Sun 220814 台風は去った/お盆のオジーチャン/五城目と五十丁/山鉾巡行 4257回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 220814 台風は去った/お盆のオジーチャン/五城目と五十丁/山鉾巡行 4257回

 東京の台風の雨は、ついさっき止んだ。8月の豆台風は、あっという間に太平洋の東に去った。東京の空は、朝から夕暮れまで雷が重くドロドロ鳴り響き、「お盆だから何か食べに行こうかな」という気にはとてもなれなかった。

 

 別にそれでも、ワタクシのような暢気なオジサマはちっともかまわない。お盆なんかでなくても、いつでも「何か食べに行こうかな」のチャンスはある。問題は、今か今かとマゴたちの襲来を待ち受けていた田舎のオジーチャン&オバーチャンである。

 

 このブログの読者の年齢層は、書いている側の想定では10歳代から40歳代であるから、なかなかジーチャン&バーチャンの気持ちは分からないんじゃないかと思うが、正月&お盆のマゴ軍団襲来を待ち受けるジーチャン&バーチャンのパニックぶりは、若い諸君の想像を絶するのである。

 

 何よりも分かりやすいのは、バーチャンのパニックだ。スイカも冷やした。モモも、ブドウも、少し早いがナシも冷やした。トウモロコシも準備万端。最近のバーチャンはモダンだから、マンゴーやパパイヤも準備した。枝豆もとっくに熱々に準備して、ジーチャンとマゴたちの団欒に備えた。

  (2022年、3年ぶりに新町通りをゆく長刀鉾の勇姿 1)

 

 それなのに、台風がやってきた。どんなマメ台風でも、台風はいちおう台風であって、中心付近の気圧が1000hPを下回るかどうか、「普通そんなの台風って呼ばないだろう」とジーチャンが目いっぱいムクれても、それでもやっぱり台風なんだから、バーチャンは天気予報を見つめてハラハラ、呆然と座り込むしかない。

 

「新幹線が遅れています」「運転を見合わせています」「東京湾フェリーは終日運休です」「河川の氾濫が相次いでいます」「決して田んぼや畑の様子を見に行かないでください」「ヒコーキの欠航が決まりました」。ジーチャンの眺めている高校野球中継の画面は、その種の情報でいっぱいだ。

 

 もうバーチャンとしては、オロオロするしかないのである。娘や息子は何とでもするだろうが、とにかくマゴたちに会いたい。せっかく準備したプリンやチーズケーキだって、消費期限は明後日だ。どうしてもプリンを食べさせたい、どうしてもチーズケーキを味わわせたい。

  (2022年、3年ぶりに新町通りをゆく長刀鉾の勇姿 2)

 

 あと、問題はハンバーグだ。バーチャンによってはロールキャベツかもしれないが、何しろ足の速い夏のヒキ肉だ。久しぶりに帰ってくる娘と一緒にタマゴを割ってコネコネ&モミモミ、出来上がったハンバーグないしロールキャベツで、マゴの喜ぶ満面の笑顔が見たい。

 

 しかし、立ちはだかるのはマメ台風。たった1000hPのクセに、暴風雨圏さえないマメ野郎のクセに、生意気に「数十年に一度の」みたいなマクラ言葉までくっつけて、可愛いマゴ軍団の接近を食い止めようとジャマしてくるのである。

 

 こうしてジーチャンの不機嫌は、もうどうしようもない。ビールを1本、また1本、ビールがもうお腹に入らなくなって、日本酒に焼酎にウィスキー、とっくに「ヤケ」の状況であって、まさかの智弁和歌山は負けるは、市立船橋が惜敗するは、高校野球でも眺めていなければジーチャンのヤケ酒はとどまる所を知らない。

      (函谷鉾。「函」のハッピが勇ましい)

 

 幸い今井君はまだそんなジーチャンではないから、とにかくマメ台風君の通過を待って、部屋でのんびりお酒を飲んでいた。心配なのは、ふるさと秋田県の豪雨。何度もテレビ画面に登場した「秋田県五城目町」には、ワタクシもそれなりの思ひ出を持っている。

 

 我が姉上が大学卒業間近の頃、高校教員の教職実習で派遣されたのが、秋田県立五城目高校だった。「五城目」と書いて、地元の人は「ごじょうのめ」と発音する。確かに正式には「ごじょうめ」らしいけれども、地元的には「ごじょう」と「め」の間に「の」が入って「ごじょうのめ」なのだ。

     (山の一番人気 →「蟷螂山」の勇姿)

 

 町の位置は、「八郎潟」の東である。昭和の昔にオランダのポルダーにならって干拓され、「大潟村」と名を変えてしまったが、八郎潟(はちろうがた)はかつて琵琶湖に次いで日本第2の面積を誇っていた。そんなに広大でも、深さは最深で4メートルしかない不思議な湖だった。

 

 その八郎潟に東岸に「一日市」という町があった。一日市と書いて「ひといち」と読んだ。米作と交易と蓴菜の採集で栄えた。蓴菜、これもまた難読漢字であるが、関西の人が好んで汁物にする「じゅんさい」、それを漢字で書くと「蓴菜」なのである。

 

 日本中に似たようなネーミングの町はナンボでもあって、新潟には六日町と十日町、滋賀には八日市、三重には四日市、広島には五日市に廿日市、福岡には二日市があって、もちろんその由来は誰でも知っているだろうが、いやはや「一日市」と書いてヒトイチ、こりゃ秋田にしか存在しない。

(御池通をゆく長刀鉾。団体ツアーのパイプ椅子サジキが並ぶあたりは、強烈な直射日光のエジキになっている)

 

 そのヒトイチから、昔は驚くほど短距離の私鉄が走っていた。ヒトイチを出て、おそらく10分か15分、終点の五城目まであっという間であるが、昔は朝市で有名だった五城目までガタゴト、大量の高校生やジーチャン&バーチャンを地道に運び続けた。

 

 今回の東北豪雨が襲ったのは、そういうマコトに穏やかな夏の田んぼの真ん中の町である。セミもバッタもコオロギも、みんな懸命に鳴きながら、マゴの到着を待ち受けていた。

 

 ワタクシは、今度も豪雨が憎くてならない。マゴ軍団の来襲を待ち受けてワクワク&ソワソワ、特にジーチャンは「そんなに慌ててどうすんだべか?」と呆れ顔のバーチャンに叱られながら、それでもマゴに早く会いたくて会いたくて、ソワソワ&イライラ、ニヤニヤ&ニコニコ、何にも手につかなかったに違いない。

(派手な「鉾」とは一味違う「山」の数々。もっともっと「山」を知りたいと思う 1)

 

 五城目の「五」からの連想なので致し方ないが、ワタクシの母方の故郷は、秋田市上新城(かみしんじょう)の集落「五十丁」である。「五十丁」と書いて「ごじゅっちょう」と読む。

 

 五十丁、要するに大昔の田んぼの数え方がそのまま集落名になっただけのことであるが、五十丁と言えばかなり豊かな田園地帯だ。8月中旬にはすっかり稲穂も出揃って、重そうな稲穂が夏の風にゆらゆら、日本有数の穀倉地帯の風格を誇った。

 

 そのゴジュッチョウも、8月豪雨の真っただ中。NHKニュースで何度か「秋田市の新城川が氾濫危険水位」と報じられたが、まさにその「新城川」こそ母方の故郷、集落随一のヨロズヤ「田中商店」の背後を流れているのが新城川である。

 

 今もまだ営業しているのかどうかも、ワタクシは分からない。しかし我が祖母・加藤エスの実家「田中商店」は、多数のバアヤやらネエヤやらワカイモンが、住み込みで働いていた地元の名家。電話番号は、役場と駐在所に続く「3番」、澄みきった新城川が田中商店の裏を流れていた。

(派手な「鉾」とは一味違う「山」の数々。もっともっと「山」を知りたいと思う 2)

 

 というか、昔の田園地帯には今とは全く違うキョージがあって、どんな田舎の駅前にもそれなりに立派な宿屋があった。地元の人々の盆&正月の宴会はそこで開かれ、結婚式も法事も何もかも、地元の宿屋が取り仕切った。

 

 8月豪雨のせいで何度も中継された津軽半島の今別や外ケ浜にだって、昭和の中期まではやっぱりキチンと宿屋が存在した。太宰治「津軽」なんかにも、今別や三厩(みんまや)や竜飛の宿屋で、友人たちとたっぷりお酒や御膳を楽しんだ夜のことが克明に記されている。

 

 しかし諸君、今や地方はすっかり疲弊して、我がふるさと秋田市土崎港も、江戸の昔の北前船や東回り航路の栄華はちっとも感じられない。あるのは病院ばっかり、7月21日の土崎曳山祭は、確かに世界文化遺産に登録してもらえたけれども、その山車を引く若者は決して多くないのである。

  (2022年、3年ぶりに新町通りをゆく長刀鉾の勇姿 3)

 

 そこへいくと諸君、本日の記事の写真十数枚を見てくれたまえ。さすが京都の祇園祭は完全に別格だ。7月17日、アブラゼミもミンミンゼミもボッと炎をあげて燃え尽きそうな油照りの日に、海の彼方に消え去ったインバウンド何するものぞ、ムカつくほどたくさんの観光客が集結した。

 

 ワタクシはもうすっかり祇園祭のベテランであるから♡、四条河原町とか河原町御池とか、そんなモトモト大混雑と予測がつくような場所で山鉾巡行を見ようとは思わない。巡行のスタート朝9時は、涼しいホテルのテレビで同時生中継を眺めて過ごすのである。

(山鉾巡行のクライマックス・新町通りを目指して、御池通りの北側を急ぐ。ビストロ・ジジババ、どうやら有名店であるらしい)

 

 行動を起こすのは、午前11時。山鉾巡行の先頭・長刀鉾どんが、河原町御池の京都ホテル前で2回目の辻回しを完了した頃でいい。その頃やおらホテルグランヴィアを出て、地下鉄烏丸線で御池通りまで北上する。

 

 その辺のコンビニで、カチカチに凍ったポカリを購入したら、長刀鉾の先回りをして西に走る。御池通りは観光客でいっぱいだから、御池通りから1本か2本北側の通りを、ゆっくり新町通りに向かう。

 

 団体ツアーの人々は、直射日光を思い切り浴びる御池通りのサジキでアブラゼミとともに容赦なく真っ黒にコゲていくが、まあそれは特別扱いの「パイプいす指定席」と引き換えだ、どうにも致し方ない。

(河原町三条「なかがわ」の鮎の塩焼き、慌てて1匹むさぼった後。オイシューございました)

 

 一方の今井君は、ひたすら日陰から日陰へ、忍者ハットリ君よろしく巧妙に西へ西へとひた走り、やがて山鉾巡行クライマックスの新町通りにたどり着く。ここでも日陰のベストスポットを獲得し、目の前の目立たない店で500円の生ビールを購入、「コマメな水分補給」も忘れない。

 

 まあこんなふうにして、四条河原町や御池通りではとても考えられないほど間近に、長刀鉾や函谷鉾、「鉾」ほど目立たないが大好きなカマキリ君の「蟷螂山」まで、手が届くほどの至近距離で満喫するのである。

 

 ホントならそのまま新町通りで、月鉾・鶏鉾・菊水鉾・放下鉾やら、地味な「山」の数々も全て間近で眺めたいのだ。しかし諸君、何しろ今年の今井は前回の記事で書いた通りのヒロー&コンパイだ。東京 → 京都 → 静岡 → 京都、大雨の中の激しい東奔西走の直後、我が明晰な頭脳にさえ、若干の疲労を感じざるを得なかった。

(河原町三条「なかがわ」でハモ鍋をいただく。オイシューございました)

 

 だからマコトに残念だったけれども、ワタクシは巡行の途中で新町通りを退去、涼しい涼しい快適な個室でのメシを求めて、夕暮れの河原町三条に逃避した。今年は3年ぶりのせいか普段より時間のかかった山鉾巡行の思ひ出を辿りながら、「なかがわ」という屋号の店のハモ鍋を満喫したのであった。

 

 なお、コロナ前の祇園祭と山鉾巡行についても、我が読者諸君には是非とも見ていただきたい。2019年、まだ疫病や戦争の惨禍が訪れる前、恐るべきインバウンド真っただ中の祇園祭の記事を、ちょっと参照してみてくれたまえ。

 

Sat 190727 ホコよりもタテが大事/京都で山鉾巡行/近江八幡350名の大盛況 3861回

 

1E(Rc) Bernstein & New York:/SHOSTAKOVITCH SYMPHONY No.5

2E(Rc) Rozhdestvensky & Moscow Radio:BARTOK/DER WUNDERBARE MANDARIN  & TWO RHAPSODIES FOR VIOLIN & ORCHESTRA

3E(Rc) Darati & Detroit:STRAVINSKY/THE RITE OF SPRING

4E(Cd) 東京交響楽団:芥川也寸志/交響管弦楽のための音楽・エローラ交響曲

5E(Cd) デュトワ&モントリオール:ロッシーニ序曲集

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