Sat 220730 名古屋大学に「的中!」♡/大御所時代の終焉か?/山本コータロー 4252回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 220730 名古屋大学に「的中!」♡/大御所時代の終焉か?/山本コータロー 4252回

 むかしから予備校の世界には、「的中!」と言って大騒ぎする文化があった。自らのテキストのページと、実際の入試問題を並べて示し、「ほーら、バッチリ的中しただろ!」と、大っきなビックリマークをくっつけて宣伝にするわけである。

 

 ただし多くの場合、その「的中!」なるものは大した的中ではなかった。「ほーら、源氏物語が出ただろ!」「ほーら、仮定法が出ただろ!」「ほーら、漸化式の問題が出ただろ!」みたいな「的中!」が、予備校の正面エントランスにデカデカ掲示されるたびに、思わず噴き出したものである。

 

 もちろん中にはホントに&ホンマに「的中!」だったこともあって、1990年代の中盤、東京大学英語第1問「蛍光ペンの功罪」を的中させた某予備校の英語講師は、間違いなく伝説の「さすが!」であって、30年むかしの予備校講師の中には、そういう「さすが!」なヒトも少なくなかった。

 

 それとは全く次元が違うけれども、いま今井君がどうしても主張しておきたいフザケた「的中!」が、2022年の名古屋大の条件英作文の問題である。まずは諸君、昨年10月末日のワタクシのブログ記事を目撃してくれたまえ。

Sun 211031 京王線の事件/新幹線もコワい/久高島のこと(ウィーン滞在記34)4115回

 

 (2022年名古屋大学・条件英作文の類題を作成してみた♡)

 

 さあそれではいよいよ、2022年名古屋大学、第4問の条件英作文を見てみてくれたまえ。うぉ、うぉ、うぉうぉうぉ、これを「的中!」と呼ばずに、いったい何を的中というんだ? こわーいお目目の写真がズラリ、京都でよく目撃する「見てるぞ!!」の警告そっくりのお目目写真がズラリ、こちらをギュッと睨みつけている。

 

 もちろんこんなフザケた「的中!」、あの東大の「蛍光ペン」の「的中!」とは次元が違いすぎる。こんなものを「的中!」と言って大騒ぎするのは、あくまでブログという非公式の世界だからである。

 

 しかしもし今井ブログの愛読者が名古屋大学を受験していたら、「げろ!」とか「うぉ!」とか「あれよあれよ!」とか絶叫したに違いない。ブログ記事は10月31日、受験日は2月下旬、その間たった4ヶ月しか空いていない。

   (2022年名古屋大第4問「お目目はコワい」 1)

 

 今井が名古屋大学の過去問解説をルーティーンにしてから、すでに15年が経過する。その15年の間、名古屋大学の入試問題については、公式の場でも様々な言及をしてきた。もしかしたら名古屋大サイドの人々にも、何らかの影響を与えることができたんじゃないか。

 

 というか、例えば15年前に今井の授業を受けた18歳のオカタがスクスク成長して今や33歳、新進気鋭の准教授あたりになって、入試問題の作成にも携わっていたりして。10月末に読んだ今井ブログにヒントを得て、こんな条件英作文問題に発展していたりして。もちろんあり得ないとは思いながらも、休日にニヤニヤするにはちょうどいい材料なのだった。

    (2022年名古屋大第4問「お目目はコワい」 2)

 

 さて、もっともっとマジメな「的中!」の時代を、ワタクシは「大御所の時代」「カリスマの時代」と呼ぶのである。1980年代までが、大御所時代の絶頂期。1990年代あたりがジワジワ下り坂、2000年代なるとオーモノが次々とこの世界を去って、とうとう今や終焉期を迎えつつある気がしてならない。

 

 したがってワタクシは、まさにオーモノ下り坂の時代を生き抜いてきたのである。思い起こせば、はるかな1970年代後半、各予備校・各科目に押しも押されぬ大御所なりカリスマが存在した。

 

 代々木ゼミナールでは、西尾孝と金口義明がまだ健在だった。西尾孝の「実戦英語水準表」は、いったい何百万部売れたのか分からないほど。そこから「実戦シリーズ」「錬成シリーズ」がスピンオフして、設問の答えを言うだけの授業でも生徒が殺到、600人教室が常に超満員だった。

 

 金口義明のほうは、「英語の力は単語の力、単語の力は英語の力」の名言で有名。「継続は力なり」のほうも、金口センセあたりからグイッと広まったような記憶がある(間違いならスミマセン)。

      (ホントに、お目目はコワい 1)

 

 1980年代の半ばごろから新世代が台頭して、代ゼミは青木義巳と潮田五郎、河合塾は古藤&芦川。駿台だけは1970年代を引き継いで伊藤和夫と奥井潔(スミマセン、今日は全て敬称略でございます)。オーモノ講師の引き抜き合戦で、メジャーリーガーよろしく講師があっちからこっちに目まぐるしく移籍した。

 

 その事情は英語だけではないので、数学でも国語でも「ありゃりゃ、あのセンセって今どこにいるの?」と、ファンはみなオッカケ気分。駿台の数学だけは野沢・根岸・中田・長岡亮介・秋山仁で不動の戦陣を維持していたが、いつどこでどんな大御所の移籍騒ぎになっても、誰も驚かなかった。

      (ホントに、お目目はコワい 2)

 

 しかし諸君、センター試験が本格化したあたりから、この種のビッグネームの必要性が少しずつ薄れていく。ただし特に英語の世界では、例えば京都大学あたりで出題された難問の解説には、やっぱり押しも押されもせぬビッグネームの解説が欠かせなかった。

 

 難解な科学論文やら哲学に関わるエッセイなら、やっぱり大学教授クラスのビッグネームが颯爽と教壇に登場して、最新の科学やら哲学やらに言及しながら、「知の現場が今どうなっているか」の話をしてほしい。1990年代までの受験生は、その類いの知的興奮を予備校の授業に熱望していた。

 

 しかし諸君、センター試験の世界になると、さすがにそんな知的興奮の雰囲気は全く必要とされない。ごく簡単なデータ分析問題やら、コドモ向けの物語文なんかに、哲学も科学論もヘッタクレもあったものではない。ひたすら「どう速く読むか」という話になると、ちょっとカッケー普通のセンセの方が、重々しいビッグネームより手っ取り早く人気が出るのだ。

      (ホントに、お目目はコワい 3)

 

 今井君がその時代をどう生き抜いたのか、ハッキリ言って謎である。少なくとも今井君は「英語屋さん」には程遠い。大学教授クラスのビッグネームでもないが、ネイティブ並みの英語力で勝負するカッケー英語屋さんとももちろん違う。

 

 あえて言えば「カメレオン」、その場その場で色と姿を巧みに素早く変え、変幻自在に生きてきた。その傍らでは、哲学論も人生論も科学論も人気を博すことのなくなった知的ビッグネームが、次々とこの世界を去っていった。

 

 特に「新・共通テスト」の時代は、ビッグネームや大御所が生きにくい時代である。かつての「3大予備校」の現状を眺めてみても、すでにビッグネームはほぼ消滅している。もはやごく普通のマジメなセンセの全盛期であって、英語読解の問題文を素材に、重々しく哲学論を展開する類いの授業は、もう復活しそうにない。

      (ホントに、お目目はコワい 4)

 

 だって諸君、「共通テスト」の問題をもう一度眺めてみたまえ。そこには哲学的な深く重い洞察なんか、入り込む余地は一切存在しない。「ジャパン・フェスに行って、タコ焼きとソーメンは食べたが、焼き鳥は食べず、落語は楽しめませんでした」という話に、どう大人の哲学論が関わるんだ?

 

「朝型人間はヒバリ、夜型はフクロウです」「電子レンジを買うのに、どの店が一番お得でしょう」「ジャガイモ畑を見ていてテレビを思いつきました」。この種の読解問題を解説してほしいと言われた時、かつてのビッグネーム、例えば奥井潔や西尾孝みたいな大学教授がどんな顔をするか、想像を絶するのである。

(昨年秋のエビス顔。ここから6kg減量、若干スリムになりました)

 

 こうして諸君、これからしばらくは「普通のセンセ全盛時代」が続きそうだ。17歳&18歳の将来有望な青年諸君を対象に、こんな情けない軽薄な中身しかない文章を読ませ続けなければならない時代は、ホントに「情けない」の一言であるが、予備校講師はあくまで今そこにある大学入試に忠実でなければならない。

 

 だからとりあえずカリスマでも何でもないごく普通のセンセにも、何でもいいから「カリスマ」というレッテルを貼り付けて、宣伝広告にあいつとめることになる。

 

 9年前だったか10年前だったか、人材派遣が本業であるはずの企業が突然この世界に参入してきた時も、その広告には「カリスマ講師を30名ほど、大急ぎで掻きあつめることに成功ました」とあった。「カリスマを掻きあつめる」とは、またスゲー驚くべき発想だった。

 

 諸君、カリスマというのは、5年に1人、いや10年に1人、マコトに稀な頻度で生まれてくる天才的存在のことである。今や予備校や塾の世界は、みんながみんなカリスマを自称し、ナベの底の残り物みたいに「掻きあつめる」対象になっているらしいが、そんなカリスマは、本来カリスマの名に値しないはずだ。

(2022年京都大学第1問、解説風景。相変わらずの良問だった)

 

 2022年7月4日、シンガー・山本コータローが亡くなった。「岬めぐり」もあったが、我々の世代にとっては何と言っても「走れコータロー」の人である。

 

 ちょうど同じ頃、高石ともや「受験生ブルース」なんてのもあった。「愛や恋より大事なものは、旺文社の参考書、それに旺文社の実力テスト」「赤尾好夫さま、バンザーイ!」である。

 

 その赤尾好夫こそ、受験の世界のカリスマと大御所のサキガケであり、旺文社が西尾センセや金口センセとともに記憶のかなたに去っていった頃が、カリスマ&大御所の時代の「終わりの始まり」だった。

 

 そして今、共通テストの開始を合図に、「終わりの終わり」というか、ということは逆に「新しい時代の始まり」というか、要するに混沌がスタートするんじゃあるまいか。そしてワタクシは今、その混沌をどう生きていくか、自問自答の日々を過ごしている。

 

1E(Cd) Solti & Chicago:HÄNDEL/MESSIAH 2/2

2E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK, JANÁĈEK, and BRAHMS

3E(Cd) Bonynge:OFFENBACH/LES CONTES D’HOFFMANN 1/2

4E(Cd) Bonynge:OFFENBACH/LES CONTES D’HOFFMANN 2/2

5E(Cd) Cecilia Bartoli:THE VIVALDI ALBUM

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