首都高1号羽田線の羽田トンネルを出て湾岸線へ分岐する手前に、ずっと閉ざされた合流地点があり、毎回通る度に「この合流はどこに続いているの?」っと思った事はないでしょうか?




その答えは、羽田可動橋です。





これは、湾岸線開通前の1990年、羽田トンネル付近で渋滞が頻繁にあり、空港西入口から羽田トンネルを経由せずに本線に合流できる迂回路の役目でした。

こう言う旋回型になったきっかけは、1つ目は海老取川内の企業に往来する船舶の為と、2つ目は羽田空港の航空制限から採用されたそうです。


湾岸線開通に加えて、アクアライン開通後には羽田トンネルの渋滞は解消され、たった8年後の1998年に運用が終わりました。

勿体ないです。


しかし!現在羽田トンネル老朽化に伴い、2024年以降に改修工事が予定される事から、もしかすると復活する可能性も出てきました。

可動しているところを一度は見てみたいものです。


<運用当時の羽田可動橋>

※乗り物ニュースより


<可動橋から首都高合流へのアプローチ線>


<案内板が残る>


<羽田トンネル出口付近の合流地点>



久しぶりの今回は、東京のお台場は有名ですが

あまり知られていない横浜の神奈川台場に来ました。



幕末1860年に完成した神奈川台場は、海上警備を目的とした台場で

あの勝海舟が設計し、伊予松山藩が築造しました。

横に長く、羽を広げたコウモリの様な形であったことから

「コウモリ台場」とも呼ばれていたそうです。

1899年にその役割を終え、廃止となりました。



明治30年代の神奈川台場

奥に見えるのが神奈川台場。貴重な写真です。



現在、台場の上には、JR貨物の「東高島駅」になっていますが

周囲には、少しだけ当時の石垣を見る事ができます。


<現在の台場の上>


<当時の石垣>

個人的には、もう少し綺麗に管理して欲しいところです。

東京の様に結構な観光スポットになると思うんだけど



そして、台場への渡道は、今なお地下に埋め立てられているそうです。

ここも、掘り返して史跡としてしっかり残して欲しいところです。



<明治14年〜15年頃>


<現在>


現在では、もう跡形も無いですが、石垣ともう一つだけ名残を感じられる所があります。

それは、公園に残る斜めの形です!




今のテクノロジーを使う事で、数百年前の事も時空を超えて感じられる

歴史散策は本当に楽しいですね。