その人はとっっても嬉しそうに

「私の前世は古代エジプトの王族だったらしくて家臣の裏切りで非業の死を遂げた王女だったんだって!」と

語り始めました。

 

 

「へー。珍しい前世なんだね」と答えた私に彼女はさらに語ってきます。

 

その前世の時の裏切られた悲しみが

今世において自分の人間不信に繋がっているとか

本当は王族のような豊かさが自分に似合うと言われたかなんか

そんなようなことを熱弁してきました。

 

 

 

「かえみさんは前世は何だったの?そういうの見てもらったことあるの?」

 

「昔保育士の時、1度見てもらったことあるよ。金沢かなんかの北陸の姫だったらしくて、いやいやいや姫ってどれくらいの確率よw嘘っぽいなーーって思ったけど、でも大奥みたいな女だらけの環境にいたとか、政略結婚が嫌で仕方なかったってくだりを聞いた時は、その部分は私っぽい!って思ったかな」

 

「えー!お姫様だったんだ!すごーい!」

 

「???すごいとは???」

 

「だってお姫様だったんでしょ?」

 

「いやいやいや。そもそも記憶もないし、しょせん私は私だし、すごいって言われてもピンとこないな」

 

「そう?そういう前世を持っている人って特別なお役目とかあるみたいだし」

 

「そうなの?よくわかんないや。そもそも前世がお姫様だろうが町人だろうが農民だろうが、罪人だろうがなんでもよくない?」

 

「え!?どうして!?(驚)」

 

「え?どうしてってどうして?(驚)」

 

「自分の前の人生が罪人とか貧乏とかそういうの、ショックじゃない!?」

 

「え?なんで?どんな人生だろうと、どんな想いで生きてどんな想いをこの世に残してきたのか、それが今の私にどう影響しているのかとか、そういうのを知りたくない?」

 

「えーーー。そりゃそうだけど、でも前世それですとか言われたらショック」

 

「・・・そうなんだ・・・」

 

 

 

 

えっと・・・

あなたのその理屈で言ったら

前世の王女様が、来世である今のあなたを見てどう思うのか?って考えたことな・・・

 

おっと誰か来たようだ。

 

 

 

 

 

他にも似たようなパターンで

自分についている龍が白龍じゃなくて青龍だって言われて落ち込んでいた人とかいて

?????ってなったこともありました。

 

私にはその違いがよくわかんないんだけど

でも龍だろうがタツノオトシゴだろうが

自分を守ってくれている存在がどんな存在だとしても

今こうして幸せに生きていられるのだとしたら

もうここまで守ってくれて感謝しかないけどなぁ・・。

 

 

むしろポンコツだとしたら「やっぱ私に似てるのねww」と愛しさしかない。

 

逆にめちゃくちゃすごい守護だとしたら

「え?これはもっと頑張んなきゃいけないやつなのか・・・?いや、むしろそっちがもっと頑張ってくれよww」とか思ってしまうかもしれんww

 

 

 

どちらにしてもここまでこんなめんどくさい私と一緒にいてくれたことに感謝だ。

 

 

*******

 

上記はスピリチュアルあるあるでの話だけど

似たような話はリアルでももちろんあります。

 

 

会社で優秀な営業が独立したとたん仕事が取れなくて

実は会社の看板で成り立っていた信用と実績だったことに気が付いたりとか

 

夫が稼いできたお金を自分「だけ」のもののように勘違いして

さらに自分はあげまんだと錯覚した挙句

家のお金を使い果たしてしまう女性とか

 

インフルエンサーとちょっと一緒に仕事をしたとか遊んだだけで

自分も影響力を持ったと勘違いしたとか。

 

 

私なんかは保育士を辞めて個人事業主になってからは

最初仕事が思うように進まなくてイライラしていました。

 

でも

自分が当たり前に身についていると思っていた仕事の「スピード感」は

実は単に構築された仕組みの上のものでしかないことに気が付いたんですね。

恥ずかちい・・・

 

 

 

要は

 

私たちは自分との距離の近い「自分以外の何か」を

自分のものだと勘違いしてしまう節があります。

 

 

それは自分の能力だ

それは自分の功績だ

それは自分がやってきたことだ

それは自分の財産だ

それは自分のものだ

その人・その子は自分のものだ

それは私のステータスだ

 

 

そしてそれが幸せだと思いこんだり、それが自分の価値だと思いこんだり・・・

 

 

 

もちろんこれは盛大な勘違い。

でもここの境界線を引けなかったり

引いているつもりでも調子に乗って勘違いしちゃったり

 

まぁ人間なんで、普通にそういうことありますよね。

 

 

 

大事なのは

勘違いしているかどうかではなく

気がつけるかどうか?です。

 

 

 

どうやって確かめたらいいかといったら

それはもうシンプルで

 

自分が死んだときにそれを持っていけるかどうか?

 

だとわかりやすいかと思います。

 

 

そうやって考えると

 

ほんっとまじで私たちって

しょぼいんですよね 笑

 

 

 

でもそれでいいのだと思います。

 

 

 

 

 

 

しょぼいポンコツのまんま

周りのものをありがたく受け取らせてもらいましょう。

 

 

ありがてぇありがてぇって言いながら

堂々と使わせてもらう

堂々とやらせてもらう

 

遠慮はいらねぇ。

 

 

そうやって

笑って楽しい気分で

自分から生み出し、提供し

周りと一緒にハッピーになればいい。

 

 

その彩られたプロセスや時間は自分のもの。

 

 

 

 

 

だから私はこれからも

時々勘違いしながら

ありがたく受け取って、楽しんでいこうと思います。

 

 

この文章も

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何よりも

こうして読んでくださる皆様がいて

初めてお届けすることができます。

 

 

いつも本当にありがとうございます。

 

そしてこれからもよろしくお願いいたします^^

 

 

 

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