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自己紹介
 
 
色のついた部分だけ読めば30秒、
じっくり読むと2〜3分で読めます。
 

 

 

 1975年5月、抹茶やうなぎの産地で知られる

 

 愛知県西尾市に、長男として生まれました。

 

・幼少期は、女の子にいじめられるくらい虚弱体質で、薬に頼る生活でした。

・運動神経がなく、体育の成績は5段階中1でした。

 

 

小学生時代の本物の通知表

 

 部活バスケットボールやハンドボール部に入るも、

レギュラーになれないとわかると、

いじけていかなくなり帰宅部化していました。

 

 

    運動が弱いと男としては恥ずかしくて、

心残りだったし、

自信の持てない人間だったと思います。

 

  …そんな感じで、

虚弱な学生生活をおくり社会にでました。

 

 自信がないと何かにつけて消極的

 人間関係においても仕事においてもすべてが

悪循環...

 

    上司にノーと言えない。

サービス残業や休日出勤はプレッシャーからかみずから行うタイプでした。

 

…ある日、

疲れから

体の動きがより一層鈍くなり

車の運転で事故りかける日が続きました。

元々の運動神経のなさが重なり 

 

異変を感じた僕は

50m走を計測しました。

 

すると………なんと………

恐ろしく遅いタイム……

 

タイムはなんと

……………14秒…だったのです!!

………………………………100メートルではありませんよ!!

50メートルです(笑)!!

 

こ、これは距離が間違ってるんではないか??

 

何度も測り直しました!!

 

信じたくなかったから……

様々な誤差を疑い測り直しました。

※一応、測量士の国家資格を持ってます

 

斜面なのかっ?」「巻尺の誤差か?

………………が………………

………………間違っていませんでした(T_T)

 

25歳でこれだと………………、

このまま運動しないと………………、

 

う、「動けなくなってしまう~っ!」

マジで危機を感じました!!

 

 ………………そんな人生を変えたくて

 

25歳でキックボクシングを始めました。

 

 体の勉強も沢山してウンチクを語らせたら止まらない程になりました

 

...…しかし、

 


 メンタルは弱いし、

頭と体がかけ離れてるんじゃないか?

と思うほど、体が動いてくれませんでした

 

……何年も芽が出ない日々が続いたある日のこと

 

...会長から

 

向いてない。危なくて見てられない!!怪我するからやめたほうがいい。今後の人生を考えなさい…。

と、引導を渡されジムに行かなくなってしまいました。

 

 

 ………………………………しかし、

 

………………やりきれなかった未練やくやしさが残り、

 自己流体の研究を続けウエイトトレーニングをはじめました。

 

 

 ………その間、結婚などを経て………10年もの時が流れたある日、

 

 未練を断ち切るため久しぶりにこっそりキックボクシングジムへ行った

 

 

 そこで、たまたま若手にスパーリング相手がいなかったらしく、あんなに上げてもらえなっかったリングに会長から上がれといわれ、

10年ぶりにリングに上がった。

 ところが、そこで容赦ないパンチをもらい人生初ダウン!!

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 経緯を見守る会長も何も言わない...ここは戦場...なんか、これ、自分の人生そのものじゃないか?

 と、思った。

 

「これが現実...俺の人生みたいだ...守ってばかりで結局人のペースに合わせるだけ...強く生きなきゃ生き残れない...行動をおこさなきゃ。。」

 

 その夜、自分に自問自答。

「また逃げるのか?それとも....

生まれ変わるのか?

 

 ……そこで、

人生初めて

逃げない!攻める

生まれ変わる

を選択。

 

 

 

 

 それから猛練習メンタル改善をし、頭と体が一体化

35年間眠っていた潜在能力が開花

 

 キックボクシングだけでなく、仕事や人間関係も好循環

 

 

 

 そんなこともありながらやっと試合に勝てる様になったのが36才

 

 ……しかし、これからという時、経営難によりジムは閉鎖してしまう。

 

 

【今の仕事を始めるきっかけ】 

 

……ジム閉鎖後、

ジムの先輩の会社のトレーニング部の場所を借り個人で試合に出る選手の練習相手や指導を行う。

 

 

すると、それらの選手は負けなかったこちらのブログ参照)。

 

 右下の黄色いパーカーが僕

 

 

 自分が選手時代

 

こんなトレーナーがいたらありがたいなあ

という思いを実践した事がここで活きた。

 

 ……そんな事もあり、

 

 『自分が主役より、他者の潜在能力を発揮させる方が、自分には優れているのではないか?

と、感じ、

 《トレーナーになる決意をする》。

 

 

【困難と起こした行動】

 

……しかし、それらは仕事に直接繋がる訳ではなく、説得力をつけて仕事に繋げなければ》と思った。

……そこで、夜勤のある会社に通いながら、

体を鍛え、パワーリフティング

 

や健康美コンテストに挑戦したり、人に伝える技術を養うべく心理学の学校にも通った。

 

 

 更には各種プロスポーツ選手を優勝に導いた実績のあるトレーナーの元で修行を開始。

 

……そうこう実践しているうちに、パワーリフティングや健康美コンテストで結果が残せるようになっていきました。

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この写真の頃からは、師匠の元を離れて独立しました。

 

 この写真のブログはこちら→

 

 

 

 写真のブログはこちら→

 

【現在の志】

 

 運動神経ゼロから長年かけて潜在能力の底上げをしてきた経験を活かし、

 

お客様の潜在能力をどれだけ引き出せるか

 

 をテーマに、お客様や選手と真摯に向き合い、目標達成に精一杯貢献することを誓います

 

 最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

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