私、今シーズンの大河ドラマ見ているんですよ!

ええ、「どうする家康」です。

 

何を隠そう大河初心者♡

何回か見始めて思ったのは「もっと前から大河ドラマ見ておけばよかった~!!」ということ。

 

Twitterとかで#どうする家康を見ると、いろんな方がいろんな角度で面白い解説をしていて

それがすごく面白い!のです。

ある時は大笑いし

ある時は「え?!史実ではそうなっているの?よし調べてみよう!」ってなったり

一粒で二度も三度もおいしいみたいな楽しい状態。

 

あーーーこんなに面白いなら、もっと早くから大河を楽しんでいればよかったーー!!

 

 

と、そんな大河ライフをささやかに楽しんでいる私でありますが

どうする家康の三河の一向一揆がテーマの回の時

こんな面白いツイートを見かけました。

 

 

三河一向一揆とは、三河国の西三河全国で永禄6年~7年まで行われた一揆のことです。

現在の 安城市 野寺の 本證寺 第十代・ 空誓 ( 蓮如 の孫)が中心となって 浄土真宗 の 本願寺 門徒に檄を飛ばし、領主の 松平(のちの徳川)家康 と戦いました。

空誓はどうする家康では写真右側、市川右團次さんが演じられました。(ちなみに史実では空誓は一向一揆当時、19歳だったそう。どんだけカリスマなの・・・)

ドラマの中で空誓は商人を呼び寄せ寺の中にディズニーランドのようなユートピアを築き、庶民を救って勢力を拡大している様子が描かれていました。

庶民の苦しみに共感してともに涙を流し、優しい言葉をかけ、食べ物をふるまい、音楽と踊りで楽しいひと時を過ごし、あの世は天国と極楽浄土を説く。

私がこの地獄のような戦国時代に生きる庶民だったら、たぶん最前列で「キャーー!!空誓上人さまぁぁぁ!!」って絶叫していた自信しかないわ。

 

そして一方の写真左の禅宗。

すみません、たぶん過去の大河ドラマの一コマだと思うのですが、どちら様なのかよくわかってません。ごめんなさい。

ただツイートにある禅宗の教え「あると思えばあり、無きと思えば無い」っていうのは、まさに真理。

己の心次第で見える風景が変わるというのは、今現在の私が持つ感覚でもあります。

 

 

というか

このツイートを見て思ったのは

私たち人間は、昔っからほんとーーーにおんなじこと繰り返しているんだなってこと。

現在のスピリチュアルや自己啓発でも同じような光景があると思いません?

 

 

 

でもね、これ・・・どの教えが正しくてどれが間違っているかだとか

どれが優秀でどれが劣っているだとか

どれが本物でどれが偽物か

そんなジャッジは本当に心の底から意味のないことだと思うのです。

 

 

 もちろん自分に合う合わない

なんか違和感あるなぁ違うなぁ、なんかいいなぁしっくりくるなぁ

 

そういう自分の持つ感覚はめちゃくちゃ大切にしたほうがいいけれど

あくまでもそれは主語は自分である必要があると思います。

「私はこれがいいと思った、私はこれを信じようと思った」「私には合わなかった、私はこういうのは嫌いだ」と。

 

主語を自分以外にして「あれは偽物」「あれはわかっていない」と

優劣をつけるのは、ただの自信のなさの表れ。

そして

自分自身の否定です。

 

 

それは

地獄のような苦しい時に「飴ちゃんあるよ」という甘言に依存させることを否定するなら

依存したくなる自分を否定することと同じです。

 

不安をあおる自己啓発者やスピリチュアルにはまって、救いを求めることを馬鹿にするのなら

それは心が弱っておかしくなってしまう自分を馬鹿にするのと同じです。

 

 

 

存在を根っこから否定するのと

存在を認めながら「今、私は選ばない」と決めることは

全く違うことです。

 

 

だからこそ

自分が選んでいるという自覚を持つこと

そのために

主語は「私は」を意識することが、めちゃくちゃ大切なことだと思います。

 

 

自分が主語ならいくら馬鹿にしても間違っていると言っても

それは自分が選んだ感想と結果であり

存在を根っこから否定したことにはなりませんからね。

 

もちろん自分から出た言葉には責任が伴うので

出す場所は選んだほうがいいと思いますが 笑

 

 

****

 

こういう仕事をしていると

 

〇〇さんの教えよりも□□さんの教えのほうが本物

××さんは見えない存在が見えるからすごい!格上!

 

そんな話をちょいちょい聞きます。

 

私自身も

私の所にいた時はめちゃめちゃ心酔していた元クライアントさんが別の方の所へ行った後

その元クライアントさんから「かえみさんは大したことないよね」的なことを言われるなどのマウントを食らったこともあります。

 

すべては外側に正しさを求める弱さゆえ、恐れゆえのものです。

 

でもね、これをすればするほど

本当に自分の過去を否定することになります。

 

ただただ苦しくなるだけ。

 

その時の自分が選んだこと

今の自分が選ぶこと

 

何一つ間違いなんてありません。

 

その時選んだあとの喜びも苦しみも

すべては自分の糧になったのであり

今自分が選んだ結果の喜びも苦しみも

これからの糧にしかならないから。

 

 

だから「私は」を意識して

堂々と選んでいきましょうね。

 

何を選んでも糧にしかならないのなら

絶対に間違うことなんてないのだから。

 

 

 

 

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