やがて哀しきプロレスラー、『レスラー』 | 平平凡凡映画評

平平凡凡映画評

映画を観ての感想です。

【タイトル】『レスラー

【評価】☆☆☆☆(☆5つが最高)

【監督】ダーレン・アロノフスキー

【主演】ミッキー・ローク

【製作年】2008年


【あらすじ】

 華々しい栄光の過去を持つプロレスラーのランディだが、今ではトレーラーハウスでの生活もままならない状況に陥っていた。ドサ回りの会場は寒々しいものだったが、それでもランディはリングに立ち続け、ファンに変わることのない得意技を披露していた。しかし肉体は既にボロボロとなり、耳には補聴器、関節には厚くテーピングが巻かれていた。そして遂に試合後、心臓発作で倒れてしまう。


【感想】

 ミッキー・ローク主演で話題になった映画。「シン・シティ」の出演も多少なりの話題となったが、今回は完全復活といった調子で華々しく脚光を浴びている。すっかり忘れ去られていた存在が、再び映画の第一線に戻ってきた。この映画は、どん底を味わってきたミッキー・ロークのドキュメンタリーのようだとも評されている。まさにミッキー・ロークでなければ、成立しなかった映画。


 ミッキー・ロークは、80年代に脚光を浴びた映画俳優。自分を律し、上手く立ち回れば、ショーン・ペンやブルース・ウィリスと同じようなポジションに立っていたかもしれない。しかし90年代以降は、スキャンダルにまみれ警察沙汰での武勇伝でその存在をアピールしていた。わがままな性格も災いし、手を差し伸べてくれる友人にも恵まれなかったみたい。


 そして今回の「レスラー」。「捨てる神あれば拾う神あり」のことわざ通り、監督のダーレン・アロノフスキーがミッキー・ロークにリターンマッチの場を用意した。役柄は、すっかり色褪せた中年のプロレスラー。過去の栄光が虚しく思えるほどに、下り坂をゆっくりと落ちてきた男。確かにはまり役には見えるが、ここまでカッチリとはまり込んでくるとは思いもしなかった。監督の目の良さに驚かされる。


 何でも製作会社は、主役にはニコラス・ケイジを推していたという。まぁ、ニコラス・ケイジでもそれなりの映画にはなったとは思うが、ここまでの凄味が生まれたかどうかは疑問。おそらく、ここまで切羽詰った雰囲気は作れなかったような気がする。そつなくこなし、単なるニコラス・ケイジの出演作の1つになっていたはず。しかしミッキー・ロークにとっては、この映画しかないという切迫感があり、それが凄味となって映画を貫いた。


 またプロレスラーという職業の持つ滑稽さと悲哀が、映画の中で響き渡っていた。冷静に見れば、プロレスはバカバカしいお祭り騒ぎを繰り広げるショーだが、その分かりやすさと懸命さがいつしか激しい熱を生んだりする。鍛え上げ、また薬で作り上げた肉体は、非人間的にも見えどこか物悲しかったりもする。ミッキー・ロークとプロレスの組み合わせは、抜群の相性の良さを示していた。