ちの長女・・ぴなこ(現在小学三年生)
 の発症からこれまでのお話です。
 記録として、書き溜めていたものをUPします。
 GW明けからのお話です

2009年5月
 
 ゴールデンウィーク大好きな友達や、いとこと遊んで
  気分も、体も UP UP 上げ上げ おんぷ
  杖なしでも何とか歩けて、痛みも緩和。
  「動ける動ける」という、娘とは裏腹に母の私は、
  頼むから、ほどほどにと、思っていました。
  明日から登校するというので、せめて、
  杖なしで歩けるようになってからね と言っていました。


2009年5月18日
  待ちに待った登校日、自力歩行はできるものの、
  頼りないので杖を持って、車で送っていく。
  この日は、頑張って、なんとかお昼まで頑張りました。
  昼からの授業で、階段を上がろうとしたら、
  足が固まって、動けなくなったらしい。
  午前中も、臀部が痛くていすに座るのがやっとで、
  そんなになるまで頑張らなくても・・・と思う。

  お迎えに行くと、担任の先生から一言

  「そんなに無理しなくても・・・」

 
 心配してくださって、かけてくれた言葉だったと思います。
  でも、私には
    「そんなに無理して学校にこなくてもいいよ、困るんだよ」
  そう聞こえた気がしました。

  この頃から、娘は、「しょうがないわ・・」が、口癖になりました。


2009年5月19日
  1ヶ月ぶりの診察。
  N先生との相談の結果、ガバペンを服用することになる。
  本来、抗てんかん薬として使用されているそうです。
  20以上での服用が望ましいそうです。
  一日の服用量は、体重の十分の一なので、
  200を三回に分けて服用することになりました。
  三しゃ神経に作用する為、過敏な神経が抑制されるらしい。
  先生は、抗痙攣薬のガバペンか、抗うつ薬のSSRI・SNRIの
  どちらを服用するか悩まれていた様子でした。
  どちらにしても、小児の服用は認可されていません。
 
  判断として、精神的な要素はみられないため、
  ガバペンにかけてみましょう。とのこと。

  病名すら知らなかったN先生が、素直に勉強して
  下さる姿勢を見て、安心することが出来ました。

  問題は、副作用のことです。
  薬の効果は、4日程度で現れるようです。
  吐き気、眠気などが1~2週間現れる。
  体内に残留する薬ではないため、
  効果の持続時間が短いので、きちんと飲む事。
  と、説明を受けました。

  車椅子に乗っている娘を見て、薬が効くことを
  ただただ祈りました。


2009年5月20日
 初めてに飲んだ薬の副作用か、明け方から調子が悪い
 頭痛、腹痛、嘔吐感、全身の痛みで登校できませんでした。
 それでも、少しマシになったら、学校へ行きたいという。

 その頑張りがダメなんだよ。と、心の中で思う

 この日の頭痛はひどく、一日中、頭を抱えていた。
 「お母さん、バケツをかぶって、何本ものバットで
   殴られているみたいだよ」と、言いました。
 食事も、ほとんど取れませんでした。
 まだ、いっぱい石を引きずって歩いているようだと・・
 
 薬が効くようになるまで、あと少し、がんばれ・・・・

  
2009年5月21日
 今朝も、副作用か食事はとれない。
 それでも、少しでも登校したいというので、送ってゆく。
 1時間、なんとか頑張るが、急な発熱(38.0度)
 お迎えに行って、自宅に戻ると、ダウン。
 ソファーに座ったまま、暫らく固まっていた。

 今日、松葉杖をついていたときに、
 「骨折してないのになんで杖、使ってるんや」って、言われた
 らしい。
 どうにかしてやりたいが、誰を攻める訳にもいかない。
 大人でも理解できないのに、子供に理解できるはずもない。
 その日の夕方、学校の先生からのTELで、これからの為に、
 全校朝会で娘のことを説明してもいいかと、相談される。
 本人の意見を尊重してほしかったので、電話に換わる。

 
「みんなに言ってもいいよ。
  でも、かわいそうと思って欲しいんじゃないから
   こんな病気があるって事を、
      みんなに分かって欲しいだけ」  


 
この言葉を聞いて、痛くても登校する気持ちが分かりました。
 理解してもらえない事で、ずっと、苦しんでること。
 少しでも、分かってもらおうと頑張って登校している意味。


2009年5月29日
 朝から、まずまずの体調。相変わらず、頭痛、吐き気、腹痛
 薬の副作用と思われる、眠気。
 今日も、一時間でも登校するという。

 2時間目まで頑張るが、3時間目でダウン。38度まで発熱。
 帰宅後も、ぐったりと、横になる。

 薬が聞かないかと、一日一日祈る気持ち。


2009年6月5日
  ここ一週間ほど、ずーっと同じ調子だったが、
  今朝は、自力で起きてきた。
  今日は、ここ何ヶ月かで一番調子がいいらしい。
  引きずっていた石の数が、少し減ったらしい。
  今日は、最後まで授業を受けれた。
  途中、保健室で休んだものの、
  ここ何ヶ月かで、初めての快挙。
  疼痛程度もので、調子はとてもよい。
  何ヶ月ぶりかに、お友達とも遊ぶことが出来た。
  
  やったー 薬が効いた・・・これで治ると、喜びました。

 

 また、長々と読んでくださってありがとう(=⌒▽⌒=)
 次回も、もう少しお付き合いくだされば、幸いです。
 
                        by ふみたん
                             



 
 

  

  
   
  

 



   





ちの長女・・ぴなこ(現在小学三年生)
 の発症からこれまでのお話です。
 記録として、書き溜めていたものをUPします。
 発症から、入院~退院 までのお話は前回です。


2009年1月
 
 2週間おきに、病院へ行き、N先生の診察を受ける。
 ライム病(感染症)、若年性リウマチ、橋本病
 一つ一つ検査をして、可能性を消していく繰り返し。
 行く度に、何本も血を採られる。
 文句ひとつ言わずに、手を出す娘。
 検査の結果、すべて陰性。
 
 この頃、体のあちこちに痛みがあり、学校も休みがち。
 自力歩行は出来るものの、ランドセルが背負えなくなった。
 学校に行きたくて、なんとか登校するが、最後まで
 授業を受けられない状態が続く。
 「すこし甘えが出てるんでは」無神経な教師の一言。
 「しんどい、痛いって言っても、がんばれとしか、
 学校の先生は言ってくれへん、本当に痛いのに」
 理解してもらえない苦しみ。
 
 救いだったのは、睡眠中は痛みを感じなかったこと。
 朝まで、ぐっすりと寝れていたようです。

 毎晩、「明日になって、この痛みが消えてればいいのにね」
 と、言いながら眠りにつく娘の寝顔を見ていて、
 何も出来ない自分が歯がゆく、情けなかったです。


2009年2月
 いつも一生懸命なN先生が、初めて「お手上げだよ」
・・・・
 僕の出来ることはこれが精一杯だよ。って。
 「だから、月一でこの病院にこられる難病専門の先生に
 診察を受けてみよう」と、言ってくれました。
 これ以上僕が診察しても、先は開けない。

 これって、凄いことですよね。
 なかなか、いえることじゃないですよね。
 これが、大きな一歩を踏み出すきっかけでした。


2009年3月
 N先生同伴で、子供病院のM先生に診察を受ける。
 何点かの問診の後、娘の体の何箇所を押さえ始める。
 そんなに強く押さえた訳ではないのに、
 押さえた箇所全部ヒットして、体をよじって痛がる。
 
 「線維筋痛症という病気です。
      必ず治ります。頑張りましょう」


 小児の場合、圧痛点が曖昧な場合が多いけど、
 正確かつ明確であるそうだ。
 小児は心身的なものが多いそうだが、
 N、O先生が 娘にはその可能性は低いと言われた。
 じゃあ、なんなんだろう?
 M先生いわく、診断がついただけで完治する例もあるとの事。
 すごく、期待した。目の前がパーッと明るくなりました。
 このときは、これで治るものだと思っていました。

 娘に説明するのに、どういってやったらいいのか悩んだ。
 一年生ですもの、理解できませんもの。

 「頭の中にね、体がしんどいとか、痛いとかって全身に
  信号を送ってやる機械があるのね。
  その機械のスィッチが故障してるの。入り切りが出来なくて、
  痛くないはずなのに、痛いって信号を、体に送るの。
  それからね、信号を流すボリュームの、ダイアルも壊れているの。
  だから、ボリュームが1なのに、100位まであげてしまうの
  指や、水が肌に触れただけでも、何百倍もの痛みに感じてしまうの」


 こんな説明をしてやったと思います。
 この痛みが、アロディニア というと、あとで知ることになります。
 どこまで理解できたかは分かりませんが、
 なんとなく、ホッとした覚えがあります。

 大学病院のN先生はこの病名をご存知ではありませんでした。
 そして、いろいろ勉強して来るよと、おっしゃってくださいました。


2009年3月
 学校にも診断書を提出して、担任の先生と保健の先生とで、
 いろいろ相談をして、今後の対応を考えてもらう。
 どこまで理解していただけたかは、半信半疑。
 仕方がない、母親である私ですら、手探りの状態。
 
 春休み中、完治したかと思うくらい、元気になった。
 でも、体の痛みはないが、頭痛や腹痛、倦怠感は続く。


2009年4月上旬
 友達に、不意に後ろから押され擦り傷をつくって帰宅。
 学校からの電話で、やけに痛がるので、
 お迎えの電話でした。
 この日から、再び痛みが戻ってきます。
 その夜、テレビを見ていましたが、終わって立とうとすると、
 「立てない、体が痛くて立てない」と、言うのです。
 回復に向かっていると信じていた矢先の出来事でした。
 
 翌日、足に触るのはもちろん、靴下もズボンもはけない、
 周囲を歩く振動が、足に伝わって、響いて痛いと言っていました。
 家の中での移動手段として、松葉杖を購入しました。
 「お母さん、石鹸のあわも、水も、足についても痛い」と、言いました。
 次の日から、松葉杖をついて登校すると言い出す。
 結局、登校したものの、臀部の痛みでいすに座れず下校。
 学校を暫らくお休みすることにしました。


 この頃の痛みを、娘はこういっていました。
 「体の中にスコップを入れられて、
  体の肉をグリグリとえぐられているようだ」

 小学2年生の少ない語彙のなかで、精一杯の表現
 だったと思います。


2009年4月下旬
 病院の診察日、車椅子で診察室に入ると、先生はびっくり。
 完治の方向へ向かっていると思っていたらしい。
 中枢神経の痛みだから、痛み止めは効かないらしい。
 まして、小児なので薬も限られてくるそうです。
 先生も、たくさんの情報を仕入れて、勉強してくださいました。

 でも、この頃、頭痛がひどく眠れないときもあったので、
 ブルフェン錠(痛みの緩和)と、アタラックス(頭痛薬)を、
 飲んでみることになりました。

 ブルフェン錠・・・・・・・・・・痛みの改善はなし
 アタラックス・・・・・・・・・・服用30分後から眠気
    (いすに座ったまま眠って、落ちました)
 2週間近く頑張って服用しましたが、服用中止。


2009年5月上旬
 ゴールデンウィーク イベントや来客がきっかけで、
 杖なしでも時折歩ける様子。
 夢中で遊んでいると、痛みも忘れている様子。
 これをきっかけに少し回復してくる。
 今度こそ、完治かと思いあせる。

 好きなことをしていると痛みが飛ぶこと、 楽しいことが
 あると、動けてしまうこと に気がつきました。
 今までは、痛いから、寝てなさいって、言っていました。
 痛々しくて、頼むから動かないでって言いたくなるんです。
 家の中を杖で、歩けるようになるまで回復
 長い間学校をお休みしていたので、
 翌日から学校へ行くと楽しみにしていました。



長々と読んでくださってありがとうございます。
次回は、学校へ久しぶりに行く日から書いてみます。


                       by ふみたん

ちの長女・・ぴなこ (現在小学三年生)
 の発症からこれまでのお話です。
 記録として、書き溜めていたものをUPします。
 
8歳になる娘は、7歳のとき(小1)線維筋痛症と診断されました。
小学3年生になる、今も治療中です。
普段は、普通の子供たちと同じ元気な女の子です。
発症からこれまでのお話です。
記録として、書き溜めていたものをUPします。

 「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」
  日本では、まだまだ認知度の低い病気です。
  医師ですら、この病気を知っている人は限られています。
  小児の発症例も少なく、情報に乏しいのも現状です。
  全身の耐え難い疼痛を、主な症状として、
  全身の浄土の疲労や、様様な症状を伴う疾患です。
  症状が進行すると、常時激しい全身の痛みに苦しみ、
  僅かな刺激(爪や髪への刺激、服のこすれ、音、振動)
  等でも、激痛が走り、日常生活が困難になります。
  「死にいたる病気ではないが、死んだほうがマシな程の痛み」
  と、表現されます。
  現在の所、原因は不明だが、
  中枢神経および、末梢神経の異状によって、
  痛みの回路が変わり、痛みを増幅させていると、言われています。
  または、脳の神経細胞の、電気信号の情報伝達するときの、
  異常ではないか、とも、言われています。
  原因も不明であり、治療法も確立されていない。

掻い摘んだ、説明で申し訳ありませんが、
娘のことを、読んで戴く前に、「線維筋痛症」のことを、
少しだけ、理解して頂ければ、幸いです。


もし、もう少し、病気のことを知っていただけるのであれば
下記のサイトを覗いてみてください。
 線維筋痛症 wikipedia  
 JFSA 線維筋痛症 友の会  

 

 娘は、幼稚園の頃から、発症するまで一日もお休みすることなく
 登校していました。
 熱があっても、お休みするのがいやで、毎日学校に
 行っていました。
 鉄棒から落ちて、目の上を縫ったときも、
 涙ひとつこぼさなかった、頑張りやさんです。
 でも、周りに気を使う、すごく繊細な子です。


2008年11月上旬
 この頃、腹痛、頭痛、息切れ、倦怠感 などの症状が出始める
  (精神的なものかと様子をみるが、学校は楽しい様子)
 インフルエンザの予防接種後、3日間39度近くの高熱が続いた


2008年11月中旬
 保健室と教室の往復が始まった。
 吐き気が症状に加わり、常に体が重いと訴える。


2008年11月下旬
 下校してから、ソファに横になることが増えた。
 腹痛も頻繁で食事を中断することもしばしば。
 近所の小児科を受診するが、異常はないと言われる。
 息苦しいのは、ストレスだろうと言われ、
 家庭に問題がないか?と、言われ、私は、落ち込む。
 が、本人は精神的じゃない、体が変だと訴える。
 医者が、笑いながら話をするので、不信感を持つ。
 信頼できそうにないので、県立病院を紹介してもらう。


2008年12月1~4日
 県立病院を受診、脳波、CT、MRI、血液 すべて異常なし。
   この頃の症状
     頭痛、腹痛、倦怠感、嘔吐、めまい、耳鳴り、嚥下困難
     悪寒、息切れ、体に電気が走る、発熱、下肢の痛み、
 この頃から、登校はするものの、殆どを保健室で過ごす。
 足を引きずって歩くようになり、車で送迎をしていた。
 「重い石を何個も、引きずって歩いているみたい」と言っていた。
 検討もつかないと、大学病院へ行くように言われる。
 この先生も、あまり良い印象がなく、
 ただただ、厄介払いをしたい雰囲気が漂っていた。


この後、大学病院で現在の、ぴなこの主治医のN先生に出
会うことになります。
 この頃は、どの先生にも不信感を抱いていました。
どれだけ説明しても、データしか信じようとしない医師に絶望し
その反面、私自身、娘の言うことを、どこかで信用していない
ところがあったと思います。
だって、50mを全力疾走していて、後ろを振り向いた瞬間に
動けなくなるんでよね。
誰も、信用してくれない・・・・。
今から思えば、とても不安だった
と、思います。

でも、このときは、これ以上、悪くなるとは、思っていませんでした。


2008年12月12日
 大学病院の小児科を受診、担当は脳神経専門のN先生。
 とりあえずの問診と、血液検査などをする。
 詳しい検査をする為に、一週間後来るように言われる。
 症状からして、ウイルス感染などで起こる、
 ギランバレー症候群の可能性を示唆される。
 とりあえず、方向性が見つかったようで、
 ほっとして帰宅した覚えがあります。


2008年12月13日
 診察翌日、家族で出掛ける。
 途中で具合が悪くなり、帰宅する。
 夜、見た目にわかるほど瞼の下垂がみられる。
 そうこうしているうちに、手足を曲げられないほど
 痛がるようになって、手足に触れるだけで痛がった。
 とりあえず、おんぶして二階まで運んで寝さした。
 そのうち、眠ったので、明日まで様子を見ることにする。

 このときは、明日になれば、痛みは治るかな?
 程度にしか考えていなかった。



2008年12月14日
 朝起きても、瞼の下垂、手足の痛みは変わらず。
 息も苦しく、呼吸がしづらいと言う。
 起き上がることも辛そうになった。
 土曜日だったが、大学病院へ電話してみる。
 救急受付だったが、小児科の先生につないでもらう。
 先日、N先生の診察を受けたことをや、
 ギランバレー症候群のことを説明する。
 症状を詳しく言うと、今すぐ病院に来るように言われる。
 ギランバレーは、突然呼吸が止まることもあるから、
 すぐに家を出るように言われた。
 でも、病院へ着くまでに、時間が、かかるかもしれないと言うと、
 来る途中で呼吸が止まる可能性がある為、
 救急車の待機と、道中の近隣病院への要請も
 手配するから とのこと。
 
 急にいろんなことが一度に襲ってきて、
 私はパニックになりました。
 正直、病院へ到着するまでのことは、よく覚えていません。
 高速を走っている間、子供の手を握っていました。

 なんとか、病院へ到着すると、救急処置室へ運ばれた。
 この時のO先生が、N先生の脳神経グループの主任で、
 この後、二方の先生にお世話になる。
 血液検査では、ギランバレーの反応が出ないこともある為、
 ルンバール(
腰椎穿刺、俗に言う、髄液検査)することになる。
 痛みで泣き叫ぶと思うので、廊下に出てくださいと言われる。
 
 でも、とても、強かったです。
 声も上げずに頑張ったと、先生がびっくりしておられました。
 今から思うと、人よりも痛みに敏感なこの時期に、
 この検査は、想像を絶する痛みであっただろうと思います。
 廊下で待っている私が、号泣してしまいました。
 この日から、小児病棟での入院生活が始まりました。

 O先生のその日の説明では、瞼の下垂からして、
 ギランバレーよりも、重症筋無力症なども考えられるとのこと。



2008年12月15~28日
 この日から、二週間入院することになりました。
 入院して、5日間ぐらいは車椅子で移動しました。
 呼吸停止防止のため、モニターを24時間つけました。
  O先生も、N先生も悪くなった娘を見ているので、
 とても一生懸命になってくれました。
 何かを見つけようと、診察の間に何度も何度も、
 病室に足を運んでくださいました。
 基本的な検査から、かなり詳しい検査までしました。
 が、すべてにおいて陰性でした。
 でも、微熱もずーっつと続いていたので、
 食事もほとんど、取れませんでした。
 ルンバールの結果、ギランバレーは陰性なので、
 緊急性がないのと、年末なので、ひとまず退院。

 これだけ検査して、なにも見つからない。
 じゃあ、いったい何なの・・・・。
 どこにぶつけていいか分からない怒りとあせり
 でも、本人が一番つらかったんだと思います。
 けれど、娘は強かった。
 早く治して学校に行くために、どんなつらい検査でも、
 頑張りました。
 わが子ながら、頭が下がる思いでした。


ここまでが、発症してから入院退院までの経過です。


今、思うと、短い間でいろんなことがありました。
病室の狭いベッドで、二人で寝ていていろんなことを思いました。


長い間、お付き合いいただき、ありがとうございました。
退院後からのことを、また引き続き書こうと思います。

                            by ふみたん