今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba -4ページ目

Wed 240911 記憶の中の9.11/飲めるハンバーグ/夏のナマ肉/旅サラダ問題 4568回

「あの日、どこで何してた?」という問いの対象になるような事件は、ワタクシみたいに長く生きていても滅多にあるものではなくて、20世紀ならケネディ大統領暗殺事件、21世紀なら3.11東日本大震災か、2001年9月11日のニューヨーク同時テロ事件、そのぐらいしか思い浮かばない。

 

 今日9月11日はまさにそのアメリカ同時多発テロ事件の日であって、いま時計を見ると午後9時05分、2機の飛行機のうち1機目がワールドトレードセンタービルに突っ込んだのは、ニューヨーク時間で午前846分、日本時間で午後9時46分であるから、まもなくあの時刻がやってくる。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・千本ゑんま堂「千本六斎念仏」。重い雷鳴の轟く夜だった 1)

 

 ところがあれから23年、もはやテレビニュースでは全くコメントがない。まあ民放なら視聴率の問題があって致し方ないだろうが、朝7時のNHKニュースでも、夜7時のNHKニュースでも、ホントにホントに一切の言及がなくて、「クローズアップ現代」ですら、「海外での時代劇人気を掘り下げ」で終わった。

 

 確かに、4半世紀を経て大事件もすっかり風化した。23年が経過すれば、2001年に生まれた人だってもう23歳だ。世界の平均寿命を75歳とすれば、単純計算では世界人口の1/3は、事件の後に生まれた人々。事件の風化も当たり前なのかもしれない。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・千本ゑんま堂「千本六斎念仏」。重い雷鳴の轟く夜だった 2)

 

 しかし諸君、東日本大震災のことも当然だが、「風化を防ぐこと」のもメディアの大事な役割の1つじゃないか。その後23年の世界に、あれほど大きな影響を与えた事件だ。せめて今日ぐらい、キャスターの誰かが何か一言コメントすべきだったように思う。

 

 さて、そこで「あのとき何をしていたか?」であるが、あの日は火曜日。2001年の火曜日の今井先生は、早朝の新幹線に乗って名古屋に日帰り出張、朝9時から夕暮れ6時半まで、名古屋でせっせと5コマの授業に励んでいた。

 

 1997年に駿台から代々木ゼミナールに移籍。だから2001年はもう「代ゼミ4天王」の5年目であって、今井♡人気はまさに絶頂のころ。ただしいろいろ面白くないことも重なって、少なからず不機嫌な日々を送っていた。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・千本ゑんま堂「千本六斎念仏」。重い雷鳴の轟く夜だった 3)

 

 2001年9月11日、朝9時から始まる浪人クラスのレギュラー授業が3コマ。4コマ目と5コマ目は今井先生の「単科ゼミ」であって、午後3時10分から4時40分までが「上級レベルA組」、午後5時から6時半までが「中級レベルB組」、名古屋でも全講座が超満員で、滅多やたらに熱く盛り上がっていた。

 

 今考えても、あの頃は明らかに盛り上がりすぎだった。2001年の1月だったか、当時フジテレビの朝のワイドショー「とくダネ」で「今井先生の人気の秘密をさぐりましょう」という企画があって、小倉智昭サンやらデーブ・スペクターどんやらが「GTOは、予備校にいたんだ!!」と、熱く頷きあってくれたものだった。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・千本ゑんま堂「千本六斎念仏」。重い雷鳴の轟く夜だった 4)

 

 そういう、驚くべき大昔のことである。9月11日、23年前の若き今井先生は1830分に名古屋の授業を終え、ズラリと並んだ受講生諸君の質問やら人生相談やらに30分ばかり付き合い、名古屋駅を19時ちょっと過ぎに出る新幹線に乗り込んだ。

 

 まだ若い頃だ。新幹線のグリーン車に乗るのが、ホントに誇らしかった。40年も昔のタモリさんが、「ヒコーキに乗っても出世した感じはないけれども、新幹線のグリーン車に乗ると『俺もエリートになったな』って、嬉しくなるんだよね」と深夜ラジオでつくづく語っていたことがある。まさに同感だった。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・千本ゑんま堂「千本六斎念仏」。重い雷鳴の轟く夜だった 5)

 

 何しろ極端に忙しい日々で、1週間に90分授業を30コマこなしていた。名古屋の翌日の水曜日は、今はなき代々木本校で朝9時から5コマ。夜遊びしているヒマなんかないから、晩メシは名古屋駅の新幹線ホームで駅弁を買って済ませた。

 

 乗車してすぐに食べ始めて、もちろん缶ビールも3本飲み干しながら、豊橋を通過するあたりで全て胃袋へ。続いて日本酒をグビグビやると、もう本を読む気にもなれないし、あの頃はスマホどころかケータイにもカメラ機能がつくかつかないかの時代だから、暗い車窓でも眺めているしかなかった。

 

 すると諸君、「アホちゃうか?」と笑ってくれたまえ、暗い車窓に映った自分のお顔が、限りなく知的なカッケー顔に思えて、しばらくは1人ニヤニヤするのである。まさに「アホか?」「バカか?」であるが、まあそれも23年前、向かうところ敵ナシの今井君だ、笑って許してくれたまえ。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・北山「よしむら」でお蕎麦ランチを満喫 1)

 

「夜遊びなんかしているヒマはない」と書いたのは大ウソであって、向かうところ敵ナシの状況の男子というものは、どんなに忙しくても夜遊びもする。例のオジサマ雑誌の「ONOFFも夢中」というヤツである。

 

 東京駅に到着したところで、午後8時半。あの頃は東京駅の周辺だって十分に夜遊びは出来たから、八重洲北口の馴染みの居酒屋に入って、早速お酒を痛飲する。何しろ「翌日9時から5コマ」「その準備のために翌朝は5時起床」というスケジュールなので、居酒屋だってスピーディーに切り上げなきゃ行けない。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・北山「よしむら」でお蕎麦ランチを満喫 2)

 

 東京駅前からタクシーに乗り込んだのが、もう10時半過ぎ。いや、とっくに11時を過ぎていたかもしれない。当時のオウチは世田谷区代沢。下北沢と三軒茶屋の中間あたりの借家で、そのあまりに広大な借家の風景もフジテレビ「とくダネ」で紹介されたのだが、タクシーは東京駅から三宅坂・赤坂・表参道・渋谷とゆっくり進んでいった。

 

「ニューヨークのマンハッタンで、たいへんなことが起こったらしい」と知ったのは、タクシーが渋谷西口付近の坂を三軒茶屋の方向に登っていく途中のことだった。あの時の車窓の夜景を、ワタクシは今もなおハッキリと記憶している。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・北山「よしむら」でお蕎麦ランチを満喫 3)

 

 あの夜、若き今井君の周囲を取り囲んでいた渋谷の背の低いビルたちは、東日本大震災の後で始まった渋谷駅前の大規模再開発のために、今はほとんど消滅してピッカピカの高層ビル群に姿を変えている。その23年の間に、あんなに知的だった♡カッケー今井先生♡も、シーラカンス並みの準・古老に成長してしまった。

 

 以上が、「あの時、何をしていたか?」の詳細である。どんなに忙しい日々でも、来る日も来る日も日付が変わる頃までたっぷり夜遊びをして、それでも「朝5時起きで授業の準備」というルーティンはキチンと守っていた。朝シャワーを浴びて、焼きジャケとお茶漬けの朝食を貪って、毎日キチンと授業に出かけた。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・北山「よしむら」でお蕎麦ランチを満喫 4)

 

 あの頃のことである。渋谷に評判のハンバーグ屋があった。「ぜひ一度、食べに行きましょう」と誘われて、旨いかどうか半信半疑で店を訪問した。今のドンキホーテの近くだったか、その辺の記憶は曖昧だが、やっぱり夜10時を過ぎていて、それでも超満員。こちらもまた今井君に負けず劣らず♡人気絶頂の様子だった。

 

 しかし、4半世紀も昔のハンバーグのことを覚えているんだから、その記憶はよほど鮮烈ないし強烈だったのだ。いやはや「ナマ焼け」を通り越して、表面を除けばほとんど火が通っておらず、スーパーで買ったひき肉をそのまま団子にしてお皿に乗っけたような有様。コワくなった今井君は、すぐにヤメにして店を出た。

(夏の思ひ出:8月14日、京都・北山「よしむら」でお蕎麦ランチを満喫 5)

 

 諸君、ハンバーグのナマ焼けは絶対にいかん。特にこんな湿度の高い日が続く夏の日のナマ焼けハンバーグは、どんなに評判が高くても、何が何でも拒絶しなければいかん。どんなに好きな彼氏や彼女に勧められても、意地でも拒絶して敢然と店を出なければならん。

 

 あれから4半世紀、「飲めるハンバーグ」を宣伝文句にしているハンバーグ屋さんで、O157による強烈な食中毒が出ちゃったんだそうな。千葉県船橋「将泰庵」、店の人気メニュー「飲めるハンバーグ御膳」を食べた男女7人が下痢と腹痛を訴え、5人が入院したとのこと。

 

「箸を入れると、たっぷりの肉汁がとびだしてきます」

「歯が必要ないほどやわらかいので、『飲める』という表現をつかっています」

「ナイフで切ると、赤い部分がたくさん残っている半熟状態です」

「ふわふわで、すごく甘いです」。

(夏の思ひ出:8月14日、千本ゑんま堂「六斎念仏」の後は、近く焼き鳥屋へ。地元の人しかいない「一番」千本寺之内店。よく焼けていて、とってもオイシューございました)

 

 諸君、恐ろしや、恐ろしや。こんなに湿度の高い厳しい残暑の季節に、そんなナマ肉を召し上がるのは、ライオンとトラとクマ、ピューマとヤマネコとジャガー、大蛇とワニとコモドオオトカゲにお任せしておきなされ。とにかくチャンと火を通すこと。ウェルダン、その方が絶対に旨いって。

 

 今井君は、焼き鳥だってウェルダンがいいのである。2001年の頃、世界的に大ヒットしたドラマ「Sex and the City」こと略して「SATC」の中で、ヒロインに寿司屋に連れて行かれたボーイフレンドは、「ナマのサカナとか、そういうの絶対ムリ。ヤキトリのウェルダンください!!」と言ってヒロインの失笑を受ける。

 

 SATCには、後のアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏もちょい役で登場したことがあるのだが、やっぱり彼なんかも大好物のハンバーガーはウェルダン(なんじゃないだろうか)。とにかく諸君、夏のひき肉のナマ焼けは、絶対にいかん。

(夏の思ひ出:京都「一番」千本寺之内店で、焼き鳥ウェルダンを満喫する)

 

 その「飲めるハンバーグ」、先週土曜日の朝日放送「旅サラダ」の中で、VTRで長々とド派手に紹介していたのである。

 

 時系列をみると、食中毒の発生が8月26日から8月28日。店は9月6日から3日間の営業停止処分。ワタクシが「旅サラダ」での紹介VTRを見たのは、ワタクシの記憶が確かなら、9月7日だった。

 

 すると、何と食中毒で営業停止の真っ最中に、テレビ局のVTRでは「飲めますね」「わあ、ホントにこれは飲めますね」「やわらかくて、あまくて、ホントおいしいですね」「なんだこりゃぁ!?」のバカ騒ぎをやっていたことになる。

(NHK首都圏ニュース、9月11日。明日も熱中症に警戒。どんどん厳しくなっていく)

 

 こりゃどうしても、テレビ局として真面目に謝罪すべき案件なんじゃないか。食レポ番組の品位について、ワタクシはこの場でずいぶん繰り返して疑問を呈してきたが、やっぱりどうしても行き過ぎがあるんじゃないか。

 

 口に入れた瞬間に目を白黒させて、今にも悶絶せんばかりの真実味のないリアクションばかりやっているから、こういう失態を招く。「ナマ焼けのひき肉はいけません」、これは遥かな遥かな昔からの常識だ。

 

「蒸し暑い季節はちゃんと火を通して」「ナマはダメですよ」。ちゃんと国民に常識を伝えなきゃ、報道機関の品位に関わる。

 

 そう思って番組名を見直したら、何と「朝だ  生です  旅サラダ」。朝日の「朝」と、ナマの「生」。ナマ放送なら、ひき肉もナマ。そういうどこまでもナマナマしいタイトルの長寿番組なのだった。

 

1E(Cd) Lazar BermanLISZTANNÉE DE PÈLERINAGE

2E(Cd) Lazar Berman:LISZT/ANNÉE DE PÈLERINAGE

3E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

6D(DPl) 文楽:摂州合邦辻「合邦住家の段」竹本津大夫 加賀見山旧錦絵「長局の段・奥庭の段」竹本越路大夫

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