方も巧みで、老若男女を問わず利いてくるような作り。特に普段涙と縁遠いオジサンたちの心に響いてきそう。甘いノスタルジーに酔える一本だと思う。