「人間に自由意志などない」っていう説があるのを最近知りました。これって有名な説なのかな?

 

 

 

人は自分の人生の選択を自分で決めているように思ってるけど、全ての条件が入力された状態で、わたしたちが体験してるのはその結果

 

とかいう話ね

 

 

 

これに対して、「それが真実だとしても、少しは自由意志もあるんじゃない?」という人もいる

 

 

 

そういうのを見て思ったの

 

 

 

わたしの意志で身体を動かせているパーセンテージが、人生をコントロールできるパーセンテージではないか?

 

 

世界がフラクタルならあり得るよね

 

 

 

 

数パーセントが舵を取る

 

AIに聞いてみたところ、意図的に身体を動かせる自由意志の領域は1~5%とのこと

 

 

 

自動的に動く95~99%というのは

 

 心臓を動かす、消化する、ホルモンを出す、免疫がウイルスと戦うなど、内臓の動き

 


歩くときの足の運びや、飛んできたものを避ける反射や習慣

 


体温を 36°C 前後に保つホメオスタシス


この領域では、わたしたちはただの”乗客”に過ぎない

 

 

 

意図的に動かせる自由意志の領域1~5%

 

これは骨格筋の一部と、意識を向ける方向の選択

 

 

手足をどう動かすか

 

何を食べるか

 

誰と話すか

 

AとBどちらにするか

 

 

このたった数パーセントの自由意志が、残り90%以上の自動操縦の舵取りをしてる

 

 

巨大なタンカーのエンジンは自動だけど、舵を少し傾けるだけで、ハワイにも南極にも行ける、みたいな。

 

 

 

 

この身体でこの人生を歩んできた結果が今

 

 

1つ前の記事と少し関連する話になるかな

 

 

憧れの人を見て「スゴイ」って思ったとしても、その人になりたいとは思ってない

 

 

容姿とか資産とか人気度とか、一部だけマネしてみたいと思っても、それすら全く同じじゃない

 

 

 

「あの人と自分は違う」というと、スネていると思われることもあるけど、そうでもない。本心では望んでないだけ

 

(実際スネてる場合もある。笑)

 

 

 

唯一無二の身体を持って、唯一無二の親の元に生まれ、特定の土地で育ち、偶然出会った友達や大人に囲まれ、偶然起きたイベントやハプニングに巻き込まれた、地球上にたった一人しかいない、その人にしか選べない人生なんだよね

 

 


まったく同じ親で同じ体験をしたとしても、その人と同じ感情にはならない。だって身体組成とか回路が違うから。一緒に育ったきょうだいでも、全然違うじゃん?

 

たとえクローンだとしても、まったく同じにはならないと思う

 

 

 

自分にないものを欲しがって、その人の外側(容姿や資産、環境など)に近づくために相当な無理をしなきゃいけないとしたら不幸だよね

 

 

 

もし近づけたとしたら、それはもともと本人に備わってた要素

 

 

 

容姿や環境なんて、いつだって相対評価でしかない

 

 

 

全員がお金持ちになったら、その中でまた差が出る。ほかと比べる限り、いつだって誰かが勝ち組で誰かは負け組

 

 

 

だから相対的な勝ちに固執しない方がいい。勝ち続けることもないし、負け続けることもないんだから

 

(それを励みに頑張れるならいいけどね)

 

 

 

わたしは世間一般でいう成功者でもなんでもなく、むしろ逆かもしれない(笑) でも本人としては、今すごく自然な状態で生きてる

 

 

 

エゴに苦しむことも少ないし、やりたいようにやって、素直に自分を表現できてる

 

 

 

めんどくさいことも多いけど、家族と一緒に住んでる。家を出てもいいけど、少なくとも今はその時じゃない。同情とか自己犠牲とか自己卑下とかでもなく、自分で選んでここにいる

 

 

 

今のわたしって、不安要素を挙げようと思えばキリがないんだけど、あんまり気にしてない。未来の不安を解消するために今を犠牲にできない

 

 

 

これは今のわたしの正解

 

 

 

わたしの身体でわたしの経験でここまで生きてきて、選んでいるのが今の現実。ただそれだけのこと

 

 

 

来月には全然違うことしてるかもしれない。その時はその時

 

 

 

日々、ほんの少し舵を動かす

 

 

こうやって書くと、運命論に聞こえるかもしれないけど、そうでもない。かといって人生諦めてるわけでもない。自分で選んでここにいる

 

 

 

たとえば昨日、ずっと前から気になっていたけど「めんどくさいからいいや」って素通りしていた飲食店でテイクアウトしてみた。ささやかでしょ笑い泣き

 

 

 

いつも通り素通りしようか迷った後に、「今日は違う行動をしてみるか」って動いてみた

 

 

その飲食店は外観しか知らなくて、どんな人がいてどんな雰囲気かも知らなかった。だから小さな冒険だった

 

 

 

そしたら、店内の雰囲気も店主も良かったし、テイクアウトした料理はめちゃくちゃおいしかった✨ここで1つ経験を積んだことで、回路がほんの少し書き換わった

 

 

 

たとえ、これが雰囲気最悪で味がマズくてもいいの。笑

回路を書き換えることに変わりはない

 

 

 

これは「イマココ」にいて選択したことだった

 

 

 

川は必ず上流から下流に流れるけれど、右側にいくのか左側に行くのかは選べる。そして分かれ道に来た時に、どちらに流されるかは決められる

 

 

 

そうやって、小さな回路を書き換え続けて一定の何かが溜まったときに、太い回路が書き換わるのだと思う

 

 

 

革命が起きるときって、外野からすると一夜で全部がひっくり返るように見えるけど、内側ではずっと準備が行われてるんだよね

 

 

 

小さな揺らぎが全ての始まり

 

 

 

誰かひとりが疑問を持って、その人が少しずつ広げて、着々と準備をして、「その時」が来た時に一気にひっくり返る

 

 

 

身体の内側でもそういうことが起きてるんじゃないかな

 

 

 

わたしが自分の人生のためにできることは

 

余計なノイズを減らすこと

 

エネルギーを循環させること

 

イマココにい続けること

 

そんなわたしの身体が生み出した世界を味わうこと

(つまりイマココ)

 

それを回していった先に、いつか思い描いた世界があるのかもね