Sun 230528 宇治平等院の藤/中高の先生方のこと/長岡京を発掘した高校教諭 4372回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 230528 宇治平等院の藤/中高の先生方のこと/長岡京を発掘した高校教諭 4372回

 むかしむかしの中高生などというものは、要するに生意気が凝り固まって出来た生物みたいな存在で、何を隠そうこの今井君がその最たるものだった。中2から中3にかけてあんまり生意気だったものだから、あれから幾星霜、完全な生意気♡楕円形に固まって、そのまま今日を迎えている。

 

 これもきっと神様の罰なのだ。ホトケさまは優しいから、「生意気であること」に罰を与えたりはしないが、一神教の神様となるとさすがに恐ろしい。中高生の段階で国語や数学や英語の先生を見くびってケーベツなんかするヤツは、間違いなく一生をキウィの形の楕円形の中に幽閉されて過ごすことになる。

 

 14歳の今井君は、とにかく国語と数学と英語の先生がキライ。「世界はこんなに広くって、冒険しようとすればナンボでも冒険のタネがあるのに、あえて安定と着実と堅実を選択したヤツらだ」みたいなバカなことを、平気でホザきまくっていた。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 1)

 

 オトナたちの世論が悪影響を与えていたのかもしれない。昭和のむかしは、中学や高校の教諭として一生を教育に捧げようと言ふ人々を、何と「デモシカ先生」と揶揄する世論が優勢だった。

 

 若い諸君にとってはもちろんとっくに死語となっているだろうが、「デモシカ先生」とは、「教師にデモなるかな」「先生にシカなれないしな」という情けない諦めのコトバを短縮した揶揄表現。「あいつ子供のころは優秀だったのに、結局デモシカ先生になっちゃった」みたいなイヤらしい使い方をした。

 

 特に中2中3の時代の今井君は、いま思うとヘドが出るほどの生意気ぶりであって、「毎日必ず1冊読破する」とか宣言して本屋に入り浸り、文庫本で手に入る限りのニーチェやらソルジェニーツィンやら、澁澤龍彦やら津田左右吉やらを買いあさり、めったやたらに先生方につっかかってばかりいた。

 

 ソルジェニーツィン、今どき読む人が多くいるとは思えないが、旧ソ連が崩壊する前までは欧米の知識人で愛読しない人はないほどの人気作家。「ガン病棟」「収容所群島」「イワン・デニーソヴィッチの1日」。中学の国語の先生にそれらを題材にしてつっかかれば、自分では十分にカッケーつもりになれた。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 2)

 

 すると対する先生方も、だんだん「オレはまだ本気だしてないだけ」「私だって本気だせばスゴいんだから」というムードになってきた。今井君のイヤらしい生意気も、それなりに先生方の本気を引っ張り出すのに役立ったのかもしれない。

 

 だって思ってもみたまえよ。むかしの中学のセンセ、むかしの高校のセンセ、何となくみんなもう激務に疲れた感じで、「ヨレヨレ感まるだし」というケースも少なくなかったが、彼らか彼女ら自身が中高生の時代には、クラスでトップとか、校内屈指の秀才とか、ヒーローやらマドンナやらヒロインやら、きっとそういうエース的存在だったのだ。

 

 それなのにもう疲れ果ててジャージにサンダル、「見た目なんかもうどうでもいいや」な感じ。国語の先生も「もう読書なんかメンドー」、英語の先生も「発音なんかどうでもいい、通じさえすればいい」、数学の先生も「とにかく公式にあてはめて解け」。要するに諦めが先行し、諦めが支配して、過去の栄光の全てを忘れていらっしゃったりした。

 

 しかしもう一度繰り返すが、中学校でも高校でも、よく考えてみれば先生方には、かつてはクラスのエース、学校のヒーロー&ヒロイン、憧れのマドンナやらストレートのオールA、学校を代表するリレーのアンカーだった人々が、ズラリと並んでいるのである。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 3)

 

 読解力のある人なら、この辺で昨日の記事の締めくくりの1パラグラフ、「キリシマツツジの絵を描いてきなさい」という宿題を出した越後谷節子センセの話が、「どうやら今日の話の伏線になっていたんじゃないか」と気づくはずだ。

 

 今井君のあまりの生意気ぶりに刺激されたのか、何だか複数の先生方が「かつての栄光」を思い出して、ムクムク立ち上がっていらっしゃった。おお、生徒の生意気だって、時にはホントに役立つのである。

 

 中2になって、もうひとり別の国語の先生との出会いがあった。高橋義一先生という40歳代前半の男子の先生だったが、彼にはマコトによく絡まれ、だからこそ信じがたいほどに仲良くなった。

 

 昨年は4月25日に宇治の平等院を訪れたが、あの時にもふと高橋先生を思い出している(Tue 220531 藤の花ぶさ短ければ/宇治平等院へ/抹茶ビール/藤とクマンバチ 4228回)。どうも当時の国語の先生方の間では「想像上の絵を描かせる」という指導法が流行したらしい。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 4)

 

 高校に進学してからは、さすがに今井君の生意気も鼻っ柱を挫かれることが多くなって、むしろ高校の先生方から影響を受けるというマトモな方向性が増えた。

 

 国語の高久先生と一関先生には「将来キミは作家になって、文章を書いて一生を過ごしてみないか」と言われ、それでますますいい気になった。大学のゼミ担当教授に「ずっと論文を書いて生きていきたまえ」と同じようなことを言われた時には、思わず友人たちに自慢したものだった。

 

 ただし、そういうことを自慢するとロクなことにならないのが常なので、諸君、高校の先生や大学の指導教官に「こんなことを言われた」みたいな話は、ワタクシみたいな中高年になってからならいざ知らず、若い時代には決して友人&知人に漏らしてはならない。嫉妬ほど恐ろしいものは、この世に存在しないのである。

 

 高3の時の担任で後に秋田高校の校長になられた高橋先生にも、ずいぶん大きな影響を受けた。物理が専門で、数学も教えていらっしゃったが、先生のベクトルに関する授業はとにかく絶品だった。

 

 いま思わず「あの先生が予備校の講師だったら、すげー人気だったろうな」とも思うのであるが、いやいや&いやいや、やっぱり先生はどこまでも実直で真摯な、県立高校の先生のままであっていただきたいのである。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 5)

 

 もう1人、美術の伊藤康夫先生のことも忘れがたい。先生は長く高校教師を勤められつつ、「新制作展」の主要メンバーでもあられた。「新制作展」、小磯良平やら荻須高徳やら丹下健三やら、新制作と深い関わりのある超有名アーティストは少なくない。

 

 その主要メンバーが、地方の県立高校で美術の指導をしてくれる。いやはや今井君はマコトに恵まれた高校時代を送ったのであって、思わず伊藤康夫先生の思ひ出をこのブログに書いたのは、すでに15年も前のことである(Fri081212「個性豊かに、自分の見たままを描け」と言うな 木島先生、伊藤康夫先生について)。

 

 どうしてまたそんなに中高生時代の先生がたについて書きたくなったのかと言えば、昨日書いた「長岡京」の話がきっかけになっている。

 

 長岡京は、784年に平城京から遷都。794年、たった10年の後に平安京に遷都。日本の都だったのはたった10年、マコトに短命な都だった。

 

 何しろ奈良の平城京は、「あおによし奈良の都は」「咲く花の匂うが如く」「いま盛りなり」とマコトに華々しく始まったけれど、その70年の歴史をたどると、何とも血なまぐさい権謀術数と暗殺と陰謀とが黒々と渦巻いて、あんまり「咲く花の匂うが如く」と浮かれてもいられない。

 

 しかも、経済の頼みの綱の水運が、河川の土砂の堆積で滞ってしまう。政治は権謀術数でお先真っ暗、経済も土砂の堆積でお先真っ暗、そこで桓武天皇と藤原種継(たねつぐ)が力を合わせ、水はけにも水運にも恵まれ、寺社勢力の権謀術数の手も届かない山崎の地に「長岡京」を建設する。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 6)

 

 その長岡京、桂川系の3つの河川で水運が確保できる理想の地形だったが、残念なことに長岡京造営の担当者・藤原種継が暗殺される。奈良の寺社勢力の陰謀が疑われ、早良(さわら)親王が「陰謀に加担した」として捕縛&幽閉されるに至った。

 

 早良親王は、抗議のため絶食。「桓武天皇が食物も水も与えず餓死に追い込んだ」という説まであって、有名な早良親王のタタリが長岡京を襲う。

 

 高位者の病死。相次ぐ落雷と洪水、疫病の頻発。ついに早良親王の恐ろしい祟りを避けて、平安京遷都が決まる。長岡京付近の地域はその100年後、菅原道真の所領となり、だから長岡天満宮というか長岡天神というか、道真を祀る神社ができた。早良親王の祟り、菅原道真の祟り、京の都にかかわる2大タタリがここに深く関わっている。

 

 長岡京は、以上の事情からマコトに短命に終わった。今井君は高3の頃、医学部志望であるにも関わらずずいぶん日本史に凝って、中央公論社版「日本の歴史」全26巻を1年で読破したりしたが、本の中でも「長岡京は幻の都」とされ、「ホントに存在したの?」という疑問の目で見られてさえいた。

 

 その発掘調査にあたったのが、西京高校の教諭だった中山修一先生である。1955年から1979年にかけて、ということは4半世紀に及ぶ地道な発掘調査を続けて、とうとう長岡京の全体像を突き止めた。マコトに地味で地道な、驚くべき執念による発見なのだ。

 (4月23日、長岡京から宇治平等院へ、満開の藤を満喫 7)

 

 西京高校は、堀川・嵯峨野・洛星・洛南・膳所などと並ぶ、京都と滋賀の最優秀校のうちの1つ。そういう高校で教鞭をとりながら、コツコツ&コツコツたゆむことなく、幻の都・長岡京の発掘を続けた。素晴らしく充実した人生だったに違いない。

 

 中2の頃の今井君は、周囲の大人たちの「デモシカ先生」みたいな冷淡&冷酷な発言に惑わされ、彼ら&彼女らの潜在能力を軽視するバカバカしいコドモだったが、今になって先生方の能力が身にしみて理解できるようになった。日本中の先生方に、深い敬意を表したいのである。

 

 読者諸君、今のマスメディアみたいに何でもかんでも「型破りな先生」「花まる先生」みたいなものにばかり喝采を送るのは間違いだ。あくまで地味に、どこまでも型通りに、地道に地道に日々の教育に邁進する先生方こそ、実は社会の宝物なのである。そこを勘違いするようでは、「未熟者!!」のソシリを免れない。

 

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 3/10

2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 4/10

3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10

4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10

5E(Cd) Bobby Caldwell:COME RAIN OR COME SHINE

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