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改札を出ると、まず目に飛び込んだのは工事中の駅ビル。完成予想図の描かれたポスターによると、来年の春に完成予定とのこと。ということは、ほぼ2年後か。今まではただの何にもない駅だったらしい。何も知らない町でも、知らないところでどんどん何かが変わって行ってるんだな。そう思うと、なんだか急に自分が小さくなった気がした。世の中には圧倒的に知らないことの方が多い。景色も観光スポットも、世の中のことも人の考えることも。
さて、今僕は2つの選択しに悩んでいる。大したことではないかも知れないが、その先のことを考えると案外重要なところだ。
南に出るか、北に出るか。
基本的に僕は起点である駅からはどんどん離れるように歩く。無意識に「迷いたい」気持ちが出てしまうせいかもしれない。だから、歩き出す方角によって、全く違った物語が生まれるのだ。「物語」はちょっと大袈裟かな。
今回は人の流れの少ない方に決めた。ちょっと静かに何か思いに耽りながら散歩を楽しみたい気分だったのだ。
電車が到着して、人の波が改札に押し寄せる。そんな光景をじっと観察する。圧倒的に南口へ行く人の方が多い。北口に向かう人は本当にごくまれだ。若干、「何もない」不安に駆られたが、僕は北口の方へ向かった。
失敗。
出ていきなり壁。壁しかない。まっすぐ進めない。僕の前にはいきなり日本の中の外国が立ちはだかった。性格上、引き返すことはしない僕は仕方なく米軍補給地(後で知ったことなのだが)の壁沿いに進むことにした。
また失敗。
すぐに行き止まり。なにか病院らしい建物の入り口と南口へ抜ける踏切。まさか病院に入るわけにもいかず、結局南口の方角に軌道修正する羽目になった。おかしい。今日は朝から調子よかったはずなのに。
世の中には引き返すとか、振り返るとかいうことが「勇気ある決断」に変わることもあるのかも知れない。
思わぬロスタイムはなるべく気にしないようにして、不本意ながら予定外の方角へ「散歩」を開始する。
質素な町並み。申し訳程度の商店とコンビニ、ATMだけの銀行。なかなか僕好みのスタート地点である。首都圏の駅前に必ずと言っていいほどある、客のいないパチンコ屋がないのが少し残念だった。
さて、特に意気込みとか言うモノはないのだが、散歩を始めるか。
なんとなく、適当に、のんびり、な感じで。
改札を出ると、まず目に飛び込んだのは工事中の駅ビル。完成予想図の描かれたポスターによると、来年の春に完成予定とのこと。ということは、ほぼ2年後か。今まではただの何にもない駅だったらしい。何も知らない町でも、知らないところでどんどん何かが変わって行ってるんだな。そう思うと、なんだか急に自分が小さくなった気がした。世の中には圧倒的に知らないことの方が多い。景色も観光スポットも、世の中のことも人の考えることも。
さて、今僕は2つの選択しに悩んでいる。大したことではないかも知れないが、その先のことを考えると案外重要なところだ。
南に出るか、北に出るか。
基本的に僕は起点である駅からはどんどん離れるように歩く。無意識に「迷いたい」気持ちが出てしまうせいかもしれない。だから、歩き出す方角によって、全く違った物語が生まれるのだ。「物語」はちょっと大袈裟かな。
今回は人の流れの少ない方に決めた。ちょっと静かに何か思いに耽りながら散歩を楽しみたい気分だったのだ。
電車が到着して、人の波が改札に押し寄せる。そんな光景をじっと観察する。圧倒的に南口へ行く人の方が多い。北口に向かう人は本当にごくまれだ。若干、「何もない」不安に駆られたが、僕は北口の方へ向かった。
失敗。
出ていきなり壁。壁しかない。まっすぐ進めない。僕の前にはいきなり日本の中の外国が立ちはだかった。性格上、引き返すことはしない僕は仕方なく米軍補給地(後で知ったことなのだが)の壁沿いに進むことにした。
また失敗。
すぐに行き止まり。なにか病院らしい建物の入り口と南口へ抜ける踏切。まさか病院に入るわけにもいかず、結局南口の方角に軌道修正する羽目になった。おかしい。今日は朝から調子よかったはずなのに。
世の中には引き返すとか、振り返るとかいうことが「勇気ある決断」に変わることもあるのかも知れない。
思わぬロスタイムはなるべく気にしないようにして、不本意ながら予定外の方角へ「散歩」を開始する。
質素な町並み。申し訳程度の商店とコンビニ、ATMだけの銀行。なかなか僕好みのスタート地点である。首都圏の駅前に必ずと言っていいほどある、客のいないパチンコ屋がないのが少し残念だった。
さて、特に意気込みとか言うモノはないのだが、散歩を始めるか。
なんとなく、適当に、のんびり、な感じで。
東京に行って来た。理由はここには書かない。
近年喫煙家にとって都市は過ごし辛い環境になっている。JRや地下鉄は早々と喫煙コーナーを撤去してしまったし、町中の灰皿もかなりの数が消えた。
歩きタバコが禁止の区域もかなり増えた。これだけには最初から賛成できた。なんだかんだで、人の吐く煙はうざったいモノである。通りすがりに煙が目の前に来たときは寝付く直前に携帯が鳴るときの次くらいに不快な気分になる。世間一般的にはタバコを持っている位置が子供の目線だからとか、吸い殻で町が汚れるとかいう苦情もあるようだ。一応、それらにも賛成はしておく。
久しぶりに東京に来て、さすがに歩きタバコは減ったなと思う。あと、要所要所に喫煙コーナーが出来ているのが面白かった。換気機能を備えたガラス張りのスペースの中に自動販売機があり、企業の宣伝広告が貼ってある。商売人はいつどんな条件でも一番ドンピシャのアイデアを出してくるモノなんだな、と思った。
5分間の広告展である。
新宿の東口、待ち合わせの人間があほほどいるいつもの光景。どうやらここも灰皿は撤去されているようだ。しかし、ここって前からこんなに空気悪かったっけ?目がシパシパするかしないかのあたりの、かなり中途半端な不快さがずぅーっと続くような、そんな空気。たぶんタバコの匂い。
灰皿はないけど、結構な数の人がガードレールに寄りかかったり、ベンチや階段に座り込んでタバコを吸ってる。まあ、よく見る光景。
ここからは憶測なのだが、灰皿が無いから、良心的な人間はポータブルの灰皿を持っているのだろうが、大多数の人は地面にすてて靴でグリグリ。その中で消えなかった吸い殻から煙がもくもく。フィルターの焼ける悪臭ももくもく。つもりつもってこんな空気ができあがったのではないか。
なんて事を空気のそれなりに美味しい地元に帰ってから思ったのでした。
近年喫煙家にとって都市は過ごし辛い環境になっている。JRや地下鉄は早々と喫煙コーナーを撤去してしまったし、町中の灰皿もかなりの数が消えた。
歩きタバコが禁止の区域もかなり増えた。これだけには最初から賛成できた。なんだかんだで、人の吐く煙はうざったいモノである。通りすがりに煙が目の前に来たときは寝付く直前に携帯が鳴るときの次くらいに不快な気分になる。世間一般的にはタバコを持っている位置が子供の目線だからとか、吸い殻で町が汚れるとかいう苦情もあるようだ。一応、それらにも賛成はしておく。
久しぶりに東京に来て、さすがに歩きタバコは減ったなと思う。あと、要所要所に喫煙コーナーが出来ているのが面白かった。換気機能を備えたガラス張りのスペースの中に自動販売機があり、企業の宣伝広告が貼ってある。商売人はいつどんな条件でも一番ドンピシャのアイデアを出してくるモノなんだな、と思った。
5分間の広告展である。
新宿の東口、待ち合わせの人間があほほどいるいつもの光景。どうやらここも灰皿は撤去されているようだ。しかし、ここって前からこんなに空気悪かったっけ?目がシパシパするかしないかのあたりの、かなり中途半端な不快さがずぅーっと続くような、そんな空気。たぶんタバコの匂い。
灰皿はないけど、結構な数の人がガードレールに寄りかかったり、ベンチや階段に座り込んでタバコを吸ってる。まあ、よく見る光景。
ここからは憶測なのだが、灰皿が無いから、良心的な人間はポータブルの灰皿を持っているのだろうが、大多数の人は地面にすてて靴でグリグリ。その中で消えなかった吸い殻から煙がもくもく。フィルターの焼ける悪臭ももくもく。つもりつもってこんな空気ができあがったのではないか。
なんて事を空気のそれなりに美味しい地元に帰ってから思ったのでした。
僕の夢にはある程度約束事があるようで、これを元に夢診断みたいなことを…
なんていうのはつまらないのでしないようにします。
隙間に入る。どんなスキマでも絶対入れる。入ったら出て来れない。
何かしら災害が起こる
地震・火事・戦争・津波・宇宙人の襲来・サイヤ人がくる。等等。
大体なんとかなれ!と思って目を瞑ると何とかなっている。
なんていうのはつまらないのでしないようにします。
隙間に入る。どんなスキマでも絶対入れる。入ったら出て来れない。
何かしら災害が起こる
地震・火事・戦争・津波・宇宙人の襲来・サイヤ人がくる。等等。
大体なんとかなれ!と思って目を瞑ると何とかなっている。
僕はわりとよく夢を見る方だと思う。しかもはっきりと夢の内容を憶えていることが多い。眠りが浅い、とか言われると現実的で面白くないから、ただ単に夢をよく見るだけのことだ、と言っている。
今でもよく憶えている夢とか、最近みた変な夢とかも書いてみると良いかも知れないと思った。
場所は中規模のホール。客席があって正面には左右50メートルくらいの幅の舞台がある。客は僕一人で、舞台はもう始まっているようだ。
暗転している舞台に突然スポットライト。中心には一人の男性が仁王立ちのような格好で立ちつくしている。顔立ちは、売れない役者を絵に描いたような顔だった(幸薄そうなと言った方がいいかも)。
やがて彼は大粒の涙を流し、思い切り地団駄を踏み始めた。演技とは思えない悲壮感をただよわせ、彼は口を開いた。
「ハトが豆鉄砲くらってポー!」
さらに悲壮感は増し、床にこぼれおちんほどの涙を流しながら、
「ハトが豆鉄砲くらってポー!」
「ハトが豆鉄砲くらってポー!」
スポットライトがフェイドアウトして暗転に戻る。
今でもよく憶えている夢とか、最近みた変な夢とかも書いてみると良いかも知れないと思った。
場所は中規模のホール。客席があって正面には左右50メートルくらいの幅の舞台がある。客は僕一人で、舞台はもう始まっているようだ。
暗転している舞台に突然スポットライト。中心には一人の男性が仁王立ちのような格好で立ちつくしている。顔立ちは、売れない役者を絵に描いたような顔だった(幸薄そうなと言った方がいいかも)。
やがて彼は大粒の涙を流し、思い切り地団駄を踏み始めた。演技とは思えない悲壮感をただよわせ、彼は口を開いた。
「ハトが豆鉄砲くらってポー!」
さらに悲壮感は増し、床にこぼれおちんほどの涙を流しながら、
「ハトが豆鉄砲くらってポー!」
「ハトが豆鉄砲くらってポー!」
スポットライトがフェイドアウトして暗転に戻る。
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ボクは散歩が好きだ。
一人でどこまででも歩いていける。
一番好きなのは、電車に乗って知らない町まで行き、知らない町をあてもなく歩くことだ。迷うこともあるけど、そんな時は必ずそのまま歩き続ける。そうすればほぼ間違いなくどこかしらの知っている町にたどり着く。そんな劇的な「出会い」も好きだ。だからあえて迷うように歩くこともある。
今日僕は、自宅のある高円寺から中央線で八王子、そこから乗り換えて横浜線で相模原に向かっている。以前この町は見知らぬ町だった。2年前に僕はこの地を訪れた。大好きな散歩をするために。そして今日はその時出会った大切な思い出と再会するためにここに来たのだ。
2年前、その日は朝のうち曇っていて天気予報も昼には雨が降ると言っていた。しかし僕は根拠もなく今日は晴れると信じ込んでいた。珍しく朝の目覚めが良かった事と、僕が根本的に根拠のない自信によく取り憑かれる性格を持っているためだろう。わかってはいるのだが、そう思うのは勝手。
「今日は晴れだ!」
電車に乗るために自宅を出、快速ではなく鈍行の列車に乗る。休日のためか、高尾山に行くのであろう登山客が目に付く。
みんな腰から頭の上までのびた大きなリュックを持っている。あの中には登山道具とか、ちょっとした食料とか入っているのだろうが、登山についてあまり興味はないため、中身についてもそんなに興味はなかった。最近みたテレビ番組で登山の愛好者の山を登る際の必需品の一つとして、あめ玉というのがあった。脳の回転を保ち、リラックスして歩けるため、高山病にいい云々というような理由だったと思う。僕は「きっとあのリュックの中にもあめ玉は入っているんだろうな」と思うと、それきり登山客には興味を失った。
途中の駅で快速に乗り継ぎ、八王子に到着した。この町も以前散歩したことがある。そんなに歩いてはいないが、少し大きめの川があって、川沿いの舗装もされていない道を延々と歩いた記憶がある。
横浜線に乗り換えるが、ここが始発駅のため、電車が発車するまで5分ほど時間がかかる。暇つぶしに携帯をいじり始める若者(僕だってじゅうぶん若いのだが)、手持ちぶさたに耐えられずスポーツ新聞を買うおじさん(5分くらい辛抱すればいいのに!)、とめどなく会話する二人の女子大学生(見た目で勝手に判断しました)。
僕はヒマになると勝手に人間観察をする癖がある。冷静に考えるとちょっと暗い人のような気もするのだが、これがとても面白くてやめられないのだ。そしてその中の一人を主人公に、自分で勝手に物語を作ってしまう。
いちばん角の席でいびきをかいて寝ている油で顔のテカテカした、そんなにつくりは悪くないおじさんは、昨日家に帰らず、八王子の会社で徹夜の作業をしていたのだ。初めて任された大きな取引、ところが昨日の晩、やっとの思いで取り交わした契約書の中に下手をすれば大損害を被るかも知れないミスを発見してしまったのだ。明日の日付で契約書を取り交わしているため、その日のうちに先方に渡してしまった契約書を取り返し、新しく作り直した契約書と交換すること、また訂正事項についての説明と陳謝をする必要があった。しかしあいにく先方がつかまらずしかも終電を逃し、今、不安とほんの少しの期待(先方が今回のミスに寛大でありますように)を抱えて家路についているのだろう。
くだらない妄想である。
いつのまにか電車は動き始めていた。物語の中に入っていたために、全く気がつかなかったし、今どこまで来たのかすらわからない。前の席のとめどなく会話する女子大生もさらにとめどなく会話を続けている。彼女たちもたぶん僕と同じく電車が発車したことに気づかなかったろうな、と思っていると、電車のドアが空いた。
「相模原」
とめどなく会話し続ける彼女たちが、とめどなく会話をしながらドアに向かう。
僕もなんとなくそこで降りることにした。
意外と小さなきっかけは尊重する方なのだ。(声はかけないって。)
続きへ
ボクは散歩が好きだ。
一人でどこまででも歩いていける。
一番好きなのは、電車に乗って知らない町まで行き、知らない町をあてもなく歩くことだ。迷うこともあるけど、そんな時は必ずそのまま歩き続ける。そうすればほぼ間違いなくどこかしらの知っている町にたどり着く。そんな劇的な「出会い」も好きだ。だからあえて迷うように歩くこともある。
今日僕は、自宅のある高円寺から中央線で八王子、そこから乗り換えて横浜線で相模原に向かっている。以前この町は見知らぬ町だった。2年前に僕はこの地を訪れた。大好きな散歩をするために。そして今日はその時出会った大切な思い出と再会するためにここに来たのだ。
2年前、その日は朝のうち曇っていて天気予報も昼には雨が降ると言っていた。しかし僕は根拠もなく今日は晴れると信じ込んでいた。珍しく朝の目覚めが良かった事と、僕が根本的に根拠のない自信によく取り憑かれる性格を持っているためだろう。わかってはいるのだが、そう思うのは勝手。
「今日は晴れだ!」
電車に乗るために自宅を出、快速ではなく鈍行の列車に乗る。休日のためか、高尾山に行くのであろう登山客が目に付く。
みんな腰から頭の上までのびた大きなリュックを持っている。あの中には登山道具とか、ちょっとした食料とか入っているのだろうが、登山についてあまり興味はないため、中身についてもそんなに興味はなかった。最近みたテレビ番組で登山の愛好者の山を登る際の必需品の一つとして、あめ玉というのがあった。脳の回転を保ち、リラックスして歩けるため、高山病にいい云々というような理由だったと思う。僕は「きっとあのリュックの中にもあめ玉は入っているんだろうな」と思うと、それきり登山客には興味を失った。
途中の駅で快速に乗り継ぎ、八王子に到着した。この町も以前散歩したことがある。そんなに歩いてはいないが、少し大きめの川があって、川沿いの舗装もされていない道を延々と歩いた記憶がある。
横浜線に乗り換えるが、ここが始発駅のため、電車が発車するまで5分ほど時間がかかる。暇つぶしに携帯をいじり始める若者(僕だってじゅうぶん若いのだが)、手持ちぶさたに耐えられずスポーツ新聞を買うおじさん(5分くらい辛抱すればいいのに!)、とめどなく会話する二人の女子大学生(見た目で勝手に判断しました)。
僕はヒマになると勝手に人間観察をする癖がある。冷静に考えるとちょっと暗い人のような気もするのだが、これがとても面白くてやめられないのだ。そしてその中の一人を主人公に、自分で勝手に物語を作ってしまう。
いちばん角の席でいびきをかいて寝ている油で顔のテカテカした、そんなにつくりは悪くないおじさんは、昨日家に帰らず、八王子の会社で徹夜の作業をしていたのだ。初めて任された大きな取引、ところが昨日の晩、やっとの思いで取り交わした契約書の中に下手をすれば大損害を被るかも知れないミスを発見してしまったのだ。明日の日付で契約書を取り交わしているため、その日のうちに先方に渡してしまった契約書を取り返し、新しく作り直した契約書と交換すること、また訂正事項についての説明と陳謝をする必要があった。しかしあいにく先方がつかまらずしかも終電を逃し、今、不安とほんの少しの期待(先方が今回のミスに寛大でありますように)を抱えて家路についているのだろう。
くだらない妄想である。
いつのまにか電車は動き始めていた。物語の中に入っていたために、全く気がつかなかったし、今どこまで来たのかすらわからない。前の席のとめどなく会話する女子大生もさらにとめどなく会話を続けている。彼女たちもたぶん僕と同じく電車が発車したことに気づかなかったろうな、と思っていると、電車のドアが空いた。
「相模原」
とめどなく会話し続ける彼女たちが、とめどなく会話をしながらドアに向かう。
僕もなんとなくそこで降りることにした。
意外と小さなきっかけは尊重する方なのだ。(声はかけないって。)
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北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射したらどうするか?
防衛庁長官も務めたある人物は、「なにもできない」と言った。
悲しくも情けないが、現実はそうだろうなと思った。
実際どうなるだろうとか、どうした方がいいと言うような議論は 正直分からないし、専門家に任せるということで。
戦争と平和というような、議論し尽くされたようなテーマなのだが、 僕は2つの両極端な意見を持っている。答えなんかは見つかっていない。
人間を動物の一種とたとえるならば、強い者が生き残る、弱い者は淘汰される。
障害者蔑視、老人福祉の遅れ、道徳の不十分さはそんな動物的本能から来ているのだと思う。 しかしながら、強い者が生き残り、より強い種が保存されていかなければ、 種としての人間の存在はなくなる。 おそらくすべてが均等になり、向上・進歩・発展・努力、などの言葉はそのうち無くなってくるのではないかと思う。そうなるとどうなるか。
世界が老齢期となり、生きるために生きる。時が来れば死ぬ。それだけの生命体になってしまう。
生きるために争ったり、考えたり、守ったり、そこらにいる動物の方がましな存在になる。 人は争わなければ向上しないし、過ちにも気がつかない。他人に対しても、自分に対しても。現代の教育事情、家庭事情しかり。
人間を特別な存在ととらえるならば、神様から頂いた思考の深さ、他人に対する思いやり、社会性をあだやおろそかには出来ない。 他人とのコミュニケーションによって生かされている事実もある。
自分が生きる為に不可欠なモノだからこそ、自分を含め、周りの人間、全世界の人間を大切に思わなければいけない。大小さまざまだが、敵と言われる相手に対しても、その人が敵であるという事実自体が自分にとって大切な存在であり、戦うことによって相手の過ちを学ぶことが出来る、自分の過ちにも気づくことが出来る。 お互いに向上しあえる。これがきれい事になることも多々あるが。
人を、その人その人に対して自分の出来る限り思いやる事が重要ではないかと思う。
その人、その人で。
防衛庁長官も務めたある人物は、「なにもできない」と言った。
悲しくも情けないが、現実はそうだろうなと思った。
実際どうなるだろうとか、どうした方がいいと言うような議論は 正直分からないし、専門家に任せるということで。
戦争と平和というような、議論し尽くされたようなテーマなのだが、 僕は2つの両極端な意見を持っている。答えなんかは見つかっていない。
人間を動物の一種とたとえるならば、強い者が生き残る、弱い者は淘汰される。
障害者蔑視、老人福祉の遅れ、道徳の不十分さはそんな動物的本能から来ているのだと思う。 しかしながら、強い者が生き残り、より強い種が保存されていかなければ、 種としての人間の存在はなくなる。 おそらくすべてが均等になり、向上・進歩・発展・努力、などの言葉はそのうち無くなってくるのではないかと思う。そうなるとどうなるか。
世界が老齢期となり、生きるために生きる。時が来れば死ぬ。それだけの生命体になってしまう。
生きるために争ったり、考えたり、守ったり、そこらにいる動物の方がましな存在になる。 人は争わなければ向上しないし、過ちにも気がつかない。他人に対しても、自分に対しても。現代の教育事情、家庭事情しかり。
人間を特別な存在ととらえるならば、神様から頂いた思考の深さ、他人に対する思いやり、社会性をあだやおろそかには出来ない。 他人とのコミュニケーションによって生かされている事実もある。
自分が生きる為に不可欠なモノだからこそ、自分を含め、周りの人間、全世界の人間を大切に思わなければいけない。大小さまざまだが、敵と言われる相手に対しても、その人が敵であるという事実自体が自分にとって大切な存在であり、戦うことによって相手の過ちを学ぶことが出来る、自分の過ちにも気づくことが出来る。 お互いに向上しあえる。これがきれい事になることも多々あるが。
人を、その人その人に対して自分の出来る限り思いやる事が重要ではないかと思う。
その人、その人で。
どんなに自信に満ちあふれて生活していても、どんなに自身が無く自虐的に生きていても、日々何かしら発見があるように思う。
でも、ぼやぁーっと時間を過ごしていると、せっかくの発見も見過ごしてしまい、何の進歩もなく一日を終えてしまう。
そんな毎日が積み重なれば、何の進歩もない人間ができあがってしまう。
もちろん、そのポイントを見逃すことも多いのだが、今日はありがたいことに一つ発見をした。
今まで僕は、「自分は自分がよく知っている」と思っていたのだが、実はそうではなく、「自分のことはそのほか大勢の他人の方がよく知っている」ということだ。もちろん、自分の生きてきた中での経験や持っているモノ、考えていることとかいう種類のモノは自分がよく知っているし、自分しか知らないことも多い。
そうではなくここで言うのは、「自分の性格」「 自分の特徴」等の種類の事柄についてだ。
自分が行う事柄、言動、表現、すべてはその他大勢の他人に向けられていることであり、それによって僕自身を感じるのは自分自身ではなく他人であり、
つまり僕自身を評価する他人こそが僕自身を一番知っているんだなぁ、ということなのです。
だからといって、他人が自分のことをどう思っているか。正直知りたいところではあるが、そこは重要なポイントではなくて、
「自分が他人のことをどこまで思えるか」というのが、生きる上で大切な事柄の一つではないかと思ったのです。
でも、ぼやぁーっと時間を過ごしていると、せっかくの発見も見過ごしてしまい、何の進歩もなく一日を終えてしまう。
そんな毎日が積み重なれば、何の進歩もない人間ができあがってしまう。
もちろん、そのポイントを見逃すことも多いのだが、今日はありがたいことに一つ発見をした。
今まで僕は、「自分は自分がよく知っている」と思っていたのだが、実はそうではなく、「自分のことはそのほか大勢の他人の方がよく知っている」ということだ。もちろん、自分の生きてきた中での経験や持っているモノ、考えていることとかいう種類のモノは自分がよく知っているし、自分しか知らないことも多い。
そうではなくここで言うのは、「自分の性格」「 自分の特徴」等の種類の事柄についてだ。
自分が行う事柄、言動、表現、すべてはその他大勢の他人に向けられていることであり、それによって僕自身を感じるのは自分自身ではなく他人であり、
つまり僕自身を評価する他人こそが僕自身を一番知っているんだなぁ、ということなのです。
だからといって、他人が自分のことをどう思っているか。正直知りたいところではあるが、そこは重要なポイントではなくて、
「自分が他人のことをどこまで思えるか」というのが、生きる上で大切な事柄の一つではないかと思ったのです。
東京の美術大学に通っている頃、とある教授から、「お前は絵の才能は無いかも知れないが、文章を書く才能はあるかもな。」と微妙な意見を頂いた。
「点と線だけを使ってイラストレーションを描く」という課題の品評の時間での出来事だ。僕は点画なんてめんどくさいし、ちまちま定規で線を引いたりするのは面倒だったので、B3のケントボードを文字でうめた。
その当時は「無の世界に文字を埋め尽くすことによって出来た新しい空間を表現した」などと何とでも取れるような表現をしていたが、いま思えばそれはまったくもって「絵」ではなかった。ただ自分の中途半端な思想と分かってもいない美術論を持ち出しただけの作品だった。
教授はそのケントボードに書かれた「無の世界」というタイトルの僕の文章をじっと読み、「文章の才能がある」と言ってくれたのだ。
しかしその後、その言葉を真に受けるでもなく大学を卒業し、フリーターをしながら音楽活動に明けくれたり、デザイン会社に就職したり。
ある時いろいろあって、今自分は東京にいる必要性が無い、と思い、地元の鳥取に帰った。鳥取はのんびりしている。居心地がいい。ぬるま湯。
1年半くらい経つが、ただぬるま湯につかってあれやこれや考えていただけだったような気がしてきた。つまり、何もしていない、と。
まあ、何かをなすためにブログを始めようとしている訳じゃなくて、何となくなのだが、それとは別に、今の自分はこんな状態なのだという自分に対する自己紹介という感じかな?これは。
最初の話に戻るが、僕は自分では文章を書く才能があるかどうかわからない。でも、何故かは知らないが、大学時代の教授の言葉を今思い出し、そして何か文章にしてみたいと思ったことは事実で、それを表現するのはこういうカタチが一番良いと思ったことがきっかけ。
「点と線だけを使ってイラストレーションを描く」という課題の品評の時間での出来事だ。僕は点画なんてめんどくさいし、ちまちま定規で線を引いたりするのは面倒だったので、B3のケントボードを文字でうめた。
その当時は「無の世界に文字を埋め尽くすことによって出来た新しい空間を表現した」などと何とでも取れるような表現をしていたが、いま思えばそれはまったくもって「絵」ではなかった。ただ自分の中途半端な思想と分かってもいない美術論を持ち出しただけの作品だった。
教授はそのケントボードに書かれた「無の世界」というタイトルの僕の文章をじっと読み、「文章の才能がある」と言ってくれたのだ。
しかしその後、その言葉を真に受けるでもなく大学を卒業し、フリーターをしながら音楽活動に明けくれたり、デザイン会社に就職したり。
ある時いろいろあって、今自分は東京にいる必要性が無い、と思い、地元の鳥取に帰った。鳥取はのんびりしている。居心地がいい。ぬるま湯。
1年半くらい経つが、ただぬるま湯につかってあれやこれや考えていただけだったような気がしてきた。つまり、何もしていない、と。
まあ、何かをなすためにブログを始めようとしている訳じゃなくて、何となくなのだが、それとは別に、今の自分はこんな状態なのだという自分に対する自己紹介という感じかな?これは。
最初の話に戻るが、僕は自分では文章を書く才能があるかどうかわからない。でも、何故かは知らないが、大学時代の教授の言葉を今思い出し、そして何か文章にしてみたいと思ったことは事実で、それを表現するのはこういうカタチが一番良いと思ったことがきっかけ。