Sun 220501 吉野の桜の楽しみ方/奥千本からひたすら下山/足も心もヒコヒコ 4203回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 220501 吉野の桜の楽しみ方/奥千本からひたすら下山/足も心もヒコヒコ 4203回

 桜の季節は、ほぼ日本全国で終わっちゃっただろうが、来年の桜のためにヒトコト、若い諸君にアドバイスしておく。テレビだろうが新聞雑誌だろうが、オールドメディアの情報は余り当てにしないこと。「見頃です」と言われたら、要するにそれは「そろそろオシマイです」という発言に等しい。

 

 オールドメディアに限らない。ネット情報だって、よく読んでみると「例年の見頃は今頃だ」「今年もきっとそうだろう」「だって毎年そうなんだから」という程度まで。それ以上に頼り切ると、きっと痛い目にあう。テレビ画面に映し出される「見頃」の映像は、昨年とか一昨年とかの画像だと思った方が無難のようだ。

 

 あまりにも有名な吉野の「一目千本」なんかでも、ワタクシはこのところマコトに激しく裏切られ続けている。特に昨年は朝の NHKニュースで女子アナが「見頃です」とニッコリ、「おおそうか」「なら奈良に急がなきゃ」とヒコーキでひとっ飛び、奈良に着くや否や「とっくに終わってます」と地元の人に笑われてしまった。

(吉野・吉水神社「一目千本」。来るのが5日から1週間遅かったようだ)

 

 2022年4月も同じように裏切られた。もう記憶にないかもしれないが、今年の冬は日本中強烈な寒波が続き、特に2月の寒さは大ベテラン今井でさえ「こんなに寒さの厳しい冬は初めてかもしれないな」と溜め息をつくほどであった。

 

 だから2月末の段階で、「今年の吉野の桜の満開は、4月11日ぐらいになるだろう」と予測。さっそく吉野の山中「竹林院」の宿を1泊予約して、吉野名物の鍋料理までついでに予約。満開の吉野の桜を愛でながら、イノシシのお肉をいただく春を夢見ていたのだった。

 

 ところが3月に入って、いやはや初夏並みの暑さの日々が連続した。3月10日を過ぎた段階で「こりゃ吉野の桜の日程を変更しなけりゃいけないな」と判断。せっかくの「竹林院」をキャンセルして、京都宿泊&吉野は日帰りと旅程を変更した。

(吉水神社「一目千本」からの眺望。一番近くの三角形が「中千本、その向こうの小さな三角形が「上千本」、さらに遠くぼんやりピンクに色づいているのが「奥千本」)

 

 しかし諸君、そんなふうに古老並みの知恵を駆使しても、さすがに相手は自然だ、なかなかコチラの思い通りには動いてくれない。吉野の桜は、4月5日ごろ山麓で満開になった。

 

 その後、山麓から山腹、山腹から山頂に向かって次から次へと満開になり、今井君がやおら新幹線に乗り込んで吉野を目指した朝には、すでに山麓「下千本」で葉桜、山腹の「中千本」でも葉桜、その上の「上千本」でも花吹雪から葉桜へ、まだ満開なのは「奥千本」のみ、そんな状況になっていた。

 

 だから近鉄特急が吉野の駅に到着した瞬間、大ベテラン今井はタクシー乗り場に突進、たった1台だけ待っていた近鉄タクシーに飛び乗って、一気に「奥千本」を目指したのである。

 

 諸君、吉野の花見に、クルマは必須アイテムだ。もしも山麓から順番に桜を眺めて、山腹から山頂に向かって上り坂を歩き通そうとすれば、それはもう完全に登山の装備が必要。キャラバンシューズにストックの山ガール&山ボーイ姿で、5時間か6時間はかける覚悟が必須だろう。

 

 朝の東京か大阪&京都で思いついて、「ちょっと行ってみるか」という軽い気持ちで吉野の登山を始めたりすれば、昼飯時にやっと3合目、昼飯で浮かれてちょっとお酒が入ったりすれば、午後2時にやっと中間地点、「上千本」に差し掛かるあたりで日が暮れ始める、

 

 奥千本にたどり着いて日没、もうニッチもサッチも行かない。後醍醐天皇が日々涙に暮れたあたりを中腹とすれば、一番奥の「奥千本」は源頼朝の追っ手を逃れて義経が隠れ住んだスーパー山奥。静御前や佐藤忠信がほうほうのていでたどり着いてみれば、おお、義経どんの周囲を悪いキツネがフワフワ、そういう恐るべき山奥だ。

(奥千本からかなり下ってきたあたり。「名物 しいたけ飯」の看板は健在だった)

 

 だから、クルマに頼らず山麓から山頂に向かった無謀なカップルなんかが、そこいら中で大ゲンカを始めている。見れば、女子は「ちょっと休日デート」というタイプの軽めの服装でムクレにムクレている。

 

 幸福&幸運なことに今井君は、今までの人生で相手をここまでムクレさせたことがないから、この場合の男子の対処の方法も思いつかない。

 

「あきらめる」「やめる」「再起を期す」「捲土重来を説く」という姿勢でムクレ女子を慰めるのがいいに決まっているが、残念ながらこの国では「一度始めたことを途中でヤメる」みたいなのはタブーとされていて、A(C)→ エーカッコシーの男子には、なかなかそれをする勇気が出ない。

 

 すると男女のミゾは決定的に深くなるので、はるかかなたからサトイモ君が観察したところでは、どうやらそのミゾは今さら修復できるようなヤワなものではなさそうだ。まさか今この場面でサトイモ閣下が登場、「まあまあ、仲直りした方がいいですよ」と言うわけにもいかないだろう。

    (上千本。まだ山桜はキレイに咲いていた)

 

 むかしむかし20世紀の今井君が受けていた道徳の授業では「引き返すことこそホントの勇気」と教えられた。「突き進むのももちろん勇気、しかし仲間を説得して撤退を実現する勇気こそホンモノ」と、小学校のセンセは涙目で熱く教えてくれた。

 

 しかしそのおんなじセンセが「一度始めたことを諦めるのはイクジナシだ」と、勇気をもって撤退を決めた者たちを責めることもあったのだ。いやはや、人間の道はマコトに難しい。たかが吉野のお花見でも、撤退するか、やり通そうとしてミゾの修復を不可能にするか。カンタンには決められない。

 

 そこで諸君、人間の力で決められないことは、クルマの力で解決すればいい。吉野の駅からテッペンの奥千本まで、タクシーで30分、タクシー料金は4000円弱。一気にタクシーでテッペンまで登ってしまえば、あとは麓に向かって延々と下り坂を降りていくだけだ。

 

「人生、苦しい時が上り坂」とミエを張って、自ら上り坂の苦しみを満喫するのも素晴らしいが、そういうミエのせいでカノジョの苦しみを無闇に2倍増・3倍増・4倍増させ、2人のミゾを修復不可能にし、ついには2人でともに歩むはずの未来まで台無しにするのはオロカである。

 (吉水神社「一目千本」から上千本・奥千本のあたりを望む)

 

「いや、男女の関係だってお互いに甘やかすことばかりじゃイケナイのだ」「互いに熱く励まし合いながら、粘り強く頂点を目指すプロセスにこそ、人生の意味と妙味がある」とおっしゃる模範的な精神力の持ち主もいらっしゃるだろうが、まあまあ、そんなに肩&ヒジはりなさんな。

 

 せめてお花見の時ぐらい、お互いに徹底的に甘やかしあい、「こんなに自分を甘やかしていいんだろうか?」「いいじゃないの、お花見なんだし」「そうだな、はははは」「そうよ、がははは」、そういう日が1年に20回や30回ぐらいあったっていい。

 

 問題は、「タクシー代 → 4000円弱」をどうするかだが、もしもその4000円を「イケナイ」「ダメだ」「無駄遣い」と思うなら、昔懐かしいバブル時代の「アッシー君」を育成するしかない。

 

 大阪からでも京都からでも、「カノジョ候補」ないし「友だち以上○○未満」などという中途半端なお相手を、奈良の吉野の奥千本までクルマで送り届けてくれるアッシー君の1人や2人、普段からキチンと育成しておくのが、バブル時代の若者の常識だった。

 

 時は移って21世紀も半ばに向かおうとする今なら、お気に入りの男子を奥千本までクルマで送ってくれる「女子アッシーちゃん」だって、まあ工夫次第で何とかなるだろう。奥千本で「バイバイ」」「あとは3時間かけて自分の足で山を降りていくから」。そういうクールな交友関係だって存在してもいい。

(奥千本方面「水分神社」の枝垂れ桜。「水分」と書いて「みくまり」と読む。故事来歴はググってくれたまえ)

 

 ただし諸君、「下り坂」を決して見くびってはいけない。アンヨにも腰にも臀部にも、下り坂は上り坂以上の負担がかかる。最近流行している低山の登山というか山歩きでも、ケガが多いのは登りよりも圧倒的にクダリなのだ。

 

 特に下り坂は、登りきった安堵感のせいで、みんな緊張感が薄まっている。ちょっと余裕があったりすると、その辺のヤブに手を突っ込んで「ワラビを見つけたぞ!!」などと快哉を叫んでいるオジサマなんかも出現する。

 

 するとやっぱり悔しいから、こちらもワラビとかゼンマイとかコゴミとか、その種の山菜を見つけてみたくなり、ついつい険しい坂道に足を踏み込んで転落するとか、誤ってスズメバチの巣をギュッと踏みつけて「周囲は地獄絵図」なんてことにもなりかねない。

 

 しかも、そんな危ない思いまでしてレジ袋いっぱいにワラビを集めて歩いたとしても、中腹まで降りていった小さな雑貨屋の店先で、同じワラビを「1袋300円」で売っているのを発見したりする。

 

 周囲は激しく失笑、ご本人は大恥をかき、「2度とコイツらと山なんかにくるもんか」と決裂、さっきの上り坂のカップル以上に、ミゾの修復は困難になる。くれぐれも、お花見の山中でワラビなんかに夢中にならないほうがいい。

(中腹の「坂本屋」で山菜うどんをすすり、ビールと日本酒で痛飲するのが定番だ)

 

 そうでなくても、山頂から中腹までたどり着かないうちに、もう両脚がヒコヒコ震え始めるのだ。足のヒコヒコは、いったん始まったらもう取り返しがつかない、果てしなくヒコヒコ、休んでもヒコヒコ、歩き出してもヒコヒコ、ヒコヒコ状態で神社やお寺の石段なんか登ろうものなら、剣呑なことこの上ない。

 

 4月12日、今井君もそうやって両脚ヒコヒコ、臀部もヒコヒコ、視線も呼吸も心臓の鼓動までヒコヒコする思いで、ようやく中腹まで下山してきた。

 

 さっきタクシーで一気に奥千本まで登った爽快感は、半日経過したワラビみたいにションボリ&グッタリ、とにかく今すぐにでも冷たく黄金色に泡立つお酒を胃袋に流し込みたくなった。

 

 こうなると、もう右も左もどうでもいいのである。吉野の山の中腹に5軒も6軒も立ち並んだお店は、「もしかしたら厨房がみんな繋がっているんじゃないか」というぐらい似たり寄ったりだから、とりあえず「坂本屋」と日に焼けた暖簾をぶら下げた店に闖入して、ヒコヒコあんよを休ませることにした。

(吉野の銘酒「八咫烏」蔵元直売所。ここで升酒を飲むのもワタクシの定番だ)

 

 その「坂本屋」、平凡なお店ではあるが、花吹雪がマコトに美しい。ちょうど店の裏に大きなソメイヨシノの木があって、強い北風が山麓から吹き上がってくると、2階の窓から無数の花弁が一気に吹き込んでくるのである。

 

 その花吹雪に、店のお客たちから何度も歓声が上がり、歓声に熱い拍手も混じって、おお、嬉しいじゃないか、今井君の公開授業の終盤のクライマックス、大爆笑に熱い拍手が混じる瞬間を思い出させてくれた。ヒコヒコ今井は、アンヨばかりか心までヒコヒコ、花吹雪の吉野で思わず感涙しそうになったのである。

 

「坂本屋」で貪ったのは、まずビール、もう1本ビール、続いて冷たい日本酒、もう1本冷酒、「少し酔ったかな」というあたりで、アンヨも心もヒコヒコが収まり、最後にごく平凡な「山菜うどん」をすすって店を出た。

 

 あとは、吉野の定番を満喫するばかり。まず「吉水神社」に立ち寄って「一目千本」の絶景を眺める。もちろん一目千本も何もとっくに千本のうち900本ぐらいまでは葉桜に変わっていたが、それでも一目百本、まあ悪くないじゃないか。

 

 シメは、吉野の銘酒「八咫烏」のお店へ。八咫烏と書いてヤタガラスと読む。桜の季節には店の前で升酒を振舞っていて、1合の升1杯500円で純米酒や濁り酒を満喫できる。普段なら2合も3合も、サカヅキならぬ升を重ねるのであるが、今日は折からのヒコヒコ、足の震えがまだ完全に治っていなかったので、たった1合で店を立ち去ることにした。

(国立公園切手シリーズ、吉野熊野国立公園。下記記事の写真の中に、これとそっくりの構図がある)

 

 実はまだ、吉野には定番が残っている。まずは巨大な富有柿を使った干し柿屋の店。さらに何故か静岡県三島のサツマイモを使った干し芋の屋台。しかしやっぱり足のヒコヒコが治らず、次第に陽も翳ってあたりの人影も少なくなってきた。

 

 干し柿も干し芋も諦め、麓の駅前の売店でソフトクリームと生ビールを満喫。日本酒もいくらか購入したワタクシは、17時、またまた近鉄特急に飛び乗って、橿原神宮経由で京都の宿に向かうことにしたのだった。

 

 なお(Sun 190414 休日も目一杯/大阪で文楽/吉野の花は満開/胃袋の充実こそ人生 3826回)を参照。巨大干し柿も、満開の吉野の桜の絶景も、3年前の写真に見事に残っている。第2次国立公園切手シリーズ「吉野熊野国立公園」(1970年)の1枚に、3年前の写真とそっくりの構図があったから、まあ探してみてくれたまえ。おお「7円切手」、そのむかし、ハガキは7円だった。

 

1E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 5/6

2E(Cd) PrestonBACHORGELWERKE 6/6

3E(Cd) J.S.BACHSILVIACantata Opera in 3 Acts1/2

4E(Cd) J.S.BACHSILVIACantata Opera in 3 Acts2/2

5E(Cd) Münchinger & Stuttgart ChamberBACHMUSICAL OFFERING

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