Fri 160902 酒田駅の0番ホーム/くんず&ほぐれつ(をせばおつま・ボクの細道2) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 160902 酒田駅の0番ホーム/くんず&ほぐれつ(をせばおつま・ボクの細道2)

 小学生にとって夏休みのクライマックスは、父や母の故郷への旅であり、久しぶりに孫の姿を見て、顔をぐしゃぐしゃにしてハシャいでいるジーチャン&バーチャンに、思い切り甘えることである。

「ジーチャン」「バーチャン」と言っても、計算してみるとまだまだ若いのである。パパが30歳だとすれば、まあ60歳程度。ママがまだ20歳代なら、「バーチャン」と呼ばれていてもまだ50歳そこそこだったりするだろう。

 孫よりジーチャンのほうがセミとりに夢中、クワガタやカブトムシをワシヅカミにしてはしゃいで帰ってくると、ジーチャンはバーチャンに子供のように叱られて、庭の片隅でしょんぼりムクれていたりする。

 そういうバーチャンのほうだって、誰がどうみても孫に夢中。スイカにナシにブドウにモモ、「食べきれるはずないだろ」と怒鳴りたくなるほど大量の果物を切ってきて、息子には呆れられ娘に冷たく叱られて、茫然と果物の皿を見つめている。

 諸君、しかしこのワタクシには、ジーチャン&バーチャンにたっぷり甘えて過ごした夏休みの記憶が欠落しているのだ。昨日も書いたが、ジーチャンは江戸時代の人、1854年生まれという超傑物だ。今井君がこの世に生まれ落ちた段階で、もうとっくにあの世に旅立ってしまっていた。

 バーチャンのほうは、「配偶者より50歳若い」というこれもまた恐るべき女傑であったが、ワタクシの誕生前に、若くしてこの世に別れを告げた。父の実家の2階大広間に、激しい時代を激しく生きた2人の肖像がニッコリ優しく笑っていたが、肖像に甘えるわけにもいかないじゃないか。
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(酒田駅には「0番線」という不思議なホームがある 1)

 秋田のオウチから山形県清川の父の実家に旅するには、国鉄・羽越本線の急行「しらゆき」を利用した。青森からやってくる金沢ゆき急行「しらゆき」は、秋田発9時48分。青森と秋田の間は、仙台ゆきの急行「あけぼの」と連結されてやってくる。

 2つ以上の列車の「連結」ということについて、若い諸君はあまり馴染みがないと思うが、今でも秋田新幹線や山形新幹線は、東北新幹線に連結されて東北の野や山を快走している。

 仙台ゆき「あけぼの」は、その後「きたかみ」と名前を変更して、1980年代まで走り続けた長寿列車である。金沢ゆき「しらゆき」と最後まで固いタッグを組んで、少年時代の今井君にはすっかり馴染みの列車であった。

 このタッグ、秋田駅の1つ手前、ワタクシの家から至近の「土崎駅」にも停車する。土崎は中途半端な駅であって、長距離を走り抜くA級急行は停車しないが、比較的短距離の準急タイプ・B級急行なら停車するのである。

 真夏の秋田は恐ろしく暑い。流れる汗を拭いながら、土崎から乗り込んだ「しらゆき」は、すでに満員。通路にはズラリと乗客が並んで、うまく座席を確保した乗客を恨めしそうに睨んでいた。

 当時はクーラーなんかないから、「JNR」の文字の入った扇風機のヌルい風でガマンするしかない。JNRは日本国有鉄道の略称、扇風機では足りないから、人々は扇子をもって旅をした。扇子の風のいい匂いが、車内を満たしたものである。
16780 0番線2
(酒田駅には「0番線」という不思議なホームがある 2)

 たいていは、次の秋田駅で何とか席が空くのである。父とバラバラでも何でもいいから、とりあえず空いた席に突っ走って、酒田まで2時間、座って旅をする。「しらゆき」の進行方向右側はずっと海岸線であって、芭蕉が愛した象潟の絶景だって楽しめる。

「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし」。見事な表現はさすが芭蕉どんだが、小学生男子に美女♡西施の「うらむような美しさ」なんてのは理解不能。むしろ荒々しい海岸線や海水浴客の姿を眺めて、イヤというほどハシャいで行くのである。

 酒田からは、庄内平野の稲作地帯を東に進む「陸羽西線」。超ローカル線の旅である。酒田駅はフシギな駅であって、陸羽西線の発着する「0番ホーム」というものがあった。というか、21世紀の今でも「0番ホーム」は立派に残っている。

 2016年9月24日、久しぶりに父の故郷を眺めようと、この陸羽西線に乗車することにした。子供の頃は「ローカル線と言えば、キハ」と決まっていて、2両編成のディーゼルカーは全国共通、緑色の座席と薄暗い白熱灯、扇風機とタバコのニオイ、それがローカル線の旅の記憶である。

 左に鳥海山の勇姿を眺めつつ、日本屈指の米作地帯を行く。ちょうどいま稲刈りが進行中だが、「ダダ茶豆」の畑も目立つ。コスモスが咲き、黄金色に実った稲が風に揺れて、その風景は子供の頃とちっとも変わらない。
16781 酒田駅
(酒田から、いよいよ懐かしい陸羽西線に乗る)

 秋田から清川への旅は、酒田経由ではなく、新庄経由というルートもあった。時間がかかるのであまり利用したことはないが、奥羽本線の急行「千秋」で新庄まで3時間、普段なら東進する陸羽西線を、新庄から酒田に向かって逆に西進するのである。

 何しろ青森からやってくる「しらゆき」の混雑がヒドい。秋田で座席が確保できなければ、酒田まで2時間も立っていくハメになる。お盆や年末年始、「座れそうにないな」と判断すれば、秋田始発の「千秋」でゆっくり座って行くというわけである。

 当時、国鉄の急行列車は、「クンズ&ホグレツ」と言っていいほど複雑に「連結」「連結」を繰り返した。急行「千秋」のクンズ&ホグレツぶりを、手許にある当時の「国鉄監修 交通公社時刻表」で解説するから、出来れば諸君も東北地方の地図を広げながら読んでくれたまえ。

「交通公社」というのもまた懐かしい名称であるが、これが現在のJTBの元の名である。かつては大学生の夢の就職先として極めて人気が高く、確か栄光の第一位を占めたことだってあったはずである。
16782 快速もがみ
(酒田発、新庄ゆき。最上川に沿って約1時間の旅である)

 さて、まず13時50分、秋田を発車する段階で、米沢ゆき「千秋」は他の2本の急行と連結されている。仙台ゆき「千秋2号」と、盛岡ゆき「第2南八幡平」である。「第2南八幡平」は大曲から分かれて田沢湖線経由で盛岡に向かい、「千秋」と「千秋2号」は新庄まで一緒に旅をする。

 そもそも「千秋2号」と「ただの千秋」が同居すること自体が紛らわしいが、まあとにかくそういう時代だったのだ。「千秋2号」のほうは新庄で左に90°カーブして陸羽東線で仙台への旅を続け、一方「ただの千秋」はそのまま奥羽本線を南下、山形を経て米沢まで走り抜く。

 どちらも秋田を出てから5時間、午後7時過ぎに目的地に到着する。ご苦労な長旅であるが、「ただの千秋」は新庄で「千秋2号」にサヨナラした後、酒田から陸羽西線を東進してきた別の急行とタッグを組み直す。この急行が「もがみ」。おやおや、なかなかのクンズ&ホグレツですな。

 と思っていると諸君、南下した山形駅で、もう1本の急行が相棒として加わるのである。それが仙台から仙山線経由で西進してきた「あさひ2号」。山形と新潟の県境に標高1870mの名峰「朝日岳」があり、この列車は朝日岳から命名されている。
16783 初孫
(庄内の銘酒「初孫」を味わいつつ、ひたすら東進する)

 後に上越新幹線が開業した当時、各駅停車タイプの「とき」と、長岡にしか停車しない速達型の「あさひ」の2タイプが併存していたが、「あさひ」はもともと仙台発 ☞ 山形&米沢経由 ☞ 新潟ゆきの、この急行の名称であった。

 山形から3人連れ、またまた賑やかな旅となったが、「ただの千秋」「もがみ」の2人は、ともに米沢どまり。「あさひ2号」どんは、そこから単独で米坂線の険しい豪雪地帯を走り抜き、坂町から羽越本線で新潟を目指す。新潟到着は21時54分。ご苦労な1日はこうしてようやく終わるのである。

 東北の地理に明るくないと、このクンズ&ホグレツを理解するのは困難かもしれない。しかし気がついてみると諸君、このクンズ&ホグレツの中で、青森と福島を除く東北の県庁所在都市がマコトに複雑に結びつけられていたのだ。

 今や仙台から新潟に行くには、いったん埼玉県大宮まで新幹線で南下し、そこからV字形に上越新幹線で北上するしかないが、むかしむかし昭和の盛りには、こんなふうにいろんな都市を上手に結びつけていたのだ。まるで編み物のように丁寧で緻密、そういう時代であった。

 なお、このクンズ&ホグレツに、さらにもう1本の急行「月山」が加わって、事態がさらに複雑怪奇になるケースもあったのだが、まあその話は「またそのうち」、当分のあいだ延期ということにしようじゃないか。

1E(Cd) Deni Hines:IMAGINATION
2E(Cd) Sugar Babe:SONGS
3E(Cd) George Benson:TWICE THE LOVE
4E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN④
5E(Cd) Joe Sample:Rainbow Seeker
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