Sun 230716 秋田の大洪水のこと/低湿地帯と沼沢地の記憶/伊万里の思ひ出 4411回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230716 秋田の大洪水のこと/低湿地帯と沼沢地の記憶/伊万里の思ひ出 4411回

 秋田で大水害が発生と聞いて、さすがにワタクシは秋田市出身、18歳までを秋田で過ごした人間として、慚愧の念にたえない。秋田は大災害の少ない穏やかで豊かな土地であって、1月2月に大雪に見舞われることはあっても、「梅雨末期の集中豪雨」が繰り返されるようになったのは、この7〜8年のことである。

 

 去年だったか一昨年だったか、「秋田で『新城川』が氾濫」の知らせに驚いたことがあった。新城川に沿って「上新城」と「下新城」という2つの地域があり、今井君の母方のルーツは新城川を遡った「上新城」、村を代表するヨロズ屋として、昭和初期には「電話番号3番」の栄誉に浴していた。

 

 村役場が電話番号1番、警察署が電話番号2番、今井君のルーツ♡母方のヨロズ屋「田中商店」が3番。小学校より中学校より田中商店の方が優遇されていたのである。商店の裏手を新城川の清冽な流れが駆け抜け、何と今井君の祖母エスには、エス専属の「ねえや」さえ存在していた。

(伊万里の思ひ出・相生橋① 本日の記事とは関係ありません)

 

 まあ諸君、1つの川に沿って「かみ」と「しも」2つの集落があるのは、日本ではごく普通のことであって、東京・山の手を北沢川が流れ、北沢川に沿って上手が「上北沢」、下手が「下北沢」である。我がルーツも、新城川の上手だったから上新城。なだらかな丘にリフトのないスキー場もつくられていた。

 

 前回の秋田の水害で、新城川が氾濫したのは下手の下新城(しもしんじょう)。上手の「かみしんじょう」には、すでに「田中商店」は存在しないし、あのリフトさえない上新城スキー場も、おそらく草ボーボーの荒地に戻っているだろうけれども、とりあえず洪水の被害には遭わずに済んだ。

(伊万里の思ひ出・相生橋② 本日の記事とは関係ありません)

 

 さて今回の秋田大水害は、グッと南に下がって秋田市中心部。秋田駅を中心とした広い範囲が「太平川」の茶色い泥水につかった。秋田大学医学部付属病院にまで浸水が及んだとすれば、かつての秋田高校のクラスメイト諸君も多くあの辺で医業を営んでいるから、いやはやマコトに心配である。

 

 秋田駅東口は、半世紀前までは見渡す限りの水田が広がっていた湿地帯。駅前に貯木場があって、貯木場の向こうには標高1170メートルの太平山が横たわる。土井晩翠作詞・秋田高校校歌の冒頭「天上はるかに 太平山の姿はけだけし 三千余尺」と歌われている名山を、1日300mmを超える豪雨が襲った。

(伊万里の思ひ出・伊萬里津のカラクリ時計。本日の記事とは関係ありません)

 

 するとその三千余尺の山塊から、一気に泥流が秋田平野を目指すのである。秋田駅東側の低湿地帯を流れるのは太平川。中規模河川ではあるが、蛇行を繰り返して湿地帯を流れる水量は普段から少なくない。案の定、太平川がまず氾濫した。

 

 ワタクシは高校1年の秋から高校を卒業するまで、まさにその太平川の近くに造成された新興住宅地に住んでいた。秋田高校への通学には雪の日でも自転車をつかったが、雪道を走りながら何度も何度も太平川の橋を渡った。

 

 何しろ蛇行が多いから、一直線の道でも繰り返して橋を渡らなければならない。今度の水害で氾濫や決壊が相次いだあたりは、ちょうどかつての今井君の通学路なのである。

(伊万里の思ひ出・レストラン「風の丘」のハンバーグランチ。本日の記事とは関係ありません)

 

 昨日「緊急安全確保」ということになった横森1丁目・横森2丁目・横森3丁目は、当時の今井君が住んでいた横森4丁目の隣り町。「横森」と言えば何となく聞こえはいいが、古地図をひらけば「苔良谷地」「桜谷地」などの地名が並ぶ。

 

 関東から北に多い「谷地」「谷戸」「谷津」が元の低湿地帯であることは、多くの人が知る事実。しかし秋田市広面(ひろおもて)の「苔良谷地」「桜谷地」あたりは、「低湿地」というよりほぼ「沼沢地」に近かったらしくて、平安期から江戸期&明治期に至るまで、「腰のあたりまで泥水に浸かって田植えをしていた」という。

(伊万里の思ひ出・レストラン「風の丘」のコーヒー。本日の記事とは関係ありません)

 

 だから、ちょっと水が出ると、なかなか水が引かない。そこいら中に水たまりができるし、雪解けの頃は道がぬかるんで自転車が前に進まない。植物も湿地帯のものが主で、河原は背の高いアシやヨシの類いに覆われる。

 

 元の今井君んち「横森4丁目」から西に数百メートル進むと、「明田(みょうでん)の踏切」があった。秋田駅からすぐ南のあたりで、ここを奥羽本線と羽越本線の列車が行き来するから、昔は「開かずの踏切」として有名だった。

 

「開かずの踏切」の悪名があんまり高いので、とうとう行政サイドが乗り出して、開かずの踏切は現代的なアンダーパスに姿を変えた。その明田(みょうでん)のアンダーパスが今回泥水につかり、昨日から何度もNHKテレビの画面に映し出されている。

(伊万里の思ひ出・盆ちょうちん。どうしても「盆ちょうさん」に見えるから不思議だ)

 

 元の今井君んちから秋田大学&秋田高校の方向に北上すると、地名は「手形」である。幼い頃の今井君には「手形の伯父ちゃん」というのがいて、我が母上の兄上なのであるが、当時は秋田大学の准教授だった。大学のそばには、大学関係者がたくさん住んでいた。

 

 秋田大学の准教授(当時は「助教授」と呼んだ)だった伯父は、静岡大学の教授としていきなり抜擢され、教授に昇格して数年で、今度はいきなり静岡大学総長にスピード出世した。

 

 訪ねてくる時のお土産がいつでもお饅頭だったので、コドモの頃の今井君は「お饅頭の伯父ちゃん」と呼んで敬遠していたが、これは間違いなく異例の出世ぶりだった。

(伊万里の思ひ出・レストラン「風の丘」。本日の記事とは関係ありません)

 

 その伯父ちゃんのオウチが、手形地区。「手形」と書けば分からないが、「手形」とはもともと「手潟」であって、潟とはやっぱり低湿地のこと。手潟のすぐお隣には「搦田」などという地名もあった。「搦田」と書いて「からみでん」、足にも腰にもからみつくような湿り気の多い田んぼを、まあ想像してみてくれたまえ。

 

 そういう半沼沢地を流域をもつ「太平川」と、もう1つ同じような中規模河川「旭川」が、秋田市の南側で雄物川に流れ込む。雄物川と書いて「おものがわ」、これは間違いなく大規模河川であって、その河口地域こそ今井君の故郷、0歳から15歳まで生活した「秋田市土崎港」である。

(伊万里の思ひ出・森永製菓の創業者、森永太一郎の像。本日の記事とは関係ありません)

 

 河口は、砂丘地帯である。鳥取平野や山形の庄内平野にも大規模な砂丘があるが、秋田平野の雄物川河口にも、大きな砂丘ができた。雄物川が上流から運んでくる土砂が砂丘を作り、冬季は季節風で砂が舞い上がって激しい砂嵐になるので、土地の人は滅多に砂丘には踏み込まない。

 

 しかし砂の堆積は、港湾の経営には致命的なダメージがある。南フランス・マルセイユ近郊の「エグ・モルト」は、中世期には重要な港湾都市で、初期十字軍遠征の出発地として名を馳せた。13世紀、フランス王ルイ9世の十字軍は、このエグモルトから東を目指した(Thu 150129 ムクれる 大江戸捜査網と豚汁 2つの苦行者礼拝堂(夏マルセイユ滞在記34))。

 

 しかしやがてこの町も「エグモルト」=「死んだ水」と名を変えられ、土砂の堆積で港は使用不可能になって、今やすっかり澱んだ水に、たくさんの水鳥が群れ遊ぶばかりである。

(伊万里の思ひ出・森永太一郎の手にしっかり握りしめられたミルクキャラメル。本日の記事とは関係ありません)

 

 港湾の危機を察知した秋田の人々は、雄物川の流れを大きく南に変えてしまう大工事を行った。秋田県の南東部から北西へ北西へと流れてついに土崎港に至る雄物川を、途中で思いきって左折させ、秋田砂丘の南側で日本海に注ぐように流路を変えてしまったのだ。

 

 名づけて「雄物川放水路」。近代の秋田では、この雄物川放水路と八郎潟干拓 → 大潟村建設、歴史に残る力づくの土木工事が相次いだ。そしてこの放水路のおかげで、土崎の港は土砂の堆積を免れ、秋田市全体も雄物川の氾濫から守られることになるはずだった。

(伊万里の思ひ出・トンテントン祭り。祭りの激烈さで有名。本日の記事とは関係ありません)

 

 しかし今、こうして雄物川に大氾濫の危機が迫る。秋田高校の校歌の後半は「海にと馳せゆく雄物川波」であって、この短い校歌が夏の甲子園で熱唱されたのは1991年が最後。京都・北嵯峨高校に勝利した時の激烈な雄叫びはワタクシもまだ忘れていないが、あれからもう32年が経過する。

 

 激しい泥流となって、海へと馳せゆく雄物川。「放水路」というマコトに乱暴な水路の変更が、果たして正しかったのかどうか。秋田市中心部の泥だらけの情景を眺めながら、とにかく1日も早い復旧を祈るばかりである。

 

(伊万里から有田までの車窓から、JA女性部寄合所「ほほえみの会」の勇姿を発見)

 

 なお、今日の写真は記事内容とは完全に無関係。7月6日、ワタクシは博多から焼き物の里・伊万里を旅したのであるが、初夏の新緑に包まれた穏やかな伊万里の町はあまりにも美しく、「こりゃまたゆっくり落ち着いて訪問しなきゃな」と、固く意を決した午後だった。

 

1E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

2E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 2/2

3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4

4E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4

5E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

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