今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba -3ページ目

Thu 240822 東京スコール/京都勢/丸くなるな、楕円になれ/秋田高校優勝の夢 4561回

 まもなく8月22日午後2時になる。東京・渋谷区では午前11時ごろから雷鳴が轟いて、まもなく激しい雨が降り出した。その雨の音を聞きながらお風呂に1時間入って、出てきた頃には雨は止んでいた。ただしまだ南の方向にかすかな遠雷が続いている。

 

 昨夜の東京はたいへんな豪雨になった。新宿ではマンホールの蓋が吹き飛び、麻布十番や品川では道路が冠水し、市ヶ谷駅では滝のように雨水が流れ込んでホームは水浸し。新宿駅では激しい雨漏り、新幹線も山手線も運転見合わせ、羽田空港ではヒコーキが離陸も着陸も出来なくなった。

 

 我がオウチの周辺では大した被害はなくて、被害は専らもっと都会の港区・千代田区・新宿区。港区には海抜2メートルとか3メートルとか、まあお水が溢れてもムベなるかなという地域が多いが、ワタクシのオウチは海抜25メートルだったか30メートルだったか、それなりに丘の上&山の上、水害の危険度は低い。

 

 しかしこれはもう、ただ単に大雨とか豪雨とか夕立とか言ってダラシなくニヤニヤしている場合ではなくて、例えば「東京スコール」みたいなカッケー名前をつけた上で、根本的&バッポンテキな対策を練ったほうがいい。どうだい「東京スコール」、なかなかステキなネーミングだと思わないかね?

 (初夏の思ひ出:6月3日、京都・岡崎のあたりを散策する)

 

 つい最近も書いたことだが、京都ではこういうスコールに昔からキチンと名前がついていて、北西方面からのスコールには「丹波太郎」、南からのスコールなら「山城次郎」、東からやってくるスコールは「比叡三郎」、さすがは京都、そういうところも東京は見習うべきだと考える。

 

 その京都であるが、高校野球でもやっぱりスコール並みの大活躍であって、明日の決勝戦が楽しみだ。ネットの世界なんかでは様々な異論があるらしくて、ちょっと行き過ぎた意見も散見される。男子生徒73名中61名が野球部員だと聞かされると、その偏りには若干の違和感を禁じ得ない。

 

 しかしまあ、京都勢の決勝進出は2005年以来、約20年ぶりなのだというから、軽い違和感はワキに置いといて、とにかく2024年夏の最後を飾る大熱戦を楽しもうじゃないか。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都・真如堂でアジサイを眺める 1)

 

 今井君のコドモ時代には、京都勢といえば何と言っても平安高校。今は「龍谷大平安」と校名も変わったが、平安高校は泣く子も黙る強豪であって、春&夏の甲子園での通算勝利数が100を超えるとなると、そりゃもうそのクジを引いただけで故郷に逃げ帰りたくなるぐらいだった。

 

 京都勢には、我が母校・秋田高校も厳しい煮湯を飲まされた。大正4年の第1回大会であるが、早稲田実を破って決勝戦に進んだ秋田中学は、決勝で京都二中と対戦。勝てば「第1回大会♡優勝校」の栄誉を得られたのに、延長12回だったか13回だったか、内野手に痛恨のエラーがあって1–2、諦めきれない敗戦で準優勝に甘んじた。

 

 あれから幾星霜、秋田高校はその後もベスト4に2回進出して気を吐いてきたが、最後のベスト4は昭和40年、優勝した福岡の三池工に3−4で逆転負けを喫した。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都・真如堂でアジサイを眺める 2)

 

 夏の甲子園での直近の勝利は、1991年の京都・北嵯峨高戦。9回裏に相手エラーで薄氷のサヨナラ勝利を掴んだ。だから秋田高校、京都勢への100年越しのリベンジには、とりあえず成功したのかもしれない。しかし諸君、「相手エラーで」というところが気に入らないじゃないか。

 

 どうか近い将来、スカッと勝利を収めたい。そう考えているうちに、あの勝利から30年以上が経過した。1991年の2回戦は大阪桐蔭、9回2アウトまで1点差でリードしていたが、ギリギリで追いつかれ、延長11回に逆転負けした。あれから1度も甲子園での勝利がない。

 

 その間に、京都勢には「福知山成美」「京都外大西」などの新しい強豪が加わった。京都勢と言えば、長いこと平安か京都商、たまに東山や花園、そういう伝統校が支配してきたが、やっぱり時代の流れには逆らえない。京都勢の直近の決勝進出は2005年の京都外大西、今から19年も昔のことである。

 

 その「京都外大西」であるが、ついこの間バスの窓から発見してそれなりに感激した。5月下旬の嵯峨祭を堪能し、大覚寺・大澤池の青モミジを眺めて四条河原町に帰る途中、京都外大前の停留所に停車した時に、その西側に付属している「京都外大西」を発見した。「おお、ここか!!」と心の中で快哉を叫んだ。

 

 ホントに諸君、京都外大の西にくっついているのである。西にあるから京都外大西。素直でマンマなネーミングが清々しいじゃないか。2005年、今から19年前、若き今井君が代ゼミから東進に移籍した年の夏に、京都外大西は1年生ピッチャー本田の大活躍で決勝に進出した。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都・真如堂でアジサイを眺める 3)

 

 本田投手は、見るからに打ちにくそうな重たい速球を投げ込む、いわゆるスーパー1年生だった。決勝戦は、後のマー君♡田中将大が投げる駒大苫小牧が相手だった。惜しくも準優勝、その後も本田は活躍を続けて、3年生の甲子園でも3回戦に進出した。

 

 ところが、その後の彼の人生は暗転する。68歳女性が運転する自転車の前カゴから、財布だったかバッグだったかをひったくって逮捕。「ひったくり常習犯」として服役、検索するとそういう情報が出てくる。

 

 計算してみるに、すでに彼は40歳近い。今どうしているんだろう。まだナンボでも人生のチャンスは残っているはずだ。あの高1の夏の輝きを思い出して、今は懸命に努力を続けてほしいと願うのである。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都・真如堂でアジサイを眺める 4)

 

 ヒトは、誰でも老化する。しかし「同じペースで老化するのはない。44歳と60歳の2回、大きな崖を滑り落ちるように急激に老化する」んだそうだ。

 

 スタンフォード大学の研究者が発表したという説であるが、テレビも雑誌も芸人さんも、全メディアがこぞって熱く話題に取り上げている。みんな余程のショックだったに違いない。

 

 もちろんワタクシ、その研究論文に直接アクセスしたわけではないから、詳しいことは分からない。性別も人種も文化も環境も、経済も政情も社会状況も衛生状態も、まさかみんな無視してとにかく44歳、遺伝子的に見て必ず60歳、そういう結論だとすればあまりに乱暴に思えるのだが、やっぱりショックは大きかった。

 

 ワタクシの44歳は、いろいろ混乱やら苦労やら苦悩やらが多い時代だったから、全く気づかないうちに過ぎていた。しかしいま反芻してみるに、むしろグイッと大きく成長した時期だったように思うのだ。 

(初夏の思ひ出:6月3日、京都・真如堂でアジサイを眺める 5)

 

 まず、カドがとれた。それまでの今井君と言えば、カドだらけでマコトにカドカドしていた。「カドカド」という表現が日本語に存在しないとすれば、自然な日本語らしく言い換えて「トゲトゲ」していた。

 

 いや、やっぱり正確に言いたい。「丸いものにトゲが生えていた」のではない。もともと丸いものにトゲがいっぱい生えていて、そのトゲがワラワラ抜けて丸くなったというのではないのだ。カドカドした今井君のたくさんのカドが、苦労やら苦悩やらのせいで、スベスベ平たく安定した。それが正確な描写である。

 

 だからあの時期を「44歳で訪れた急激な老化」とはとても思えないのだ。カドが取れてまんまる丸い球体になるのかと思ったら、何を間違えたか「楕円形」になって、楕円形だからこそ不安定でどこに行くかわからない、そういうダントツの面白味が自分に加わった時期である。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都府立植物園から、鴨川べりを南に下りていく)

 

 サッポロビールのコマーシャルに「丸くなるな、星になれ」という素晴らしいキャッチコピーがあるが、しかし諸君、いったん星の形なんかになると、「転がれない」という苦悩が待っている。星はコロコロ転がれない。転がれないから、流れ星としてどこまでも無限に落ちていく、そういう悲しい運命が待っている。

 

 だからワタクシのアドバイスは「丸くなるな、楕円形になれ」。楕円球なら転がれる。まんまるな球体では、どこに転がっていくか正確に予測がつくから、面白味に欠ける。おそらく転がっている本人も楽しくない。だって次にどうなるか、その次にどうなるか、最終的にどうなるか、みんな論理的に判断がついちゃうのだ。

 

 そこへいくと諸君、楕円球の生き方は面白味に溢れている。次にどうなるか、誰にも予測がつかない。自分でもサッパリわからない。

 

 こりゃ「ヤッホー!!」もいいところであって、こうして文章を書いていたって、次から次へと新しいことを思いついて、きっと読んでいらっしゃる皆さんだって、「こりゃどこに行き着くんだ?」の快感に身を捩るぐらい面白いんじゃないか。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都府立植物園に初夏のバラを眺めにいく 1)

 

 だから若い諸君、楕円形になりたまえ。「丸くなるのはつまらない。星になるのはツラすぎる」。楕円なら、もし困難にぶつかっても、壁でもハードルでも坂道でも、誰も思いもつかなかった動きでポンと乗り越えられる。

 

 ワタクシは、甲子園で思わずスターになっちゃった若いヒトたちへのアドバイスとして、「楕円になりたまえ」を捧げたい。スターとして突き進もうとして、世の中のイヤらしい網に引っかかっちゃた時、そのカドカドしたカドを引っ込めて楕円に化けてしまえば、またナンボでも輝ける。それでいいじゃないか。

 

 さて、甲子園は明日が決勝であるが、実はいま同時に「中学野球大会」も進行中だ。我が秋田県からは、東北地区第1代表として秋田市立桜中、東北地区第2代表として秋田市立泉中が出場。中学生だから軟式野球だが、泉中も桜中も勝ち進んで、桜中はベスト4にコマを進めた。

(初夏の思ひ出:6月3日、京都府立植物園に初夏のバラを眺めにいく 2)

 

 残念ながら8月22日の準決勝で敗退したが、秋田県のチームがこんなに勝ち進んだのは、1982年の秋田市立城東中以来のことなんだという。

 

 東京や大阪のリトルリーグとか、そういう華やかな舞台ではないが、1982年、今から42年も昔のその「秋田市立城東中」には、確かアンダースローのエース太田君がいた。太田君、計算すれば今は60歳にグイグイ近づくオジサマになっている。

 

 その太田君、翌年には秋田高校に進学して、すぐにスーパー1年生になった。エースとして秋田県大会を勝ち抜き、夏の甲子園に登場した。1983年のことである。

 

 その翌年の1984年が、ワタクシが予備校での雑談として30年来熱く語り続けてきた「第1回♡金足農旋風」。だから、スーパー1年生♡太田君の活躍は、その83年どまりになった。甲子園初戦の相手が、高知県代表の強豪・高知商。その後プロで大活躍した大エース・津野がいた高知商に、5–3で敗れた。

 

 しかし諸君、太田君のいた秋田高校の健闘は特筆に値する。5点を先制された秋田高校は、後半からジリジリと追い上げて3点を奪い、あと2点、立ち直った太田は追加点を許さず、9回表「あと1本ヒットが出れば」という迫力の追撃を見せた。

(初夏の思ひ出:6月3日、予約した新幹線を待ちながら、近鉄京都駅の地下食堂街「孫兵衛」の串揚げを満喫する)

 

 いまワタクシは、あの時みたいな秋田高校スーパー1年生の再来を夢見るのである。全国中学大会ベスト4に勝ち進んだ秋田市立桜中にも、2回戦で敗れた泉中にも、なかなか素晴らしい選手たちが揃っているらしい。

 

「両チーム、みんなで秋田高校に来ないか?」「秋田高校のスーパー1年生として、来年の甲子園優勝を目指さないか?」なのであって、思わず「受験勉強は、この今井が引き受けた!!」とまで叫びたくなる。

 

 ついでにどうだい、我が後輩の秋田高校生の諸君、みんなで東大を目指さないか? もちろん北海道大でも東北大でもいいけれど、この際せっかくだ、我が母校♡秋田高校から「東大50人」「京大も50人」「医学部も50人」なんてのはどう? 

 

 そして思わず楕円球イマイは、「英語は今井に任せておけ」とまで言いたくなっちゃう。ホントに困った楕円球だが、いつでも秋田に飛んでいく、いや転がっていく心の準備はあるのだ。いやはやホントに、楽しい楕円の生き方はやめられない。

 

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