前回の神田上水のついでに、近くの万世橋駅も立ち寄りました。
マーチエキュート神田万世橋では、70年ぶりに旧万世橋駅が蘇り、ホーム部分もデッキとして整備されてます。鉄道ファンにとっては、たまりませんね。

万世橋駅は、明治45年に開業し、中央線の始発駅や路面電車等の乗換ターミナル駅として栄えました。大正8年に東京駅が開業した事で、中間駅となり、その役割が徐々に薄れていき、昭和18年に閉鎖されました。

万世橋駅初代駅舎(関東大震災で消失)

初代駅舎から残る階段

万世橋駅二代目駅舎(初代駅舎の豪華さは無くなっている。)

昭和11年からは、鉄道博物館併設されましたが、
この鉄道博物館も、2006年に閉館となり、約70年の歴史に幕を閉じました。


万世橋から見た、マーチエキュート万世橋


こう言う歴史遺産が残っている事で、当時の雰囲気を感じる事ができ、更に日本文化を知る事ができます。色々なところで、こう言う取り組みを期待してます。

前回の#38で、掲載できなかった写真を掲載したいと思います。

江戸川公園から神田川を見ると、更に二つの川が口を開けてます。これは、神田川のバイパスです。

後楽園内を流れる神田上水




後楽園の石垣は、江戸城外堀の石垣を再利用


本郷給水所公苑に復元されている、神田上水。
江戸時代から、暗渠技術があった事がわかる。


江戸に張り巡らされた水道管
(汐留伊達家屋敷跡)


今回は、神田上水跡を旅しました。

神田上水は、江戸初期に作られた国内最古の上水と言われてます。

現在の江戸川公園にあった取水口(再現)から、江戸の各町へ水が通され、三田用水同様に、今でも道路でその水路跡が残っています。






高低差地図で見ると、綺麗に台地のキワを徐々に高度を下げて通している。測量計も無い時代、先人達の自然流下方式の知恵に、お見逸れしました。


<高低差地図>



今でも、「水道」と言う地名が残っている事からわかる通り、この辺りは神田上水と共に町が発展したと感じます。


文京福祉センターに残る、神田上水の石積み。


本郷給水所公苑に復元された、神田上水。石蓋で暗渠にした事がよくわかる。しかし、明治時代から暗渠技術があったとは…。


神田上水は、後楽園の中を通り水道橋付近から、神田・日本橋へ







水が豊かな都市は発展します。後楽園の庭園を見ていると、江戸は水が豊かで水都であったと感じます。この美しい庭園とそれを見た人々の喜びも、神田上水がもたらしたものと言えるでしょう。