ちの長女・・ぴなこ (現在小学三年生)
 の発症からこれまでのお話です。
 記録として、書き溜めていたものをUPします。
 
8歳になる娘は、7歳のとき(小1)線維筋痛症と診断されました。
小学3年生になる、今も治療中です。
普段は、普通の子供たちと同じ元気な女の子です。
発症からこれまでのお話です。
記録として、書き溜めていたものをUPします。

 「線維筋痛症(せんいきんつうしょう)」
  日本では、まだまだ認知度の低い病気です。
  医師ですら、この病気を知っている人は限られています。
  小児の発症例も少なく、情報に乏しいのも現状です。
  全身の耐え難い疼痛を、主な症状として、
  全身の浄土の疲労や、様様な症状を伴う疾患です。
  症状が進行すると、常時激しい全身の痛みに苦しみ、
  僅かな刺激(爪や髪への刺激、服のこすれ、音、振動)
  等でも、激痛が走り、日常生活が困難になります。
  「死にいたる病気ではないが、死んだほうがマシな程の痛み」
  と、表現されます。
  現在の所、原因は不明だが、
  中枢神経および、末梢神経の異状によって、
  痛みの回路が変わり、痛みを増幅させていると、言われています。
  または、脳の神経細胞の、電気信号の情報伝達するときの、
  異常ではないか、とも、言われています。
  原因も不明であり、治療法も確立されていない。

掻い摘んだ、説明で申し訳ありませんが、
娘のことを、読んで戴く前に、「線維筋痛症」のことを、
少しだけ、理解して頂ければ、幸いです。


もし、もう少し、病気のことを知っていただけるのであれば
下記のサイトを覗いてみてください。
 線維筋痛症 wikipedia  
 JFSA 線維筋痛症 友の会  

 

 娘は、幼稚園の頃から、発症するまで一日もお休みすることなく
 登校していました。
 熱があっても、お休みするのがいやで、毎日学校に
 行っていました。
 鉄棒から落ちて、目の上を縫ったときも、
 涙ひとつこぼさなかった、頑張りやさんです。
 でも、周りに気を使う、すごく繊細な子です。


2008年11月上旬
 この頃、腹痛、頭痛、息切れ、倦怠感 などの症状が出始める
  (精神的なものかと様子をみるが、学校は楽しい様子)
 インフルエンザの予防接種後、3日間39度近くの高熱が続いた


2008年11月中旬
 保健室と教室の往復が始まった。
 吐き気が症状に加わり、常に体が重いと訴える。


2008年11月下旬
 下校してから、ソファに横になることが増えた。
 腹痛も頻繁で食事を中断することもしばしば。
 近所の小児科を受診するが、異常はないと言われる。
 息苦しいのは、ストレスだろうと言われ、
 家庭に問題がないか?と、言われ、私は、落ち込む。
 が、本人は精神的じゃない、体が変だと訴える。
 医者が、笑いながら話をするので、不信感を持つ。
 信頼できそうにないので、県立病院を紹介してもらう。


2008年12月1~4日
 県立病院を受診、脳波、CT、MRI、血液 すべて異常なし。
   この頃の症状
     頭痛、腹痛、倦怠感、嘔吐、めまい、耳鳴り、嚥下困難
     悪寒、息切れ、体に電気が走る、発熱、下肢の痛み、
 この頃から、登校はするものの、殆どを保健室で過ごす。
 足を引きずって歩くようになり、車で送迎をしていた。
 「重い石を何個も、引きずって歩いているみたい」と言っていた。
 検討もつかないと、大学病院へ行くように言われる。
 この先生も、あまり良い印象がなく、
 ただただ、厄介払いをしたい雰囲気が漂っていた。


この後、大学病院で現在の、ぴなこの主治医のN先生に出
会うことになります。
 この頃は、どの先生にも不信感を抱いていました。
どれだけ説明しても、データしか信じようとしない医師に絶望し
その反面、私自身、娘の言うことを、どこかで信用していない
ところがあったと思います。
だって、50mを全力疾走していて、後ろを振り向いた瞬間に
動けなくなるんでよね。
誰も、信用してくれない・・・・。
今から思えば、とても不安だった
と、思います。

でも、このときは、これ以上、悪くなるとは、思っていませんでした。


2008年12月12日
 大学病院の小児科を受診、担当は脳神経専門のN先生。
 とりあえずの問診と、血液検査などをする。
 詳しい検査をする為に、一週間後来るように言われる。
 症状からして、ウイルス感染などで起こる、
 ギランバレー症候群の可能性を示唆される。
 とりあえず、方向性が見つかったようで、
 ほっとして帰宅した覚えがあります。


2008年12月13日
 診察翌日、家族で出掛ける。
 途中で具合が悪くなり、帰宅する。
 夜、見た目にわかるほど瞼の下垂がみられる。
 そうこうしているうちに、手足を曲げられないほど
 痛がるようになって、手足に触れるだけで痛がった。
 とりあえず、おんぶして二階まで運んで寝さした。
 そのうち、眠ったので、明日まで様子を見ることにする。

 このときは、明日になれば、痛みは治るかな?
 程度にしか考えていなかった。



2008年12月14日
 朝起きても、瞼の下垂、手足の痛みは変わらず。
 息も苦しく、呼吸がしづらいと言う。
 起き上がることも辛そうになった。
 土曜日だったが、大学病院へ電話してみる。
 救急受付だったが、小児科の先生につないでもらう。
 先日、N先生の診察を受けたことをや、
 ギランバレー症候群のことを説明する。
 症状を詳しく言うと、今すぐ病院に来るように言われる。
 ギランバレーは、突然呼吸が止まることもあるから、
 すぐに家を出るように言われた。
 でも、病院へ着くまでに、時間が、かかるかもしれないと言うと、
 来る途中で呼吸が止まる可能性がある為、
 救急車の待機と、道中の近隣病院への要請も
 手配するから とのこと。
 
 急にいろんなことが一度に襲ってきて、
 私はパニックになりました。
 正直、病院へ到着するまでのことは、よく覚えていません。
 高速を走っている間、子供の手を握っていました。

 なんとか、病院へ到着すると、救急処置室へ運ばれた。
 この時のO先生が、N先生の脳神経グループの主任で、
 この後、二方の先生にお世話になる。
 血液検査では、ギランバレーの反応が出ないこともある為、
 ルンバール(
腰椎穿刺、俗に言う、髄液検査)することになる。
 痛みで泣き叫ぶと思うので、廊下に出てくださいと言われる。
 
 でも、とても、強かったです。
 声も上げずに頑張ったと、先生がびっくりしておられました。
 今から思うと、人よりも痛みに敏感なこの時期に、
 この検査は、想像を絶する痛みであっただろうと思います。
 廊下で待っている私が、号泣してしまいました。
 この日から、小児病棟での入院生活が始まりました。

 O先生のその日の説明では、瞼の下垂からして、
 ギランバレーよりも、重症筋無力症なども考えられるとのこと。



2008年12月15~28日
 この日から、二週間入院することになりました。
 入院して、5日間ぐらいは車椅子で移動しました。
 呼吸停止防止のため、モニターを24時間つけました。
  O先生も、N先生も悪くなった娘を見ているので、
 とても一生懸命になってくれました。
 何かを見つけようと、診察の間に何度も何度も、
 病室に足を運んでくださいました。
 基本的な検査から、かなり詳しい検査までしました。
 が、すべてにおいて陰性でした。
 でも、微熱もずーっつと続いていたので、
 食事もほとんど、取れませんでした。
 ルンバールの結果、ギランバレーは陰性なので、
 緊急性がないのと、年末なので、ひとまず退院。

 これだけ検査して、なにも見つからない。
 じゃあ、いったい何なの・・・・。
 どこにぶつけていいか分からない怒りとあせり
 でも、本人が一番つらかったんだと思います。
 けれど、娘は強かった。
 早く治して学校に行くために、どんなつらい検査でも、
 頑張りました。
 わが子ながら、頭が下がる思いでした。


ここまでが、発症してから入院退院までの経過です。


今、思うと、短い間でいろんなことがありました。
病室の狭いベッドで、二人で寝ていていろんなことを思いました。


長い間、お付き合いいただき、ありがとうございました。
退院後からのことを、また引き続き書こうと思います。

                            by ふみたん