Tue 220510 酒田散策/山居倉庫/ラーメンと玉こんにゃく/飛島/初孫と上喜元 4211回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 220510 酒田散策/山居倉庫/ラーメンと玉こんにゃく/飛島/初孫と上喜元 4211回

 6年前にも酒田に来た。コドモの頃は夏休みになるごとに酒田を訪ねたが、オトナになってからの酒田訪問は6年前が初めてだった。駅前を散策して、「ずいぶん寂れたものだな」と残念に思ったものだった。

Fri 160902 酒田駅の0番ホーム/くんず&ほぐれつ(をせばおつま・ボクの細道2)

 

 酒田の繁栄は、江戸中期から明治を経て昭和初期まで。京都&大坂方面への米の積出港として繁栄を極め、「西の堺、東の酒田」とまで謳われたのが江戸中期。輝かしい日々は明治になっても変わらず、1893年に建てられた「山居倉庫」は、今もなお観光名所になっている。

 

 酒田駅前で、無料のレンタサイクルが借りられる。6年前には工事現場だったあたりに、真新しいインフォメーションセンターが出来ていて、キレイな図書館とピッカピカのホテル「月のホテル」が併設されている。

 

 なぜ「月の」ホテルなのか分からないが、駅前から眺める月山がとても美しいので、その月山の姿がネーミングに影響したのかもしれない。しかし、こんな小ぎれいなホテルを新築しても、駅前がこんなに寂れていては、宿泊する人がいるのかどうか、ちょっと心配になる。

 (酒田港の店で、酒田ラーメンをすする。人気急上昇中だ)

 

 だって酒田駅、JR本社が意地悪をしたか何かで、発着する列車があまりにも少ない。昨日の記事の写真に示した通り、「0番線」を使用する陸羽西線は1日わずか4本、日本海側の幹線であるはずの羽越本線だって、1時間に1本あるかないかのアリサマだ。

 

「たくさん走らせても採算が取れないんだから減便は致し方ない」とおっしゃるんだろうけれども、鉄道でもバスでもヒコーキでも、ある程度の頻度で運行ないし運航してくれないと、そりゃ乗る側だって安心して利用できない。下向きのスパイラルがズンズン加速して、駅前がこんなに寂しくなっちゃった。

 

 まあ、ここで嘆いていてもどうにもならないから、とりあえず無料レンタサイクルにまたがって、快晴の酒田の町を疾走する。今井君の自転車は、マコトに颯爽と走る。高校時代3年間、片道40分の道のりを雨の日も風の日も(大雪の日も)負けずに往復した太ももは、今もなおマコトに頼もしい。

  (酒田・山居倉庫、1893年。日本の富国強兵を支えた)

 

 駅前の大通りを、まず西へ、続いて南へ。10分ほど走って大きな橋を渡ると、昔の酒田の繁栄の象徴、冒頭で述べた「山居倉庫」がある。土蔵づくり9棟、コメの収容能力は10800トン。「1893年に建設」と言ふことになると、富国強兵・日清戦争・日露戦争との関わりも、さぞかし深かっただろう。

 

 9棟の倉庫は30本以上のケヤキ並木に守られている。そのケヤキも樹齢ほぼ150年、倉庫の歴史とピッタシ重なるが、このケヤキ並木が、倉庫のコメを強烈な西日や冬の烈風から守ってきたというのである。

       (山居倉庫と、ケヤキ並木)

 

 倉庫が立ち並ぶあたりからも、やっぱり鳥海山が美しい。繁栄した時代の酒田の町から雪の鳥海を眺めたら、酒田人の感激と誇りは今とはまた別格のものだったんじゃないか。

 

 ワタクシの父上は、酒田東高校の前身である「旧制酒田中学」の出身。通称「キューセイ酒中」、そういう危ない名前の学校に、陸羽西線の列車に乗って通学した(らしい)。学校の窓や運動場からも、雪をかぶった鳥海山が見えるはずだ。こんなにキレイな山をうっとり眺めていたら、勤勉に勉強する気になれない男子も少なくなかったんじゃないか。

     (山居倉庫付近から、残雪の鳥海山を望む)

 

 さて山居倉庫から再びレンタサイクルにまたがって、ワタクシは酒田の港に向かった。そろそろ午後1時を過ぎていたから、港の店で「酒田ラーメン」をすすろうと考えた。

 

 そもそも今回の酒田訪問の目的は、鳥海山や月山の勇姿より、いま評判の酒田ラーメンを貪ることだった。今や山形は、言わずと知れたフルーツ王国。さくらんぼ・なし・ぶどう・もも・かき・メロン、全てにおいて有名であるが、最近は板蕎麦と米沢ラーメンと赤湯ラーメンの評判も高い。

 

 その米沢や赤湯に「勝るとも劣らない」と言われているのが酒田ラーメン。駅前にも有名店が存在するらしいが、駅前はあまりに閑散としていて、ラーメン店を探す気にもなれなかった。

 

 港には、魚介のちょっとした市場があり、市場の2階には港を見下ろすレストランもあって、日曜日の買い物客が近郷&近在からたくさんクルマで訪れる。酒田ラーメンのお店もなかなか繁盛の様子。寂れた駅前の名店で、ションボリさみしくラーメンをすするよりずっといい。

 

 カウンターに座って3分、むかしながらの醤油ラーメンに、海苔と味玉ともやしが乗っている。麺は、ストレート。わがままな今井君は昔からチヂレ麺が好きなので、このストレートぶりが今ひとつ不満だが、まあ仕方がないじゃないか。5分で完食、たいへんおいしゅーございました。

     (酒田港の店で酒田ラーメンをすする)

 

 ラーメン屋の前で、気のいいオジサマが「玉こんにゃく」を売っている。玉こんにゃくを4コか5コ、ダンゴ状に竹串に刺して醤油の出汁でクツクツ、店先で売っているのも山形名物だ。スキー場や温泉街の雪道でそのカホリを嗅ぎ、朦々とあがる白い湯気を目撃すれば、誰だって1本ほしくなる。

 

 笑顔のオジサマに「1本ください」と言うと、「うちの玉こんにゃくは、玉こんにゃくの間にイカを挟んでいます」と、昭和の山形弁でおっしゃる。おお、なつかしの山形弁だ。ちょっと声が大きめなのも、山形の人の特徴かもしれない。

 

 どうもワタクシには「他のお客さんを引きつける」という特徴がある。「いかにも旨そうに食べる」のが得意ワザ。今までの人生で、全く見知らぬ人間に「けっ、旨そうに食いやがるぜ」と言われたことが2度もある。

 

 この日も、いかにも旨そうにイカを挟んだ玉こんにゃくを貪っていると、大学生4〜5人の集団が、こんにゃくオジサマの店を取り囲んだ。イカを挟んだぶん、「こんにゃくどうしがギュッと緊密に固まっている」という妙味がなくなってしまっているのだが、それでも余程ワタクシが旨そうに貪っていたに違いない。

  (酒田港に停泊中のお船の向こうに、残雪の月山を望む)

 

 港からは、飛島(とびしま)にわたるお船も出ている。日本海には佐渡島以外にも小さな島がいくつか浮かんでいて、新潟県の村上からなら粟島(あわしま)、酒田の港からなら飛島。酒田港から1時間半弱で、日本海の離島に到着する。往路9時半の船に乗り、帰路は午後3時の船を選べば、日帰りも可能だ。

 

 しかし諸君、この日はすでに午後2時を過ぎていた。まだまだ酒田の町の観光も続けたい。飛島への船はまた後日ということにしたが、読者諸君へのサービスとして、国定公園切手の中から「鳥海国定公園」(1969年)の写真を掲載しておく。デザインは、飛島から日本海越しに見晴るかした鳥海山と思われる。

(国定公園切手「鳥海国定公園」1969年。日本海の飛島から鳥海山を望むデザインと思われる)

 

 もともとは「砂潟」かもしれないが(昨日の記事参照)、何しろ「酒田」を名乗って500年。我がふるさと秋田の土崎港とともに、日本海の交易で栄え続けた町だ。町の名前に「酒」がつくんだから、酒造りが盛んであって当然だ。

 

 ワタクシが若い頃から親しんだ酒田の酒が「初孫」と「上喜元」。どちらもたいへん好きなお酒であって、全国どこでも日本酒が揃った店に入れば、「初孫、ありませんか?」と必ず尋ねてみる。

    (酒田の町を快走中、銘酒「上喜元」蔵元を発見)

 

「初孫」と書いて「はつまご」と発音する。諸君、かつて「初孫」の読み方について、大論争が展開されたのをご存知か。「正しくは『ういまご』だ。ウイマゴをハツマゴと発音するだなんて、若い人の日本語は乱れ放題だ」と嘆く人が少なくなかった。

 

 しかしまあ、酒さえ旨ければ、ウイマゴでもハツマゴでもどちらでも構わない。その種の「乱れ」は他にもなんぼでもあって、その程度のことが気になってムカついていれば、お酒もちっとも旨くなくなってしまう。

(酒田の銘酒「上喜元」と「初孫」、どちらもおいしゅーございました)

 

「じょうきげん」のほうは、山形県酒田に「上喜元」、石川県加賀に「常きげん」があり、酒田には同じ酒田酒造から「上亀元」も出ている。

 

 酒を飲んで「じょうきげん」なら、そんなこと別にどうでもいいので、帰り道、今井君は駅の売店で「初孫」「上喜元」の2つを購入。日本海に沈む美しい夕日を眺め、その夕日にピンクに染められた残雪の鳥海山をめでつつ、まず「初孫」を10分、「上喜元」10分、あっという間に2つとも飲み干してしまった。

 

1E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.3

2E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.4

3E(Cd) MenuhinBRAHMSSEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2

4E(Cd) BaumannMOZARTTHE  HORN CONCERTOS

7D(DMv) NORTHMEN - A VIKING SAGA 

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