こんばんは。
最近ちょっと考える機会が多いので
書いてみようかな、と思うんですが。
「今年の漢字」ってあるじゃないですか。
毎年漢字検定協会が清水寺で発表しているあれです。
今年の漢字は「絆」になったそうですね。
なんでも大震災後の人のつながりとか、なでしこジャパンの優勝からの人々の絆というものを再確認した、などというのが評価されたみたいですね。
それで、あれにどういう意味があるのか、ということをよく思うんです。
それを発表したところで何の影響があるのか。正直、人によって違う生き方・考え方があるのに国内でたった一つに定める必要があるのか。
もちろん、その年の日本にとって、世界にとって象徴的な出来事は何かあると思います。
それが良いニュースであっても、悪いニュースであっても。
あと、それを毎年一つ決めることで人々が漢字というものに関心を寄せる機会を増やすことも、わからなくはないです。実際に考えている人は全国に結構いるようですからね。
ただ、正直何かそれ以上に明確な、有益なことがあるとは僕は思えないです。そもそも象徴的な出来事なのであれば、それは色あせることなく後世に残っていくはず。
たとえば1998年の漢字は「毒」だったが、その年に和歌山の毒カレー事件があったりダイオキシンや環境ホルモンなどの問題が顕在化したということは、そのころにそれなりに成長していた人たちには結構な割合で記憶にとどまっているはず。逆にそれがとどまっていないのなら、漢字を発表しようとしまいとその人からは忘れ去られていることなんですよね。
その年の世相を反映した字を表す、ということであれば、それは後世にしっかりと残しておかなければならないはず。その年限りで忘れてよい、なんてことはないはず。
ただ、それはただ漢字一字にまとめられたからといってその貢献度が高いかどうかはいささか疑問です。1995年の「震」なんて、そんな漢字わざわざ残しておかなくたって、その年に兵庫県南部地震があったことはほとんどの人が記憶していると思うんです。地下鉄サリン事件が起こったことは多くの人が知っていると思います。会社の倒産が相次いだことも結構な人が知っていると思うんです。
たとえば、流行語大賞というのは、その年流行った言葉に対し表彰をするというものであるが、これは数年前、十何年前のものでも覚えている人は多い。しかし、ひとつ視点を今年の漢字に切り替えてみると、数年前の漢字を覚えている人はどれくらいいるだろう。少なくとも、流行語よりは覚えている人の数は圧倒的に少ないと思います。
理由は簡単で、一文字であることがわかりやすさを提供している反面、あまりにインパクトに欠けるからだと思うんです。流行語はたくさん言ったり見たり聞いたりしているから親しみやすいが、漢字一文字はそこまで親しみを持てない、ということもあると思います。
僕がいいたいことは、その年を漢字一文字で表すというのは、試みとしては面白いが、インパクトに欠けるためすぐに忘れ去られてしまうし、わざわざ表さなくても、残っていくものは残っていくはずだと思います。
先にも述べたが、漢検協会が発表するあたり、目的は何となくわかります。
しかし、それなら漢字一字では少し物足りないかな、と感じます。ましてや、その年を象徴する一文字、という条件はなかなかきつい。
出来事は非常に記憶にとどめやすいが、漢字一文字ではあっという間に忘却されてしまいますからね。
意味が見出せない試みということで、いまいち存在意義が僕にはわかりません。
それ自体は面白いと思いますが。
という、何となく独り言に近い日記でしたw
それではー。
