Sat 221210 フトモモ主義は時代錯誤か/伏見稲荷のお火焚き/カメラおじさま連 4302回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 221210 フトモモ主義は時代錯誤か/伏見稲荷のお火焚き/カメラおじさま連 4302回

 自分で発言した責任もあって、ワタクシはサッカー・クロアチア戦をラジオで観戦したのである。ヤセ我慢もいいところで、どれほど精神力の限りを尽くしてドーハの情景を脳裏に浮かべようとしても、日本がどっちサイドからどっちサイドに攻めているのかさえ、なかなか明確にならなかった。

 

 ラジオ中継を担当したアナウンサーも、掛け合いの解説のオカタも、マコトに冷静なホンワカムード。テレビの中継とそれほど違わない。1970年代なら鈴木文弥アナ、1980年代なら土門正夫アナに羽佐間道夫アナ、あの頃の緊迫感あふれる中継は「今は昔の物語」になってしまった。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 1)

 

 かつては甲子園の高校野球の1回戦であっても、ラジオではまるで命のかかった一瞬一瞬に思えたものだったが、「これじゃテレビとおんなじだ」「我が想像力の枯渇かな?」と諦めたワタクシは、延長の後半でとうとう力尽き、民放テレビの画面を眺めて、最終結果を見守ることにした。

 

 運命のPK戦を眺めつつ、しみじみ日本サッカーの進化を実感した。皮肉でも何でもなくて、20世紀中盤からサッカーをボンヤリ眺めてきた今井君としては、「ホントにスマートになったな」「昔はもっと野蛮で強引だった」と、この半世紀の急速な進化ぶりに溜め息が出る思いだった。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 2)

 

 まだ世界に全く相手にされなかった時代、日本のサッカー選手はマコトにたくましく生きていた。1968年、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本チームの選手たち、そのフトモモなんか、2022年の選手たちのウェストぐらいの太さだった。

 

 もちろん、「だから昔はダメだったんだ」「だから当時は世界レベルには相手にされなかったんだ」というのは分かる。サッカーとは、そんな強引なフトモモ主義で通用するようなゲームではない。

 

 強烈なフトモモではなくて、極めてスマートな知性。むきむきなパワー丸出しではなくて、グラウンド全体を3次元的にも4次元的にも常に把握しているインテリジェンス。スーパー理系の知能が支配するゲームであることは間違いない。

 

 しかし諸君、今井君みたいな昭和人間は、20世紀的むきむきフトモモ主義やらスポコン主義が懐かしい。きわめて知性的な三苫選手のプレーと表情を見るたびに、「20世紀のムキムキ筋肉主義も、今の日本チームに1%か2%残っていたら♡」と思ってしまう。

(昭和59年、雑誌「Number」107号は、昭和サッカーのスーパースター釜本邦茂を特集した。今井君の本棚、おそるべし)

 

 要するに、見果てぬ夢なのだ。ラジオ中継についてもそう、サッカーについてもそう。21世紀の知性のありように、どうやらワタクシはもうついていけないようだ。フトモモ主義、ムキムキ志向、そんなのはもう鼻の先で笑い飛ばされてオシマイ。そういうことなのかもしれない。

 

 たった1つ、昭和人間として夢みるのは、PK戦要員でも全然かまわない、20世紀的フトモモ人間やムキムキ男がベンチを温めていて、「いざPK戦」となった時、マンガなら「ドーン!!」とか「ゴォーッ!!」とか、そういう擬音とともに登場して相手キーパーを肉体で圧倒してくれたら、そういう思いなのである。

(11月8日、快晴の京都・伏見稲荷。外国人観光客の姿も目立ち始めていた)

 

 さて日々の記録であるが、11月7日、ワタクシは朝の新幹線で大阪に向かった。

 

 7日は大阪の国立文楽劇場で飽きもせずに人形浄瑠璃。8日は滋賀県栗東で公開授業、9日は京都駅前で「キャンパスプラザ」で公開授業。仕事と遊び、中年ビジネスマン向けの雑誌の決まり文句なら「オンとオフ」、硬軟織りまぜて充実しきった超リア充な秋の日々を満喫する予定だった。

 

 宿泊したのは、ウェスティンホテル。大阪梅田と福島の中間のちょっと不便なロケーションのせいで、リッツカールトンやインターコンチに比較すると経営上少し苦戦を強いられている感があるが、まあいいじゃないか、大阪のタクシー運転手さんたちに最もスカッと分かってもらえるホテルであることに変わりはない。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 3)

 

 人形浄瑠璃のことなんか、ここにいくら書いてもどうせ興味を持ってもらえそうにないが、ワタクシが選択したのは夕暮れから夜にかけての「第3部」。歌舞伎なら新・市川団十郎ことモト海老蔵どんの独壇場「勧進帳」であるが、今や文楽の屋台骨を支えている竹本織太夫が弁慶を担当した。

 

 実は2018年にも、同じ大阪の国立文楽劇場で竹本織太夫の弁慶を観た。あの頃は織太夫、まだ「豊竹咲甫太夫」を名乗っていた時代だったかもしれない。彼が竹本織太夫を襲名した直後、東京国立劇場で「摂州合邦辻」を語った時の迫力は今も忘れがたい。

 

 あれから5年、織太夫どんはまさに日の出の勢い。舞台に登場した時の視線というか目線というか、「もう誰にも邪魔させない」という大きく深く濃厚な自信の表情は、20世紀後半の人間国宝2トップ:竹本越路太夫と竹本津太夫の風格を思わせる。

 

 実はワタクシ個人としては、もう1人の中堅ホープ:豊竹呂勢太夫の落ち着き払った浄瑠璃の方が好きなのであるが、どうも豊竹呂勢太夫、なかなか大名跡に出世させてもらえない。誰か気難しい長老格が「まだまだ」と依怙地なことをおっしゃっているのか、いやはやマコトに難しい世界である。

 

 そういうことは、我が予備校世界にもありがちなことであって、どんなに人気があっても、どんなに実力があっても、どんなに授業に風格が伴ってきても、誰か気難しい実力者が「まだまだダメだな」と首を横に振れば、「勧進帳」みたいなヒノキ舞台には、なかなか立たせてもらえない。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 4)

 

 勧進帳が終わって、21時。今井君は恐竜時代から長い付き合いの続く大阪の友人とミナミの街を突っ切り、法善寺横丁「かもふく」に入った。21時から23時まで、ゆっくり&じっくり鴨鍋を満喫しようというである。

 

 法善寺横丁「かもふく」は、ついこの間、7月31日に訪問したばかりである(Thu 220901 ホレ見ろ「梅雨明け」訂正だ/野生動物の皆さま/夏シリーズが終了 4261回)。

 

 ずいぶん昔の訪問かと思ったら、何のことはない、まだ3ヶ月ちょいしか経っていない。道理でお店の人がみんな、今井君の記憶を熱く熱く語ってくれた。前回の訪問が、よほど熱い記憶をこの店に残していったらしいのである。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 5)

 

 翌日11月8日は、「かもふく」の二日酔いも少し残っていたからちょっと朝寝坊、昼前から京都の伏見稲荷大社を訪れた。何しろまだ11月初旬だから、修学旅行生もそれほど多くなさそうだったし、コロナリベンジの紅葉ラッシュも本格化する直前だった。

 

 11月8日の伏見稲荷では、「お火焚き神事」が催される。火焚き祭はこの一年の収穫に感謝する行事である。伏見稲荷のお火焚きは日本最大のスケール。ついこの間、京都ゑびす神社至近の「摩利支尊天」の激烈な火焚き祭の圧倒されたばかりだが、ワタクシはもう火焚き祭の熱狂的なファンになってしまった。

 

 伏見稲荷のお火焚きは、本殿の裏手の斎場に3つの火床を設けて、日本中から届けられた十数万本の「火焚串」を焚く。紅蓮の炎の前では巫女さんたちが神楽の舞を舞う。「雨天決行」という清々しい宣言もまた素晴らしい。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 6)

 

 実はワタクシ、このお火焚き祭りの数時間後に滋賀県栗東の大公開授業を控えた身。ホントなら、お火焚き祭りなんかより、公開授業の準備なり予習なりに念には念を入れなければならないのかもしれないが、諸君、このお火焚き祭りへの参加もまた、授業の準備の一環なのである。

 

 残念ながら最前列は確保できなかったが、何とか2列目の好位置を確保。いよいよ激しいお火焚き、いよいよ奥ゆかしい神楽の舞の始まり、そういう熱い期待に燃え上がっていた今井君のそばで、カメラを構えたオジサマたちがワガママの限りを尽くし始めた。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 7)

 

 オジサマたちは一様に超高級カメラを持参なさっていらっしゃる。お火焚き神事やら、巫女の皆様の神々しい舞やら、そういうものを高級カメラに収めよう、その思いはまあ悪くはない。

 

 しかしリタイアおじさま、かつて大企業でそれなりの地位を築いたであろうオジサマたち、その傍若無人ぶりは眼に余る。数年前の京都の秋祭りで、いきなり脚立を持ち出して傍若無人に写真を撮り始めたオジサマには、さすがの今井君、ビシッと厳しく注意して脚立の使用をやめさせたが、今回の伏見でもまた厳しい今井砲が炸裂しかけたのである。

  (11月8日、京都・伏見稲荷大社でのお火焚き神事 8)

 

 今回のダンナは、脚立ではなくて高級カメラを武器に傍若無人をやらかした。被害者は、さんざ苦労して最前列を確保した2名のオバサマ。その2名のオバサマの首と首の間に高級カメラのレンズをニュッと差し込み、2列目からスンバラシイ写真を撮影しようとしているのだ。

 

 いくら何でも、礼儀というものがあるだろう。これからしっかり火焚き神事を目撃しようと待ち受けるオバサマ2名の首と首、その間からカメラのレンズなんかをニュッと差し込んで、「何が悪いんだ?」というマコトにエゲツない態度。今井君の正義感がムワッと胃袋から立ち上がる瞬間だった。

 

 しかし諸君、最近のオバサマたちは、わざわざ今井君なんかがおせっかいに燃え上がらなくても、ご自分でしっかり邪魔者退治はお出来になる。たいへん落ち着いた笑顔で、この無礼きわまりないオジサマを退散させた見事な手腕に、今井君もまた舌を巻くほど感心したのであった。

 

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4

2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 4/4

3E(Cd) Glenn Gould:BACH/GOLDBERG VARIATION

4E(Cd) Fischer & Budapest Festival:BRAHMS/HUNGARIAN DANCES

5E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET

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