Sun 221113 政治は女子に任せたほうが/やんちゃ男子/火焚き祭の紅蓮の炎 4294回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 221113 政治は女子に任せたほうが/やんちゃ男子/火焚き祭の紅蓮の炎 4294回

 今日だけ、1人称として「ぼく」を使うことにする。

 

 これはホントに珍しいことなのだ。ぼくは、「ぼく」「ボク」「僕」、この3つの1人称がマコトに恥ずかしい。だから普段は「ワタクシ」であり、昔は「私」であったが、それでもまだ恥ずかしくて「サトイモどん」「キウィどん」、10年前には「クマ蔵」やら「カニ蔵」やらを1人称として名乗った。

 

 今日はそういう神経質な恥ずかしさを何とかこらえ、あえてどこまでも「ぼく」でいくが、ぼくは時々、「政治のことはみんな女子に任せて、やんちゃな男子は少し大人しく、政治以外の分野に集中していた方がいいんじゃないか」と思うことがある。

(10月20日、京都・摩利支尊天「火焚き神事」の紅蓮の炎 1)

 

「政治は女子に任せて」とつくづく思うのは、やんちゃすぎる男子に政治を任せておくと、国内政治でも国際政治でも、とにかく

① 暴言や暴挙が多すぎる

② 暴挙の結果としての人々の苦しみが大きすぎる

のであって、人類の文明の歴史を8000年とすれば、その8000年のヒトの苦しみのほとんどは、男子のやんちゃに発したもののように見えてしまうからである。

 

 2500年ほどむかしのギリシャに「アリストパネス」という喜劇の大家がいた。ギリシャ悲劇といえば、誰が何と言ったってソポクレス・アイスキュロス・エウリピデスの3人だが、喜劇ならアリストパネス。「アリストファネス」の発音にこだわる学者先生もいらっしゃる。

 

 アリストパネスの名作に「女の平和」「女の議会」「女だけの祭」の3本がある。今井ブログと違ってスカッと短く読みやすいから、諸君もぜひ挑戦してみたまえ。岩波文庫で100ページあるかないか、一晩で1本、楽に読み終えられる。

 

 アテナイvs スパルタ → ペロポネソス戦争について、アリストパネスは一貫して批判的な態度を貫いた、直接的に戦争反対を主張する作品だって書いている。「女の平和」、古代ギリシャの文学作品と言われると思わず躊躇するが、別にちっとも難しくないから、まあたまには古典にもチャレンジしてみたまえよ。

(京都・摩利支尊天「火焚き神事」のケムケム。「あーあ、たいへんなことになっちゃった」の世界 1)

 

 読み終わったら、喜劇を読み終わった直後なんだから、限りなくニヤニヤしながら、2010年以来の世界の為政者の顔を思い浮かべてみたまえ。

 

 アメリカは、誰だった? ロシアは、誰だった? 中国は、誰だった? 思わず「男子って、どうしてこうなの?」と深い溜め息をつきたくなるほど、やんちゃ極まりない人物のカラー大図鑑みたいじゃないか。

 

 やんちゃ男子のやんちゃによる混乱は、別にそんなドエライ超大国ばかりの話ではない。アジアの小国だって、アフリカの小国だって、国内政治に外交、やんちゃ男子たちの滅茶苦茶なやんちゃを放置して、どれほど滅茶苦茶な進路をたどっているか。ぼくは危うく男子のテストステロンを憎みそうになる。

(京都・摩利支尊天「火焚き神事」のケムケム。「あーあ、たいへんなことになっちゃった」の世界 2)

 

 政治とは、もともと「静事」と記述すべき事柄である。ダイナミックであるべきなのは、経済と文化と科学の世界に限定されるべきものであって、政治がダイナミックと言ふ形容詞の支配下になれば、何よりも生活の安定を大切に思う民衆が被害を被る。

 

 政治ではなく「静事」、静かであること、平穏であること、それが政治の理想のはずだ。強引に侵略したり併合したり、平和な街や農村を火薬のニオイでいっぱいにするのなんか、決して政治でも静事でもない。

 

 確かに、「いや違うだろう、政治とはマツリゴトであって、政治の語源は『マツリ』なのだ」という人もいらっしゃる。しかし「マツリ」には「祭り」と「祀り」があって、「祭り」はやんちゃな男子の世界、「祀り」は穏健で堅実な女子の世界、ぼくはそう考えるのである。

(京都・摩利支尊天「火焚き神事」のケムケム。「あーあ、たいへんなことになっちゃった」の世界 3)

 

 そりゃ、岸和田のダンジリや博多の山笠、唐津くんちに青森ねぶた、やんちゃ極まりない男子の祭りだって、ぼくは大好きだ。「祭りだ&祭りだ、お祭りだ」と絶叫しながらオミコシや山車が街を練り歩く祭りは、「誰が何と言っても男子が主人公」という時代が延々と20世紀まで継続した。

 

 しかし祭りではなくて「祀り」となるとどうだろう、マツリゴトとは本来、やんちゃな男子がたくましい肉体をぶつけあう「祭り事」ではなくて、宮殿や神社の奥深く、気が遠くなるほど深い静寂の中で行われる「祀り事」だったんじゃないか。

(10月20日、京都・摩利支尊天「火焚き神事」の紅蓮の炎 2)

 

 政所と書いて「まんどころ」、「北政所」といえば、やんちゃな権力者の男子の首に縄をつけて、自由自在に操縦する奥方のことである。鎌倉幕府にも一種の三権分立があって、大雑把にいえば、政所が行政、問注所が司法、侍所が立法に当たる。

 

 三権分立について、ぼくは普通の社会科の先生方とは異なる見解を持っている。中3の夏、ぼくが授業中に手を挙げて主張したのは、「三権分立って、3スクミみたいな消極論じゃなく、過去・現在・未来の時間軸に沿って、権力を3分割するのが最も効率的だと考えたんじゃないか」という発想だった。

 

 過去を綿密に考察し、過去の事実を裁くのが、司法。

 現在に責任をもち、現在を安定的に運営するのが、行政。

 未来の安心と進歩を語り、未来を豊かにする役割を担うのが、立法。

つまり「司法は過去を、行政は現在を、立法は未来を担当する」Wed 191204 今井先生ですか?の嵐/三権分立の本質/未来と教育を語るチャンス 3890回)。

 

 過去と未来については、やんちゃな男子諸君がどんなに熱く語り合ってもいい。「理想の実現のためなら武力の使用も辞さない」と宣言しても、ギリギリ許容範囲かもしれない。

 

 しかし「今」「現実」「平穏な現在」を牛耳る行政の部分だけは、静かで安定した女子力が、危険なやんちゃの跋扈から守り抜いてほしいのだ。

(10月20日、京都・摩利支尊天「火焚き神事」の紅蓮の炎 3)

 

 かつてのぼくは、たいへん大人しい&大人しすぎる少年であったから、父の三千雄は常に物足りなさそうに表情を歪めていた。「もっとやんちゃな息子が欲しかった」「もっと暴れん坊の息子が欲しかった」。父と言ふものは、父との格闘を挑んでくるような息子を待望するのである。

 

 ところがぼくは、三者面談で「どうすればこんな素晴らしい息子さんが育つんですか?」と担任教師に賛嘆されるような優等生だった。

 

 もちろんその陰では「干しぶどう事件」「びゅーんわわ大行進」(前回の記事参照)を主導した大悪党であったが、表面的にスーパー優等生だったぼくを、父がどんなに物足りなく思っていたか、今更ながら父親に対する申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

(10月20日、京都・摩利支尊天「火焚き神事」の紅蓮の炎 4)

 

 ぼくみたいな超やんちゃ系、特にぼくみたいな陰に隠れた超やんちゃ系が、「静事」であるべき政治のマンドコロなんかを支配するようになると、その結果は目に見えている。

 

 やっちゃいけないことばかりやりたくなり、言ってはいけない暴言や失言をウケを狙って言い続け、決して使ってはならない武器でも兵器でも、「使うぞ」「使っちゃうぞ」と相手を威嚇し、ついには侵略し併合を宣言し、負けそうになると泣き顔で仲間の犠牲を強い、ついには何もかも投げ出してしまう。

(10月20日、京都・摩利支尊天「火焚き神事」の紅蓮の炎 5)

 

 だから今日のぼくは、あえて恥ずかしくてならない一人称「ぼく」を用い、やんちゃ系男子の政治について、ぼくなりの簡単な見解を書いた。ぼくはやっぱり、政治も静事も女子のマンドコロにお任せするほうがいいような気がする。

 

 ま、あくまで酔っぱらいのタワゴトだ。いつもの通り、無視でも失笑でも嘲笑でもかまわない。しかし諸君、こういう酔っ払いの意見は、3000年近く前の古代ギリシャの世界から、すでに飲み屋のテーブルで長く長く議論されてきた歴史があることも、忘れないでくれたまえ。

(10月20日、京都・摩利支尊天「火焚き神事」の紅蓮の炎 6)

 

 そして今日の写真の紅蓮の炎。今日の写真のモーモーたるケムケム。「やっちゃったな」「もう取り返しがつかないな」「こりゃきっと誰かに思い切り叱られるぞ」「テストステロンのなせるワザかいな」。要するに「あーあ、たいへんだ」の顛末であるが、これこそやんちゃ男子の世界なのだ。

 

 オトナな女子なら絶対やらかさないこのアリサマ。人々を窒息しそうなケムリに巻き込み、ヤケドしそうな真っ赤な火柱を煽り、ケムリと火柱の真っただ中で、不気味な太鼓を熱く連打して大合唱。この情景こそ男子集団。ぼくはやんちゃ男子の一員として、京都・摩利支尊天の火焚き神事を心ゆくまで満喫したのであった。

 

1E(Cd) Rachel Podger:TELEMANN/12 FANTASIES FOR SOLO VIOLON

2E(Cd) Sirinu:STUART AGE MUSIC

3E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 1/2

4E(Cd) Rampal:VIVALDI/THE FLUTE CONCERTOS 2/2

5E(Cd) Anne-Sophie Mutter:VIVALDI/DIE VIER JAHRESZEITEN

total m35 y876  dd27883