Tue 220531 藤の花ぶさ短ければ/宇治平等院へ/抹茶ビール/藤とクマンバチ 4228回
「花を見る旅」は、ホントに難しい。というか、花に限らず紅葉でも青モミジでも、盛りがあんまり短いので、「こちらのスケジュールに合わせてくれよ♡」という無理な要求を、植物サイドが受け入れてくれないかぎり、滅多なことでは盛りを満喫することはできない。
そこで吉田兼好どんみたいに「花は盛りに 月はくまなきをのみ 見るものかは」と、まあマコトにもっともな、しかし少し負け惜しみにも聞こえるような、微妙なことをおっしゃる人もいる。
別に2分咲きでも3分咲きでも、可憐でいいじゃないか、盛りを過ぎた花吹雪も花筏も、散りモミジだってその風情は奥ゆかしいじゃないか。三日月、半月、十六夜の月、みんなスンバラシイ。「次の夜からは欠ける満月より、14番目の月が一番好き」、むかしユーミンと言ふオネーサマもそうおっしゃった。
(宇治平等院の藤。いやはや見事でございました 1)
今年のワタクシは、長野の高遠では満開のコヒガンザクラを満喫できたが、吉野の「一目千本」と仁和寺の御室桜は見事に空振りを喫した。
空振りにもいろいろあって、ボールが来る前に振っちゃう空振り、ボールを違うところを振っちゃった空振り、そしてボールがキャッチャーミットに入ってからの完全な振り遅れ、今年の吉野と仁和寺では、この一番みっともない空振りになっちゃった。
だから4月25日、まだ春の花を見足りないワタクシは、京都の城南宮と宇治の平等院でたっぷり藤の花を眺めてこようと、朝から大張り切りで新幹線に乗り込み、昨日も書いたとおり「からあげ弁当」をお急ぎで飲み込んでから、マジメな顔で京都に向かったのである。
(宇治川。ちょうどNHK大河ドラマで宇治川の先陣争いを扱った直後だった)
いつも通り、話はグイッと横に逸れてしまうが、もしかしたら今井にはなかなかの予知能力があるんじゃないだろうか。
昨日の夜、ヒマに任せて夕暮れのNHKニュースを眺めていたら、19時30分、番組は「クローズアップ現代」に切り替わり、例の桑子アナがニッコリ笑顔でいきなり「からあげブーム」の話を始めた。
ワタクシが「からあげ弁当」の記事を書いていたのが午前10時ごろ。「クロ現」のからあげブーム特集が19時30分。うーん、唐揚げでも何でも「むむむ、何か来そうだな」「これは何か来るぞ」と、第6感というか6th senseというか、まあ同じことであるが、いろんなつまらない予感があるのだ。
(宇治平等院の藤。いやはや見事でございました 2)
さて藤であるが、4月25日の京都もやっぱり驚くほど暑かった。5月下旬の東京は真夏のような日々が続いて、さすがに忍耐強いワタクシもこの数日ウォーキングを怠けているが、4月25日の京都もまた油照りの1日。まだ桜の記憶が残り、紫陽花の花の芽も出ていないうちから、アスファルトの路上は真夏の暑さだった。
たどり着いた城南宮の藤はどうだったか。いやはや残念ながらまたまたスカッと空振り。今度は、早過ぎた。ボールがキャッチャーミットに入った後でブン!!と一振りするタイプが続いたが、今度はまだボールがピッチャーの手を離れる前に思い切りブンッ!!とやって、場内の失笑を買う類いの恥ずかしい空振りである。
その藤の写真は、悔しいから今日の最後の写真にしてやる。面倒なら、見てくれなくても構わない。東京から2時間もかけて京都に来て、からあげ弁当のオカネだって払って、近鉄電車に乗り換えて10分、竹田駅から油照りのアスファルトの道を30分近くも歩いて、「ありゃりゃ、藤って、たったこれっぽっち?」、まさに呆然とする世界だった。
(久方ぶりに訪問した宇治平等院の勇姿 1)
何しろ平日のお昼ごろだ。眺めに来た人はマバラ。70歳代前半と思われる老夫婦が、ワタクシと同じように唖然&呆然としていて、今井君に声をかけるような/かけないような曖昧な視線をこちらに向け、「藤の花を、見に来たんですけどね …」と力なく呟いていた。
藤の花房が、あまりに短いのである。「まだ3分咲きです」と入り口にいらっしゃった巫女さんがおっしゃっていたが、おお、「花は盛りにのみ見るものはか?」タイプの強がりも、これではちょっと通じにくい。
そこで思い出したのが「かめにさす藤の花ぶさ短ければ」という正岡子規の短歌。中2の期末テストの範囲だった。国語の先生がちょっとメンドーな人で、「かめにさす藤の花ぶさ短ければ 畳の上に届かざりけり」という情景の絵を描いてくるようにと、ホントにめ面倒な宿題を出した。
そのころ子規の結核は「痰 一斗 へちまの水も間に合わず」と絶句するぐらいまで悪化、長く臥している病床の子規の視線から藤の花房を眺めるのだから、藤の花房の先と、畳の間のわずかな隙間が分かるわけである。そういう絵を描いていかなきゃいけない。バッくれてもいいけれど、バッくれなくてもいい。
(久方ぶりに訪問した宇治平等院の勇姿 2)
優等生♡今井君は、仕方がないから翌朝教室に行ってからササッと描き上げた。その種のゴマカシはたいへん上手。宿題のほとんどは、当日朝の教室でササッとごまかす。何しろ昔の中2男子だ。許してくれたまえ。
それにしても、石川啄木26歳、正岡子規36歳、芥川龍之介36歳、太宰治38歳、レーモン・ラディゲ20歳。あまりに短い生涯だ。
36歳とか38歳とか言えば、ワタクシが駿台や代ゼミで担当した生徒諸君の今の年齢より若い。東進で今まで満17年、最初に授業を受けてくれた生徒の皆さまも、ちょうどそのぐらいの年齢にさしかかる。今井なんか、この歳になるまで何にも業績を残していない。忸怩たる思いだ。
(4月25日、平等院では白いハスの花が咲き始めていた)
さて城南宮であるが、とにかく藤の花房が20cmにも満たないほどの短さだから、畳の上に届かないばかりか、我が目の高さにも届かない。そのくせナマイキに、黒い大きなクマンバチだけはブンブ&ブンブと飛び回っている。
こういう時はとっとと場所を変えるに限るので、躊躇なく竹田の駅に取って返し、丹波橋・中書島経由で京阪線に乗り換え、あっという間にワタクシは、宇治駅前に姿を現した。
平等院に向かう道は、香ばしい宇治茶の香りでいっぱいだ。宇治茶の有名店がズラリと軒を並べているんだからそれも当然だが、こういうカンカン照り暑い真昼、長い距離を歩いていた今井君としては、熱い宇治茶よりやっぱりギュッと冷えたビールが飲みたい。
しかしビールの飲めそうなお店はみんな、午後2時でもうとっくに店じまいしている。あとは、お茶・お茶・お茶、まさに宇治茶ぜめだ。
(久方ぶりに訪問した宇治平等院の勇姿 3)
たった1軒「ビール」という看板が見えたので、「助かった」とばかり駆け込んでみたが、メニューに存在するのは「抹茶ビール」「ほうじ茶ビール」のみ。「普通のビールはありませんか?」と尋ねてみると、マコトにすげなく「ありまへん」の一言で終わってしまった。
仕方なく注文したのが、下の写真の「抹茶ビール」。うーん、なかなか濃く深い味わいだ。ビールなんだけれども、抹茶でもある。しかし、うーん、別にその2つを一緒にしなくても、ビールはビール、抹茶は抹茶、別々に楽しんだ方がいいんじゃないか。
というか、「混ぜたものはあるが、混ぜないものはない」「必ず混ぜてから売る」とまでガンコになる必要はないんじゃないか。そう愚痴りながらも、最後の一滴まで何とか飲み干し、ほうほうのていでお店を出ると、さあいよいよ藤を眺めに平等院に入ることにした。
(抹茶ビールのある風景)
すると諸君、見事&見事、お見事じゃないか。マコトに見事に伸びた藤の花房が、例外なく満開。ついに連続空振りを免れて、ブンッと振り回したバットの芯に、気持ちよくボールが当たった感覚。ボールが高々と青天に舞い上がり、観衆の大喝采の中をベース一周する歓喜の感覚。いやはや大谷翔平どん、連日のようにこういう歓喜を味わっているのだ。
ただしクマンバチ諸君もまた、満開の藤の花に埋もれて歓喜の真っただ中にいる。黒く大きくジューシーなクマンバチが、この藤棚の中におそらく200匹以上、我を忘れて大好きな藤の蜜を満喫している最中だ。
(宇治平等院の藤。写真の下方真ん中あたり、茶色い羽を広げた黒いヤツがクマンバチ君だ)
大好きなものを溺れるように満喫しているところに、おかしな邪魔が入ると、ハチでも今井君でもいきなり凶暴になることがある。ビールと抹茶を混ぜられてしまったり、藤の写真を撮ろうと藤棚に接近し過ぎたりすれば、勢いよく逆襲に出てくる可能性が高い。
例えばワタクシ、クマンバチのあまりの大きさに魅せられ、藤の花よりむしろクマンバチにカメラを向けて何枚も何枚もパチパチやっていのであるが、それが10枚目になった頃、「何だオメエ」「ウゼンだよ」とでも言うように、猛然とスピードを上げてこちらに向かってきた。おお、コワかった。
(そして最後に、城南宮「まだ3分咲きどす」の藤。きっとこの1週間後ぐらいに満開になったのだと信じる)
1E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 9/10
2E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 10/10
3E(Cd) Carmina Quartet:HAYDN/THE SEVEN LAST WORDS OF OUR SAVIOUR ON THE CROSS
4E(Cd) Alban Berg Quartett:HAYDN/STREICHQUARTETTE Op. 76, Nr. 2-4
5E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
total m184 y539 dd27567