Fri 230609 千葉の銚子へ/幅寄せがキライだ/3たび大河の話/江ノ島「天海」 4382回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 230609 千葉の銚子へ/幅寄せがキライだ/3たび大河の話/江ノ島「天海」 4382回

 昨夜は更新を怠けてマコトに失礼した。この2週間はずっと怠けずにいて、6月に入ってからも怠けずに続けていたのに、さすがに昨日は飲みすぎた。オウチには19時半に帰ってきて、さっそく我が友Mac君を開いたけれども、いつの間にか居眠りして、気がつくとそのままデスクの前で、もう日付が変わっていた。

 

「どこで飲んだのか?」と問われれば、事実をそのまま正直にお答えするしかなくて、昨日の今井君は何故か千葉県銚子市におり、銚子の海辺の店でビールの大瓶をほぼ一気飲み。夕暮れにJR銚子駅前に戻ってきて、駅前「大衆居酒屋」を称する店でビールに日本酒。それでも足りなくて帰りの電車でもまだ飲んだ。

 

「どうして銚子?」であり「公開授業か講演会でもあったんですか?」であるが、マコトに残念なことに、今回の銚子訪問はお仕事は一切関係ナシ。そもそも寂しい銚子駅前には、我が懐かしいあの緑色の看板は、ちっとも見当たらないのだった。

 

「それならなおさら、どうして銚子?」ということになるが、昨日のワタクシは何だか「梅雨前線から逃走したい」というおかしな欲望というか欲求というか、如何ともしがたい逃走欲に駆られたのである。

(かつて馴染みだった江ノ島「天海」の勇姿。しらすも旨いが、とれたての鮮魚料理がいつも旨かった)

 

 もともと今井といえばこの30年、飽くなき「闘争欲」を前面に押したてて、予備校バブルの激戦を生き抜いてきた大ベテランだ。闘争欲を振り捨てて逃走欲のトリコになるなんて、「まあ余程のことか」と心配してくださる読者も少なくないだろう。

 

 しかし諸君、別に闘争心がなくなったのではない。その方面は今もなお旺盛にメラメラと燃え盛り、吉野石膏のタイガーボードだって防ぎきれない強烈な火炎放射器よろしく、常に常に熱く燃えている。

 

 だから闘争心の問題ではない。前日どころか前々日から、天気予報に登場するありとあらゆる天気予報士の皆様が、「8日から9日にかけて警報級の大雨の恐れ」と繰りかえし、その表情を暗くなさる様子を眺めるうちに、「梅雨前線からできるだけ遠くに逃げていたい」という気弱な逃走欲求に駆られたというわけだ。

(江ノ島「エスカー」。エスカレーター3つを乗り継ぐだけだが、リニューアルされて、こんなに派手なエスカレーターに生まれ変わった 1)

 

 梅雨前線とは、西から少しずつ迫ってくるものである。思いきり湿った、思いきり不快な、思いっきり生温かい暖気が、西から東へ、西から東へ、実に暑苦しい様子で幅寄せしていらっしゃる。

 

 すると諸君、幅寄せしてくる梅雨前線から逃れるためには、東京から東へ東へとジワジワ移動していくしかない。

 

「ゲルマン民族の大移動」なんてのも、大民族による一種の幅寄せ大作戦だから、押されたローマ帝国は、ドナウ沿岸を西へ西へとジワジワ後退したわけだが、昨日の今井君は東へ東へと、梅雨前線回避作戦を進めたのだった。

 

 詳細は10日後ぐらいのブログに記す予定だが、東京から東への撤退は、まず総武線で千葉へ、千葉からもさらに総武本線の特急「しおさい」に揺られて撤退をつづければ、佐倉・八街(やちまた)・横芝・八日市場・旭・飯岡、そういう深い田園地帯をすぎて、終着駅・銚子にたどり着く。

 

 何しろそこから先は、犬吠埼の向こうに広がる太平洋、その先は支倉常長やら中浜万次郎やらが目指したアメリカだ。さすがの今井君も、梅雨前線の幅寄せを恐れてアメリカを目指すところまで気弱ではないから、銚子の街で何とか踏みとどまり、銚子を探検して酔っ払ったという次第なのだった。

(江ノ島「エスカー」。エスカレーター3つを乗り継ぐだけだが、リニューアルされて、こんなに派手なエスカレーターに生まれ変わった 2)

 

 クルマに乗っていて一番イヤなのは、大型車の幅寄せだ。小さな国に生きていて、一番耐えられないのは大陸国家の幅寄せだ。

 

 大型トラックにダンプカーがジリジリと幅寄せしてくれば、向こうは何の危険も感じなくても、こちらの心理としては「このまま意地を張っていたら、命を落とすことになるかもしれない」という重苦しい恐怖でいっぱいだ。

 

 中世から近世まで、海洋商業都市として繁栄の極みに達していたイタリアの諸国家にとって、大陸国家オスマントルコの幅寄せ大作戦ほどイヤなものはなかったはずだ。アマルフィもナポリも、ジェノヴァもベネチアも、いつかトルコの幅寄せ作戦に屈し、第2のコンスタンティノープルならないように、譲歩に譲歩を重ねた。

 

 幅寄せ大好き大陸国家は、今の世界にも2つ厳然と存在していて、一方は西に向かってぎゅーぎゅー幅寄せする大作戦を展開中。ダムを破壊し、原子力発電所を危機に追い込み、一般市民を殺戮して反省や懺悔の姿勢は一切示さない。

 

 もう一方は東へ東へ&南へ南へ、こちらも幅寄せに余念がない。ちょうど半世紀むかしの映画「激突!!」を思わせる無謀で無反省な幅寄せを長年眺めるうちに、気弱な今井君なんかは梅雨前線の幅寄せすら鬱陶しくて、逃走欲が抑えきれなくなってしまった。

  (5月30日、たった1週間で江ノ島を再訪した 1)

 

 ま、そこから三たびNHK大河ドラマの話に無理やり持っていこうというわけだが、徳川家康という人物、若い頃はまだ「どうする?」「どうする?」と責め立てられる可愛さ・可憐さ・ウイウイしさがあるとしても、中年過ぎた家康は、残念ながら日本史の中でも稀に見る幅寄せ男なのではないか。

 

 もちろん「雌伏してじっくり機を待つ」といえば聞こえはいいが、信長が去り、北條が消え、秀吉が老いて、京都から遠く離れた江戸で経済力を蓄えつつ「内府さま」と呼ばれだしてから先の家康は、特に英雄的な逸話も、果敢な戦いも、目の覚めるような鮮やかな戦略もなく、ひたすら幅寄せに徹する幅寄せ大名のように見える。

 

 幅寄せは、まず北に向かって北関東から東北へ。続いて越後と信濃と南関東、いわゆる「甲信越」方面へ。そうやってジリジリ幅寄せに続く幅寄せ、行き着く先は関ヶ原と大阪城であるが、この段階までくれば、西国諸大名へも精神的な幅寄せが効くようになる。

 

 ま、そういうこともあって、ワタクシにとって今年の大河ドラマはとっくにアウト。「まさか放送打ち切りにならないよな」と、むしろそっちを心配している。だって、近畿から西の人々は、東の幅寄せ男、あんまり好きじゃないというか、興味や関心の対象外なんじゃないか。

  (5月30日、たった1週間で江ノ島を再訪した 2)

 

 すでに何度か触れてきた「原作の不在」「全体を貫く棒のようなものの不在」に関してであるが、20世紀の大河ドラマには必ず原作小説があったことを繰り返そうと思う。

 

 だから「来年の大河が決定」と伝えられるや否や、まず出版社が原作小説の大増刷を開始し、文庫版がなければ文庫版を出して書店に山積み、原作は間違いなく大ベストセラーになった。

 

 例えば徳川家康だってそうだ。歌舞伎でも文楽でも映画でも芝居でも、ちっとも人気のなかったこの男が、滝田栄の主演で大河ドラマ「徳川家康」の主人公となった1983年、山岡荘八の原作「徳川家康」は一気にベストセラーになり、1冊400ページ近い文庫本で合計26巻、母上が買ってきて今井君の家の書棚にも並んだ。

 

 そういう「国民的大作家」、むかしはズラリと「高額納税者」「所得番付」の上位を占めたのである。「所得番付」と言ふもの自体、セキュリティがグイッと落ち込んでしまった21世紀にはもう信じがたい話だが、20世紀末までは「総合順位」「スポーツ選手」「作家」「芸能人」みたいにジャンル分けされて、朝日・毎日・読売新聞の第1面にも掲載された。

 

 大河ドラマの原作として選ばれれば、当然のごとく大ベストセラーにのし上がり、同じ作家の他の作品も、まるで宝くじ一等の「前後賞」「組違い賞」みたいな勢いで売れまくる。

 

 松本清張と赤川次郎と五木寛之あたりが「作家」部門のトップ3であり続けた時代、大河ドラマの原作作家が3位4位5位あたりに食い込んでくるのは、「当然のなりゆき」といった空気感だった。

  (5月30日、たった1週間で江ノ島を再訪した 3)

 

 司馬遼太郎にしても、大河ドラマ原作の著者として名があがる以前、日本人が揃って賞賛&尊敬の対象とするほどの大作家とまでは認識されていなかったような気がする。大河の原作になって、歴史ドキュメンタリー番組に出演し、専門家として認知され、地位が定着していった。

 

 もちろん、それは素晴らしいことである。大河の原作とは、最高の歴史文学であり、庶民の家庭の小さな書棚が、そうした文学書でぎっしり埋まる。すると子供たちも自然に文学書を手に取り、ゲームに夢中になる代わりに文学書を読みふける子も多く生まれた。

 

 では21世紀、今や「脚本家丸投げ」の大河ドラマに、家庭の書棚を文学書でいっぱいにし、「文芸書が大好き♡」と目を輝かせる子供たちを生み出す力があるだろうか。せいぜいで「ノベライズ」、テレビドラマを逆に小説仕立てに書き換えて売り出す手法は考えられるが、まあ悲惨な結果を招くのがオチだ。

 

 残るは「ゲーム化」であるが、「どうする家康ゲーム」「光る君へゲーム」なんか作ってみても、陰惨で無反省な斬り合いや、性懲りもない陰謀の繰り返しになってしまうのが関の山。他のゲームの方がもっとずっと楽しくて明るくて人気が出そうじゃないか。

 

 今のワタクシが夢見るのは、こうしてやっぱり 

① 国民的大作家によるしっかりした原作小説の選定

② 作家の人生観とヒーロー観に対するドラマ制作サイドからのリスペクト

③ 新しい世代の国民的大作家の出現

の3点である。

 

 だって諸君、21世紀的な司馬遼太郎・大佛次郎・村上元三・永井路子が出現して、各家庭の書棚が再び昔のように充実するようになったら素晴らしいじゃないか。ヨーロッパ史の塩野七生みたいな人気作家が、そろそろ日本史にも登場すべき時代じゃないか。大河にはそれを支援する力がまだまだ残っていると信じたい。

  (5月30日、たった1週間で江ノ島を再訪した 4)

 

 なお、今日の写真は5月30日、鎌倉江ノ島でのもの。北鎌倉の明月院でハナショウブを存分に楽しんだ後、ワタクシは鎌倉山を北東から南西方向に縦断して、20分ほどで江ノ島に着いた。要するにタクシーと言ふマホーの絨毯に依存したのである。

 

 江ノ島の坂を登っていくと、かつて馴染みというかヒイキにしいた鮮魚料理店「天海」がある。10年前までは、江ノ島を訪ねれば必ず「天海」に闖入し、女将に奨められるままに「キンメの煮付け」やら何やら贅沢に注文して、腰を落ち着けてお酒を痛飲している間に夕暮れに至った。

Wed 090603 帰国後の疲労を江ノ島で癒す 不機嫌になることが目的で、キチンと目標を達成

Mon 140526 日テレ系で観戦せよ 仕事前の鎌倉観光 トコロテンの仇を江ノ島で討つ

 

「天海」から足が遠のいてもう10年近くなるが、今も「天海」、元気に絶賛営業中のようである。あんまり元気すぎて、一昨年のコロナ真っ最中に訪問してみたら、店内はほぼ満員の大盛況だった。

 

 あれは、昨年夏のことである。もちろん懐かしのアクリル板や換気装置も徹底していたし、テーブルとテーブルの間隔もしっかりとっていたけれども、隣のテーブルにはピンクヘアの女子とムラサキヘアの女子、女子2名のキツーい視線に恐れをなして、すごすご退散することにした。

  (5月30日、たった1週間で江ノ島を再訪した 5)

 

 ふと「天海」、今までは「あまみ」「あまみ」と思い込んで、ずっと「あまみ」と読んでいたけれども、もしかしたら「てんかい」である可能性も否定できない。おお「てんかい」、それはまた新鮮だ。まるでマジシャンの名前みたいだ。

 

 そう思って、いつか近いうちに「あまみ」か「てんかい」かを女将に訪ねに行こうと考えていたら、先日メシを食べていた銀座7丁目の店で、いきなり1人のウェイターに「マジシャンを今このテーブルにお呼びしましょうか」と尋ねられ、度肝を抜かれる気分になった。申し訳なかったが、とりあえずご遠慮申し上げた。

 

 諸君、銀座7丁目から8丁目にかけて、つい10年前まで「銀座日航ホテル」という老舗ホテルが存在した。もちろん日航とはJALのことであって、決して怪しいホテルではないが、その銀座日航ホテルの裏通りを、かつては「日航裏」と呼んだ。

 

「日航裏」という響き、よく噛みしめてみたまえ。通りの向こう側は何しろ銀座8丁目、超高級クラブがズラリと並ぶあたりだ。一方の「日航裏」は、深い静寂の支配する薄暗がりが続く。まあいろいろ、子供たちに教えてあげにくい逸話の絶えなかった界隈である。

 

 夜の街を流して歩く修業中の「女マジシャン」なんてのが、つい最近までそういう界隈に出没したのである。真っ赤なジャケット、同じ真っ赤なシルクハット、露出度の高いコスチューム。なかなか激しいお姿だったりした。

 

 そういう時代を思い出すと、「天海」が「あまみ」でなく「てんかい」だったとすれば、うーん、やっぱりワタクシはイヤだ。どこまでも「あまみ」であってほしい。そして江ノ島「あまみ」、また近いうちに訪問して、10年ぶりにあの旨いキンメの煮付けを味わってみたいのだ。

 

1E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 1/2

2E(Cd) King’s College Choir:ABIDE WITH ME(50 Favorite Hymns) 2/2

3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4

6D(DMv) STRATTON

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