Thu 230706 クラシックが好きだ/一夜漬け/「しったか」を探して城ケ島へ 4405回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 230706 クラシックが好きだ/一夜漬け/「しったか」を探して城ケ島へ 4405回

 現在、博多駅前のホテルに滞在中。6月23日に埼玉県大宮で公開授業があり、その後10日ほどの休みがあって、7月3日から再び全国行脚が始まった。

 

 10日も休みがあったのは何故かというに、それは今井君のほうの事情ではなくて、高校生諸君がほぼ全国一律に「期末テスト期間」というたいへんクラシックな制度の中に飲み込まれてしまったせいである。

 

「中間テストだろうが期末テストだろうが、今井先生がくるならそっちの方が優先。定期テストなんか2の次だ」という勇猛果敢な生徒諸君も少なくないので、それはそれでマコトに光栄なことであるが、やっぱり諸君、定期テストの一夜漬け勉強もまた、後になって振り返ってみれば、実に有益な経験なのである。

    (6月29日、三浦半島・城ケ島を訪れる 1)

 

 もちろん世の中の大人の中には「一夜漬けの丸暗記なんか、人生の中で何の役にも立っていない」「みんな無駄だったんだ」とウソぶく人も少なくないだろうが、決してそんなことはない。というか、間違いなく人生で最も有益な経験のうちの1つだと言っていい。

 

「そりゃどういうことかいな?」と首をかしげる諸君にお答えしておけば、「世代間コミュニケーションの題材として、『苦しかった一夜漬けの経験』ほど格好の話題はないのだ」ということである。

    (6月29日、三浦半島・城ケ島を訪れる 2)

 

 父と息子、母と娘、先輩と後輩、上司と部下、先生と生徒、断絶しがちな世代と世代の間の架け橋として、一番いいのは「同じ苦しい体験の思い出話」じゃないか。

 

 一夜漬けで苦しんでいる息子に、夜遅く帰宅した父親が「おお、やってるな」「オレも30年前に一夜漬けで苦労したんだ」「一晩ぐらい寝なくたって大丈夫だ」「あと2時間か?3時間か?まあ頑張れ。茶漬けでも作ってやろうか?」、こんな嬉しいコミュニケーションは他に滅多にない。

    (6月29日、三浦半島・城ケ島を訪れる 3)

 

 会社の先輩と後輩だって、ふと一夜漬けの思い出話で盛り上がった後に、「あの時と同じことだ。今夜は徹夜の覚悟で行こうぜ」みたいに声をかけあう。

 

 オフィスの時計は11時に近い。おお、終電には間に合いそうにない。今夜は会社で夜明かしだ。「おい、コンビニで弁当買ってきてやるぞ。お茶は何がいい?」と、先輩にそう声をかけられれば、定期テストの一夜漬けがどんなに楽しかったかを思い出して、後輩たちにもグッと気合が入る。

 

 ジーチャンと孫でも同じこと。担任の先生とその生徒諸君でも同じこと。「そんなの無意味だ」と口をひん曲げて皮肉に失笑するようなヤツに、他者とのコミュニケーションがうまく取れるような人間はいない。無意味な一夜漬けこそ、人生の妙味なのだ。

    (6月29日、三浦半島・城ケ島を訪れる 4)

 

 諸君、クラシックなものって、いいですねぇ。いま滞在している博多駅前の老舗ホテル、おそらく10年ぶりの宿泊だけれども、懐かしいお部屋に入ってみると、そのクラシックぶりに嬉しくなる。スタンダードな備品はすべて清潔にクラシックに整えられ、イヤな匂いもないし、余計なサービスもない。

 

 高校も予備校も大学も、やっぱりあくまでクラシックがいいんじゃないか。いろいろ新しいことにチャレンジするのも悪くないが、チャレンジしすぎてせっかくの伝統がメチャメチャ、そういうことだって少なくない。

     (6月22日、大阪府岸和田の大盛況)

 

 大学入試だったそうだ。諸君、例えば京都大学の英語、こんなに頑固に「クラシックであること」を守り抜いてきた入学試験は、他に類を見ない。

 

 20年前を見ても、40年前を見ても、大学として要求する英語力のクオリティは常に一定であって、「我々が京大生に求める英語力はこういうものなのだ」と、入試問題によってマコトに明確に宣言し続けているように思う。

 

 まあカンタンに言えば、「話題性を求めて奇を衒うのはヤメたまえ」ということである。慌てふためいて珍奇な方向に走り出すのは、要するに「逃げ」に過ぎない。クラシックで地道な努力を放棄して、何か珍奇な思いつきに走るのは、要するに弱虫である。

 

 しっかりした地味な努力を黙々と続けて、ふと気がつくと新しい地平が見えてくる。京都大学のクラシックでパワフルな英語の問題に比較すると、分量ばかり異様にブヨブヨ膨らんだ共通テストの英語、ワタクシにはどうしても成功作には見えない。センター試験のほうがまだずっとマシだった。

(クラシックな城ケ島で、クラシックなイカ丸焼きを満喫。オイシューございました)

 

 さて6月29日、今井君はそれこそ「クラシック」を求めて三浦半島の先っぽの城ケ島を目指した。北原白秋「雨は降る降る 城ケ島の磯に」を、あくまで心の中で口ずさみながら、新橋から都営地下鉄浅草線に乗り込んだ。この電車が京浜急行線に直通の「快速特急」として、三崎口まで連れて行ってくれる。

 

 京急線には、あまり馴染みがない。むかしむかし1週間に1度だけ川崎の小さな医系予備校で教えていた時、浅草から京急川崎まで京急線を利用していたけれども、それはもう30年もむかし、予備校講師1年生の1年間だけのことである。

(クラシックな城ケ島で、クラシックなサザエの壺焼きを満喫。オイシューございました)

 

 思い起こせばたいへん苦しい時代で、何しろ予備校講師1年生だから、どこか大きな予備校でまるまる1週間ずらっと授業を入れてもらえる身分ではなかった。

 

 毎日別々の小さな予備校に出講し、月曜は西荻窪、火曜は大宮、水曜は川崎、木曜と金曜は水戸、自分でもいま自分がどこにいるんだか分からなくなるような、いやはや全く厳しすぎる日々だった。

 

 川崎の医系予備校で、若き今井君が担当したのは1クラス16名。全部で4クラスしかない予備校だったから、生徒全員が集まっても60名+αという小さな小さな世界だった。

(クラシックな城ケ島で、クラシックな焼きハマグリを満喫。オイシューございました)

 

 そういう苦しい時代を思い出しつつ、三崎口の駅前からバスに乗った。三崎口から城ケ島まで、バスで30分ほど。梅雨の晴れ間の快晴の1日で、クーラーのきいたバスの中でも大汗をかいた。

 

 城ケ島に到着、11時すぎ。それこそマコトにクラシックな観光地であって、飲食店も多数、そのほとんどが大きく「まぐろ」の看板を掲げている。城ケ島に来たらまぐろ、それが定番であることには間違いない。

 

 しかしワタクシがこの日城ケ島を訪れた目的は、まぐろではない。「しったか」である。15年前、このブログを書き始めて間もない頃、オウチにニャゴロワとなでしこの2匹を残して6月下旬の城ケ島を訪れ、「かねあ」という小さな店に入って「しったか」を勧められた。

  (あまりに懐かしい城ケ島「かねあ」、健在だった)

 

 その「しったか」が「旨かった」いう思ひ出はない。「旨かったかどうか」どころか、どういう味だったかさえ記憶にない。

 

 ただ、「かねあ」の陽気なオバサマに「しったか、おいしいですよ」と勧められ、半信半疑で「しったか」1皿を注文し、まだ内気だった今井君はとりあえずその「しったか」を大急ぎで写真に収めて、まだ20回目のブログ記事に掲載した。

 

 まだ初々しい記事(Wed 080625 三崎 しったか)、ぜひ一読してくれたまえ。「しったか」の写真も載っている。この記事が20回目、今日は4405回目だ。

 

 しかしその「しったか」、もう城ケ島のあたりでは獲れないんだそうである。「海が焼けてしまって」と、「かねあ」のオニーサンは残念そうに笑った。「海が焼ける」とは正確にはどういうことか分からないが、イメージとしてつかめないことはない。

 

「しったか」は食べられそうにないと諦めても、とりあえず懐かしい「かねあ」の店は残っていた。それだけでも、安堵の胸を撫でおろすのである。大工道具の「さしがね」の下にひらがなで「あ」と書いて「かねあ」。「さしがね」は昔の屋号によく用いられた。

(城ケ島「磯料理 いけだ」、のんびりした、いいお店だった)

 

 そこでワタクシは「かねあ」のオニーサンに「あとでまた来ます」と告げ、もう一軒ヨサゲな飲食店に入ってみることにした。

 

「かねあ」から徒歩2分ほど、そのたった2分で汗まみれになるぐらい暑い1日だったが、入った店は「磯料理 いけだ」。老夫婦2人でやっている店で、ここでもやっぱり「しったか」は見つからなかったが、小さいイカ、小さいサザエ、小さいハマグリ、やっぱり城ケ島の海がこの15年で「焼けてしまった」ことだけは間違いないようであった。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

2E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1

3E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.2

4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10

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