Tue 240123 新幹線どうして全部止めちゃうの?/長崎の大盛況/コーヒー富士男 4487回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 240123 新幹線どうして全部止めちゃうの?/長崎の大盛況/コーヒー富士男 4487回

「新幹線がみんな止まっちゃってるらしい」というニュースを聞いて、ワタクシは「そりゃきっと大雪のせいだな」と早合点してしまった。124日から25日にかけては、テレビの天気予報でもバラエティでも「今年の最強寒波」と大騒ぎしていて、最強の「強」の字を「凶」にして報道している民放だって存在する。

 

 首都圏や関西圏の大学受験がいよいよ本番という季節になると、むかしむかしの今井君の受験生時代から、とにかく国鉄の列車ダイヤは大雪で大混乱になるのが常だった。18歳の今井君が秋田から東京に向かったのは、もう2月中旬のことだったが、あの時にも国鉄の特急列車は、大雪の影響で5時間も遅れたものだった。

 

 もちろん今井君は抜け目がないから、その5時間を利用して山川出版の日本史の教科書を1回通読し、ついでにカポーティだったかヘミングウェイだったか、アメリカの小説を1冊、ペーパーバックスで読み直したりした。

 

 ま、「余裕」というヤツであるが、もし近くの席にツッコミ役が座っていたら、「要するに数学を諦めたんだろ」とニヤニヤ、痛烈なツッコミを入れてきたに違いない。

(12月3日、長崎「珈琲 富士男」を訪問する。作家・遠藤周作ゆかりの名店だ 1)

 

 しかし今日の場合、東京から北に向かう新幹線、というか北から東京に向かう新幹線の3路線が、みんな1日中ストップしちゃったのは、大雪のせいでも暴風雪の影響でもなかった。「東京〜大宮間で架線が垂れ下がったことが原因」というのだから、まさに「恐れ入る」としか言いようがない。

 

 昭和の時代までは、ということはJRに変身する前の「国鉄時代」には、労働組合のストライキで鉄道が長期間にわたってストップすることが頻繁にあったし、それが引き金になった「上尾暴動」なんてのもあった。電車が動かないことに業を煮やした埼玉県上尾の乗客たちが、高崎線の上尾駅で暴動を起こしたのである。

 

 1980年代には、首都圏の鉄道の通信設備を一斉に破壊する大事件もあって、丸3日だったか丸4日だったか、とにかく長期間にわたって首都圏の鉄道網がマヒしたことがあった。ワタクシのトラウマは極めて大きく、だから今でも大切な仕事がある時には、出来るだけJRを利用しないことにしている。

 

 友人たちは、目を丸くするのである。「金沢に出張するのに、いまだにヒコーキ利用で小松空港経由?」とか「京都に行くのに、羽田から伊丹までヒコーキだなんて」とか、いちいちお節介に「新幹線のほうがラクでしょ?」とニヤニヤ、「マイルでも貯めてんの?」と失笑するのである。

 (春のように暖かい長崎で、眼鏡橋あたりを散策する 1)

 

 しかし諸君、「東京〜大宮間で架線が垂れ下がったので、1月23日は東京〜仙台間で終日運転を見合わせます」なんてことになると、やっぱりどうしても新幹線に、ワタクシの大切な仕事を任せるわけにはいかないじゃないか。

 

 どうしていきなり「終日見合わせ」なんだ? 東京〜大宮間での架線垂れ下がりで、どうして仙台まで全部止めちゃうんだ? 難しいことは分からないが、大宮から仙台までは無傷で何の損傷もなく、大宮〜仙台間だけなら折り返し運転でダイヤを確保できるはずじゃないか。

 

 仙台の人も山形の人も、福島や秋田や岩手の人も、青森や北海道の人も、みんな今や「新幹線♡命」であって、とにかく新幹線で首都圏まで運んでくれれば、そのあとは自力で何とでも出来る。

 

 埼玉県大宮までの折り返し運転を実施してくれたら、例えヨレヨレでも大宮まで連れてきてくれれば、大宮から先の移動は近郊電車を利用して、自力で何とでもするのである。

 

 いや、「大宮まで」などという贅沢も言うまい。「宇都宮まで」「小山まで」でもいいし、何だったら「那須塩原まで」「郡山まで」だっていいのである。そこからは近郊電車に乗り込んで、ほうほうのていで首都圏に辿り着く。なんで仙台から全線、しかもいきなり「終日運休」って決めちゃうの?

(長崎で卓袱が食べたかったが、「花月」は満席。懐かしい「浜勝」を訪問することにした 1)

 

その点、北陸新幹線と上越新幹線は何とか踏みとどまって、運転見合わせは「東京〜高崎間」にとどめてくれた。新潟の人も、長野や北陸の人も、何とか高崎まで辿り着けば、在来線の中距離電車で東京まで2時間。こちらはまあヨシとしよう。

 

 ただし駅員さんたちも相当テンパったのか、駅構内のアナウンスがよろしくない。NHKニュースで耳にした某駅のアナウンスでは、「本日中の新幹線の運行は、全く見通しが立ちませんのでご了承ください」と、いやはやマコトにぶっきらぼう、これじゃあの超ぶっきらぼうなヨーロッパの鉄道と択ぶところがない。

 

 そもそも開業当時の東北新幹線は、埼玉県大宮がターミナルだった。1983年、上野〜大宮間の開通の見込みが立たないので、盛岡・仙台・新潟が北のターミナル、南のターミナルは埼玉県大宮、「大宮から上野&東京は在来線を利用してください」と平気で言っていたじゃないか。

 

 それなのに、いったん「架線が垂れ下がったので」というビックリするぐらいダラシない事態になると、いきなり「全線で運休」を宣言する。こんなんで「自分たちは国のインフラなんだ」と胸を張れるのか。朝日新聞ふうに厳しい言い方をすれば、「垂れ下がっているのは、架線だけじゃない」んじゃないか。

(長崎で卓袱が食べたかったが、「花月」は満席。懐かしい「浜勝」を訪問することにした 2)

 

 さて、12月3日の今井君であるが、こちらの方は精神も肉体もピンピンというかビンビンというか、「垂れ下がる」だなんてダラシない状況は、仕事前と仕事中のワタクシには一切無関係である。

 

 朝7時に長崎のヒルトンホテルでスカッと目を覚ましたワタクシは、まず昨日の記事に写真を掲載しておいた名店「ニッキー・アースティン」で、大盛りのトルコライスを貪ることにした。

 

 何しろ、長崎との付き合いは長い。すでに代表的なトルコライスの店を3軒も4軒も踏破している。遥かなむかし、まだ初めての長崎出張のころは、当時宿泊していたANAクラウンプラザホテルの2階の静かな店で、控えめなトルコライスを楽しんだものだった。

 

 その後「ウチこそトルコライス発祥の店です」と豪語する店をいくつか訪れ、そのたびに「最初のころのANAクラウンプラザが一番旨かったな」と唸ったものだった。「ウチが発祥」と豪語すればするほど、お皿の上の様子がワイルドになって、「とても完食できません」という分量に至る傾向があるようだ。

(長崎で卓袱が食べたかったが、「花月」は満席。懐かしい「浜勝」を訪問することにした 3)

 

 新しい長崎駅の「ニッキー・アースティン」もご多分にもれず、超満員のお店の中のどのテーブルでも、若い男子のお客さんもみんな大汗をかきながら、大盛りトルコライスに四苦八苦のご様子だ。

 

 食べ始めて10分の幸福感はこの上ないが、やがて15分が経過し、20分が経過し、デート中の女子の前で「食べきれない」というみっともない姿を晒すハメになりかけている。

 

 こういう場合、女子が優しい笑顔でニコニコないしニヤニヤして、「無理しなくていいよ」「多すぎるよね」と言ってあげればいいのだが、21世紀女子はなかなか手厳しいので、食べ残しについて「サステナブル」の話題を持ち出し、男子をますます苦しめたりする。

 

 ワタクシは遥かな遥かな先輩男子として、「まあ許してあげなさいよ」と声をかけたくなるのである。発祥の頃のトルコライスは、もっともっと胃袋にもオサイフにも優しかったんじゃないか。「もっと食べたいね」「もう1皿いこうか?」と笑いながらフォークを置ける、そんな控えめな1皿だったんじゃないか。

 

 まあそういうことを思いながら、お昼の今井君はお店を出た。長崎での講演会は、午後3時から。胃袋の中をあんまりパンパンにしちゃうと、講演会の最中にハシタないピンチに陥りかねないから、ここでいったんフォークを置いて、これ以上の食欲は夜の部に委ねることにした。

(長崎で卓袱が食べたかったが、「花月」は満席。懐かしい「浜勝」を訪問することにした 4)

 

 午後2時、東進移籍以来20年近い付き合いのベテランスタッフがホテルロビーまで迎えにきてくれて、会場の長崎大学まで同行する。長崎市内のたくさんの坂道を越えて、本日の会場は長崎大学の経済学部講堂。約170名がここに集結してくれた。

 

 マコトに残念なことだが、その写真を撮り忘れた。ホンの4年か5年前までは公開授業の写真を撮り忘れることはなかった。何しろ大っきなデジタルカメラを常に持ち歩いていて、講演が始まるまえにスタッフにカメラを手渡し、「講演開始50分過ぎの写真をお願いします」と、撮影のタイミングまで丁寧にお願いしていたのである。

 

 それが今では、デジタルカメラを諦めて、すべてスマホ君にお任せだ。スマホとなると、スタッフにしつこくいろいろお願いするのも申し訳ないから、写真の撮り忘れがしょっちゅう発生する。

 

 ブログに写真を載せていないと、これまた心配するスタッフがいて、いきなり「申し訳ございません」「何か至らない点でもございましたか?」と真剣に質問されたりするのだが、そんなことは一切ない、ただの依頼のし忘れなのだ。

(長崎で卓袱が食べたかったが、「花月」は満席。懐かしい「浜勝」を訪問することにした 5)

 

 講演終了、17時。まだまだコロナとインフルエンザのせいで「お食事会は禁止」「懇親会はありません」「自粛」の状態が続いているので、夕暮れのワタクシはまたまた夕食を求めてフーラフラ、昼食のトルコライスもまだ消化しきれていない胃袋を抱えて、長崎駅前を怪しく徘徊することになる。

 

 選んだのは、やっぱり新しい長崎駅ビルの「蘇州林」。かた焼きそばにチャーハン、「そんなに炭水化物テンコ盛りでいいんですか?」と、自分で心配になるぐらい炭水化物を胃袋に詰め込んで、ロマンティックな夜景も「長崎のザボン売り」ももうどうでもいい、ホテルに帰ってすぐに惰眠を貪った。

 

 翌日は、10時起き。まずタクシーに乗って思案橋の方向に向かい、ランチに卓袱料理をいただくことにした。

 

 と言っても、坂本龍馬ゆかりの名店「花月」は、1ヶ月も前から何度も電話しているのに、いくら電話しても「残念ながら満席でございます」と断られ、もう1軒の「一力」もやっぱり満席。第3の選択肢「浜勝」が残ることになった。

 

 タクシーに乗って「浜勝」とお願いすると、かなり年配の運転手さんが、「ああハマカツ、閉店しちゃいましたよ」とおっしゃる。

 

 びっくりして尋ねてみると、その「閉店したハマカツ」は、これから行こうとしている卓袱「浜勝」とは全く別のトンカツ屋さん。「長崎でハマカツと言ったら、だいたいハマカツの方ですよ」とおっしゃる。いやはや残念なことをした、それほどの名店なら、ぜひハマカツにも行ってみたかった。

 (春のように暖かい長崎で、眼鏡橋あたりを散策する 2)

 

 で、実際の卓袱の「浜勝」であるが、こちらは実は2回目の訪問。遥かなむかし、長崎での公開授業の後の祝勝会で、当時の長崎の担当者に連れてきてもらって以来である(Sun 110306 長崎卓袱料理「浜勝」でお食事会 翌朝は「軍艦島」に上陸してみた)。

 

 おお、12年も昔のことなのだ。12年昔の記事を読んでみると、何とあの時、ワタクシはお船に乗って軍艦島も訪問している。今の大学受験生たちがまだ5歳6歳の園児だった頃の話なのである。

 

 そういう長い歴史に感激しながら、202312月3日のワタクシはすっかり満腹し、うらうら暖かい昼下がりの長崎を散歩しながら、遠藤周作ゆかりのコーヒー店「富士男」に入ってみた。遠藤周作「砂の城」にも登場する創業70年の名店である。

(12月3日、長崎「珈琲 富士男」を訪問する。作家・遠藤周作ゆかりの名店だ 2)

 

 最近のワタクシは、「そろそろ昼のお酒は遠慮して、コーヒー店探訪でもしようかな」というスタンス。京都四条「フランソア」に頻繁に出入りしてブランデーコーヒーをすするうちに、ますますコーヒー店が好きになってきた。

 

 この日も長崎「富士男」で熱いコーヒーいただいていると、ふとカメラマンに声をかけられた。「イギリスの雑誌に日本の珈琲店の写真を掲載するんですが、アナタがコーヒーを召し上がっている雰囲気が素晴らしくシックなので、撮影と掲載を許可していただけませんか?」と、たいへん丁寧な言葉遣いでおっしゃるのである。

 

 いやはやマコトに嬉しい申し出であったが、何しろプライベートな長崎の午後でござる。こちらもごくごく丁寧な言葉遣いでお断りを申し上げ、お店のあたりから眼鏡橋の周辺を1時間ばかり散策して、夕暮れのヒコーキでおとなしく東京に帰ってきた。

 

1E(Cd) Blomstedt & Staatskapelle Dresden:BRUCKNER/SYMPHONY No.7

2E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.8 1/2

3E(Cd) Wand & Berliner:BRUCKNER/SYMPHONY No.8 2/2

6D(DPl) 文楽:義経千本桜①「大序 仙洞御所の段」「北嵯峨の段」竹本三輪大夫 「堀川御所の段」竹本嶋大夫

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