Wed 220504 都をどり/京都南座2階席・右1列23番/祇園きんなべでスキヤキ 4205回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 220504 都をどり/京都南座2階席・右1列23番/祇園きんなべでスキヤキ 4205回

「18歳の夏から」と言うのだから、ワタクシの演劇鑑賞歴はマコトに長く、またマコトに遅咲きである。東京とか京都&大阪とか、身の回りで頻繁に演劇の催しがある街ならともかく、今井君が生まれ育った秋田県秋田市では、滅多なことで演劇なんか楽しめる環境になかった。

 

 音楽についても同様であって、コドモの頃「サンタナが秋田にやってくる」という報道で学校中が騒然となったのを記憶している。友人たちがみんな「サンタナ来秋♡」「サンタナ来秋♡」と呪文のように繰り返し、チケットが手に入ったとか手に入らなかったとか、それ以外の話題はほぼ完全に無視された。

 

 秋田で音楽を満喫できるチャンスは、NHK「ヤング・ミュージック・ショー」ぐらい。夕方に放送があると、授業後の学校はあっという間にスッカラカンになった。

 

 なお、「来秋」とは「秋田に来る」の短縮系。今でも「鹿児島に来る」を「来鹿」、「熊本に来る」を「来熊」、大阪に来るなら「来阪」、それぞれ「らいろく」「らいゆう」「らいはん」と読む。

 

 他にも「来福」「来葉」「来鳥」「来岡」「来広」「来高」「来崎」「来青」など、枚挙にイトマがないけれども、まあ諸君、ありがたいことに「今井先生、来熊」「あの今井先生、ついに来鹿」みたいな看板やチラシだって出るぐらいだ。こういう伝統の省略形に入り込めるだなんて、光栄の限りである。

(京都南座「都をどり」。ホントに久しぶりの晴れ舞台だ 1)

 

 幼い今井君の周囲に演劇の風がビュービュー吹き始めたのは、早稲田大学に進学した我が姉ウエが、帰郷のたびに歌舞伎やら演劇やらの話をするようになってから。つかこうへいに別役実、清水邦夫に矢代静一に井上ひさし、紅テント&黒テント、昭和演劇の満開のサクラが、激烈な花吹雪の様相を呈して秋田の実家に流れ込んだ。

 

 とは言うものの、まだまだ小学校  中学校  高校と、品行方正に学校に縛られて過ごさねければならない長い年月があった。いくら今井君が勇敢かつ怠惰であっても、まだまだ学校のシバリをかいくぐって演劇の世界に飛び込む大胆さはなかった。

 

 だから諸君、伝説のNHK「ヤング・ミュージック・ショー」に夢中になっていた同級生たちと、ちょっと異様な演劇少年♡今井君は、ほぼ相似形の日々をおくることになった。

 

 今井君が連日のように眺めていたのは、やっぱりNHK「劇場中継」。歌舞伎に人形浄瑠璃に能&狂言、今の数倍の頻度で放送されていた中世&近代の演劇に、まさにかじりつくようにして見入っていた。「教育テレビ」、今のEテレでござるよ。

(京都南座「都をどり」。ホントに久しぶりの晴れ舞台だ 2)

 

 もちろん18歳で上京してしまえば、そのへんの苦労は一気に解消される。塾講師のバイトでたんまり稼いでは、その稼ぎのほとんどを演劇につぎ込んで、毎週2本か3本の演劇を満喫した。

 

 いま思えば当時の今井君はマコトに贅沢であって、土曜日に美術館、日曜日も美術館、月曜日と水曜日には演劇に出かけ、千葉県松戸の月1万5千円のボロ♨︎アパートで我慢して、ホントに&ホントに莫大なバイト代をそういう世界に費やしていた。

 

 ま、致し方ないのである。要するに、あれは一種の田舎育ちのコンプレックスなのだ。NHK以外に「文化のカホリ」に接することのなかった幼い今井君が、先に東京のカホリに触れた姉ウエの熱い話しっぷりに思わず激情、もっとずっと大切なはずの学部やゼミの勉強を全て放擲した、余りにも愚かな姿である。

(京都南座、2階席右1列23番からの絶景。花道の全体が見え、前列に遮られることもなく、隣に席はナシ。最高の席だった)

 

 そういうふうだから、今もワタクシの書斎の本棚には、当時からの演劇パンフレットが山と積まれている。だって諸君、昭和の紀伊國屋ホールとか青年座とか、20世紀の文学座アトリエとか俳優座とか渋谷ジャンジャンとか、そんな古色蒼然とした演劇パンフレットを、そうカンタンに捨てられるはずがないじゃないか。

 

 ワタクシはいつか遠い将来、人生を全て諦めきった頃に、神田神保町「矢口書店」に電話をかける日を楽しみに待っている。矢口書店とは諸君、演劇関係の古書取引でその世界のクロートに知らぬ者のない存在だ。

 

「あのぉ、20世紀終盤の演劇パンフレットが500冊ほどあるんですが」「あのぉ、1980年代から90年代の国立劇場パンフが全て揃っているんですが」であって、ファン垂涎のパンフレットがゾロリ、いやはやその壮観で、矢口書店の人が狂喜乱舞すること間違いなしだ。

   (京都南座にて。ワタクシは当分この席に固執する)

 

 そんな人生だから、秋田時代までの演劇体験はマコトに貧しいのである。観た演劇は、ほぼNHK教育テレビに限定される。それ以外は、中学校の文化祭の演劇部の1本と、秋田高校の文化祭の演劇部の3本しかない。

 

 ワタクシは記憶力の鬼であるから、秋田高校1年生の時に観た演劇部の演劇で、老婆役の高3生が絶叫した「おらぁ、くやしいでよぉ!!」というセリフの響きを今も覚えている。

 

 あの先輩女子が、その後どんな演劇人生を歩んだか全く知らないのだが、とにかく彼女は9月初旬の秋田の舞台で「おらぁ、くやしいでよぉ!!」と絶叫し、その絶叫は1年生♡今井君のアタマにもハートにもギュギュッと深く刻み込まれて、今も今井にとって演劇とは「おらぁ、くやしいでよぉ!!」なのである。

  (2ヶ月ぶりに京都祇園「きんなべ」を訪問する 1)

 

 だから諸君、その後の今井君の東京生活は、来る日も来る日も演劇、来る日も来る日も美術館。演劇や美術館に行くオカネが枯渇すれば、仕方なく「2本立て350円」の映画館、そういうヒマさえなくなってからは、テレビで放映される映画で我慢し、この10年はPC画面で我慢する日々になった。

 

 今も80年代から90年代の記録を眺めると、いやはや余りに激烈に演劇を観て歩いた日々に驚嘆する。諸君も今井の記録魔ぶりには驚いてくれているだろうが、演劇・音楽・映画・美術、丹念に記録をつけることについては、決して人後に落ちないつもりだ。

 

 そこでその「丹念な記録」を、久しぶりに丹念に辿ってみたのであるが、ワタクシ、東京以外で演劇を観た経験はあまり多くないのである。

 

 大阪での人形浄瑠璃は、すでに10年の歴史があるから別扱いにしよう。すると諸君、ニューヨークとロンドンのミュージカル系を10本程度、ベルリンとウィーンとパリでのオペラ&バレエを20本程度、あとは全て Tokyoで、しかもこの20年、劇場にはすっかりご無沙汰して過ごしてきた。

  (2ヶ月ぶりに京都祇園「きんなべ」を訪問する 2)

 

 だから京都・四条河原町の「南座」には、今まで足を踏み入れたこともなかった。400年前に出雲ノ阿国が初めて歌舞伎おどりを演じた付近の石碑もすっかり見慣れた光景であるが、実際に「南座」のチケットを買って、その席を堂々と占めたことは一度もなかったのである。

 

 だから4月14日、昼過ぎには真夏のような暑さになった京都の南座で、係員に「都をどり」のチケットを手渡した時のワタクシの熱い興奮を、まあ諸君、深く深く想像してくれたまえ。

 

 2018年の秋の京都で、ワタクシは四条通りを八坂神社に向かって東進する歌舞伎スターたちを間近に眺めた。いわゆる「お練り」である(Tue 190305 年度末の思ひ出/ヒーローたちの進路(京都すみずみ30 最終回)3809回)。

 

 あのとき先導役を務めていた舞妓さんたちが、今回の「都をどり」の主役なのだ。コロナの世の中になってから「都をどり」はまるまる2年間「休演」の扱いだったから、ホントに久しぶりの都をどりであって、この日の夜に訪ねた祇園の名店「きんなべ」の女将も「舞妓ハンたちもホントに喜んではったやろな」と、優しくニッコリなさっていた。

 

 わずか1時間半の舞台であるが、そりゃそうだ、まさに「一世一代」と言ふ世界。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」の名言通り、舞妓さんが舞妓さんとして華やかに咲き誇れる日々は短い。「コロナで休演」「今年もコロナで休演」という2年のせいで、この晴れ舞台に上がれなくなってしまったヒトだって少なからずいらっしゃったはずだ。

 

 思えば諸君、「90分」というマコトに短いその舞台、今井君の90分だって、同じ90分なのだ。待ちに待って、またまた待ちに待って、ついにやってきたその90分がどれほど大事に思えるか、いやはや今井君なんかも身にしみて痛感するのである。

(京都祇園「きんなべ」にて。前回は魚介の沖すき、今回は思い切り牛肉に転向して、正統派のスキヤキをいただく)

 

 ならば、眺める方も出来るかぎりいい席を確保したい。ワタクシが確保したのは、2階席の1列23番。1階席はほぼ満席になっていたが、諸君、演劇を眺める時は、むしろ2階席の最前列を選択したまえ。

 

 オペラなんかも、思わず「前へ前へ、意地でも前へ」と思いがちであるが、オススメなのは「ミッテル・ロージェン・プラッツ」なのである。

 

 いつだったか、確かウィーンのオペラ座で係員の中年女性に「ミッテル・ロージェン・プラッツが空いてますよ」と笑顔でススメられたのに、「もっと前がいいんですが♡」と断りかけたことがある。あの時の係員の落胆の表情、今でも忘れられない。

 

 諸君、歌舞伎でも「都をどり」でも何でもいい、京都の南座で芝居を観るときは「2階席、右1列23番」をオススメする。もしカップルで南座に行くなら、2階席の「1列23番」をカノジョ、その隣の「1列24番」をカレシ、長い長い演劇歴の今井が言うのだ。信じてくれたまえ。

(祇園「きんなべ」にて。女将がつきっきりのスキヤキを満喫する 1)


 何よりもまず、前列に人がいないのがいい。どんなに前方のカブリツキの席を買ったって、直前の席に胴長の男がやってきて、しかも姿勢良くピンと背筋を伸ばして座ってみたまえ、舞台の真ん中は胴長男の頭に真っ2つに分断されてしまう。

 

 ついでに、「意地でもボーシを脱がない男」なんてのも登場するし、「キモノの帯が潰れないように、何としてでも前かがみで観劇」というオバサマも少なくない。ボーシと前かがみ、ともに劇場でのタブーだが、そのタブーを巡って口論にでも発展したら、演劇の楽しみもみんな台無しだ。

 

 しかも諸君、京都南座2階席「右1列23番&24番」の2席は、ほぼ他の席と隔絶された独立席になっている。「右にも左にもお隣さんが存在しない」だなんて、こんな理想的なカップル席は考えられないじゃないか。

 

 そして何と言っても、「舞台の全てが一望のモト」というのが最大の利点だ。歌舞伎や能や狂言など、日本の古典演劇は欧米のそれとは比較できないぐらい舞台構成が複雑だ。特に「花道」で長い所作が繰り返される演目の時には「花道が見えるかどうか」が、決定的な要素になる。

 

 2階席右1列23番はこの点でもほぼ満点だ。お隣の24番だと、ホンの少しだけ難点となりうる鉄棒が右肩のあたりにあって、だからこそ大ベテラン今井は、「もしカップルなら、カノジョに23番、カレシは我慢して24番」という提案をするのである。

(祇園「きんなべ」にて。女将がつきっきりのスキヤキを満喫する 2)

 

 まあ、いいか。とりあえず4月14日、1階席はほぼ満員、2階席は今井君を含めて5〜6人のみ。いやはや京都の人々も、あんまり演劇そのものを楽しむ「ミッテル・ロージェン・プラッツ」タイプではないようだ。

 

 というか、何しろ舞妓ハン集団 =「キレイドコロ軍団」の乱舞を楽しむ場なのだ。キレイドコロのキレイな乱舞を楽しむなら、全体も花道もどうでもいい、「とにかくカブリツキで」のほうが風流なのかもしれない。

 

 なお、カブリツキの語源も、是非ググってくれたまえ。骨つきチキンにカブリつくのとはわけが違う。江戸期の芝居では、舞台の雨降りシーンでホンモノの水をザブザブまきちらした、それでぐしょぐしょになったんじゃお客が可哀想だから、最前列の客には雨に濡れないようにカブリモノを配布した。

 

 カブリモノのもらえる席だから「カブリ付き」。決して舞台で乱舞するキレイドコロに意地汚くカブリつくのではない。やっぱりワタクシは、舞台から心地よく離れた京都版ミッテル・ロージェン・プラッツ、2階席1列の23番をオススメするのである。

 

1E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 1/6

2E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 2/6

3E(Cd) SchiffBACHGOLDBERG VARIATIONS

4E(Cd) SchreierBACHMASS IN B MINOR 1/2

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