Tue 210622 涼しい夏至の日/我がワシワシ生活 ’21/カシミール愛♡な日々 4076回
「ナマ授業か、映像授業か」。大昔の思ひ出話から始めて、小難しい比較論まであれこれ考えているうちに、いつの間にか梅雨は深まり、昨日でもう夏至も過ぎた。
スミマセン、20回ほど続いた長い長いシリーズ物は、昨日で一段落つけることにいたします。ちょうど新書版1冊分にまでなりました。
暑苦しい昼の時間は昨日が1年で一番長くて、昨日を境に大好きな涼しい夜の時間がどんどん長くなっていく。首都圏に限ったことなのかもしれないが、今年の梅雨はマコトに涼しく快適だ。
朝も晩も爽快な涼風が吹きわたり、猛烈に暑がりの今井君でさえ、今年はまだクーラーのリモコンに1度も手が伸びない。しかしこりゃ諸君、かつて日本の夏を飢饉の予感で震え上がらせた「やませ」というヤツじゃあーりませんか?
天明の大飢饉、天保の大飢饉、「飢えでダイコンをかじる東北の子供たち」、むかしから日本史の教科書に満載の飢饉の記憶が、天気予報士を目指すモネだかモモネだかモモモネの懐かしい昭和ヘアスタイルの向こうに、チラチラ見え隠れするのである。
昨夜は夜中に窓を開け放って風に吹かれていると、23時の南西のお空に、3/4ほどに膨らんだキレイな月が輝いていた。わずかに叢雲がかかっていたが、これじゃ明後日の真夜中あたり、中秋の名月みたいなまん丸お月様が浮かぶかもしれない。北東からの涼風が夜になるとさらに冷え込んで、深夜にはもう秋の雰囲気だ。
(6月19日、「銀座デリー」の極極辛カシミール。この凶悪そうな色のカレーを、とうとう「カレーソース大盛り」で注文するようになってしまった)
こういう日々だからこそ、せめてポンポンの中身ぐらい、盛夏向きにスッキリと鍛えておきたい。うなぎ・ヒレカツ・ヒレステーキ・太うちの蕎麦・ジンギスカン・すっぽん鍋・いのしし鍋・くま鍋・軍鶏鍋・もちろん天ぷら各種、そこいら中に大好きなものが目白押しで、日本に生まれてホントによかった。
ただし諸君、どんな高級店に入っても、意地でも「お酒ナシ」の日々が続いた。太打ちの蕎麦や天ぷら各種やお寿司に「酒ナシ」は余りにもツラすぎるから、馴染みの店への足もすっかり遠のいた。
普通なら、年齢を重ねると次第に「肉より魚」志向になり、ジーチャンたちなんか毎日お寿司と刺身ばっかり食べるようになるらしいが、ワタクシはやっぱり「普通人と真逆」。どんどん肉が好きになり、生魚やお寿司にやたら高いオカネを出すのがバカバカしくなってきた。
ましてや「酒ナシのお寿司」、15貫も20貫もひたすら無言で食べまくり、注文するごとにマスクを取ったり付けたり、お茶をすすってまたマスク、お椀をフーフーやってまたマスク、それでもわずか30分で食べ終わり、最後にお勘定書に目をやると「30000円」だなんてのは、やっぱり耐えられない。
(6月19日は、関西出張の帰り道に銀座に立ち寄った。ドンブリに大盛りの極極辛口カレーを、あたかもスープみたいにすするようになってしまった)
そこで4月から5月の今井君は、「酒ナシ」でも大満足の食事群を選択した。うなぎなら、うまき・うざく・肝焼き・白焼きにうな重、これまたサッサと30分で胃袋にギュッと押し込み、お酒はオウチに走って帰って1人でグビグビ、そういう楽しみ方も決して悪くない。
「ヒレカツ」もいい。他のお客さんが120グラムのロースカツでお腹いっぱいの顔をしているのを睥睨しながら、「ヒレカツ、200グラム!!」、大きな声で注文する時の爽快さはたまらない。
たとえ大っきな200グラムのカツでも、まさかヒレカツ1枚に2時間もかかるわけはない。これも15分ほどで全て飲み込んで、やっぱりオウチに駆け戻り、ビールもお酒も何もかも、アルコールはみんな後回しにすればいい。
実は「先回り」という手もあって、出かける前にオウチの冷蔵庫からサッポロクラシック500ml缶を取り出してグビグビ、それからトンカツ屋に悠然と乗り込むランチもまた爽快だ。
(これは前週6月12日のカシミール。色も味も19日よりグッとマイルドだ)
そしてやっぱり、このコロナ禍で今井のストレスを発散させてくれた筆頭はカレー屋だ。「銀座デリー」に通う頻度は、5月 → 6月とまさにウナギのぼりであって、某ウナギ店の「破れかぶれ出血♨︎大サービス」を食べきれなくて困り果てて以来、ウナギの分までカレーを貪るようになった。
「銀座デリー」は、客層も格が違う。西銀座6丁目、電通の先々代本社ビル「銀座電通」の斜向かい。華やかなりし昭和の時代には、銀座で1or2を競うこのメヌキ通りを「電通通り」と称し、昭和文学の多くの名作に「電通通り」が登場する。その昔の電通は、「ブラック」などと指弾されることは一切なかった。
言わば銀座のド真ん中に、わざわざカレーを食べに来る人々だから、大きな声で話に夢中になって飛沫感染を誘発するようなグループは皆無。ほとんどが単独行動のオジサマ&オバサマ、アクリルのスクリーンでキチンと仕切られた1人席で、ほぼ一言もしゃべることなく、ひたすら深く濃くカレーを味わっていらっしゃる。
だから当然ワタクシも、普段の公開授業のイマイとか、収録授業のイマイとかからは想像もできないぐらいの高級オジサマになりきって、極極辛のカシミールカレーをひたすら静かに口に運ぶのである。
(前週12日のマイルドなカシミール。もちろんマイルドなバージョンも絶品だ)
今日の1枚目の写真を見てくれたまえ。凶悪なほどの黒いカレーを見れば、写真だということを忘れて思わず脳天の奥まで辛くなる。これは「カレーソース大盛り」というタイプ。カレーの量は、普通バージョンの2倍に近いかもしれない。
ホンのひと月前までは、ワタクシも普通盛りを平らげるのさえ必死だった。それほどの極極辛カシミールであって、もしこれを一口でも口に入れようものなら、他の全てのものがカシミールに変わる。そこにあるのがサクランボだろうがマンゴーだろうが、とにかくカシミールの味しかしなくなる。
この凶悪なカレーソースを諸君、今井君はほぼドンブリ一杯、まるでスープのように飲み干すのである。ほぼ毎週、週末の昼時になると「銀座デリー」を訪れ、「カシミール。ラムで、カレーソースを大盛りで」と、たくましいインド人のベテランウェイターさんにニヤニヤ笑いかける。
普通バージョンは、ラムではなくてチキンが入っている。チキンをラムに替えると、+200円。カレーソース大盛りも、+200円。合計400円も高くなるが、それでも1500円でこんな極上のカシミールが楽しめる。酒ナシで寿司をモグモグ → 30分で30000円などというツマラン低コスパとは別世界だ。
(これは19日のワイルドなバージョン、前の写真と「真正面対決」で、マイルドとワイルドの違いを視覚だけで納得していただきたい)
しかも、日によって微妙に味が変わる。本来なら「日によって味が変わる」のは良いことではなくて、マクドナルドでも吉野家でも、ロイホでもサイゼリアでも富士そばでも、「どの店舗に・何月何日・何時に入店しても・必ず同じ味&同じサービス」が原則のはずだ。
それは「ナマ授業が売り物」の塾や予備校の授業でも同じことで、同じテキストの同名講座なら、「どの校舎で、どのセンセに習っても、完全に同じクオリティです」などと、ハナから無理なことを宣伝文句に使って平気でいる。
もしそういうことを言われたら、それは要するに思い切りウソをつかれているのであって、「どの先生でも同じです」と言われたら、躊躇なくその塾は選択肢から外すべきだ。完全に別人格の2人の講師が、例え同じテキストを使用したからと言って、完全に同じ授業になるわけがないじゃないか。
カレーも同じこと。諸君も、今日の写真5枚をよく眺めてみてくれたまえ。1枚目と2枚目と5枚目が、おそらく最もワイルドな辛さだった6月19日のカシミール。3枚目と4枚目は、ホンのわずかにマイルド側に針の振れた6月12日のカシミール。4枚目と5枚目は「正面図対決」と思ってくれたまえ。
ほぼ同じような比較研究は、「Sat 210605 今日14年目に突入/カレーの味/苦い思ひ出/ナマか映像か12(4068回)」の写真でも確認できる。
同一講師の授業だって、その人のその日のコンディションや気分や相手の生徒の反応次第で、煮詰めたほどに濃厚な授業になったり、楽しいオハナシたっぷりのマイルドな授業になったり、そういう変化があるからこそ、生徒とのコミュニケーションも深く濃密なものになりうるのだ。
もちろんワタクシは、埼玉県春日部の名店「ラホール」のジャンボハンバーグカレーを忘れたわけではない。しかし春日部はあまりに遠く、浅草から東武特急で1時間近くもかかる。
「カレーを食べるためだけに丸1日費やして関東小旅行」という贅沢も、コロナ軍やらデルタ株軍団の攻撃がコワくて、すっかり諦めざるを得ない日々がまだ続くのである。
1E(Cd) Schüchter:ROSSINI/DER BARBIER VON SEVILLA
2E(Cd) Cohen:L’HOMME ARMÉ
3E(Cd) The Beatles:REVOLVER
4E(Cd) Anita Baker:THE SONGSTRESS
7D(DMv) CRY FREEDOM
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